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『恋』に気づきました!【過去】リーリア14歳
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髪を梳いてレナート王子が褒めてくれる手を、ずっと私は心地よいと思っていた。
だから、ソフィアにもそうしてあげようと思った。それが、どうしてこうなってしまったのか。
目を閉じたソフィアをじっと見つめる。
上気した頬とバラ色の唇。瞳を閉じた金の長いまつげは僅かに震えている。
これは、所謂そういう事なのか。
予想外の只ならぬ雰囲気に、私は目を閉じたソフィアの前で頭を抱える。
どうしたらいい?
困った事に、『私』にはその経験がない。
婚約していた頃にはレナート王子は私を好きだったから、眼差しや対応に相応の甘い雰囲気はあった。
でも、私達の始まりが『互いの恋』ではなかったから、曖昧の距離をレナート王子が超える事はなかった。
教えてくれなかったこの先を、私に一体どうしろと言うのか。
とりあえず、最近読んだ恋物語を思い出す。
どの物語でも、王子様は待ち望む乙女にきちんと応じている。
今は私がレナート王子。なら、レナート王子としてソフィアの思いに応じるのが正解なのだろう。
ソフィアの肩に手を乗せる。私が息を飲む音が、静かな部屋の中にはっきりと響く。
ここから顔を寄せて、レナート王子として唇を重ねるだけ。たったそれだけの事で、私には何のかかわりもない。なのに、どうしても踏ん切りがつかない。
『私』の初めてはどうなるのだろうか。
こうなるってことは、レナート王子はもうソフィアと唇を重ねたのか。
私は……誰と、初めて思いが重なる証を知りたかったのだろうか。
次から次へと余計な疑問が湧いてきて、心を搔き乱す。呼吸まで、どんどん苦しくなって来た。
今すぐに、何もせずにここから逃げ出してしまいたい。
じっと訪れを待つソフィアが小さくレナート王子の名を呼ぶ。
「……レナート王子?」
心がすっと冷えていく。
逃げ出してレナート王子が臆病者とそしられるのは良い。婚約破棄の代償という事で諦めて貰えばいい。
でも、勇気をだしたソフィアはどうするのか。
『恋』を待つ事の不安も、『恋』が空振る苦しさも、『私』は知っている。
もう、どうにでもなれ!
心臓の早い音を耳の奥に聞きながら、私はゆっくり目を閉じる。
吐息のかかる距離に、ソフィアの小さな肩が僅かに震える。
あと少し。そう感じた瞬間、巫女様の怒声が響く。
「レナート王子!!!! ここは祠でございますぞ!!」
慌てて体を離して、声のした方を見る。扉の所には真っ赤な顔をした巫女様がたっていた。
色々拙いだろうなという思いより、何も起きずに済んだ事に思わず胸を撫で下ろす。
「ごめんなさい。ソフィア」
「い、いえ。大丈夫です……。私、その……嬉しかった、です」
耳まで真っ赤になったソフィアが俯く。
ソフィアはそういう関係になる事を望んで、受け入れられるぐらいレナート王子が好きなのだろう。胸がチクリと痛む。
祠の帰りも、巫女様によるレナート王子へのお説教が延々と続いた。すごい剣幕に私とソフィアは押し黙る。それが有難い。ソフィアとの居心地の悪い空気より、お説教の方がよっぽど耐えられる。
ソフィアと巫女様と分かれると、再びジャンと国王陛下の居室の前で合流した。
「レナート王子。『祭祀』は思ったよりも時間が掛かりましたね」
その言葉に、部屋へと戻る外廊下から空を見上げる。月がもう随分と高い。
今日が終われば、もう残り一日。事態の形は見えてきて、一つ大きな手も打てた。だけど、まだ結果にはなっていない。
明日は私に何ができるだろう? ちゃんと『私』を救えるのか。
「――王子、レナート王子? 聞いてますか?」
ジャンが呼びかける声に、慌てて我に返る。
「あっ、はい! 一瞬ぼんやりしてました。今日はとても忙しかったので……。少し疲れました」
ジャンが驚いた様に目を瞬く。どうしたのかと思って首を傾げると、おずおずと言った様子でジャンが大切な事を告げた。
「グレイ様の事を忘れてませんか?」
無言であんぐりと口を開く。確かに、一瞬忘れていた。
「急ぎましょう!」
夜間で人の少ない廊下を、やや駆け足気味に歩き出す。
レナート王子の部屋に着くと、中は当然真っ暗だった。静かに家具をどかして扉を開けると、すやすやと気持ちの良さそうな寝息が聞こえる。
「どういたしますか? 叩き起こしましょうか?」
声を潜めて尋ねたジャンに首を振る。
グレイに聞きたいのは、レナート王子との関わりとリーリアの無実を証言の可否。どちらも今打った手に大きくかかわる事では無い。
「いえ。このままで良いです。明朝、早くからまた動きましょう」
少しでも多くとは思うけど、今日はもう頭の中がいっぱいだったし、緊張の糸が切れて正しい判断が出来る自信がなかった。
軽い食事をとって、小さな浴室で必死の湯あみを済ませる。
家具で抑えた扉に耳をつけて、物音が無い事を確認してからジャンに暇を告げる。
長い二日目が、ようやく終わりを迎える。
ベッドに横になると、私はあっという間に深い眠りに落ちていった。
硬いけど細い指が、私の紺青の髪を梳くように頭を撫でる。
