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四章
64話 プロポーズの行方 / 国政管理室ギスランの恋人
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ノエルは当主代行に昇格しました。ワンデリア領主と兼任です。
それから、王位の話が入りませんでした。すみません。
次回、アレックス王子がちゃんとノエルに説明します。続きなので確約です。
なんとか三連休中に更新したいなぁと思ってます。。
< 小さな設定 >
今回、アレックス王子がバルコニーにいたのは、もちろんノエルを待っていたからです。
突然、ギスランを掴んで話し出したのにはきっと驚いたでしょう。
< 小話 >
私は可愛げがない。恋人は変わり者だ。
彼と会ったのは我が家が主催した舞踏会の会場だった。
我が家が主催しているから、目的は適齢期を過ぎた私の伴侶を探す為だ。なのに、私は壁の花と化していた。
「踊らないの?」
私の隣に影が差して見上げると、人懐っこい笑顔を浮かべた男が並んだ。勝手に私のグラスに自分のグラスを合わせて音を響かせる。
「さぁ? 踊るのは一人ではできませんから」
気のない返事を返してから、自分の態度を反省する。
私が壁の花になっている理由は噂の所為だけど、チャンスを逃すのは可愛げが欠けている所為だ。
武門の家柄の中でも壁と呼ばれる守りの専門家は、鉄の盾を持って前線を死守する要。父も兄も弟も毎朝鍛錬は欠かさない。その鍛錬に一緒に参加してきた私には、男の人よりもずっと力がある。
でも、長そでを着たりして筋肉を隠して、外では力があるのはずっと隠してた。
発端は一年前の舞踏会。綺麗で可愛い友人を無理矢理連れ出そうとしたバカ子息がいた。何度も止めたのに友達から手を離さないバカ子息に頭にきて、バルコニーから噴水に放り投げてしまった。
以来、アントナー伯爵令嬢エディスという本名は忘れられ、「怪力令嬢」の名が社交界で有名になり、誘う男が消えた。
「じゃあ、僕と一緒に踊って頂けませんか? ギスラン・カノヴァスと申します」
跪いて手を差し出しながら、平気でグラスを煽る優男は見た目より不遜だ。勝手に私の手をとって口づける。
口づけた私の手を乗せるギスランの指は、私よりも細くて綺麗だ。立ち上がるとその手が私の腰を抱いて、返事も聞かずにさっさとダンスの中心に歩き出す。
文句を言おうと思ったけど、何とか踏みとどまる。
「文官の方ですか?」
「そう? わかる? 知性的?」
「私より細いので」
悔やむ前に言葉を止める努力が私には足りない。分かりやすすぎる程がっかり肩を落として、ギスランがホールの中央で一礼する。
同時に数名の紳士が私たちの周りから離れていく。
「怪力令嬢」だからいっても、ダンスをしながら彼らを弾き飛ばす真似はしない。心の中で私を見て逃げたと思われる男たちに少し憤る。
「細い男は嫌い? 頭は良いよ。国政管理室で、一応書記官やってます」
国政管理室と言えば、中央のエリートだ。その書記官と言えば若手のトップともいえる。
その顔をまじまじと見つめる。華やかさはないけれど、人好きする笑顔はモテないようには見えない。
「ちょ! そんな見つめないで―。僕、恥ずかしくなっちゃう」
「はあ?」
軽いこの喋りが鬱陶しくて、女に困っているのかもしれない。
跳ねるようなステップは少し騒々しい感じはするが、丁寧で器用さを感じさせる。
こんな人が「怪力令嬢」をあえて選ぶとは思えない。選んだとしたら私の武勇伝について確認したいのか、「怪力令嬢」と踊ったと言う武勲を手にしたいのか。
そんな結論に至ると、やはり顔は自然と不機嫌になった。
「あれ? 僕のダンスは下手かな? 上手い方だと自負はあるんだけどなー。 笑ってくれないのは寂しい。笑ってよ? できればウットリして欲しいんだけど?」
