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38話 心の変化 Part2

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「あいつは暗殺者なのよ!」

「……あ……あぁ……」


 お酒で少し赤くなった顔でターは俺を睨みつけているが、俺は無意識のうちにその表情に見惚れていた。
 赤くほてった肌は、部屋の薄暗さと照明のグラデーションによっていつもより艶やかに感じられる。睨みつける鋭い視線もお酒が入っているせいでいつもより柔らかく、普段の素っ気なさがほとんど感じられない。
 ローズが暗殺者だというのはもともと想定していた事なのでそこまで驚きはしなかったが、俺はターの酔い様から目が離せなくなってしまっていた。
 だが……


「ディネルースの事もそうだけどさ!あなた、あのオカマにまた命を狙われるかもしれないじゃない。そんなやつを近くに置いておくなんて……バカとしか言えない。いったい何を考えてるわけ!?」


 ターはそう言って声を荒げ、強くテーブルを叩いた。その拍子に俺は現実へと戻される。戻されたのはいいんだが、今の今まで自分が無意識のうちに考えていた事に気づいてしまい、俺は内心で動揺し始めた。


(ちょちょちょ……ちょっと待て!俺は今、こいつに見惚れていたのか!?)


 目の前で自分を睨むター。
 確かにいつもより色っぽさがあるとは思うが……こいつに見惚れるなんて本来はあり得ない事であり、油断してしまった自分が信じられなかった。
 自分は何でそんな事を考えてしまったのかと自問自答を繰り返していると、その態度について不満に思ったターがさらに声を荒げる。


「ねぇ、きーてるの!?ユウリ!」


 何も言わない俺に対して、ターはさらに怒った顔を向けてテーブルを叩いたが、どうしても俺の目には彼女のその表情がとても美しく映ってしまう。
 自分で飲み干したくせに、グラスにお酒が入ってない怒りをさらに俺に向けるその膨れた顔も。ドアを開けて店員にお酒を頼み、また席に戻ってブツブツと言っているその顔も。

 認めたくはない……
 認めたくはないのに、目の前のターが可愛いと思っている自分がいる。しかも、それを冷静に客観視している俺自身もいるから余計にタチが悪かった。


(俺の心はどうなっちゃったんだ。あぁ……以前もこんな事があったんだっけ。)


 確かあれは、自宅の倉庫でターが転びそうになったところを受け止めた時だ。とっさの事で体が反射的に反応して、よろけた彼女の体を受け止めた。その時に顔と顔が近いて……

 思い出したら余計に恥ずかしくなってしまった。
 そうだ。あの時からだ……あの時から俺の心はおかしくなってしまったんだと思う。あの時に見えたターの瞳や長いまつ毛、それに綺麗な肌を鮮明に覚えていて、それらの記憶が一気に蘇ってきて、今の自分の心情にさらに油を注いでいく。
 

「ちょ……ちょっと俺トイレ!」

「まちなさいよぉ~!あたしのはなし~聞いてんのぉ!」


 我慢しきれず、急いで個室を飛び出した後ろでターが何やら叫んでいるが、その呂律は若干怪しいものがある。おそらくは酔いが回っているのだと想像できたが、たった一杯の酒でか!?
 だが、それでも俺は一時退却を選んだ。このままあの場に留まっていたら、こっちがどうにかなってしまいそうだったから。




 トイレで心を落ち着かせ、ターの待つ個室へと戻ってきた。扉の前で一度足を止めて、少しばかりの躊躇いを払い落とそうと静かに深呼吸をした。


「すまん……我慢できなくってさ。」


 そう謝罪しながら扉を開けてみたが、ターから返事はない。あれだけ酔っていたから、部屋へ入るや否や怒号が飛ぶかと思っていたが、見ればターは片手にグラスを握ったまま、テーブルに蹲る様に眠ってしまっていた。


「ユウ…リ……ちゃんと考えないと……ムニャムニャ……」


 ゆっくりと顔を覗き込む。
 寝ている顔も可愛い……じゃなかった。とりあえず、落ち着いてくれた事には感謝せねば。
 しかし、これからどうしたものかと俺は思案する。俺自身は大して飲んではないけど、ターがこんな状況なら帰った方がいいのかもしれない。だけど、それは俺が彼女を背負っていかなければならないという事を示している訳だ。


「ちょっと様子を見るか。」


 そう考えた俺は、追加の酒を一杯だけ注文して元のイスに座った。その際、部屋に備え付けであったブランケットをターに掛ける。
 そのうち、先ほどのネコ耳娘がお酒を持ってきたので、それを受け取って1人でお酒を嗜む事にした。グラスを片手に軽くエールを流し込み、寝ているターをチラリと一瞥する。

 彼女はいったい何がしたかったのだろうか。
 単に俺と飲みたかっただけ……そんな事、彼女に限ってあるだろうか。それとも、ローズの処遇について物申したかっただけなのか。その真意は今の時点ではわからない。

 だが、それよりも何よりもどうにかしなければならない事がある。それは彼女に対して俺の中で突然湧き上がるあの感情についてだ。
 ターと住み始めた時はこんな事一度もなかったのに、あの時、ターを助ける為に触れ合った時から度々湧き上がるこの感情に対して、俺はどう向き合えばいいのだろう。
 彼女に惚れた……そんな単純な事だとは到底思えないのだが、それ以外に理由があるのならばそれはいったい何なのだろう。
 今考えてもその答えは出ない事はわかっているけど、1人で飲んでいるとどうしても考えずにはいられなかった。

 だが……


「ほらぁ!やっぱりここにいたわ!」

「おわっ!お……お前ら、何でここに!」


 突然扉が開いて、ローズとディネルースが入ってきた。


「遅いと思ったら2人で飲んでるなんて!ちゃんと私たちも誘いなさいよね!」

「その通りですわ。わたくしたちの事を仲間外れにするなんて……」

 ローズは少し怒り気味に俺を指差してそう告げる。その横でわざとらしく泣いているディネルースは放っておくとしても、2人のおかげで少しだけど気が晴れたのは間違いない。

ーーーユウリ、人生を楽しみなさい。

 昔、母に言われた事が頭をよぎり、その通りだと1人で頷く。わからない事を考えたって仕方がないし、今はこの時を楽しむしかないんだ。


「まぁいいや!ターが起きるまでお前らも飲めよ。」

「そうこなくっちゃ!」


 ローズは嬉しげに店員を呼ぶ。
 その後、俺たちは遅くまで楽しく飲み明かした。
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