Undergroundシリーズ

鴻上縞

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『Underground caT』

変化の兆し

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「てめっ、やめろ……!」
 消灯を過ぎた薄暗い雑居房、押し殺した声が虚しく響く。
「おい、足押さえとけ!」
 口に詰め込まれた青臭い布団を吐き出そうと力の限り抵抗を試みたが、若さ滾る力の前にそれもあえなく悪足掻きへと変貌を遂げた。
 食事の横取りから口淫の強要、挙句は雑居房の連中総動員での輪姦。生意気な新入りへの手酷い歓迎は、毎夜宴のように繰り広げられた。だが元来淫乱な性質を持ち合わせている俺は、そんな手酷い仕打ちをも快感に変える。お陰でいつしかその行為は陰険なイジメなどでは無く、抑圧された性欲の解放へと変わっていた。

 今日もまた、傷付いた身体を労わるように身を丸め、薄い煎餅布団を頭から被り涙を耐える。
 刑務所に入ったら、自分を見つめ直せる気がしていたんだ。日々誰かの腕の中で眠る悪魔ではなく、ただの間宮雪としての人生を。
 だけど俺はやっぱり変われなかった。刑務所の中でも、俺は男に身体を求められた。ここが何処かなんてもうどうでも良い。俺は何処に行っても同じ。男の癖に男を誘い、男の癖に男に抱かれて善がる。虚しさなんてものもとうに失せた。それでも俺は生きている。人生に疲れ切っているのに、自分からは死のうとも思わない。何の為に。この先に何がある。そう考えたら笑えた。
 今迄だって何も無かったじゃないか。数え切れない男と寝て、母さんに復讐して、残ったモノは何?なかったんだ。何にも──。