「国政管理室のエリートに揶揄われるのは不快です」
怪訝な顔をしてギスランが腕を上げるから、思いっきり回って吹き飛ばされてしまえと心で思う。
「おう! キレがいいね! かっこいいい!」
「揶揄わないで。貴方もバルコニーから投げ飛ばされたい?」
「嫌だよ。僕、悪いことしてないし。あ、嘘。悪い事はしてるな。今日、若い子に盗聴けしかけたしなぁ。あと、文章偽造もしたなぁ。でも、君に対してはぎりぎり何もしてないよ」
笑って首を傾げる男には、私を揶揄っているという認識はないらしい。
「私を誘った事です」
「何で?」
「私を誘って揶揄っているのでしょう? 貴方と接点はないし、周りの令嬢と違って私は背も高いし、体も筋肉質だし、一回りは大きいわ。さっきだって私がダンスホールに立ったら男の人が逃げた」
その言葉に男が困ったような表情を見せる。
「あれは君じゃなくて、僕を避けたんだと思うよ。仕事で見知った顔だったし」
「でも、貴方みたいな方に好んで誘われる女ではないです」
男が目を瞬いて困ったような顔が、突然楽しそうに輝きだす。
「もしかして、君はあまり男に誘われないの? 恋人はいない?」
そういう事は面と向かって聞くべきではない。
腹が立ってその手を振り払おうとしたら、タイミングよく再び腕を上げられて思わず回転する。戻った腰を抱き寄せて男が満足そうに頷く。
「だったら、幸運。僕は君に興味があって、君と踊る為に招待状を偽造してまでここにやって来ました。その熱意にほだされて、良ければお付き合いしませんか?」
これが、私と恋人の出会いだった。変った人。それが最初の印象で変わらぬ恋人の印象だ。
舞踏会の後に、彼から礼状が来たのは十日たってからだった。
はっきり言って、交際を申し込んだ男としてはかなり遅い。そもそも、偽造した招待状でやってきた男が礼状を出すのもおかしな話だ。
両親や兄はギスランの名の令状を見て驚いていた。やはり優秀な人物として騎士団でも有名らしい。
「ギスラン書記官を脅したのか?」
令状を片手に兄が真剣な眼差しで聞いてきたので、首を横に振る。
「ラヴェル伯爵の演奏会の招待状がついている。行くのか?」
父上の問いかけには、首を傾けて返事を躊躇う。
やはり令状が遅すぎるのが気になる。本気なら翌日には送るべきものが、十日も過ぎて来るなんてやはり揶揄われている気がした。
それでも首を横に振らなかったのは、仕事で忙しくて御免と一言が添えられていたからだ。
「国政管理室は最近大きな仕事はありましたか?」
「ああ、そう言えば中規模崩落戦の宴が話題になっていたな。問い合わせが凄かったと聞いているが……」
兄から令状を、父から招待状を取り上げて、自室に向かう。
返事を書くなら書き出しはどうするのが一般的なのだろうか。
初めて書く手紙は、教本を丸写ししたような固い文面だった。
噂に聞くラヴェル伯爵の演奏会は素晴らしかった。
奏者が違うと音楽が変わるのかと思えるぐらい、格段に綺麗な音色に思わずうっとりする。
感嘆のため息を落とすと、私の手にギスランの手が重なった。睨むように見上げれば、少し頬を染めて嬉しそうにギスランが微笑む。その眼差しに捕らわれると、頬が熱くなって睨んだはずの眼差しが床に落ちる。
演奏の休憩に席を立てば、ギスランはきちんと手を差し出して私をエスコートした。グラスだって自分で取らせるような真似は決してしない。
喋りは相変わらずやや早口で軽いが、これ以上ないくらい女性として大事に扱ってくれる。ギスランは誰から見ても素敵な恋人になれる男性だと知ってしまう。
「怪力令嬢ってご存知ですか?」
「知ってるよ。君の通り名」
勇気を出した問いかけに、帰ってきたのは肯定で思わず肩を落とす。
知らずにこの人が恋に落ちてくれていたのならどんなに良かっただろうと思う。
「じゃあ、やっぱり揶揄って――」
ギスランが私の口を空いた手て覆う。能天気そうな顔がちょっとだけ不機嫌になるの初めて見た。