大きくて熱い手が、私の紺青の髪を乱暴にかき混ぜるように撫でる。
一陣の秋風が、夏の空気を一掃する様に吹く。
魔法の練習用の的に、炎の塊がぶつかって気持ちの良い音をたてて倒れた。
「よし! リーリア、出来たじゃないか」
「すごいよ、リーリア! ちゃんとできてる」
二人の王子が競うように私を褒めるから、嬉しくて飛び跳ねると長く伸びた髪が背中で揺れる。
11歳で私達が出会ってから、もう三年の月日が経った。14歳をむかえても、外苑で過ごす日が月に一度は続いている。
デュリオ王子が魔力を纏わせた指を呼ぶように曲げると、倒れた的が風に押されて元に戻る。
「すごいですね! デュリオ王子はもう自在に風が操れるんですね!」
今日の私達は魔法の練習。
正直、デュリオ王子には必要はない。体の一部のように魔法で風を使いこなす。
レナート王子も必要ない。デュリオ王子には負けるけど、大人顔負けに水を自在に操る。
問題なのは私だ。
「ほら、リーリア。もう一回やれ」
特訓の類には殊更厳しいデュリオ王子が私を促す。
指先に少しずつ出した魔力を、練るように指を回して空気に馴染ませていく。
私は、外に魔力を出す作業が大の苦手だ。
苦手の理由は分かっている。
故郷では、禁忌である魔術を使っていた。魔術は受けの術陣に、送りの術陣から魔力を流して一つの魔術を完成させる。指先に魔力を集めるのと、術陣に流し込む。この二つの動作は、いずれも魔力を体の外に出さずに行う。
だから、外に出す魔法の使い方に全く馴染めない。
岩の上に落いたランプの炎がゆらゆらと魔力と融合して揺れ始める。
「リーリア、ゆっくりと自分に引き寄せるんだよ」
レナート王子の助言に頷いて、呼ぶように指先を少し曲げると炎が私の指先に移る。でも、代わりにランプの炎が消えてしまう。
「ランプを消してどうするんだ。さっさと戻せ」
「はい!!」
デュリオ王子の叱責に慌てて炎を戻したら、ランプが丸ごと炎の塊に包まれてしまう。
「馬鹿! なんで一気に魔力を流し込むだ」
「流し込むつもりはなかったんです。ゆっくりと思っても、外に思ったらたくさん出てきちゃって」
笑ってごまかそうとしたら、デュリオ王子に頬を捩じり上げられる。
「お前、これで四度目だからな!」
「わひゃって、まひゅ」
一応女の子である私に、この対応は酷いと思う。だけど、四度目のランプ破壊の負い目があるので、今日は謝るしかできない。
「デュリオ、リーリア。ランプは無事みたいだよ。煤けてしまったけれど、まだ使えそうだよ」
ランプの無事を確認しに行ったレナート王子が、私達に手を振りながらそう教えてくれる。デュリオ王子のお仕置きから解放されて感謝を伝えようとした瞬間、後ろの壁から何かが飛んできたのが見えた。
「レナート王子! 危ないです!」
私の言葉に反応するより先に、何かがレナート王子の頭に落ちる。
「いくぞ、リーリア」
私の手をデュリオ王子が掴んで駆け寄ると、レナート王子が頭をなでながら小箱を拾い上げる。
「大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ。びっくりしたけど軽いものだったから、全然痛くない」
ほっと胸を撫で下ろして小箱を見る。手の平より少し大きな箱は、綺麗に包装されていて贈り物みたいだ。
「なんでしょう? レナート王子へのプレゼント?」
「僕を狙った訳ではないと思うよ?」
「じゃあ、何だ?」
デュリオ王子が顔を上げて壁を睨む。
「ちょっと見てくる」
手を翻すのが見えたと思ったら、強い風の後にデュリオ王子の姿が消えた。慌てて空見上げると、外苑の壁をデュリオ王子が軽々と超えていく。
「デュリオ王子!!」
壁の向うに消える手が一瞬、こちらに向かって小さく振られる。
デュリオ王子は小さい頃からちっとも変わらない。思ったことは即行動。
「行っちゃいました。もう、デュリオ王子はしょうがないですね」
頬を膨らませて同意を求めると、壁を見上げたレナート王子が複雑な表情で微笑む。
「うん。だけど、デュリオは凄い。圧倒的な所を見せられると、本気で敵わないって思う。やっぱり王様はデュリオの方がふさわしいと僕は思う」
それはない。即座に首を全力で振る。不思議そうに私を見るレナート王子に背伸びして顔を近づける。
「私が言ったって内緒ですよ?」
唇に人差し指を立てて声を潜めると、レナート王子は一瞬驚いた様に身を引いた後に、顔を近づけて同じ様に唇に人差し指を立てて微笑む。
「勿論。リーリアが望むなら、どんな秘密でも僕は守るよ」
お父様はあまり派閥には関わらない。それでも出身が旧国だから、周囲には『旧国派』の人がよく集まる。
今の『旧国派』が、どちらを『派閥』に近い王として望んでいるかも分かっている。
でも、皆に言いいたい。その選び方は正しいのか。
「私は、王様はレナート王子の方が絶対に良いと思います」
紫色の瞳を驚いた様にニ、三度目を瞬いてから、レナート王子が時折見せる気弱な微笑みを浮かべる。
「気を使わなくてもいいよ、リーリア」
「本気です。私が失敗した時、デュリオ王子はすぐ怒りました。王様はそうしたらいけないんです。周りが萎縮してしまう。レナート王子は怒らずに、冷静にランプが無事だと確認をして許してくれました」
レナート王子が困ったように首を傾げる。
