Undergroundシリーズ

鴻上縞

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『Underground caT』

終章

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 遠くのビルの隙間から顔を出した太陽が、薄っすらと世界の輪郭を露わにして行く。俺達の、別れの朝が訪れた。

 重い瞼を瞬いていると、キツく抱き合った身体を解いて隆司さんは徐に起き上がった。
「雪、見に行こう」
「……降ってないよ」
「降ってるよ」
 そう言って笑った隆司さんの顔は子供みたいに無邪気だ。仕方が無いから俺も身体を起こして、薄いジャケットだけを羽織り肩を並べて朝の街へと歩き出す。
 住み慣れた街並みの中をこうして歩いていると、自然と顔が緩む。古臭い家屋。色褪せた掲示板。赤提灯の汚い居酒屋。隆司さんを待った銭湯。爺さん婆さんばかりのこの街が、俺は大好きだ。
「しりとりするか」
 突然隆司さんがそんな事を言うもんだから、思わず笑ってしまった。
「懐かしいね」
「ネギマ」
「まー……マサイ族」
「くさや」
「ヤケ酒!」
 しりとりが好きだったのは、終わりがないから。この人の隣で、終わりのない時間を願う。俺が初めて生涯かけて愛しても良いと思えた人。こんな幕引きしか出来ない俺を、どうか、許してね。
 涙が視界を曇らせて、慌てて空を仰ぐと、へんてこな形をした電波塔が俺達を見下ろしていた。その姿にふと刑務所を出た日を思い出す。たった二年。それでも景色はこんなにも変わっていた。生きる物全てに等しく時は流れるんだ。例え離れていようとも俺と隆司さんは同じ時を生きる。それは何より幸せな事なんじゃないだろうか。
 しりとりの続きも言わず、隆司さんは俺と同じようにまだ靄の掛かる空を仰いだ。春先の冷たい風に冷えた右手を、懐かしい温もりが包み込む。
「なあ、雪。俺達が一緒に暮らすようになってもう丸五年経ったな。本当色んな事があったよな。寄席行って、お前は直ぐ家出して、男連れ込んで、喧嘩して……お前を殴った事もあったな。まさかムショで会った野郎とこんな事になるなんてな。今でも信じられねえよ」
 そう言って小さく笑う横顔が大好きだ。隆司さんと過ごした日々は、全部全部、ちゃんと覚えているよ。口を開けば涙が溢れてしまいそうで、ポケットの中で繋いだ手をキツく握り返した。
 不意に俺に向き直った隆司さんが冷え切った左手を絡め取る。涙で滲む視界の先の愛する人は、優しく微笑んでいた。
「結婚しよう」
 しりとりの続き。苦し紛れの戯言。そんな事を口にする程に愛されている事を感じて、思わず耐えていた涙が零れた。頬を優しく拭ってくれる指先の熱が愛おしい。それでも俺は必死で皮肉な笑みを顔に浮かべた。きっとこの世の誰より歪で不細工な顔だっただろう。
「……鰻の、蒲焼き」
 苦し紛れに続けた俺に、隆司さんは何故か呆れた溜息を吐いた。
「おい。何続けてんだよ。俺は本気で言ってんだぞ」
 思いも寄らない発言に空いた口が塞がらないとはこの事だ。
「何言ってんの?終わりにしたいって言っただろ」
「嫌だ」
「ガキみたいな事言うなよ!」
 思わず声を荒げる俺に向けて、あまりにも真っ直ぐな瞳が向けられる。
「ガキでも良い。お前と離れたくない」
 何で……今になってそんな事を言うんだ。揺らぎそうになる心を俺は必死で繋ぎ止める。
「……バカじゃないの。大体ここ日本だし、俺達男同士なんだから──」
 けれど隆司さんは、それを許してはくれなかった。
「俺は頭は良くねえがその位の事は知ってる。養子にならないかって言ってんだよ」
「……そんな事したら逃げられないよ?」
 養子縁組をしたとしたら、もう今のような曖昧な関係じゃなくなる。無責任に投げ捨てて逃げる事さえ許されない。まるで鎖に繋がれた犬だ。それでも隆司さんは大きく頷いた。思わず舌打ちしそうになる気持ちを必死で抑える。
「二度と傷付けない補償なんか出来ないよ?」
 また、ゆっくり頷く。
「ガキだし、頭硬いし、捻くれてるし、それから──」
 腐る程ある自分の欠点を次々口に出す俺を、隆司さんは呆れたように小さく笑って抱き寄せた。
「今更何言ってんだ馬鹿野郎。俺が何年そんなお前と一緒にいたと思ってんだよ。それに俺はお前に傷付けられた事なんかねえよ。そんなもんはな、お前が笑えば直ぐに忘れちまうんだよ。お前の訳の分からない思い込みで俺から幸せを奪うつもりか?」
 耳元で響いた声に涙が止まらなかった。
 この人は全部分かっていたんだ。何で俺が離れたかったのかも、どんなに愚かなのかも。身体を離し真っ直ぐに俺を見詰めた隆司さんの瞳は、澄んだ夜空のように輝いていた。
「家族になろう」
 再び強く放たれた言葉の答えなんか、もう一つしかなかった。
「……うん」
「馬鹿野郎。しりとりが終わっちまったじゃねえか」
 悪戯っぽく笑いながら、左手の薬指に通された指輪。
「こんなの、いつ買ったんだよ」
「誕生日にな、渡そうと思ってたんだがお前が腐った面してたからよ」
 そんなに前から考えていてくれたんだ。俺は自分の事ばっかりで、本当にダメな人間だよ。それでも難しい顔をしてこれを買ってる隆司さんを想像したら思わず笑ってしまった。
 隆司さんは本当にこれで良いのだろうか。その答えは、再び俺を抱き寄せた腕の力強さが教えてくれた。
 朝霧の匂いが消えて、澄んだ風が通り過ぎて行く。
「ほら、雪だ」
 そう言って花弁の雪が舞う薄く色付いた空を仰いだ隆司さんの横顔は、刑務所で見た時と同じ。悲しみに暮れて流す涙を枯らし、絶望の淵を生き抜いた男の顔だった。だからこそ誰よりも優しくて、誰よりも愛情深いのだろう。
 愛する人の幸せをただ願う事しか出来なかった俺が、傷付けるだけじゃなく、その先で愛する人を幸せに出来る道を見つけたんだと思うと、幸せすぎて涙が止まらなかった。

 長い長い年月、ただひたすらに歩んで来た。綱渡りの一本道。冷たい泥濘の中。そして暗く長いトンネルを。
 俺は父さんと母さんが望んだような、大地を優しく包み込む純白の雪にはなれなかった。排気ガスの煤に塗れ道端に積み上げられ真っ黒に染まってしまった残骸のような歪で、汚い存在。それでもそんな俺を愛してくれた物好きな男を、生きているだけで幸せにする事が出来る。それがこの世に生まれて来た中で最も幸せな事だとこの年になって漸く気付く事が出来た。
 この世に真実の愛なんかない。そして命ある生き物に永遠なんて物はない。生きるという事はそう言う事で、だからこそ人は永遠を夢見るんだと思うんだ。そしてだからこそ、その短い時の中で手探りながらも精一杯人を愛すんだ。
 この先俺達の進むべき道も、決して平坦ではないだろう。また俺は足を踏み外すかもしれない。今度は隆司さんが、迷ってしまうかもしれない。それでも誓うよ。繋いだこの手を離さぬ事を。命が二人を別つまで。
 それが俺達にとっての真実の愛であり、そして、俺達の永遠だから────。




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