「あれは男が悪い。それに助けなかった周囲も。僕が駆けつけた時には君はバカ子息を横抱きに抱えてた。それから無言で外に放り投げた。爽快だったね!」
複雑な気分だ。
爽快と言う褒め言葉と、バカ子息だけじゃなく周囲も悪いと言ってくれた言葉に胸が温かくなる。でも、放り投げた一部始終を見られていた事実には暗澹とする。
「あれ以来、怪力令嬢って呼ばれているんです。乱暴で男だって放り投げられる女、それが私なんです」
「んー? 強いのはいいんじゃないの? 僕、国政管理室だから年中家に帰れないし、いざという時も側に居られない可能性が高いから強い女の子の方が安心。守ってあげる事を四六時中考えなきゃいけない女の子はちょっと辛いかも」
この発言は半分嬉しくて悲しい。
この人にとって私の怪力がいい条件である事が嬉しくて、コンプレックスを望まれる事に悲しくなる。
眉を寄せる私の眉間に指をあてて、鼻筋をギスランがなぞる。それに、と呟いた唇が私の頬に触れる。
「放り投げた後に、狼狽して真っ赤な顔で俯いた君はすごく可愛いかったよ。どこかに逃げ出したくて、震えそうな女の子の顔が忘れられなかった」
唇がまだ頬から離れきらないうちに告げられた言葉に、耳まで顔が赤くなる。
どんな瞳で言ってくれたのかが知りたくて、顔を僅かに横に向ける。近くにあった唇と唇が一瞬掠めるように触れ合った。突然の出来事に見合わせた互いの顔は真っ赤だ。
「ごちそうさま! 強くて可愛いのにか弱げな君が忘れられなくて、何度も思い出した。手を取ってあの日君を攫わなかった自分をバカだと悔やんだ。どうか僕に、今夜こそ君を攫わせてください」
その日、ラヴェル伯爵の演奏会を最後まで聴くことはできなかった。
ギスランの言葉の後、私は涙が止まらなくなったからだ。誰かに可愛いと言ってもらって、女の子の自分を見つけてもらう事がこんなに幸せだと思わなかった。
私とギスランの付き合いが始まった。最初に彼が言った通り彼はしょっちゅう消息不明になる。
仕事で城に泊まり込むからだ。今どんな仕事をしているのか、何故帰らないのかは殆ど教えてくれない。
公表出来る事より、秘密の方が多い。仕事が終われば伝達魔法で連絡が来て、会えば私の膝にすぐに頭を乗せる。
「エディスの膝が至高すぎる。国管の仮眠室の枕って柔らかすぎて嫌いなんだよね」
「私の膝枕は筋肉ですよ。それが至高なんて変わり者ですね」
膝の上から私を見上げてギスランが私の頬を撫でる。
愛し気な眼差しを貰うたびに、この人に見つけてもらえる女で良かったと思う。
手が私の頭を抱えて引き寄せる。
私からするような姿勢のキスが最初は嫌いだった。けど、気づけば自分から落とすことも嫌いじゃなくなっていた。
「連絡しなくても、君のところに帰って来られるようになりたいな。結婚する?」
自分が女である事も、女として望まれる幸せも全部ギスランが教えて叶えてくれる。
だから、返事は考える事無く唇から零れた。
「はい」
今まで見たどの笑顔よりも幸せそうにギスランが膝の上で笑う。
「うん。じゃあ、家を探さなきゃいけない。ああ。ご両親に挨拶がさきだっけ。うちの上司に自慢しなきゃ。そうだ、上司の家に一緒に行こう。色々、結婚祝いをねだろう。君のドレスはどうしよう。青もいいけど、深い緑もいい。結婚指輪は何がいいかな。それから――」
疲れ切っているのか、機関銃のように喋りながら突然眠りにつく事はよくある。膝の上で熟睡するギスランの髪を撫でる。
寝顔と共に丸一にを過ごすのは嫌いじゃない。プロポーズのその日は、世界で一番幸せだな気持ちでギスランの寝顔を見つめて過ごした。
剣を持てるのか心配になりそうな腕の持ち主は、私の知らない武器で戦っている。
結婚の話が出てすぐ、今まで以上に消息不明になる事が増えた。忙しそうで、会っても結婚の話は一向に進まない。
愛し気に私をみて頬を撫でるのは変わらない。膝の上で眠るのも変わらない。なのに、起きた時に悲し気な眼差しをするようになった。