「でもね。僕よりデュリオの方が何でもできる」
「マナーとかお勉強はレナート王子の方ができますよね? ジャンさんがこないだ自慢してました」
悲し気に息を吐いたレナート王子の吐息が私の前髪を擽る。
「違うんだ、リーリア。デュリオは、きちんとやったら全部が僕よりもできるんだ。だけど、僕を気遣って、自分が好きな剣と魔法以外は譲ってくれているんだよ」
知らなかった事実に少しだけ驚いたけど、私が言いたいのはそういう部分じゃない。
きちんとレナート王子に伝わるように、長いまつげに覆われた紫色の瞳をしっかりと覗き込む。
「私、王様は何でも出来る必要はないと思います。何よりも、必要な事をきちんと見て判断できる人がいいです。デュリオ王子はせっかちで、直ぐに口にしたり行動したりし過ぎます。それに怒りん坊だし。レナート王子みたいに、考えてから言葉が選べる優しい人が王様の方が、絶対に周囲はのびのび仕事ができます」
言ってしまってから、デュリオ王子に対して酷い事を言ってると気付く。本人がいないくて本当によかった。改めてレナート王子に口止めをしておく。
「絶対に秘密ですよ。特にデュリオ王子には絶対に秘密です。何をされるか分かりません!」
レナート王子が吹きだして俯いた拍子に、額と額が重なる。流石にもう十四歳になったから、以前と違って近すぎると少し恥ずかしい。
でも、悲しそうだったレナート王子が笑っている今は、離れてはいけない気がして恥かしい気持を必死に抑える。
「僕が王様に向いていて、デュリオが王様に向いていないか。リーリアは、やっぱり面白い。じゃあ、デュリオには騎士が向いてる?」
顔を上げておでこを離すと、デュリオ王子がいつもの顔で私に尋ねる。
「どうでしょう? 騎士になったら何も考えずに突っ込んでいって怪我をしそうですね」
「そう、一騎当千の強者になりそうだと思うけど」
強者にもなりそうだけど、戦いにデュリオ王子が赴くたびに心配でお腹が痛くなりそうだ。だから、全力で首を振る。
「騎士も止めた方がいいと思います。むしろ、レナート王子の方が兵を冷静に動かせて、騎士も合うかもしれません」
「あれ? 騎士も僕でいいんだね? じやあ、文官は?」
悪戯を思いついた様な顔でレナート王子が質問を重ねる。
今度も私は首を振る。机に座って仕事をしているデュリオ王子が想像できない。
「じっとしている姿が思い浮かびません。文官も、雰囲気的にはレナート王子の方が似合いそうです」
想像したのか、レナート王子が小さく吹き出す。相変わらず、私との会話がツボに嵌るとレナート王子はよく笑う。
「じゃあ、リーリアはデュリオには何が似合うと思うのかな?」
自由で無茶が好きなデュリオ王子が、笑っていられるような未来の姿を考える。
旅人? 流石に王子様にはなれない。他国との外交役。誰とでも仲良くなれるけど、誰とでも喧嘩もしそう。芸術家? 似合わない。次から次へと浮かぶ想像に自然と頬が緩む。
突然、レナート王子が私の髪を掬って遊ぶ用にくるくると指に巻く。
「どうしたんです?」
「リーリアの癖を、僕が代わりにしてあげてるんだよ。君は考え込むと、自分の髪を指によく巻き付けるから」
言われて見ると、確かにやっているような気がする。
「気づかなかったです。いつからやってたんでしょう?」
「僕が気づいたのは、君の髪が肩につく少し前かな」
言われて見れば、肩に届くぐらいの頃は長さが気になってよく触れていた。
「本当にレナート王子はよく見ていますね。私より私の事に詳しいかも?」
柔らかく蕩けるような笑顔を浮かべて、レナート王子が小さく首を傾げる。
「ねぇ、リーリア。それなら、結婚相手はどちらが合うと思う?」
一瞬、深碧の瞳が過ぎって慌てて打ち消す。ない。絶対にない。
なんで、浮かんでしまったんだろうか。
大体、レナート王子が聞いているのは一般的な答えだ。一般的な回答ならば、間違いなくレナート王子だと思う。
口を開きかけて、お母様が言っていた言葉を思い出す。
「結婚相手は条件ではありません。一番好きな人と、恋をして結ばれるんです」
綺麗な瞳を一度考えるように閉じてから、レナート王子が少し残念そうな顔で私の髪を梳くように撫でる。
「そうだね。僕もいつか好きな子と、本当に恋をして結ばれたい」
甘いお菓子を食べた時みたいな、大切なものを見つけた時みたいな、凄く甘い眼差しでレナート王子が私を見る。
私より明らかに目線が高くなったぐらいから、レナート王子はたくさんの令嬢たちから騒がれるようになった。小さい頃の線の細さが抜けて、優美さは変わらないのに凛々しさが加わったからなのだろう。見慣れている私でも、時折頬が熱くなってしまう事がある。
逃げるように俯いた時、遠くで声が聞こえた気がした。慌てて振り向くと、二人分の人影が見えて、近づくと一人はデュリオ王子だと分かった。
「デュリオが戻って来たみたいだね。隣にいるのは誰だろう?」
訝しむようにレナート王子が呟く。
お父様たちよりもずっと若い男の人は、きちんとした礼装だから文官なのだろう。名前は知らないけれど、何処かで見た事がある気もする。
近くまで来ると、見知らぬ貴族の男性が青い顔でレナート王子に跪く。
「私の名前はサント・プランクと申します。男爵の爵位を賜り、一年ほど前にコウの領地から中央に召し上げて頂きました。レナート王子、申し訳ありません!! 私が投げた品が、頭の上に落ちたと伺いました。お怪我はなかったでしょうか?」
