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第一章 イクシードの女の子
1ストライク 俺、死ぬ!
しおりを挟む『今年の甲子園のハイライトをどうぞ!』
その言葉を聞いて、俺は無意識に顔を上げた。視線の先の小さなテレビの中では、高校球児たちの熱いプレーがハイライト形式で映し出されている。
「今年は『竜王高校』が優勝したらしいな…」
居酒屋の大将がテレビに顔を向けながらそう告げて、俺の前にビールを置いた。それを受け取った俺は、再びテレビに目を向ける。
『いやぁ~!今年の甲子園も球児たちの熱いプレーに心を打たれましたね!来年はどの高校が栄光を手にするのか、今から楽しみです!』
小さな画面の中で、スポーツキャスターが笑顔でそう告げると、番組は次のニュースへと切り変わった。
『続いてはプロ野球…』
女性キャスターがそこまでいったところで、テレビの画面がプツリと消える。俺がふと視線を向けた先では、大将がリモコンを置いて料理の準備に戻っていくところだった。
……はは、大将も心配症だ。
俺は心の中で大将に感謝し、ビールを口へ運ぼうとしたが、案の定、後ろにいる他の客たちが何事かと騒ぎ始める。
「大将!なんでテレビ消すんだよ!」
「そうだぜ!プロ野球の結果、楽しみにしてたのに!」
不満げに声を上げる他の客たち。だが、それを聞いた大将は、カウンターから顔を覗かせて客たちを一喝した。
「うるせぇ!"今日の"俺はプロ野球が嫌いなんだ!文句があんなら出ていきやがれ!!」
ものすごい剣幕で叫ぶ大将に圧倒された客たちは、ブツブツと文句を言いながら、自分の席へと戻っていった。彼らを見て呆れた顔を浮かべた大将は、俺に小さくつぶやく。
「今日だったろ?結果が出るのは…」
大将の言葉に無言で頷いた俺は、ビールを口に運ぶ。大将もそれっきり何も言わず、再び手を動かし始めた。周囲の喧騒の中で、自分の周りだけが無音のような感覚に陥る。
ーーーもう何度も経験しているはずなのに…
このもどかしくも歯痒い気分には、決して慣れることはないのだろう。俺はいつのまにか、ポケットにある携帯に手を伸ばしていたことに気づく。
無意識だったことに…自分の臆病さに嫌気が差した。胸がざわついて苛立ちが募る。不安で心が押し潰されそうになる…
そんな気分を鎮めようと、俺はビールを一気に流し込み、空のジャッキをカウンターに置いた。
その時だった。
手を離したばかりの携帯がブーっと音を立てて震える。反射的に携帯を手に取って、その表示を確認すると、画面には『桜井 慎一』と表示されている。
等間隔で鳴るバイブレーションが手を震わせる中、俺は意を決して通話ボタンに触れた。そして、すぐさま携帯を耳元へ持っていき、「もしもし…」と呟く。
『二郎さん?桜井ですけど…』
「……あっ…あぁ…!ちょっと待って…今、静かなところへ行くから!」
不安な気持ちを押し殺し、わざと明るく振る舞って席を離れる俺の背中を、大将は心配げに見送っていた。
店を出て、横にある静かな路地へと移動し、再び携帯を耳に当てる。
「すまん。もう大丈夫だ…」
『いえ…こちらこそ、こんな時間にすみません。では、さっそくですが、結果をお伝えしても…?』
電話の向こうの声はどこか寂しげだ。そして、その声色に俺の心臓は確実にその鼓動を高めていった。
一度、深く深呼吸をして気持ちを落ち着かせようとしてみたが、ほとんど意味を成さない。それほどまでに緊張しているのか。
「頼む…」
その言葉を聞くと、電話の向こうから『わかりました。』と声が聞こえてきた。そして、コホンッと咳払いが聞こえ、彼は話し出す。
『では、今回の『西海ドルフィンズ』トライアウトの結果をお伝えします。鈴木二郎さん、今回の貴方の合否ですが…』
・
店の扉を開くと、こちらを向く大将の視線に気づいた。俺がトボトボと店内を歩いて元の席へと戻ると、大将がカウンターにビールのジョッキを置く。
だが、大将はそれ以上は何も言わなかった。
俺はそのビールを一気に飲み干し、お代をカウンターに置いて店を後にする。後ろから、大将の「また来いよ。」という言葉が聞こえた。