同じ頃、父と兄と弟の鍛錬が急に激しくなった。
どうしたのかと問えば、晴れやかな笑顔で強くなりたいという。この国の空気が私の知らない所で変化しているのは肌に感じていて、その変化の中心に私の恋人がいる事は容易に想像できた。
ギスランとは、一つの季節の間会う事が出来なかった。久しぶりに会ったのは、膝枕ができる部屋ではなくて季節の花を咲かせる庭園だった。
「久しぶり。元気だった?」
「はい。痩せましたね。お菓子以外のものも食べましたか?」
仕事中はお菓子ばかり食べると聞いている。
一度、三日ぐらい行方不明だった間の食事をきいたら、絶え間なくお菓子を食べていた。結婚したら、食事の管理だけはしっかりしてあげたいと真剣に思う。
「うん。一応食べたかな。エディス、結婚の話は白紙に戻そう?」
いつも通り。何でもないお喋りの様にギスランが言う。
その言葉に原因を探すけれど、思いつくものはなかった。
目覚めた後、ギスランが悲し気に私を見るようになった事が理由なら、その原因は何だったのか。
この国の空気が変わった事と、関りがあるの気はする。だけど、私には答えが見つからない。
「あのさ。仕事が忙しいんだよね。結婚の準備もしている暇がない。いつまでかかるか分からないぐらい忙しい。僕は仕事が好きなんだ。僕らがいなくちゃ出来ない事がある。責任は重いけど、仕事を誇りに思ってる。君を……いや、君じゃなくて僕は仕事を選びたいと思ってる」
季節の花の色が白黒にになった。暗い世界で、今日は一度もギスランが私の手を取ってくれていない事に気づく。
「貴方が忙しいのはもう慣れました。結婚だって急ぎません。今まで通りでいいじゃないですか?」
仕事なら待っていられる。これまでだってずっと待ってきた。
私の膝の上に帰ってくることが分かっていたら、どんなに長くたって待てる自信がある。
「いやいや。僕待ってたら君は次の結婚が出来なくなるよ? いくつになる? 結婚には時期があるでしょ? 現実は若い方が良いんだ。今の可愛いうちに結婚した方が良い。あぁ! 嫌になる! ……僕だって花嫁は若い方が良いからさ! 僕を待たないで欲しい!」
思わずギスランの頬を平手で打った。私より軽いんじゃないかと思う男は、勢いよく尻もちをつく。
「酷い……。若くない花嫁の私が嫌? そんな理由なの? ギスランだけは私をちゃんと見てくれるって思ってた」
頭の中が滅茶苦茶になった。一番言われたくない事をいって、心を搔き乱す。彼だけは違うと思っていたから、余計に胸が引き裂かれる。
「……うん。だから早く僕以外の男と結婚しなよ。君は最近可愛いって評判がいいんだよ。今ならすぐに他に男が見つかる。何日も帰らない男より、毎日家に帰ってくる男を見つけてよ。きっと君を側で守ってくれる男がいい。一生側にいて、一生守れる男を君に勧めるよ」
いざとなったら自分の身ぐらい自分で守る。そんな強さがいいと言ったのはギスランだ。その言葉が口に出せなかったのは、嗚咽を漏らさない様に唇を噛み締めた所為だ。
「さよなら、エディス。結婚式には呼んでよ。君が幸せになる顔も、君を幸せにする男も見たい」
ギスランを抱き上げて歩くと、近くの噴水に投げ込む。
何人かの貴族がその光景を見て息をのむ。また、消えかけた「怪力令嬢」の名前が復活するだろう。
それでいいと思った。今更、誰かを好きなれる訳がないから。
私を幸せにしてくれるのが貴方じゃない事に、私の幸せが見つかるとは思えなかった。
「来たければ招待状を偽造してきたらいいわ」
私には可愛げがない。何故、この時に好きだともう一度言えなかったのだろう。
噴水に投げずに、抱きしめて離さなければ良かったのに。
泣きながら庭園を駆け抜ける。私を追う足音はしなかった。
家族に勧められて再び舞踏会を主催した。「怪力令嬢」の噂は復活したけれど、今日は壁の花になる事はなかった。