地面に付きそうなぐらい頭を深く下げて男が言う。
コウの領地も旧国の一つで、標高の高い場所にある。色々珍しい草木がある為に、薬学がよく発展している。きっと、その方面の才能があって旧国から中央に移ってきたばかりなのだろう。
「大丈夫ですから、顔を上げて下さい」
頭をあげたプランク男爵にレナート王子が、優しく微笑んで小さな箱を差し出す。ほっとした顔で受け取ると、大事そうに箱をポケットにしまう。
おずおずと私は発言の許可を得る為に手をあげる。
「なんだ、リーリア。文句が言いたいのか? 言っていいぞ」
デュリオ王子の許可を得て、私は気になった事を問いかける。
「あの……なんで投げてしまったんですか? すごく大事なものに見えたのですが?」
プランク男爵が困ったように頭を掻いてから、少し居心地が悪そうに贈り物を投げた理由を語りだした。
「本当は、ある女性に贈り物として渡したかったのですが、直前に怖気づいてしまったんです。情けない自分に腹が立って思わずに贈り物を投げ捨てたら、それがレナート王子にぶつかってしまって……本当にすみません」
デュリオ王子が首をひねる。
「怖気づく? せっかく用意したのにか?」
私もそう思ったから首を何度も縦に振る。
箱は綺麗に包装されていたし、戻って来た時も大事そうにしまってた。渡さないなんてもったいない。
レナート王子も同じように感じたみたいで、やっぱり頷いている。
揃って頷く姿に、ブランク男爵が肩を落とす。
「いや……仰る通りなんですけどね。その……、自信がなくなったんです。私は彼女とは殆ど会話した事がないし……色々立場も違います。気持ちが高まって贈り物を用意したものの、渡す前になってこれは駄目だろうなと思ってしまったわけです」
殆ど会話した事がないのに、誰かを好きなるってあるのだろうか?
凄くそれが気になって私は身を乗り出す。
「殆ど会話をしていなくても、好きになる事ってあるんですか? 物語では時間を掛けて『恋』をする事が多いから、『恋』とはそういうものだと思っていました」
プランク男爵が、さっきまでのやや押され気味の態度を消して大きく首を縦に振る。
「ありますよ! それを『一目惚れ』と呼ぶのです。出会って間もなくとも、何も知らなくとも人は『恋』に落ちます。その人の何かが、自分の心に触れたら一瞬でふわふわと気持ちが浮き立ち、胸が掴まれたかのように苦しくなる」
ふわふわと気持ちが浮き立ち、胸が掴まれたかのように苦しくなる?
なぜか、黄色い花の甘く凛とした香りを思い出して、私の胸がどきどきと高鳴る。
「プランク男爵は、どのような状況でそうお感じになったのでか?」
更に身を乗り出すようにして聞くと、少し頬を染めたプランク男爵が幸せそうに微笑む。
「外苑に接する通路には故郷の花があって、私はよく見に来るのです。ある時、彼女がいました。大人しそうな女性としか、最初は思わなかった。何の気もなく話しかけて、花の名を教えました。そしたら、彼女が私を見て笑ったんです。一瞬で頬が熱くなり、耳の奥で早鐘を打つ胸の音が聞こえました。『恋』をしたと私はすぐに理解しましたよ」
プランク男爵の隣で、腕を組むデュリオ王子を見る。
初めてであった日に黄色い花を貰ってから、デュリオ王子が笑ったり、触れたりすると、時々どうしょうもないぐらい胸が苦しくなる事がある。
不思議だったけど、口にするのがとても恥ずかしくて誰にもずっと聞けなかった。
私の視線に気づいたデュリオ王子が、にやりと白い歯を見せて笑う。
胸が大きく波打って、プランク男爵の言葉通り頬が熱くなって、耳の奥で早鐘を打つ胸の音がする。
『恋』って時間を掛けて育むものだと思ってた。でも、一瞬で落ちるものなのだろうか。
だったら、私は初めて会ったあの日からデュリオ王子にずっと『恋』をしているのだろうか。
私の視線を何か喋るように促していると勘違いしたデュリオ王子が、プランク男爵に視線を映す。
「『恋』の事は俺はよく分からない。だが、そこまで断言できる思いがあるなら、何を怖気づくことがある? 渡さなくては贈り物の意味がないだろ?」
途端にプランク男爵がしょげてしまう。
「自分の気持ちには自信があります。でも、彼女の気持ちはわからない。私は『旧国派』で彼女は『教会派』なんです。派閥が違う私たちが惹かれ合うの事は難しい――」
「そんな事を言ってはいけません!」
レナート王子がプランク男爵の言葉を途中で否定する。珍しい様子に私とデュリオ王子がまじまじと見つめるのに、それにも気づかずにレナート王子がプランク男爵の前に膝をついて手を取る。
「派閥なんて関係ありません。『教会派』でも『旧国派』でも、好きになる時は誰でも好きになる。僕は『旧国派』の貴方が、『教会派』の彼女と結ばれるのを応援します! いいえ、応援どころかお手伝いをさせて下さい」
だから、ソフィアにもそうしてあげようと思った。それが、どうしてこうなってしまったのか。
目を閉じたソフィアをじっと見つめる。
上気した頬とバラ色の唇。瞳を閉じた金の長いまつげは僅かに震えている。
これは、所謂そういう事なのか。
予想外の只ならぬ雰囲気に、私は目を閉じたソフィアの前で頭を抱える。
どうしたらいい?
