鶴も鳴かずば撃たれまい

吉祥てまり

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顔合わせ

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金花に手を引かれた千歳が辿り着いたのは、見世物小屋の裏にある粗末なテントだった。

煌びやかな小屋とは対照的に、継ぎ接ぎした茶色の布で覆われたテントは地味な外見をしていた。頼りない木の骨組みは、強い風が吹いたら呆気なく飛ばされてしまいそうだ。外からは賑やかな声と電球の光が漏れている。
「帰ったぞ。集まれ!」
中に入った金花が朗々と声を張り上げると、ざわめいていた室内は一瞬で静まり返る。座長という肩書きはどうやら本当のことらしい、と千歳はこの時漸く納得した。

中心に集まって座る小屋の芸人たちはその殆どが子供であった。見かけからして大人と呼べるのは、金花と蛇を食っていた妙齢の女の二人だけだ。鮮やかな色の着物が目に眩しい。子供たちの好奇心を隠さない視線が、絶え間なく千歳に向けられていた。
「よし、皆揃っているな。今日も一日ご苦労。早速だが大事な知らせがある。見ての通り、今日は俺たちの新しい家族を連れて来た!」
「おい、家族って……」
「こいつの名前は千歳、専門学生をしていた。これから一緒に過ごすことになるから仲良くやるんだぞ。あとは……そうだ、明日は早朝に片付けの後出発だから、よく休息を取るように。以上!」
千歳の戸惑いも意に介さず、金花は彼の肩を叩くとにっこりと笑いかける。どんな反応をして良いのか分からず苦笑混じりの曖昧な顔をしていると、ぱたぱたと足音をさせて子供たちが彼の周りに寄ってくる。あっという間に、彼は小さな芸人たちに取り囲まれてしまっていた。

「わあ、大人だ!」
「学生さんなんて、お客以外で初めて見た!」
「ねえねえ、お兄ちゃん何歳?」
「どこの生まれ?僕は秋田の寒い村だよ」
「数えで二十。生まれも育ちも東京だ。待て、あんたら同時に喋るな!質問は一人ずつだ」
矢継ぎ早に質問を繰り出して腕にしがみついてくる子供たちを千歳はどうにか制止する。眼帯の童女。真っ白な髪と赤い瞳の少年。片腕のない双生児。いかにも見世物小屋らしい奇矯な外見ばかりだが、彼らもまた子供であることに変わりはない。物珍しい自分のことが気になって仕方がないのだろう。年下の相手をするのは弟の世話をして以来久し振りであったが、その頃のことを思い出してほんの少し懐かしくなる。
そういえば──家族は、自分がいなくなったことを知ったら、どうするのだろうか。
千歳はその想像をするのを即座に打ち切った。今更考えても無駄なことだ。それに、きっと落ちこぼれの穀潰しが一人失踪したところで、彼らは内心清々するに違いないのだから。
「じゃあ私から質問ね。お兄さんは、何が得意なの?」
「得意って……俺は別に、あんたらみたいに芸が出来る訳じゃない。ただの取り柄のないつまらない人間だ」
「ううん、芸のことじゃないの。どうやって殺すのが得意?刺殺とか、毒殺とか、それから絞殺とか!」
「……え?」
まるで好きな食べ物でも聞くような調子で傍らの少女は首を傾げる。千歳ははたと手を止めた。一瞬、自分の耳を疑った。しかし聞き間違いではないことを証明するかのように、彼女はさらに言葉を畳み掛けてくる。
「私はね、針を使うのが得意。他の子みたいに力はないけど、一針刺すだけで毒が回るのよ。凄いでしょ?金花に教えてもらったの」
「金花は座長だから何でも出来るんだよ!」
「わたしたちもね、大きくなったら金花みたいにいっぱいお役に立つんだ!」
「な、何の話をしてるんだよ……」
物騒な話とは裏腹に、子供たちの明るい声音と仕草は純粋そのものであった。嫌な汗が滲む。千歳は助けを求めるように金花の方を向く。視線に気付いた彼はすぐさまこちらに歩み寄ると、笑いながら子供たちを宥めに入った。
「こらこら。お前たち、あんまり困らせるんじゃない。俺も言うのをすっかり忘れていたが、千歳はな、殺す側の人間じゃないんだ」
「そうなの?」
「じゃあ、どうしてこのお兄ちゃんを連れてきたの?」
「俺が気に入ったから。それだけだ。千歳は俺の大事な人だから、くれぐれも失礼な真似はするなよ。良いな?」
「はあい!」
金花の声は言い付けをする時だけ有無を言わさぬ調子で低くなった。子供たちはそれに元気良く返事をすると、わらわらとテントの中に散ってゆく。布で仕切りを作って簡素な部屋を設けているらしい。広間のような部屋には、そうして大人達だけが残された。
「悪いな、久々の新入りにはしゃいでるみたいだ。皆素直な奴らだから、お前からも仲良くしてやってくれ。ただし困ったことが起きたら俺に言うようにな」
「まあ、うん……善処はする」
とんでもないところに来てしまった。何が起きたのか今一つ分からない。解らないが、とにかく見世物小屋の常識は自分が信じてきたそれとは全くもって異なっているらしい。彼らの会話に慣れるにはもう暫くかかりそうだ。千歳は眉間を押さえると深い溜息を吐いた。

