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第3話 婿入りします3
しおりを挟む仮眠を取ったとはいえ、睡魔はすぐにやってきた。すとん、と眠りに落ちて、目を覚ました時にはカーテンの隙間から陽光が差し込んでいた。
上体を起こすと、すでに起床して身なりを整えたセオドアが無表情に言う。
「起きたか。おはよう」
「おはようございます。すみません、俺、すっかり熟睡してしまって……」
「構わない。カーテンを開けるぞ」
「はい。……わっ」
カーテンを開けたら一気に日の光が室内を明るく照らした。寝起きには些か眩しい。
それでも数秒したら目が慣れて、エリスは寝台から下りた。
「じゃあ、俺も部屋で着替えてきますね。……って、ん?」
セオドアの横を通り過ぎようとしたところで、エリスはふと気付く。セオドアの服の袖口のボタンが取れかかっている。
「セオドア様、袖口のボタンが取れかかっていますよ」
「ん? ……ああ、本当だ」
確認したセオドアは「後でメイドに修繕を頼もう」と上着を脱いで言うので、エリスは内心驚いてしまった。この程度のボタン付けも使用人任せなのか、と。
けれど、一般的な貴族ならそれが当たり前なのかもしれない。そのままメイドに任せることもできたが、一応は婿となったエリスがやるべきことのような気もして、エリスは申し出た。
「俺が直します。上着を貸して下さい」
それにはセオドアは目を瞬かせた。
「君が直すって……裁縫ができるのか? 伯爵だった君が?」
「貧乏貴族でしたから。使用人なんて雇えないので、家事は一通りできます」
「そう、なのか。なら、頼む」
セオドアから上着を受け取ったエリスは、貧乏貴族時代の癖で持ち歩いていたソーイングセットを懐から取り出し、ささっとボタン付けを終わらせた。その手際のよさにセオドアは感心したようだった。
「本当にできるんだな。ありがとう」
「いえ。他にも繕い物があったら言って下さい。俺が直しますから」
言いながら上着を返すと、セオドアは上着に袖を通しながら表情を緩めた。
「ありがとう。そう言ってもらえると助かる。ウチは使用人をぎりぎりの人数で回しているから、少しでも負担を減らしたいと思っていたところだ。……だが、すまないな。伯爵夫人の君に裁縫を頼むなんて」
「いえ、気にしないで下さい。やることがあった方が生活にメリハリがつきますし、それにセオドア様のお役に立ちたいですから」
平民同然のエリスを娶ってくれた人だ。男性に娶られたかったのかと聞かれたら返答に窮するが、それでもこうして衣食住を与えてくれるセオドアには感謝している。エリスにできることがあるなら、素直に力になりたい。
「そうか。本当にありがとう。じゃあ、俺は先に食堂に行っているから」
寝室を出て行くセオドアの後にエリスも続き、隣にある自室へと戻った。そこで普段着に着替えて、姿見を見ながら身なりを整える。姿見には金茶色の髪と黄褐色の瞳を持った平凡な顔立ちの青年が映っていて、ついため息がこぼれた。
(どう考えても、あんな美形に俺の顔じゃ釣り合わないよな……)
昨夜、夜伽を命じられなかったのは、実は外見が好みじゃなかったからでは。そんな邪推をしてしまう。
服も小綺麗な物を選んできたつもりだが、優美な貴族服ではなく平民服だ。みすぼらしいと思われていても仕方ない。セオドアはきちんと貴族服だったし……と思いかけたところで、そういえばとエリスは思い返す。
(貴族服っていっても、ボタンが取れかかるくらい、何度も着てるってことだよな……)
物を大切にする姿勢は個人的には好感が持てるが、なんだろう。一般的な貴族だったら、ボタンを付け直すくらいなら、新しく服を買いそうなイメージだけれど。
画廊に絵画が並んでいないことといい、使用人をぎりぎりの人数で回していることといい、どうにもこの立派な屋敷と印象がちぐはぐだ。
(まさか……実は金がない、とか?)