困った事に、『私』にはその経験がない。
婚約していた頃にはレナート王子は私を好きだったから、眼差しや対応に相応の甘い雰囲気はあった。
でも、私達の始まりが『互いの恋』ではなかったから、曖昧の距離をレナート王子が超える事はなかった。
教えてくれなかったこの先を、私に一体どうしろと言うのか。
とりあえず、最近読んだ恋物語を思い出す。
どの物語でも、王子様は待ち望む乙女にきちんと応じている。
今は私がレナート王子。なら、レナート王子としてソフィアの思いに応じるのが正解なのだろう。
ソフィアの肩に手を乗せる。私が息を飲む音が、静かな部屋の中にはっきりと響く。
ここから顔を寄せて、レナート王子として唇を重ねるだけ。たったそれだけの事で、私には何のかかわりもない。なのに、どうしても踏ん切りがつかない。
『私』の初めてはどうなるのだろうか。
こうなるってことは、レナート王子はもうソフィアと唇を重ねたのか。
私は……誰と、初めて思いが重なる証を知りたかったのだろうか。
次から次へと余計な疑問が湧いてきて、心を搔き乱す。呼吸まで、どんどん苦しくなって来た。
今すぐに、何もせずにここから逃げ出してしまいたい。
じっと訪れを待つソフィアが小さくレナート王子の名を呼ぶ。
「……レナート王子?」
心がすっと冷えていく。
逃げ出してレナート王子が臆病者とそしられるのは良い。婚約破棄の代償という事で諦めて貰えばいい。
でも、勇気をだしたソフィアはどうするのか。
『恋』を待つ事の不安も、『恋』が空振る苦しさも、『私』は知っている。
もう、どうにでもなれ!
心臓の早い音を耳の奥に聞きながら、私はゆっくり目を閉じる。
吐息のかかる距離に、ソフィアの小さな肩が僅かに震える。
あと少し。そう感じた瞬間、巫女様の怒声が響く。
「レナート王子!!!! ここは祠でございますぞ!!」
慌てて体を離して、声のした方を見る。扉の所には真っ赤な顔をした巫女様がたっていた。
色々拙いだろうなという思いより、何も起きずに済んだ事に思わず胸を撫で下ろす。
「ごめんなさい。ソフィア」
「い、いえ。大丈夫です……。私、その……嬉しかった、です」
耳まで真っ赤になったソフィアが俯く。
ソフィアはそういう関係になる事を望んで、受け入れられるぐらいレナート王子が好きなのだろう。胸がチクリと痛む。
祠の帰りも、巫女様によるレナート王子へのお説教が延々と続いた。すごい剣幕に私とソフィアは押し黙る。それが有難い。ソフィアとの居心地の悪い空気より、お説教の方がよっぽど耐えられる。
ソフィアと巫女様と分かれると、再びジャンと国王陛下の居室の前で合流した。
「レナート王子。『祭祀』は思ったよりも時間が掛かりましたね」
その言葉に、部屋へと戻る外廊下から空を見上げる。月がもう随分と高い。
今日が終われば、もう残り一日。事態の形は見えてきて、一つ大きな手も打てた。だけど、まだ結果にはなっていない。
明日は私に何ができるだろう? ちゃんと『私』を救えるのか。
「――王子、レナート王子? 聞いてますか?」
ジャンが呼びかける声に、慌てて我に返る。
「あっ、はい! 一瞬ぼんやりしてました。今日はとても忙しかったので……。少し疲れました」
ジャンが驚いた様に目を瞬く。どうしたのかと思って首を傾げると、おずおずと言った様子でジャンが大切な事を告げた。
「グレイ様の事を忘れてませんか?」
無言であんぐりと口を開く。確かに、一瞬忘れていた。
「急ぎましょう!」
夜間で人の少ない廊下を、やや駆け足気味に歩き出す。
レナート王子の部屋に着くと、中は当然真っ暗だった。静かに家具をどかして扉を開けると、すやすやと気持ちの良さそうな寝息が聞こえる。
「どういたしますか? 叩き起こしましょうか?」
声を潜めて尋ねたジャンに首を振る。
グレイに聞きたいのは、レナート王子との関わりとリーリアの無実を証言の可否。どちらも今打った手に大きくかかわる事では無い。
「いえ。このままで良いです。明朝、早くからまた動きましょう」
少しでも多くとは思うけど、今日はもう頭の中がいっぱいだったし、緊張の糸が切れて正しい判断が出来る自信がなかった。
軽い食事をとって、小さな浴室で必死の湯あみを済ませる。
家具で抑えた扉に耳をつけて、物音が無い事を確認してからジャンに暇を告げる。
長い二日目が、ようやく終わりを迎える。
ベッドに横になると、私はあっという間に深い眠りに落ちていった。
硬いけど細い指が、私の紺青の髪を梳くように頭を撫でる。
大きくて熱い手が、私の紺青の髪を乱暴にかき混ぜるように撫でる。
一陣の秋風が、夏の空気を一掃する様に吹く。
魔法の練習用の的に、炎の塊がぶつかって気持ちの良い音をたてて倒れた。
「よし! リーリア、出来たじゃないか」
「すごいよ、リーリア! ちゃんとできてる」
二人の王子が競うように私を褒めるから、嬉しくて飛び跳ねると長く伸びた髪が背中で揺れる。
11歳で私達が出会ってから、もう三年の月日が経った。14歳をむかえても、外苑で過ごす日が月に一度は続いている。