以前と違って、ちゃんと男性から誘われる。でも、どんなに甘い言葉と女性としての扱いを受けても、心が動かされることはない。
疲れて人気のない壁際でグラスを傾ければ、隣に立った人影に期待して慌てて顔を向ける。
二人組の貴族の男性の姿が、やっぱりギスランじゃない事に肩を落とす。
つまらない事で、まだ好き過ぎる自分を自覚する。このままでは、忘れるだけで一生を逃しそうだった。
「聞いたか? 国政管理室の書記官のギスランの噂を……」
突然、大切な人の名前が出てきて、目を瞬いて隣の話に耳を傾ける。さっき見た貴族の二人は線が細かったからギスランと同じ文官なのだろう。
「室長とその書記官のギスラン・カノヴァスはヴァイツに行くんだよね!」
「おいおい! それは国家機密だよ! 知られたら大変だ!」
「そうでしたね、先輩! 絶対口外禁止です! でも、ギスラン書記官は阿保ですねー」
よくしゃべる文官だ。機関銃の様によくしゃべる話し方に、ほんの少しギスランを思い出して笑みが零れる。
「そうそう。アホだねー。可愛い彼女がいたらしいんだけど、結婚白紙だって!」
その言葉に心臓がぎゅっと掴まれる様に痛くなる。耳を塞いでその場を離れようと思うのに、大切な人の事が知りたくて足が動かない。
「好きだったのに諦めるなんてアホだね!」
「室……、アングラード侯爵とギスランは調停に行く! 凄く状況は良くなくて、少数だから交渉の流れ次第で命の危険もある! こんなことが噂になったら大変だ! 誰にも言えませんよねー。ちょっ、僕らも首が飛びそうですね!」
命の危険と聞いた瞬間に体の芯から熱が逃げていく、指先が震えて眩暈がしそうだった。
「――バカ、ぐらいしかできないだろ。……そうだな! 結婚して未亡人にするのが可哀そうとか、ギスランの女に関しての意外なメンタルの弱さが発覚したな!」
「それは仕方ないですよ! ほら、ウ……国政管理室色々そうゆう陳情に政策を出すから、厳しい現状を考えれば通常通りの頭の回転です。むしろ、自分の仕事は守りたい時に、恋人を守れないとか言い出した事にビックリです! キャラじゃないですよ! 気持ち悪いです!」
「お前、言うようになったなー。まぁ、命の危険があるのが堪えてるんだろ。性格が悪かろうが、頭が切れるようが命は一つだ。命がけで守りたい人がいれば、今は引く事も進む事も苦しい時だ。さぁ、帰るぞ。新人」
何の為に現れてのか分からない文官たちの、立ち去る背を追いかける。綺麗な身なりなのに少しだけ手を抜いた雰囲気、やや目の下にクマが出来てる疲れた顔。同じ雰囲気の人を私は良く見て知っていた。
「あの、今の話は――」
「国家秘密ですお嬢さん! 知れたら僕らの首が飛びます! それに、同僚からどんな嫌がらせを受けるか分かりません! 内密にね!」
「誰にも言いません! だから教えてください。ギスランはまだこの国にいますか? どこかで会える機会はないでしょうか?」
二人の文官が嬉しそうに顔を見合わせる。それから、情報の黙秘と交換条件である小さな庭園の場所と日付を指定してくれた。
お城の近くの小さな庭園はとても静かだった。ここにはギスランが仕事の息抜きに来ることがあるらしい。指定された日の朝から小さなベンチに座って、通り過ぎる人を見つめる。
私は可愛げがない。
どうして、あの日もっと素直に嫌だと言わなかったのだろう。
愛しているという言葉も、好きという言葉も、伝えなければ届かない。
どうして、噴水に投げ込んだのだろう。
その胸に縋って待っていると伝えたらギスランの答えは変わっていたかもしれないのに。
でも、私の恋人も変わり者だ。待っててと言ってくれたら良かったのだ。
勝手な事を言う自分に頭を振る。
ギスランは私に優しい。あの人の目に映る私は「震える女の子」だった。守ろうとしてくれただけ。
「そうだったんだ……」
漸く気付く。私が「可愛げがない」のは、いつも期待して待つばかりだからだ。
「エディエス」
名前を呼ばれれて顔を上げれば、ギスランが必死な顔で私に向かって走ってくる。
