氷の薔薇と日向の微笑み

深凪雪花

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第2話 婿入りします2

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 椅子に座って休みたいのは山々だったが、一度座ってしまったらしばらく立ち上がれなくなってしまいそうで、エリスは立ったまま文机の上にある荷物を手に取った。とりあえず、先に荷物を片付けてしまおう、と鞄から服を取り出してクローゼットのハンガーにかけていく。

(それにしても、セオドア様ってなんだか普通の人だったな)

 一般的な貴族といったら高慢なイメージがあるが、偉ぶったところはなく、かといって卑屈そうでもない。無表情で何を考えているか読みにくいものの、長旅の疲労を慮ってくれたり、荷物を持ってくれたり、心根は優しい人だと分かる。
 我が事ながら、いい相手に嫁げたのではないだろうか。抱かれるのは……やっぱり嫌だけれど。それでも、種宿として嫁いできたのだから、セオドアの子を産み育てるのはエリスの義務だ。そこは割り切るしかない。

(まぁ、贅沢を言い出したらきりがないな……よし、と)

 荷物をぱぱっと片付けた後、エリスはようやくテーブルの椅子に腰かけた。
 すると、セオドアが言っていた通り、長旅の疲れが蓄積していたらしい。うとうとしてきて、エリスはテーブルに突っ伏した。少しだけ目を瞑ろう、そう思っていただけだったのに……爆睡してしまって、気付いたら夜だった。
 目を覚ましたのと同時に、コンコンと扉をノックする音が響く。

「エリス様。夕食のご用意ができました」

 扉越しに声をかけてきたのはメイドだ。エリスは慌てて椅子から立ち上がって、部屋の外へ出た。すると、若いメイドが「食堂までご案内します」とにこやかに笑う。
 メイドの後に続いて一階へ下りて食堂へ赴くと、すでにセオドアは席についていて、長方形のテーブルの上には豪勢な食事が並んでいた。
 羊肉のロースト、ローストビーフ、ビーフストロガノフ、など肉料理ばかりだ。そこへ栄養バランスを考えてのことか、ヴィシソワーズとシーザーサラダもついている。
 実家に住んでいた時からは考えられないほど大量の料理に、エリスは目を白黒させた。地方伯爵家というのは、毎日こんな豪華な食事を食べているのだろうか。
 エリスも席に座りながらセオドアにそう尋ねると、予想に反して否と返ってきた。

「今夜は君を歓迎するために少し豪勢な食事にしただけだ。普段はもっと質素な食事だ」
「そうなんですか。お気遣いありがとうございます」
「いや。さっ、食べよう」
「はい」

 エリスはナイフとフォークを手に取り、取り皿にどの料理を取り分けるか迷った。なにせ、どれもおいしそうだ。
 全部の料理を食べてみたいところだが、意地汚く少しずつ取り分けるというのも品性に欠けているような気がする。
 そんなエリスの迷いを察したのか、セオドアは無表情に言った。

「好きな料理を好きなだけ食べればいい。今夜は君の歓迎会なんだから」
「う……で、でも」
「マナーなんて気にする必要はない。今ここでは、な。余った料理は使用人たちが食べてくれるし、遠慮なく食べたい料理を全部食え」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 大食いではないエリスには、とてもじゃないがすべての料理を食べきることができない。少量ずつ取り分けて、まずはローストビーフを口にした。

「ん、おいしい!」

 上等な牛肉を使っているのだろう。肉は柔らかく、口の中で溶けていくようだ。他の肉料理も同様だった。シーザーサラダは野菜がシャキシャキとしていて瑞々しく、ヴィシソワーズはジャガイモの優しい甘みが口の中に広がる。
 野菜に関しては家庭菜園で育てていた新鮮なものを食べていたのでともかく、その他の料理はこれまで食べたことのないおいしさで、エリスは素直に驚いた。

「すごく、おいしいですね」
「そうか。口に合ったのならよかった」

 優しい言葉とは裏腹に、セオドアの表情はあまり動かない。愛想がないというよりも、あまり感情が表に出ない人なのかもしれない、とエリスは思った。
 セオドアは口数が少なく、エリスも初日から馴れ馴れしく話しかけるのは憚られ、食卓には無言が落ちる。けれど、不思議と気まずさは感じず、エリスは舌鼓を打った。