デュリオ王子が魔力を纏わせた指を呼ぶように曲げると、倒れた的が風に押されて元に戻る。
「すごいですね! デュリオ王子はもう自在に風が操れるんですね!」
今日の私達は魔法の練習。
正直、デュリオ王子には必要はない。体の一部のように魔法で風を使いこなす。
レナート王子も必要ない。デュリオ王子には負けるけど、大人顔負けに水を自在に操る。
問題なのは私だ。
「ほら、リーリア。もう一回やれ」
特訓の類には殊更厳しいデュリオ王子が私を促す。
指先に少しずつ出した魔力を、練るように指を回して空気に馴染ませていく。
私は、外に魔力を出す作業が大の苦手だ。
苦手の理由は分かっている。
故郷では、禁忌である魔術を使っていた。魔術は受けの術陣に、送りの術陣から魔力を流して一つの魔術を完成させる。指先に魔力を集めるのと、術陣に流し込む。この二つの動作は、いずれも魔力を体の外に出さずに行う。
だから、外に出す魔法の使い方に全く馴染めない。
岩の上に落いたランプの炎がゆらゆらと魔力と融合して揺れ始める。
「リーリア、ゆっくりと自分に引き寄せるんだよ」
レナート王子の助言に頷いて、呼ぶように指先を少し曲げると炎が私の指先に移る。でも、代わりにランプの炎が消えてしまう。
「ランプを消してどうするんだ。さっさと戻せ」
「はい!!」
デュリオ王子の叱責に慌てて炎を戻したら、ランプが丸ごと炎の塊に包まれてしまう。
「馬鹿! なんで一気に魔力を流し込むだ」
「流し込むつもりはなかったんです。ゆっくりと思っても、外に思ったらたくさん出てきちゃって」
笑ってごまかそうとしたら、デュリオ王子に頬を捩じり上げられる。
「お前、これで四度目だからな!」
「わひゃって、まひゅ」
一応女の子である私に、この対応は酷いと思う。だけど、四度目のランプ破壊の負い目があるので、今日は謝るしかできない。
「デュリオ、リーリア。ランプは無事みたいだよ。煤けてしまったけれど、まだ使えそうだよ」
ランプの無事を確認しに行ったレナート王子が、私達に手を振りながらそう教えてくれる。デュリオ王子のお仕置きから解放されて感謝を伝えようとした瞬間、後ろの壁から何かが飛んできたのが見えた。
「レナート王子! 危ないです!」
私の言葉に反応するより先に、何かがレナート王子の頭に落ちる。
「いくぞ、リーリア」
私の手をデュリオ王子が掴んで駆け寄ると、レナート王子が頭をなでながら小箱を拾い上げる。
「大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ。びっくりしたけど軽いものだったから、全然痛くない」
ほっと胸を撫で下ろして小箱を見る。手の平より少し大きな箱は、綺麗に包装されていて贈り物みたいだ。
「なんでしょう? レナート王子へのプレゼント?」
「僕を狙った訳ではないと思うよ?」
「じゃあ、何だ?」
デュリオ王子が顔を上げて壁を睨む。
「ちょっと見てくる」
手を翻すのが見えたと思ったら、強い風の後にデュリオ王子の姿が消えた。慌てて空見上げると、外苑の壁をデュリオ王子が軽々と超えていく。
「デュリオ王子!!」
壁の向うに消える手が一瞬、こちらに向かって小さく振られる。
デュリオ王子は小さい頃からちっとも変わらない。思ったことは即行動。
「行っちゃいました。もう、デュリオ王子はしょうがないですね」
頬を膨らませて同意を求めると、壁を見上げたレナート王子が複雑な表情で微笑む。
「うん。だけど、デュリオは凄い。圧倒的な所を見せられると、本気で敵わないって思う。やっぱり王様はデュリオの方がふさわしいと僕は思う」
それはない。即座に首を全力で振る。不思議そうに私を見るレナート王子に背伸びして顔を近づける。
「私が言ったって内緒ですよ?」
唇に人差し指を立てて声を潜めると、レナート王子は一瞬驚いた様に身を引いた後に、顔を近づけて同じ様に唇に人差し指を立てて微笑む。
「勿論。リーリアが望むなら、どんな秘密でも僕は守るよ」
お父様はあまり派閥には関わらない。それでも出身が旧国だから、周囲には『旧国派』の人がよく集まる。
今の『旧国派』が、どちらを『派閥』に近い王として望んでいるかも分かっている。
でも、皆に言いいたい。その選び方は正しいのか。
「私は、王様はレナート王子の方が絶対に良いと思います」
紫色の瞳を驚いた様にニ、三度目を瞬いてから、レナート王子が時折見せる気弱な微笑みを浮かべる。
「気を使わなくてもいいよ、リーリア」
「本気です。私が失敗した時、デュリオ王子はすぐ怒りました。王様はそうしたらいけないんです。周りが萎縮してしまう。レナート王子は怒らずに、冷静にランプが無事だと確認をして許してくれました」
レナート王子が困ったように首を傾げる。
「でもね。僕よりデュリオの方が何でもできる」
「マナーとかお勉強はレナート王子の方ができますよね? ジャンさんがこないだ自慢してました」
悲し気に息を吐いたレナート王子の吐息が私の前髪を擽る。