「まさか金花が堅気の人間を連れて来るなんてね」
千歳が先のことを考えて憂鬱になりかけたその時、不意に部屋の端から声がする。振り向いた先にいたのは、繕い物をしていた蛇女であった。夜会巻きの黒髪に、赤い襦袢を纏った遊女のような身なり。きつい顔立ちだがなかなかの美人だ。金花の恋人、あるいは妻だろうか。しかし彼の答えは、千歳の予測を覆すものであった。
「一目惚れしたんだ」
「あんた、冗談にも程が……」
話を遮ろうとした千歳の言葉は、腰に回された腕によって飲み込まざるを得なくなる。確かに、自分のことを気に入ったと金花はあの時言った。だがそれが「そのような」意味だとは、一体誰が予測出来るだろうか。
「そんなこと言って、責任は取れるの?鳥や蛇とは勝手が違うのよ。養う覚悟はあるんでしょうね」
「勿論。俺が世話をするよ。大事にするさ」
「……そう。まあ構わないけど。あんまり面倒事は起こさないで頂戴ね、依頼が減ったら皆困るんだから」
「解ってるよ。柘榴はいつもながら手厳しいな」
金花は自室に向かうのか、鷹揚に笑いながら布の仕切りを捲って広間を後にする。どこに居れば良いのか分からず千歳が付いて行こうとすると、袴の裾をそっと掴んで引き止められた。
「新入りさん。待って」
「はあ。何か、用ですか」
「あなた、千歳って言ったかしら。あたしの名前は柘榴ざくろ。蛇を食う芸をしてるわ。ここの細々したことの大概はあたしがやってるから、分からないことがあれば遠慮なく聞いて頂戴」
柘榴と名乗った女は微笑んだ。金花への素っ気ない口調から愛想のない性格かと思っていたが、案外物腰柔らかなところもあるらしい。寄る辺ない状況で親切にされるのは単純に有り難いことである。千歳の表情も、安堵で心做しか緩んだ。
「それはどうも。分からないことばかりだから、助かる」
「……本当に何も知らないのね。金花も酷いことをするものだわ。こんな坊やが好みだなんてねえ」
「柘榴さんは、その……金花の、妻じゃないのか」
この人になら幾つか質問をしても答えてくれるかもしれない。そう思った千歳は、手始めに気になったことを問うてみた。金花や子供たちの物騒な素振りも気掛かりではあったが、我が身の安全のためには触れないのが賢明であろうと判断したのだった。
「ふふ、全然違うわ!興行のために夫婦として振る舞うことはあるけど、ただの団長と団員よ。多分、金花は女に興味が無いの。こんなに綺麗なあたしに一度も手を出したことがないのよ、あなただっておかしいと思うでしょ?」
「そ、そうだな……そうかもしれない」
「まあ、金花に好かれるんだからあなたも普通じゃあないのかもしれないわね。あれは変わり者だから大変でしょうけど。頑張って頂戴」
千歳はその言葉に頷くことしか出来なかった。自分はともかく金花が普通ではないのは、出会ったあの瞬間から分かりきっている。しかし常識外れの見世物小屋でさえ変わっていると評されるなんて、一体どこまで奇妙奇天烈な人物なのだろうか。
自分の命を守るためには、まずあの男のことを知らなければならない──彼はそう悟ったのだった。
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