Undergroundシリーズ

鴻上縞

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『Underground caT』

愛するひとへ

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「百四十八番、ちょっと」
 工場での作業を終え、夏場だけ特別に週三回となる風呂を終え、後は消灯を待つだけだった俺を呼んだのはあの馴れ馴れしい看守だった。
 嫌な予感しかしない。大体察しは付くが、仕方なしに直ぐさま房の鉄格子に歩み寄る。
「お前最近六百五十七番に熱を上げているらしいじゃないか。まさかとは思うが……」
 やはりそうか。最近間宮雪はまた俺にくっ付いて回るようになっていた。それをよく思わない連中もいるのは確かだ。例えばあいつが俺のモノだとしたら、それは手を出し辛くなる。もう破門されて長いが、俺は逮捕されるまで構成員三万を越す日本最大の広域暴力団組長の長男坊だったから。
「よして下さいよ。勝手に付きまとわれて迷惑しているのはこっちだ」
 もう直ぐここに来て十二年になる。あと少しで満期出所の身なのに、今更揉め事はごめんだ。それにもう三十を越えた。仕事が見付かりにくくなるのも困る。
「そうだな。分かってはいるんだが……最近入所したボンボンがな、うるせえんだよ。何とか撒いてくれよ、な。お前ももう直ぐ勤め上げる身だ。分かるだろう?」
 それだけ言うと看守はそそくさとその場を離れて行った。
 分かるだろうと言われても、そう言う事は間宮雪に言うのが筋だ。俺は被害者だ。第一罪を償うべきこの刑務所で、こいつらは一体何をやっているんだ。全く虫唾が走る。……被害者はあの少年も同じか。そう思うと、自分でも思いも寄らない溜息が漏れた。

 それ以来、俺は日曜に運動場に出る事をやめた。テレビも見る気はないし房の中でただぼんやりと過ごす。灰色一色の雑居房にいると、気が滅入るから嫌だったんだがこうなっては仕方が無い。あと一年と少し我慢すれば良いだけの話しだ。
 しかし外の空気を吸うのとは違ってやはり一日を過ごすのはキツイ。元々忍耐強い方ではあったから、それから一ヶ月程は耐える事が出来た。これで間宮雪が俺に付き纏わなくなったんじゃないか。そう思った秋口の日曜に、俺は久しぶりに運動場に足を運んでみた。
 相変わらず飽きもせず野球で盛り上がる受刑者を横目に、慣れ親しんだ木陰の一等地を目指す。やがて見えて来た俺の居場所に人影が見え、思わず溜息が漏れた。ぼんやり膝を抱える少年の姿がそこにはあった。
 何だって俺なんかに付き纏うんだ。モノ好きな奴。見付からないうちにと迷う事なく踵を返した。
「あ、待って……!」
 だが背中に掛けられた声は、やはり少し震えている気がした。それでも俺が足を止める事はない。房に戻ってしまえばこっちのもんだ。工場も違うし、第一他の房に入れば懲罰を受ける。最初にそう言う決まり事はキツく言われていた筈だ。
 しかし足早に進んで行く俺を間宮雪は小走りでどこ迄も追って来た。ついには俺が房に入ると入り口でどうしたもんかと二の足を踏んでいる。
「お前さん、何だって俺なんかに付き纏うんだ。こんな所にいてみろ。懲罰を受けるぞ」
 深い溜息を吐いた俺を少し悲しげな瞳が見詰めた。困ったもんだ。全く変なのに好かれちまった。
「俺は男色でもなけりゃあ欲求不満でもねえ。分かったら諦めな」
 なるべく突き放して言ってやる。可哀想だが仕方が無いだろう。どうせこんな狭い塀の中だけの話しだ。盛りの付いた若い男に一瞬だけの色恋沙汰の餌食にされるのは真っ平ごめんだ。それに付随する懲罰を受ける事も、万が一刑期が伸びる事ももっとごめんこうむりたい。俺は廊下に背を向けて腰を下ろし、間宮雪の姿を見る事すら拒んだ。