「違うんだ、リーリア。デュリオは、きちんとやったら全部が僕よりもできるんだ。だけど、僕を気遣って、自分が好きな剣と魔法以外は譲ってくれているんだよ」
知らなかった事実に少しだけ驚いたけど、私が言いたいのはそういう部分じゃない。
きちんとレナート王子に伝わるように、長いまつげに覆われた紫色の瞳をしっかりと覗き込む。
「私、王様は何でも出来る必要はないと思います。何よりも、必要な事をきちんと見て判断できる人がいいです。デュリオ王子はせっかちで、直ぐに口にしたり行動したりし過ぎます。それに怒りん坊だし。レナート王子みたいに、考えてから言葉が選べる優しい人が王様の方が、絶対に周囲はのびのび仕事ができます」
言ってしまってから、デュリオ王子に対して酷い事を言ってると気付く。本人がいないくて本当によかった。改めてレナート王子に口止めをしておく。
「絶対に秘密ですよ。特にデュリオ王子には絶対に秘密です。何をされるか分かりません!」
レナート王子が吹きだして俯いた拍子に、額と額が重なる。流石にもう十四歳になったから、以前と違って近すぎると少し恥ずかしい。
でも、悲しそうだったレナート王子が笑っている今は、離れてはいけない気がして恥かしい気持を必死に抑える。
「僕が王様に向いていて、デュリオが王様に向いていないか。リーリアは、やっぱり面白い。じゃあ、デュリオには騎士が向いてる?」
顔を上げておでこを離すと、デュリオ王子がいつもの顔で私に尋ねる。
「どうでしょう? 騎士になったら何も考えずに突っ込んでいって怪我をしそうですね」
「そう、一騎当千の強者になりそうだと思うけど」
強者にもなりそうだけど、戦いにデュリオ王子が赴くたびに心配でお腹が痛くなりそうだ。だから、全力で首を振る。
「騎士も止めた方がいいと思います。むしろ、レナート王子の方が兵を冷静に動かせて、騎士も合うかもしれません」
「あれ? 騎士も僕でいいんだね? じやあ、文官は?」
悪戯を思いついた様な顔でレナート王子が質問を重ねる。
今度も私は首を振る。机に座って仕事をしているデュリオ王子が想像できない。
「じっとしている姿が思い浮かびません。文官も、雰囲気的にはレナート王子の方が似合いそうです」
想像したのか、レナート王子が小さく吹き出す。相変わらず、私との会話がツボに嵌るとレナート王子はよく笑う。
「じゃあ、リーリアはデュリオには何が似合うと思うのかな?」
自由で無茶が好きなデュリオ王子が、笑っていられるような未来の姿を考える。
旅人? 流石に王子様にはなれない。他国との外交役。誰とでも仲良くなれるけど、誰とでも喧嘩もしそう。芸術家? 似合わない。次から次へと浮かぶ想像に自然と頬が緩む。
突然、レナート王子が私の髪を掬って遊ぶ用にくるくると指に巻く。
「どうしたんです?」
「リーリアの癖を、僕が代わりにしてあげてるんだよ。君は考え込むと、自分の髪を指によく巻き付けるから」
言われて見ると、確かにやっているような気がする。
「気づかなかったです。いつからやってたんでしょう?」
「僕が気づいたのは、君の髪が肩につく少し前かな」
言われて見れば、肩に届くぐらいの頃は長さが気になってよく触れていた。
「本当にレナート王子はよく見ていますね。私より私の事に詳しいかも?」
柔らかく蕩けるような笑顔を浮かべて、レナート王子が小さく首を傾げる。
「ねぇ、リーリア。それなら、結婚相手はどちらが合うと思う?」
一瞬、深碧の瞳が過ぎって慌てて打ち消す。ない。絶対にない。
なんで、浮かんでしまったんだろうか。
大体、レナート王子が聞いているのは一般的な答えだ。一般的な回答ならば、間違いなくレナート王子だと思う。
口を開きかけて、お母様が言っていた言葉を思い出す。
「結婚相手は条件ではありません。一番好きな人と、恋をして結ばれるんです」
綺麗な瞳を一度考えるように閉じてから、レナート王子が少し残念そうな顔で私の髪を梳くように撫でる。
「そうだね。僕もいつか好きな子と、本当に恋をして結ばれたい」
甘いお菓子を食べた時みたいな、大切なものを見つけた時みたいな、凄く甘い眼差しでレナート王子が私を見る。
私より明らかに目線が高くなったぐらいから、レナート王子はたくさんの令嬢たちから騒がれるようになった。小さい頃の線の細さが抜けて、優美さは変わらないのに凛々しさが加わったからなのだろう。見慣れている私でも、時折頬が熱くなってしまう事がある。
逃げるように俯いた時、遠くで声が聞こえた気がした。慌てて振り向くと、二人分の人影が見えて、近づくと一人はデュリオ王子だと分かった。
「デュリオが戻って来たみたいだね。隣にいるのは誰だろう?」
訝しむようにレナート王子が呟く。
お父様たちよりもずっと若い男の人は、きちんとした礼装だから文官なのだろう。名前は知らないけれど、何処かで見た事がある気もする。
近くまで来ると、見知らぬ貴族の男性が青い顔でレナート王子に跪く。