どこか余裕のある彼の、そんな顔を見るのは初めてだった。
今日で私は「可愛げのない」自分をやめる。
その顔に向かって泣きながら微笑んで走り出す。
私から貴方へ、
胸を張って私は「怪力令嬢」だから一人で待てると思い出して貰おう。
そして、心配せずに優しい仲間と、誇れる仕事の為に戦っていいと教えてあげよう。
貴方が戻るまでいつまでも愛していると、私から貴方にキスをしよう。
それから、王位の話が入りませんでした。すみません。
次回、アレックス王子がちゃんとノエルに説明します。続きなので確約です。
なんとか三連休中に更新したいなぁと思ってます。。
< 小さな設定 >
今回、アレックス王子がバルコニーにいたのは、もちろんノエルを待っていたからです。
突然、ギスランを掴んで話し出したのにはきっと驚いたでしょう。
< 小話 >
私は可愛げがない。恋人は変わり者だ。
彼と会ったのは我が家が主催した舞踏会の会場だった。
我が家が主催しているから、目的は適齢期を過ぎた私の伴侶を探す為だ。なのに、私は壁の花と化していた。
「踊らないの?」
私の隣に影が差して見上げると、人懐っこい笑顔を浮かべた男が並んだ。勝手に私のグラスに自分のグラスを合わせて音を響かせる。
「さぁ? 踊るのは一人ではできませんから」
気のない返事を返してから、自分の態度を反省する。
私が壁の花になっている理由は噂の所為だけど、チャンスを逃すのは可愛げが欠けている所為だ。
武門の家柄の中でも壁と呼ばれる守りの専門家は、鉄の盾を持って前線を死守する要。父も兄も弟も毎朝鍛錬は欠かさない。その鍛錬に一緒に参加してきた私には、男の人よりもずっと力がある。
でも、長そでを着たりして筋肉を隠して、外では力があるのはずっと隠してた。
発端は一年前の舞踏会。綺麗で可愛い友人を無理矢理連れ出そうとしたバカ子息がいた。何度も止めたのに友達から手を離さないバカ子息に頭にきて、バルコニーから噴水に放り投げてしまった。
以来、アントナー伯爵令嬢エディスという本名は忘れられ、「怪力令嬢」の名が社交界で有名になり、誘う男が消えた。
「じゃあ、僕と一緒に踊って頂けませんか? ギスラン・カノヴァスと申します」
跪いて手を差し出しながら、平気でグラスを煽る優男は見た目より不遜だ。勝手に私の手をとって口づける。
口づけた私の手を乗せるギスランの指は、私よりも細くて綺麗だ。立ち上がるとその手が私の腰を抱いて、返事も聞かずにさっさとダンスの中心に歩き出す。
文句を言おうと思ったけど、何とか踏みとどまる。
「文官の方ですか?」
「そう? わかる? 知性的?」
「私より細いので」
悔やむ前に言葉を止める努力が私には足りない。分かりやすすぎる程がっかり肩を落として、ギスランがホールの中央で一礼する。
同時に数名の紳士が私たちの周りから離れていく。
「怪力令嬢」だからいっても、ダンスをしながら彼らを弾き飛ばす真似はしない。心の中で私を見て逃げたと思われる男たちに少し憤る。
「細い男は嫌い? 頭は良いよ。国政管理室で、一応書記官やってます」
国政管理室と言えば、中央のエリートだ。その書記官と言えば若手のトップともいえる。
その顔をまじまじと見つめる。華やかさはないけれど、人好きする笑顔はモテないようには見えない。
「ちょ! そんな見つめないで―。僕、恥ずかしくなっちゃう」
「はあ?」
軽いこの喋りが鬱陶しくて、女に困っているのかもしれない。
跳ねるようなステップは少し騒々しい感じはするが、丁寧で器用さを感じさせる。
こんな人が「怪力令嬢」をあえて選ぶとは思えない。選んだとしたら私の武勇伝について確認したいのか、「怪力令嬢」と踊ったと言う武勲を手にしたいのか。
そんな結論に至ると、やはり顔は自然と不機嫌になった。
「あれ? 僕のダンスは下手かな? 上手い方だと自負はあるんだけどなー。 笑ってくれないのは寂しい。笑ってよ? できればウットリして欲しいんだけど?」