「……誰かと食事を食べられるっていいですね」

 ぽつりと呟いたエリスの言葉にセオドアは目を瞬かせた。思ってもみなかったことを言われた、という顔だ。

「そう、か?」
「はい。俺は一年前からずっと一人で食事をしていましたから……誰かと一緒に食事を食べるというのが、こんなにも居心地がいいものだと改めて気付かされました」

 会話がなくとも、エリスは一人じゃない。ただ一緒に食事を食べる人がいる、それだけで心がぽかぽかと温かい。
 エリスの穏やかな表情から本心だと察したらしい。セオドアは僅かだが表情を緩めた。

「……そうか。なら、なるべく一緒に食事を食べるようにしよう」
「ありがとうございます」

 エリスも微笑んで応え、食事を食べる手を再開する。
 それからも会話が弾むことはなかったが、沈黙は苦ではなかった。時々、他愛のない雑談を挟みつつ、食事を終えた後は入浴してから夫夫の寝室へとメイドに案内される。
 寝室の中央には天蓋付きの大きな寝台が置かれていた。夫夫となった二人が寝所をともにする。やはり、そういうこと……なのだろう。セオドアだってそのつもりのはずだ。まして、今夜は結婚初夜。エリスは覚悟を決めなくてはならなかった。
 エリスはごくりと唾を飲み込んで、寝台の上に正座する。背筋をぴんと伸ばし、セオドアがやってくるのをどきどきしながら待つ。

(男に抱かれる日がくるなんて、思ってもみなかったな……)

 コールリッジ伯爵として誰か女性を娶り、自分が抱く側として子をなすのだろう、とずっと信じて疑わなかった。それがまさか、種宿として男性に嫁ぐことになろうとは。
 遠い目をして天蓋を見上げていたエリスだが、薄暗い部屋に扉が開く音が響いてはっと我に返った。部屋に入ってきたのは、もちろんセオドアだ。風呂上がりなのだろう。濡れた髪をタオルで拭きながら、寝台までやってきた。

「どうした。そんな改まった姿勢で」

 不思議そうに問うセオドアに、エリスはおずおずと口を開いた。

「……あの」
「なんだ」
「その、よ、よろしくお願いします……」

 ふかふかの布団に両手をつき、深々と頭を下げる。言わんとすることを察したらしいセオドアは、寝台の端に腰かけてすらりと長い足を組んだ。

「今のところ、夜伽の相手をしてもらう気はない」
「……え?」

 思わぬ言葉にエリスは顔を上げる。夜伽をしなくてもいいとはどういうことだ。地方伯爵であるセオドアには跡取りが必要だろう。
 今のところ、とはいっても、種宿の妊娠率は女性のそれより遥かに低い。五年間、毎日性行為をしてやっと授かるなんてことも珍しい話ではないのだ。ならば、一刻も早く子作りに励むべきなのではないのか。

「……本当にそれでいいんですか?」
「気持ちがないのに性行為をしたところで虚しいだけだろう。それで仮に子を授かれたとしても、愛のない両親なんて子供が不憫だと思わないか」
「それは……確かにそうですけど」

 男性に抱かれるなんて嫌だと思っていたのに、いざ夜伽の相手をしなくてもいいと言われるとなんだか拍子抜けだ。
 働かなくてもいい。夜伽もしなくてもいい。それでも衣食住は提供される。好待遇を通り越して、なんだか自分がダメ人間になりそうで怖くはあるが……好きでもない男性に抱かれずに済むというのは確かにありがたいことといえた。

(やっぱり、真っ当というか、優しい人なんだな……)

 どうして平民同然のエリスを娶ったのか疑問に思うくらいだ。種宿は希少とはいえ、他にもっといい相手は選べたはずだろうに。
 ともかく、初夜は先延ばしということになって、エリスはセオドアとともに寝台に横たわった。少し早いが、早く寝て長旅の疲れを癒せというセオドアからの配慮だ。

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