「私の名前はサント・プランクと申します。男爵の爵位を賜り、一年ほど前にコウの領地から中央に召し上げて頂きました。レナート王子、申し訳ありません!! 私が投げた品が、頭の上に落ちたと伺いました。お怪我はなかったでしょうか?」
地面に付きそうなぐらい頭を深く下げて男が言う。
コウの領地も旧国の一つで、標高の高い場所にある。色々珍しい草木がある為に、薬学がよく発展している。きっと、その方面の才能があって旧国から中央に移ってきたばかりなのだろう。
「大丈夫ですから、顔を上げて下さい」
頭をあげたプランク男爵にレナート王子が、優しく微笑んで小さな箱を差し出す。ほっとした顔で受け取ると、大事そうに箱をポケットにしまう。
おずおずと私は発言の許可を得る為に手をあげる。
「なんだ、リーリア。文句が言いたいのか? 言っていいぞ」
デュリオ王子の許可を得て、私は気になった事を問いかける。
「あの……なんで投げてしまったんですか? すごく大事なものに見えたのですが?」
プランク男爵が困ったように頭を掻いてから、少し居心地が悪そうに贈り物を投げた理由を語りだした。
「本当は、ある女性に贈り物として渡したかったのですが、直前に怖気づいてしまったんです。情けない自分に腹が立って思わずに贈り物を投げ捨てたら、それがレナート王子にぶつかってしまって……本当にすみません」
デュリオ王子が首をひねる。
「怖気づく? せっかく用意したのにか?」
私もそう思ったから首を何度も縦に振る。
箱は綺麗に包装されていたし、戻って来た時も大事そうにしまってた。渡さないなんてもったいない。
レナート王子も同じように感じたみたいで、やっぱり頷いている。
揃って頷く姿に、ブランク男爵が肩を落とす。
「いや……仰る通りなんですけどね。その……、自信がなくなったんです。私は彼女とは殆ど会話した事がないし……色々立場も違います。気持ちが高まって贈り物を用意したものの、渡す前になってこれは駄目だろうなと思ってしまったわけです」
殆ど会話した事がないのに、誰かを好きなるってあるのだろうか?
凄くそれが気になって私は身を乗り出す。
「殆ど会話をしていなくても、好きになる事ってあるんですか? 物語では時間を掛けて『恋』をする事が多いから、『恋』とはそういうものだと思っていました」
プランク男爵が、さっきまでのやや押され気味の態度を消して大きく首を縦に振る。
「ありますよ! それを『一目惚れ』と呼ぶのです。出会って間もなくとも、何も知らなくとも人は『恋』に落ちます。その人の何かが、自分の心に触れたら一瞬でふわふわと気持ちが浮き立ち、胸が掴まれたかのように苦しくなる」
ふわふわと気持ちが浮き立ち、胸が掴まれたかのように苦しくなる?
なぜか、黄色い花の甘く凛とした香りを思い出して、私の胸がどきどきと高鳴る。
「プランク男爵は、どのような状況でそうお感じになったのでか?」
更に身を乗り出すようにして聞くと、少し頬を染めたプランク男爵が幸せそうに微笑む。
「外苑に接する通路には故郷の花があって、私はよく見に来るのです。ある時、彼女がいました。大人しそうな女性としか、最初は思わなかった。何の気もなく話しかけて、花の名を教えました。そしたら、彼女が私を見て笑ったんです。一瞬で頬が熱くなり、耳の奥で早鐘を打つ胸の音が聞こえました。『恋』をしたと私はすぐに理解しましたよ」
プランク男爵の隣で、腕を組むデュリオ王子を見る。
初めてであった日に黄色い花を貰ってから、デュリオ王子が笑ったり、触れたりすると、時々どうしょうもないぐらい胸が苦しくなる事がある。
不思議だったけど、口にするのがとても恥ずかしくて誰にもずっと聞けなかった。
私の視線に気づいたデュリオ王子が、にやりと白い歯を見せて笑う。
胸が大きく波打って、プランク男爵の言葉通り頬が熱くなって、耳の奥で早鐘を打つ胸の音がする。
『恋』って時間を掛けて育むものだと思ってた。でも、一瞬で落ちるものなのだろうか。
だったら、私は初めて会ったあの日からデュリオ王子にずっと『恋』をしているのだろうか。
私の視線を何か喋るように促していると勘違いしたデュリオ王子が、プランク男爵に視線を映す。
「『恋』の事は俺はよく分からない。だが、そこまで断言できる思いがあるなら、何を怖気づくことがある? 渡さなくては贈り物の意味がないだろ?」
途端にプランク男爵がしょげてしまう。
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「そんな事を言ってはいけません!」
レナート王子がプランク男爵の言葉を途中で否定する。珍しい様子に私とデュリオ王子がまじまじと見つめるのに、それにも気づかずにレナート王子がプランク男爵の前に膝をついて手を取る。
「派閥なんて関係ありません。『教会派』でも『旧国派』でも、好きになる時は誰でも好きになる。僕は『旧国派』の貴方が、『教会派』の彼女と結ばれるのを応援します! いいえ、応援どころかお手伝いをさせて下さい」
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