「国政管理室のエリートに揶揄われるのは不快です」
怪訝な顔をしてギスランが腕を上げるから、思いっきり回って吹き飛ばされてしまえと心で思う。
「おう! キレがいいね! かっこいいい!」
「揶揄わないで。貴方もバルコニーから投げ飛ばされたい?」
「嫌だよ。僕、悪いことしてないし。あ、嘘。悪い事はしてるな。今日、若い子に盗聴けしかけたしなぁ。あと、文章偽造もしたなぁ。でも、君に対してはぎりぎり何もしてないよ」
笑って首を傾げる男には、私を揶揄っているという認識はないらしい。
「私を誘った事です」
「何で?」
「私を誘って揶揄っているのでしょう? 貴方と接点はないし、周りの令嬢と違って私は背も高いし、体も筋肉質だし、一回りは大きいわ。さっきだって私がダンスホールに立ったら男の人が逃げた」
その言葉に男が困ったような表情を見せる。
「あれは君じゃなくて、僕を避けたんだと思うよ。仕事で見知った顔だったし」
「でも、貴方みたいな方に好んで誘われる女ではないです」
男が目を瞬いて困ったような顔が、突然楽しそうに輝きだす。
「もしかして、君はあまり男に誘われないの? 恋人はいない?」
そういう事は面と向かって聞くべきではない。
腹が立ってその手を振り払おうとしたら、タイミングよく再び腕を上げられて思わず回転する。戻った腰を抱き寄せて男が満足そうに頷く。
「だったら、幸運。僕は君に興味があって、君と踊る為に招待状を偽造してまでここにやって来ました。その熱意にほだされて、良ければお付き合いしませんか?」
これが、私と恋人の出会いだった。変った人。それが最初の印象で変わらぬ恋人の印象だ。
舞踏会の後に、彼から礼状が来たのは十日たってからだった。
はっきり言って、交際を申し込んだ男としてはかなり遅い。そもそも、偽造した招待状でやってきた男が礼状を出すのもおかしな話だ。
両親や兄はギスランの名の令状を見て驚いていた。やはり優秀な人物として騎士団でも有名らしい。
「ギスラン書記官を脅したのか?」
令状を片手に兄が真剣な眼差しで聞いてきたので、首を横に振る。
「ラヴェル伯爵の演奏会の招待状がついている。行くのか?」
父上の問いかけには、首を傾けて返事を躊躇う。
やはり令状が遅すぎるのが気になる。本気なら翌日には送るべきものが、十日も過ぎて来るなんてやはり揶揄われている気がした。
それでも首を横に振らなかったのは、仕事で忙しくて御免と一言が添えられていたからだ。
「国政管理室は最近大きな仕事はありましたか?」
「ああ、そう言えば中規模崩落戦の宴が話題になっていたな。問い合わせが凄かったと聞いているが……」
兄から令状を、父から招待状を取り上げて、自室に向かう。
返事を書くなら書き出しはどうするのが一般的なのだろうか。
初めて書く手紙は、教本を丸写ししたような固い文面だった。
噂に聞くラヴェル伯爵の演奏会は素晴らしかった。
奏者が違うと音楽が変わるのかと思えるぐらい、格段に綺麗な音色に思わずうっとりする。
感嘆のため息を落とすと、私の手にギスランの手が重なった。睨むように見上げれば、少し頬を染めて嬉しそうにギスランが微笑む。その眼差しに捕らわれると、頬が熱くなって睨んだはずの眼差しが床に落ちる。
演奏の休憩に席を立てば、ギスランはきちんと手を差し出して私をエスコートした。グラスだって自分で取らせるような真似は決してしない。
喋りは相変わらずやや早口で軽いが、これ以上ないくらい女性として大事に扱ってくれる。ギスランは誰から見ても素敵な恋人になれる男性だと知ってしまう。
「怪力令嬢ってご存知ですか?」
「知ってるよ。君の通り名」
勇気を出した問いかけに、帰ってきたのは肯定で思わず肩を落とす。
知らずにこの人が恋に落ちてくれていたのならどんなに良かっただろうと思う。
「じゃあ、やっぱり揶揄って――」
