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第四話:私は助けない
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ある夜のこと。エミリシアは窓の外から聞こえてくる、獣の唸りのような風の音に目を覚ました。
王都から逃げ延びてきた者たちが持ち込んだ「呪病」の話は、既に村人たちの噂にもなっていた。
エミリシアは夜着の上に薄い羽織を重ね、不安に駆られて教会の礼拝堂へと足を運んだ。
暗い聖堂の中で、月明かりに照らされながら自身の掌を見つめる。
(私が……あそこにいれば、助けられたのかしら)
一瞬、脳裏を掠めたのは自分を蔑んだユーベルトたちの顔だった。だが、その後に続くのは着の身着のままで放り出された極寒の朝の記憶。
(いいえ。私は助けない。私を必要ないと言ったのは、あの方たちだもの)
エミリシアが自分自身に言い聞かせるように呟いた、その時だった。
「こんな夜更けに、一人で何を怯えている」
背後から響いた低く重厚な声に、エミリシアは肩を跳ねさせた。振り返れば、そこには夜の闇に溶け込むような黒い外套を纏ったレオフィリスが立っていた。領主館からは距離があるはずなのに、彼はエミリシアの不安を嗅ぎつけたかのように、一人で教会を訪れていたのだ。
「レオフィリス様……。どうして、こんな時間に」
「胸騒ぎがしてな。……やはり、悪い夢でも見ていたか」
レオフィリスは迷いのない足取りで歩み寄ると、震えるエミリシアの肩を、大きな手で力強く引き寄せた。革の手袋越しでも伝わる彼の体温が、彼女の心に巣食う王都の影を追い払っていく。
「あんな国の影に、君の心を一瞬たりとも渡すつもりはない。……エミリシア、君はここで俺の所有として笑っていればいいんだ」
レオフィリスは、エミリシアの額にある聖印を愛おしげになぞり、そのまま彼女を抱きすくめた。静まり返った礼拝堂に二人の重なる鼓動だけが響く。
「……はい。私はもうどこへも行きません」
エミリシアは自分を溺愛するこの冷徹公爵の腕の中に、本当の安らぎを見出した。王都が崩壊し、あの傲慢な王子たちが絶望の果てに自分の名を叫ぶことになるのは、もはや時間の問題だった。だが、今のエミリシアにとって、それはもう、遠い異国の残酷な童話を聞いているかのような、無関心な出来事に過ぎなかった。
◇
王都からの使者が到着したという報せを受けたとき、エミリシアは教会の広間でレオフィリスと共に、領民たちに配るための薬草の仕分けをしていた。
「エミリシア、下がっていろ。俺が出る」
レオフィリスの声は低く、そして鋭かった。彼が立ち上がった瞬間、周囲の空気がピリリと凍りつく。その隙のない立ち振る舞いと、感情を排したような冷ややかな横顔を見て、エミリシアはふと、王都で囁かれていた噂を思い出した。
(そういえば、王都では誰もが彼のことを恐れていたわ……)
北の最果てを治めるレオフィリス・ミューレンベルク公爵。
戦場では返り血を浴びても眉一つ動かさず、領地を侵す者には一切の容赦をしない。
「氷の心臓を持つ冷徹公爵」――それが、エミリシアが耳にしていた彼の評価だった。
けれど、今、目の前で彼女の肩を抱き寄せ、守るように背に隠す彼の掌は驚くほど温かい。
「いいえ、レオフィリス様。私も行きます。……私が自分で、決着をつけなければならないことですから」
エミリシアが真っ直ぐに彼を見つめると、レオフィリスはわずかに目元を和らげ、力強く彼女の手を握った。
館の門前には、王家の紋章をつけた騎士たちが、馬に跨ったまま待ち構えていた。しかし、その姿はあまりに無惨だった。
王都から逃げ延びてきた者たちが持ち込んだ「呪病」の話は、既に村人たちの噂にもなっていた。
エミリシアは夜着の上に薄い羽織を重ね、不安に駆られて教会の礼拝堂へと足を運んだ。
暗い聖堂の中で、月明かりに照らされながら自身の掌を見つめる。
(私が……あそこにいれば、助けられたのかしら)
一瞬、脳裏を掠めたのは自分を蔑んだユーベルトたちの顔だった。だが、その後に続くのは着の身着のままで放り出された極寒の朝の記憶。
(いいえ。私は助けない。私を必要ないと言ったのは、あの方たちだもの)
エミリシアが自分自身に言い聞かせるように呟いた、その時だった。
「こんな夜更けに、一人で何を怯えている」
背後から響いた低く重厚な声に、エミリシアは肩を跳ねさせた。振り返れば、そこには夜の闇に溶け込むような黒い外套を纏ったレオフィリスが立っていた。領主館からは距離があるはずなのに、彼はエミリシアの不安を嗅ぎつけたかのように、一人で教会を訪れていたのだ。
「レオフィリス様……。どうして、こんな時間に」
「胸騒ぎがしてな。……やはり、悪い夢でも見ていたか」
レオフィリスは迷いのない足取りで歩み寄ると、震えるエミリシアの肩を、大きな手で力強く引き寄せた。革の手袋越しでも伝わる彼の体温が、彼女の心に巣食う王都の影を追い払っていく。
「あんな国の影に、君の心を一瞬たりとも渡すつもりはない。……エミリシア、君はここで俺の所有として笑っていればいいんだ」
レオフィリスは、エミリシアの額にある聖印を愛おしげになぞり、そのまま彼女を抱きすくめた。静まり返った礼拝堂に二人の重なる鼓動だけが響く。
「……はい。私はもうどこへも行きません」
エミリシアは自分を溺愛するこの冷徹公爵の腕の中に、本当の安らぎを見出した。王都が崩壊し、あの傲慢な王子たちが絶望の果てに自分の名を叫ぶことになるのは、もはや時間の問題だった。だが、今のエミリシアにとって、それはもう、遠い異国の残酷な童話を聞いているかのような、無関心な出来事に過ぎなかった。
◇
王都からの使者が到着したという報せを受けたとき、エミリシアは教会の広間でレオフィリスと共に、領民たちに配るための薬草の仕分けをしていた。
「エミリシア、下がっていろ。俺が出る」
レオフィリスの声は低く、そして鋭かった。彼が立ち上がった瞬間、周囲の空気がピリリと凍りつく。その隙のない立ち振る舞いと、感情を排したような冷ややかな横顔を見て、エミリシアはふと、王都で囁かれていた噂を思い出した。
(そういえば、王都では誰もが彼のことを恐れていたわ……)
北の最果てを治めるレオフィリス・ミューレンベルク公爵。
戦場では返り血を浴びても眉一つ動かさず、領地を侵す者には一切の容赦をしない。
「氷の心臓を持つ冷徹公爵」――それが、エミリシアが耳にしていた彼の評価だった。
けれど、今、目の前で彼女の肩を抱き寄せ、守るように背に隠す彼の掌は驚くほど温かい。
「いいえ、レオフィリス様。私も行きます。……私が自分で、決着をつけなければならないことですから」
エミリシアが真っ直ぐに彼を見つめると、レオフィリスはわずかに目元を和らげ、力強く彼女の手を握った。
館の門前には、王家の紋章をつけた騎士たちが、馬に跨ったまま待ち構えていた。しかし、その姿はあまりに無惨だった。
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