 どの位そうしていたか分からないが、そろそろいなくなったろうとタカを括り、壁棚から写真を取り出していつものように撫でる。いつ見てもいい女だ。笑うとまるで世界中が幸せになるような、そんな明るくて強くて、優しい笑顔。
「……それ、待っていてくれる人?」
 不意に廊下から聞こえた声に視線を向ける。驚く事にそこにはまだ、間宮雪の姿があった。
「嫁と、息子だ」
「見せてよ」
 出し惜しみするものでもないし、俺は素直に見せてやった。間宮雪は俺のたった一枚の大切な写真を両手で大事そうに受け取ってくれた。人の本性と言うモノは、こう言う所に出るもんだ。減らず口で人を小馬鹿にしたような目付きをしているが、こいつは本当は性根の優しい奴なんだろうな。それと同時に、背負う暗い影と、母親を憎んでいたと言っていた事が無性に遣る瀬なくなった。ちゃんと育ててやればきっとこんな所にくる事も、男共の玩具になる事もなかったろうに。本当に不憫な奴だ。
「……綺麗な人だね。あんたとはお似合いだ」
 写真を返しながら笑った顔が切なすぎて、柄にも無く胸が痛んだ。下手くそだな。誰かを好きになった事が無いのだろう。こんなおっさんじゃなくて、もっと他に良い奴見付けた方がいい。
 そう言えば同じ事を、こいつにも言ったっけ。ヤクザ者の女になんかなるな。他に良い奴を見付けろ。なんて、今思えば非道い言葉だ。
 写真の中で産まれたての息子を抱いて微笑む妻の姿にふと優しい笑みが零れた。
「顔だけじゃあなかった。心ん中も綺麗で、今迄出会った中で一等いい女だったよ」
「……だった?」
 聞き流せば良いモノを。こいつは人との付き合い方を知らねえんだな。再び写真に視線を落とすと、思わず溜息が漏れた。
「死んだのよ。十四年も前にな」
 間宮雪は酷くバツが悪そうに俯いた。こんな話し他人にした所で面白くもねえし、聞いたって何の得にもなりゃあしねえ。それさえ知ってくれればこの先、こいつが無闇に人の過去をほじくるような真似はしなくなるだろう。それだけで十分だ。
 いつ迄も俯く頭を軽く叩くと、間宮雪は今にも泣き出しそうな顔で俺を仰いだ。
「ごめんなさい……」
 悄然とした態度で謝罪の言葉を口にする少年を見ていたら、思わず笑ってしまった。
「お前ちゃんと謝れるじゃねえか。ほら、詰まらねえ昔話は終わりだ。もう帰んな。それと二度と俺に近付くな。俺は早くここを出て墓参りしてやりてえんだ」
 肩を落として房を後にする後姿が見えなくなる迄見送った。

 待っていてくれる人がいるのか。そうあいつに問われた時に、俺は少し考えてしまった。殺人の罪で刑務所に入った俺を待っていてくれるのかと。答えなんてもんは分かり切っている。例え俺が待つなと言っても飽きずに待ってくれていただろう。出所の時はきっと、塀の外で大きく手を振って出迎えてくれたろう。
 遅かったね、隆司。待ちくたびれたよ──そう言ったに違いない。これは俺の自意識過剰でも何でも無い。あいつはそう言う女だった。俺はあんなにも想ってくれていた女の事を信じてやれなかった。自分の命を犠牲にして迄俺との子を産みたいと泣いたあいつの覚悟を、危うく無下にしかけてしまった。
「すまないな」
 写真の中の愛する妻は、いつ迄も俺の好きだった笑顔のままだ。怒る事も、泣く事も、あの少年のように傷付き歪む事もない。死んだ者を想う事はまるで蜃気楼を追うが如く、酷く虚しいモノだ。だがあいつと過ごしたたった二年。それはいつ迄も色褪せる事はない。俺は誰よりも幸せだった。それで良い。
 静かに写真を戻して、それっきり俺は瞼を閉じた。悲しみで流す涙は枯れた。もう、十分だ。
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