ぱっと思いつくのはそれしかない。領民が税金を納めてくれないなどで、屋敷のやりくりに四苦八苦しているとか。
気になるが、嫁いできたばかりの身でそんな立ち入ったことは聞けない。そうでなくても、種宿が王侯貴族の伴侶になるようになった経緯を思えば、迂闊に口を挟める問題じゃなかった。
あえて触れずにおくことに決めて、身支度を整えたエリスは食堂へ向かった。すると、朝食は白いパンに野菜スープという、確かに質素なものだった。――が。
「わぁ! 白いパンだ!」
ふわふわとした柔らかそうなパンにエリスは目を輝かせる。なにせ、貧乏貴族時代は硬くて黒いパンしか食べられなかったので、いつか柔らかいパンを食べられる日を夢見ていたのだ。
目に見えてテンションが上がったエリスを見て、セオドアはきょとんとしていた。
「……そんなに嬉しいのか?」
「はい! だって、柔らかいパンですよ? 庶民の憧れの! これを食べられるのなら、もう死んでもいいです!」
「いや、死なれては困るが……ふむ、そうか。どんなことも受け取り手次第ということだな」
感心したように呟きつつ、無邪気に笑うエリスを見るセオドアの目は優しい。
もしかして、質素な食事にがっかりするとでも思っていたのだろうか。家庭菜園してまで食費を節約していたエリスからしてみたら、食事は与えてもらえるだけでもありがたいことだ。
念願の柔らかいパンと、優しい塩味の野菜スープをおいしくいただき、朝食を終えたところで、セオドアが口を開いた。
「今日は屋敷を案内しよう。行こうか」
「はい。よろしくお願いします」
椅子から立ち上がり、早速セオドアにノークス邸を案内してもらった。玄関ホールから始まって大広間、広間、応接間、食堂、浴室、図書室、などすでに知っているところも含めて説明された。地下には台所や貯蔵庫、洗濯場、使用人たちの部屋があるのだとか。
「分からなかったところはあるか?」
玄関ホールまで戻ってきて問うセオドアに、エリスは「いえ」と首を横に振った。丁寧に説明してもらったので、おそらく迷子になることはないだろう。
屋敷内については理解した。気になるのは、庭の方だ。
「あの、外の薔薇園も案内してもらってもいいですか?」
おずおずと頼むエリスを、セオドアは意外そうに見下ろした。
「構わないが……俺には薔薇の種類なんかは分からないぞ」
「え、セオドア様のご趣味なんじゃ……」
「いや。種宿の父が薔薇好きだったから、そのまま残してあるだけだ。俺は別に興味ない。それでもよければ、案内するが」
「じゃあ、お願いします」
セオドアとともに玄関の扉を出ると、ぽかぽかと春の陽気が暖かい。空も晴天だ。噴水の水しぶきが陽光に反射してきらきらと輝くさまは美しく、庭の緑は青い空によく映える。
歩いて五分ほどで薔薇園には着いた。入り口にはアーチがあり、赤、白、桃色、黄色、と色とりどりの薔薇が咲いている。
「わぁ、綺麗ですね」
「そうか。俺にはよく分からないが」
「綺麗ですよ。……あ、いたっ」
思わず薔薇に手を伸ばしてしまい、棘で指を切ってしまった。人差し指の指先にぷっくりと赤い血が膨らむ。
セオドアの表情が僅かに気遣わしげに動いた。
「大丈夫か? かせ」
「え、ちょ、ちょっと……!」
エリスはぎょっとした。あろうことか、セオドアはエリスの指先を口に含んだのだ。ずきん、と痛みが走る。
「な、なにをするんですかっ」
「消毒だ」
セオドアは悪びれることなく言って、人差し指を解放した。
まさか、舐められるとは。どきどきしながら、エリスは胸元を握り締めた。
「驚かせないで下さいよ!」
「すまない。つい」
「ついって……いえ、まぁいいですけど。ありがとうございます」
よく男の指を舐められるものだ。武官時代では当たり前のことだったのだろうか。冷静沈着そうに見えて、実は天然という可能性も否定できないが。
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