 俺がこの刑務所に収容されて早くも半年が過ぎた。季節は移り変わり今は八月。照りつける真夏の太陽は痛い程だけど、この辺りは森が多いから風は熱風を運ばない。排気ガスの匂い、煙草に香水、化粧の匂い。ここには何にもない。鬱陶しい戯言も、胸糞悪い愛の言葉も、全部。受刑者の玩具にされててもそれだけが救いだった。
 梅雨明けには運動会があった。工場対抗のもの。皆が子供みたいに本気になっている姿を見ていると、何だか可笑しかった。それが終われば後はお楽しみ会と称した行事がある。外部から物好きが慰問にやってくるらしい。あとは年末にカラオケ大会もあるらしい。その日だけは受刑者にも歌が許される。
 この時期はお楽しみ会だ。毎年慰問に訪れる物好きな落語家がいるらしい。落語なんか見た事もなければ、馴染みがなさ過ぎてなんの事やら。ここは少年刑務所だ。俺と同じような連中はごまんといるだろう。それでも皆どこか楽しみにしている風に見えるのは何でだろう。
 看守の号令で列をなし大広間に連れて行かれ、罪の重い者から前列の方に座らされる。俺は前から数えると中間より少し前の位置。ふと視線を向けると、俺を助けてくれた気にくわないあのおっさんは最前列にいた。周りから頭一つ飛び出ているから何処にいても目を引く。そんなのが一番前なんだから後ろはとんだ迷惑だろう。
 全員をすし詰め状態に収容仕切ると、ようやくお楽しみ会が始まった。入って来た初老の男は、深く頭を下げた後にぐるりと受刑者の顔を見回す。
「いやあ暑いですね」
 言った通り、落語家は酷い汗っかきなのか、ポタポタと垂れ落ちそうな程に汗をかいている。
「いや、なに、ここに来る途中にね、腰の曲がったお婆さんが深々と頭を下げるもんでね、はて、アタシも年を取って貫禄でも出たかなと、シミジミ感じた訳ですよ。それで何気無くふと自分の左手に目を向けるとどうだい。ここの高い塀と、偉そうに仁王立ちしている看守さん。そしてアタシはこの通り、ここの悪人共と同じ丸坊主。こりゃ敵わんってなもんで、慌てて駆け付けたもんだからほら、この汗」
 てかてかと煌めくまあるい頭部にパチンと扇子を打って、にんまりと口端を持ち上げると、娯楽の無い刑務所暮らしをしている受刑者はそんなどうしようもない話しでもどっと笑った。
 やはり仕事にしているだけあって、彼はその後も鮮やかに笑いを取って行く。悪人共と言われても笑えるのは、それが事実だからか、この男の手腕なのか。
 そんなマクラで会場が温まった所で、落語家はさて、と前置きをし、一度背筋をピンと伸ばして見せる。パシンと扇子を打ち付ける軽快な音は、落語に興味のない俺でも不思議とその世界へとすんなり導いてくれた。
かすがいってのは、これはまあご存知の方もおられるかもしれませんが、木材と木材をこう、繋ぎ合わせるコの字型の道具みたいなもんですな。トンカチで打ってね」
 再び扇子を打つと、ふっと落語家の表情が変わった。
 その日の演目は『子別れ』。別名子は鎹と言うものらしい。当然俺は知らない。ただ周りが身を乗り出す様にのめり込む雰囲気に何となく倣ってみた。
「かくばかり偽り多き世の中に子の可愛さは真なりけり──」
 出だしは酒乱で女ったらしの大工の亭主に愛想が尽きて、女房が子供と出て行ってしまう所から始まった。この切り出しで人情噺だろうとは大方予想が付く。今更俺が何を聞いて感動する訳でも心を掴まれる筈もない。
 ただ不思議なもので、この初老の男の所作の一つ一つに、不思議な愛情が滲み出て見えた。この男には子供がいるのかもしれない。もしかしたら嫁を泣かせて来たのかもしれない。そんな憶測すら頭を過る程に、彼の話し口調は温かみがあった。
 話しに戻ると、その大工は直ぐに新しい女を家に置くのだけれど、それも他所に男を作って逃げてしまう。そこで漸く目が覚めて、大工はそれから真面目に働いたそうだ。三年後に息子と再会した大工は、次の日鰻を奢る約束をして母親に内緒でと小遣いを渡す。母親は帰って来た息子が金を持ってる事に酷く怒り、結局子供は父親と会った事をバラしてしまう。だけど母親は父親が真面目になったと聞いていても立ってもいられず、自分も一緒に会いに行くのだが、二人は照れてしまって上手く事が運ばない。見兼ねた子供が、また一緒に暮らそうと必死で訴えるものだから、二人は寄りを戻す事となる。そんな、単純な話しだ。
 落語家は袖で目尻拭い、女房の動きを演じる。
「やっぱり子は、夫婦の鎹だねえ」
 そう言うと直ぐに、まるで少年のような笑顔を浮かべた。
「へえ、オイラ鎹かい?どうりでおっかあは、怒るといつもトンカチでぶつぞって言うんだ」
 そう締めくくると、丁寧に手を付いて頭を下げ噺の終わりを示した。
 皆が拍手をする中、周りから恥ずかしげもなく啜り泣く声が聞こえ、俺は面食った。中には若い癖に泣いている奴もいるが、殆どが子供のいる連中だ。塀の外に置いて来た子を想っているのだろうか。ここを出たら温かい家族が待っていてくれる。それを支えに生きているのだろうか。
 確かにここでの生活は精神が不安定になりそうな事がある。誰でもきっとそうだ。同じ日々。同じ繰り返し。抑圧されて、自分の犯した罪と真っ正面から向き合う為の時間ばかり。
 けれど少年刑務所でするには少し早過ぎる気はする。そう思いふと最前列を見ると、真っ直ぐに前を見据える男の頬を、涙が一筋痕を残していた。その横顔が素直に綺麗だと思った。あの男にも残して来た家族が、残して来た想いがあるのだろうか。最前列に鎮座している癖に、あんなにも真っ直ぐに泣けるような生き方をして来たのだろうか。
 気付けば俺の頬にも涙が伝っていた。けれどそれは山室隆司のような綺麗なモノではなく、もっと別の汚い涙だ。
 俺は鎹になってやれなかったどころか、更にぶち壊してきた。父さんを自殺に追いやったのも、きっかけは何であれきっと俺だ。母さんには一度も面会に来ない程に恨まれ憎まれている。その時俺は、自分で蒔いた種が花を咲かせ実をつけ、いつしか呑み込まれていた事に気付かされた。

 その日は房に帰ると、同房の連中は家族の話しを始めた。思春期に反発しすぎて包丁持ち出されたりだとか、父親の再婚相手から猫の器で飯を出されていた奴だとか。皆何処かで深く傷付き歪みながらここに辿り着いた事を知った。
 しばらくすれば話しの流れはここを出たらどうするかに変わっていた。各々に夢を語る。そして二度とここに戻って来るような事はしない。そう口を揃えて言った。
 俺は、ここを出たら何がしたい?どうせここを出たら一人で生きて行かなきゃいけないんだ。残りの時間、それを考えてみるのも良いのかもしれない。そんな事を思った。
 消灯の時間になって目を閉じると山室隆司の横顔が浮かんだ。何故かは分からないし、それもほんの一瞬だった。