帰り道…空を見上げれば、大きな満月が浮かんでいる。
ーーー今夜は月明かりが綺麗な夜だな。
そんなことを考える余裕はあるらしい。そんな自分に対して、気持ちとは裏腹にクスリと笑みがこぼれた。
「はぁ…またダメだったか。」
自然と小さなため息が溢れる。この感覚、これで何度目だろう。
プロ野球選手という夢を諦めきれず、何度も挑戦を続けてきた俺は、今年で既に28歳を迎える。この歳でトライアウトに合格しても、選手としての寿命が短いことはわかっている。
だが、高校時代の栄光は、俺にとって未だに眩しいものだ。
高校野球界で今世紀最強の怪物と呼ばれ、『竜王高校』で一年ながらにエース、そして4番を務めた。三年の最後の夏に甲子園で優勝を果たし、プロ野球からはドラフト1位指名、期待のルーキー…
世間にそう期待され、当時の俺は有頂天になっていたが、人生というものは本当に何が起きるかわからない。今更ながらに、そう感じている。
入団後、俺は試合に出る間もなく肩を壊し、投手としての人生を終えた。おそらくは、高校時代までの無理が祟ったのだと思う。
球団の計らいにより打者へ転向してみたが、プロの世界はそんなに甘くない。結果を出すことができなかった俺は、いつの間にかチームのお荷物となり、球団をクビとなった。
そんな俺を世間は悲劇の主人公として囃し立てたが、人の興味など長くは続かない。記憶から忘れ去られた俺は、いつしか時の人となった。
…だが、人生のほとんどを野球に費やしてきたプライドと高校の栄光は、俺が俺自身の夢を諦めることを許さなかった。
改めて挑戦することを決心した俺は、多くの球団が主催するトライアウトに何度も挑戦した。
最底辺から上り詰めるために…
踏み出せなかった一歩を…
叶わなかったあの舞台に、もう一度上がるために…
だが…
(それもそろそろ限界か…)
月明かりに照らされた帰り道を歩きながら、俺は心の中でそう呟いた。
ーーー美咲と祐は元気かな…
幼馴染だった美咲は、肩を壊し、打者に転向した俺をよく支えてくれた。結婚して子供も生まれた。男の子で『祐』と名付けた。
だが、トライアウトに挑戦することに没頭し過ぎた俺は、彼らを蔑ろにしてしまった。今思えば、なんと馬鹿なことをしたのかと後悔が押し寄せてくるが、失ったものはもう返らない。
瞳から一筋の雫が流れたことに気づく。
ーーー泣いている?俺が…?
そう感じて指でそれを拭った。
………
……
「ん?」
ふと、月の光と闇の狭間に人影を見た気がした。目を凝らせば、歩行者信号は赤だが、そこを渡ろうとする人影が…
(おいおい…赤だぞ?)
だが、もう夜も更けているから車通りも少ない。問題はないだろうと思い、通り過ぎようとした俺はその異変に気がついた。
突然、近づいてくるヘッドライトの光とエンジン音。それに対して、横断歩道を渡る人影は、こちらに振り向いたと思えば、その場に座り込んだのだ。
(お…おい…車が来ていることに気づいてないのか?)
不自然さを感じて鼓動が速くなる。近づいている車に気づいていない…?いや、だだのまっすぐな道路だぞ?あのライトになんで気づいてないんだ。
次第に大きくなるエンジン音。
ーーー自殺…!?
嫌な予感が頭をよぎり、それと同時に俺は走り出していた。
無意識に…なぜかはわからない。
でも、助けなければ…自殺だろうとなんだろうと、無闇に投げ出していい命などない!諦めなければ…諦めなければ必ず…報われることだってあるはずなんだ!!
伸ばした手が人影の肩に届く。このまま体を抱き寄せて、飛び抜ければ助けられる…
そう思った矢先、その人影が立ち上がろうとして驚いた。反動で足がもつれ、人影を押し出す形となった俺は、その場に倒れ込んでしまう。
ーーーやばっ!
その瞬間、突き飛ばした人物と目が合う。綺麗なエメラルドブルーの瞳が、月明かりに照らされて俺を除いている。
……なんて綺麗な瞳だ。
だが、エンジン音に気づいてハッとした。
ーーーやばい…これ…死ぬ…いや…
ーーー死ん…
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