恵麗奈お嬢様のあやかし退治

刻芦葉

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岩手は遠野の河童退治

岩手の名物

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「はい、じゃんじゃん。はい、どんどん」

 軽快な女性の掛け声が辺りに響き渡る。それに合いの手を打つように、ずるずると啜る音と椀を置くカンッという音が鳴っていた。

「あの綺麗なお姉さん本当に凄いわね。あんなに細いのに百を超えそうよ。お姉さんはもうおしまい?」

「あはは。私はお腹いっぱいです」

「あら? そんなこと言ってまだ食べれそうじゃない。それなら、はいじゃんじゃん!」

「待って! もう食べれませんから! 許して!」

 そんな叫びも虚しくお椀に蕎麦が入れられる。膨らんだお腹を抱えながら、美憂はどうしてこうなったと少し前を思い出した。

「わんこそば?」

「ええ。なにか有名な食べ物が無いかと調べてみたら、わんこそばが有名みたいですの」

 恵麗奈の持つスマホに表示されたホームページに美憂も目を通す。どうやらわんこそばというのは、平たく言えばお蕎麦の食べ放題のようなものだ。

 手に持つお椀に店員さんが一口分の蕎麦を入れてくれる。それを食べればまた次を入れられ、またそれを食べると入れられ……。そんなエンドレス蕎麦といった伝統的な食べ物らしい。

「盛岡に美味しいお店があるようですし、せっかく岩手まで来たのですから食べて帰りませんか? 約束通り美憂にはご馳走しますわ」

「私は構わないけど恵麗奈は大丈夫? 朝も駅で立ち食い蕎麦を食べたけど。そんなにお蕎麦が好きなの?」

「今までお蕎麦を食べた記憶はあまりありませんわね。でも好きになったんですのよ。それに遠出したなら、その土地のものを食べるのが流儀でしょう?」

 こうして二人は盛岡に移動して、駅近くのわんこそばを提供しているお店へと入った。こういった特殊な料理は事前に予約が必要そうだが、ここはしなくても食べさせてくれるようだ。

「たのもー! わんこそばを女二人でお願いしたいのですが!」

「なんでそんな道場破りみたいな感じなの?」

「随分とめんこい女の子達が来たね! でも大丈夫? わんこそばを食べに来たからには沢山食べて帰って貰うけど」

 対応に来てくれた店主と思われる中年の女性も空気を読んでか少し喧嘩腰に対応してくれている。その心遣いに恵麗奈は口角を上げて挑発するような笑みを浮かべた。

「望むところですわ! お店のお蕎麦を空にして差し上げます!」

 こうして二人は座敷に通され説明を受けた。その後しばらく待っていると、複数の店員が現れて大量のわんこそばが運ばれてくる。

「おさらいだけど食べたらお椀は次を入れやすいように高く持ち上げて、それとおつゆが溜まって来たらそこの桶に入れてね。もう食べれないってなっても、お椀に蓋をしないと次を入れちゃうから気をつけて。それじゃ準備はいいかな?」

「勿論ですわ!」

「はい。お願いします」

 二人とも店側から渡された前掛けを付けてやる気満々となっていた。正確には美憂は来たからには少しでも多く食べよう程度だが、恵麗奈は目から火が見えるほどに燃えているようだ。

「それじゃあスタート! はい、じゃんじゃん」

 こうして戦いの火蓋は切って落とされた。掛け声と共に手に持つお椀に入れられた蕎麦を、二人は一息でずずっと啜って平らげる。

 二人の隣には若くて綺麗な女性店員さんが一人ずつ付いていて、食べているのが男ならば笑顔で蕎麦を入れられ、ついつい多く食べてしまうだろう。

 すると始まったばかりにも関わらず、美憂と恵麗奈に少しずつ差が開いてきた。一つずつ味わうように食べる美憂に対し、恵麗奈はもぐもぐごくん。もぐもぐごくんのペースでわんこそばを食べ進めている。

 恵麗奈に付いた店員さんも、これは面白い相手がやって来たと言わんばかりに真面目な表情で蕎麦を入れている。

 そんな真剣勝負な様相を美憂は隣でぽかーんとした表情で見ていた。優雅という言葉が似合う恵麗奈が、フードファイター顔負けの速度で蕎麦を食べ進める光景は中々に絵力がある。