 それから俺は考える時間が欲しくて、休みになるとまた山室隆司のいる運動場に出向いた。長年彼の特等席なのか、先客も、近寄るものもいない。
 今日は山室隆司より先にその場所に辿り着いてしまって、少し不安を覚えながらも腰を下ろして頭を巡らせた。でもいくら考えたって、ここを出たら何がしたいかなんて思い付かない。
 ふっと視界が陰り顔を上げると、心底迷惑そうな男が見下ろしていた。それでも何も言わず隣に腰を下ろすと、いつものように運動場で野球をする受刑者をぼんやりと眺める。何もかもを悟ってしまったかのような穏やかな横顔は、今迄見て来たどんな男とも違った。
「あんた、何で刑務所に入っているの」
 鋭い瞳が横目で俺を捉えると、小さく溜息が吐かれた。
「坊や、人の過去をあれこれ突つくのは良い趣味じゃあないな。お前さんだって話したくない事の一つや二つあんだろ」
 そんなに話したくないのか。俺には──。
「ないよ。聞きたいなら答えてあげる」
 山室隆司は興味ねえと言って空を仰いだ。何処までもツレないおっさんだ。また不意に、あの日の横顔が頭の隅にチラついた。
「あんたには……待っていてくれる人、いる?」
「いるよ」
 山室隆司は優しい声で、小さく呟いた。胸の奥が締め付けられるようで、何だか寂しかった。
「良いね。俺さ、誰もいないから。ここ出たら何しようか考えていたんだ。でもさ、何もしたい事なくて。それにどうせどこへ行っても変わらないんだ。新しい生活見付けてもね、気付いたら……誰かに抱かれてる。俺もそれで安心するから良いんだけどね」
 山室隆司は不思議なおっさんで、何を聞いて来る訳じゃないのに、自然と話していた。奥底に潜む弱音にも似た、心の内を。ただ黙って聞いてくれる。それだけなのに何故か、包まれる様な優しさを感じた。
「本当は、俺、やっていないんだ」
 そう言ったらこの人は、何と言うのだろう。それが何故か凄く気になって、無意識に口をついていた。
「そうか」
 答えはたったそれだけ。それだけなのに、その言葉は何もかもを分かってくれたような気にさせた。
「母さんの事ずっと憎んでいたんだ。ずっとずっと傷付けて来た。きっと沢山泣かせて来た。だけど、ごめんなんて言うから……」
「だがお前さんはお袋を救えたんだろう。それで良いじゃねえか」
 どう言う意味だと隣の男に視線を投げ、俺は思わず息をするのさえ忘れた。空を仰ぐ横顔は、血反吐を吐く程に悲しみ抜いた男の顔だった。
「お前さんはまだ間に合う。ここ出たらちゃんと、お袋さんと向き合えよ」
 そう言って頭を撫でられ、耳に触った刈り上げた髪がジャリと鳴る音と、触れた掌のあまりの優しさに、何故か涙が溢れた。
 こんな風に優しくされた事なんか今迄で一度もなかった。優しさの裏にはいつでも欲望が潜んでいる。だから人間なんて信じて来なかった。信じる価値すらない生き物だと思っていた。でも、そうじゃないのかもしれない。それも全てが、俺の蒔いた種なのかもしれない。俺が誰も信じないから、俺が誰の事も考えないから、だから周りの人間もそんな俺に近付いた。信じられていないのなら、何をしたって変わらない。優しい言葉すらかけない男や、最初だけ優しい男。その誰もが、身体を求めた。けれど隣の男は俺を抱く気もないのに優しさをくれた。ただ無言で空を見上げる横顔は、俺を認識していないようでいて、そこにちゃんと居場所を作ってくれている。
 俺は生まれて初めて、心の底から安らぐ場所を見付けた気がした。この人の隣にいたい。それは汚れ切った俺が感じた嘘偽りのない、本当だった。

 誰かを傷付け自分が傷付いてでも手に入れたいものなんか、この世にはない。そう思っていた。でもどうやら違ったみたいだ。俺は自分が欠陥品だと今でも思っている。
 けれどこの瞬間、この刑務所の中だけ、夢を見る事を、どうか許して欲しい。
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