「箸が止まってるよ?」

「あ、すいません」

「ふふ。お連れのお姉さん凄いもんね。モデルさんみたいに綺麗なのに、あんな速度で食べるなんて。細い体のどこに入っていくんだろう」

「本当ですね。負けん気が強いっていうか。お店の蕎麦を空にすると言ったからには、本気でやってやるって思ってそうです」

「あら、それなら厨房に追加のお蕎麦を頼んでおこうかしら?」

 フードファイトが行われる横で、美憂は店員のお姉さんと和気藹々わきあいあいと話しながら蕎麦を食べていた。

 食べ放題と聞けば質より量というのが定番であるため、美憂は蕎麦の味に期待していなかった。

 しかしこのお店のわんこそばは、しっかりコシがありつつ少量ずつ入れられるため、だまになることなくツルリと食べられる。

 鼻から抜ける蕎麦の香りはとても強くて、申し訳ないが立ち食い蕎麦よりも格段に美味しかった。

「このお椀ってどれくらいの量なんですか?」

「十個食べればかけそば一杯分って感じかな? それじゃ伝わりにくいか」

「いえ、なんとなく分かります。ならあれは」

 美憂はもう一度隣に視線を向けた。恵麗奈の前には既に十個の椀が五列も置かれている。姿を見る限り、休むことなく食べ続けていたように見える。

「かけそば五杯ってところですか。見てるだけでお腹いっぱいになりそう」

「見てるだけじゃなくて実際にお腹いっぱいにしてね。ほら、じゃんじゃん」

「あ、はい。もぐもぐ」

 食べ放題とはいえ美味しく食べたい美憂はマイペースにわんこそばを楽しむ。しかし元々そこまで食べる方ではないため徐々に苦しくなってきた。

「ちなみに女性の平均って」

「四十杯くらいかしらね。だからお姉さんももっと食べてね」

「うっ。かけそば四杯分か。頑張ります」

 未だ美憂の前のお椀は二列に届かない程。四十を超えるには今の倍以上を食べなくてはならない。美憂の小さな戦いが始まった。

 一方その頃、恵麗奈は最初の勢いのまま食べ続けていた。一定のペースを維持しつつ食べることでリズムを崩さない。恵麗奈はわんこそばとはランニングに通ずる物があると感じていた。

「お姉さんやりますね。このままなら百杯いけるかも。百杯食べれば記念の手形を差し上げるので頑張ってくださいね」

「がんばりまふわ!」

 蕎麦が飛ばないように口元を押さえながら返事をする。お椀の半分を超えたそばつゆを桶に流しながら。時折薬味を使って味に飽きないように工夫する姿は熟練者のそれだ。

(戦った後だからかしら? 気分が昂ってるのかわんこそばも戦いに思えて仕方ありませんわ。とりあえず目標は百杯ですわね)

 既に女性の平均を超えた恵麗奈は、その倍以上の量に挑戦しようとしていた。彼女は知る由もないが男性の平均ですら六十杯程度なので、女性の身で百を超えるのは中々大変なことだ。

 その証拠にさすがの恵麗奈も徐々にペースは落ちてきた。それでも美憂が一つ食べるまでに恵麗奈は三つも食べている。

「ちょっと恵麗奈そんなに食べて大丈夫? あとでお腹痛くなっても知らないよ?」

 美憂の心配そうな声に恵麗奈はわんこそばを食べながら大丈夫だとオーケーサインを出した。その姿は美憂から見れば明らかに痩せ我慢に感じるのだが、これ以上口出しするのもどうかと思い、恵麗奈の自己判断を信じることにした。

 そしてもう一杯、あと一杯と隙あらば蕎麦をねじ込もうとしてくる店員さんを躱して、美憂は椀に蓋をすることに成功する。

「ちぇっ。蓋されちゃったかー。お姉さんお疲れ様。記録は三十五杯だね」

「こんなにお蕎麦を食べたのは初めてですよ。一ヶ月はお蕎麦は見たくないかな」

「なら一ヶ月後にまたうちに食べに来てね。お待ちしてます」

 きゃっきゃと楽しげに話す美憂達に対して、恵麗奈の方は白熱した試合展開になっている。

「お姉さん! あと十で手形ですよ! 頑張ってください!」

 トレーニングジムのインストラクターのように励ます店員さんに、恵麗奈は無言で椀を差し出した。既に限界は超えている。そもそも彼女は天下の鳳凰院家のお嬢様として、こんなに物を食べることなどなかったのだ。

 半分は意地、もう半分は手形という達成感を求めてわんこそばを食べ進める恵麗奈の青い瞳は、漫画のようにぐるぐると回っていた。

 それでも根性で食べ続けた恵麗奈は――

 盛岡駅に戻った美憂は呆れたように隣でうずくまる恵麗奈の背中をさすっていた。

「本当に大丈夫? お腹が妊婦さんみたいになってるけど」

「うう。こんなに苦しいのは初めてですわ」

 お腹がはち切れそうなほどに苦しい。それでも吐くのはお嬢様としてのプライドが許さなかった。そんな恵麗奈の手には百杯完食記念の手形が握られている。

「そろそろ新幹線来るよ。ほら、急ごう」

「動かさないでくださいまし! やっぱり次の新幹線にしませんか?」

「もったいないから却下」

「そんなぁ」

 こうして岩手県を後にした二人は初めての依頼を通して様々なことを学んだ。

 退魔衆の仕事は誰かを救える仕事であること。しかしその過程で全てを救えるわけではないこと。

 そして食べ放題はほどほどにすること。

 それらの教訓を胸に二人はこれからも退魔衆として任務をこなしていくことになるのだった。
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