ギスランが私の口を空いた手て覆う。能天気そうな顔がちょっとだけ不機嫌になるの初めて見た。
「あれは男が悪い。それに助けなかった周囲も。僕が駆けつけた時には君はバカ子息を横抱きに抱えてた。それから無言で外に放り投げた。爽快だったね!」
複雑な気分だ。
爽快と言う褒め言葉と、バカ子息だけじゃなく周囲も悪いと言ってくれた言葉に胸が温かくなる。でも、放り投げた一部始終を見られていた事実には暗澹とする。
「あれ以来、怪力令嬢って呼ばれているんです。乱暴で男だって放り投げられる女、それが私なんです」
「んー? 強いのはいいんじゃないの? 僕、国政管理室だから年中家に帰れないし、いざという時も側に居られない可能性が高いから強い女の子の方が安心。守ってあげる事を四六時中考えなきゃいけない女の子はちょっと辛いかも」
この発言は半分嬉しくて悲しい。
この人にとって私の怪力がいい条件である事が嬉しくて、コンプレックスを望まれる事に悲しくなる。
眉を寄せる私の眉間に指をあてて、鼻筋をギスランがなぞる。それに、と呟いた唇が私の頬に触れる。
「放り投げた後に、狼狽して真っ赤な顔で俯いた君はすごく可愛いかったよ。どこかに逃げ出したくて、震えそうな女の子の顔が忘れられなかった」
唇がまだ頬から離れきらないうちに告げられた言葉に、耳まで顔が赤くなる。
どんな瞳で言ってくれたのかが知りたくて、顔を僅かに横に向ける。近くにあった唇と唇が一瞬掠めるように触れ合った。突然の出来事に見合わせた互いの顔は真っ赤だ。
「ごちそうさま! 強くて可愛いのにか弱げな君が忘れられなくて、何度も思い出した。手を取ってあの日君を攫わなかった自分をバカだと悔やんだ。どうか僕に、今夜こそ君を攫わせてください」
その日、ラヴェル伯爵の演奏会を最後まで聴くことはできなかった。
ギスランの言葉の後、私は涙が止まらなくなったからだ。誰かに可愛いと言ってもらって、女の子の自分を見つけてもらう事がこんなに幸せだと思わなかった。
私とギスランの付き合いが始まった。最初に彼が言った通り彼はしょっちゅう消息不明になる。
仕事で城に泊まり込むからだ。今どんな仕事をしているのか、何故帰らないのかは殆ど教えてくれない。
公表出来る事より、秘密の方が多い。仕事が終われば伝達魔法で連絡が来て、会えば私の膝にすぐに頭を乗せる。
「エディスの膝が至高すぎる。国管の仮眠室の枕って柔らかすぎて嫌いなんだよね」
「私の膝枕は筋肉ですよ。それが至高なんて変わり者ですね」
膝の上から私を見上げてギスランが私の頬を撫でる。
愛し気な眼差しを貰うたびに、この人に見つけてもらえる女で良かったと思う。
手が私の頭を抱えて引き寄せる。
私からするような姿勢のキスが最初は嫌いだった。けど、気づけば自分から落とすことも嫌いじゃなくなっていた。
「連絡しなくても、君のところに帰って来られるようになりたいな。結婚する?」
自分が女である事も、女として望まれる幸せも全部ギスランが教えて叶えてくれる。
だから、返事は考える事無く唇から零れた。
「はい」
今まで見たどの笑顔よりも幸せそうにギスランが膝の上で笑う。
「うん。じゃあ、家を探さなきゃいけない。ああ。ご両親に挨拶がさきだっけ。うちの上司に自慢しなきゃ。そうだ、上司の家に一緒に行こう。色々、結婚祝いをねだろう。君のドレスはどうしよう。青もいいけど、深い緑もいい。結婚指輪は何がいいかな。それから――」
疲れ切っているのか、機関銃のように喋りながら突然眠りにつく事はよくある。膝の上で熟睡するギスランの髪を撫でる。
寝顔と共に丸一にを過ごすのは嫌いじゃない。プロポーズのその日は、世界で一番幸せだな気持ちでギスランの寝顔を見つめて過ごした。
剣を持てるのか心配になりそうな腕の持ち主は、私の知らない武器で戦っている。
結婚の話が出てすぐ、今まで以上に消息不明になる事が増えた。忙しそうで、会っても結婚の話は一向に進まない。
愛し気に私をみて頬を撫でるのは変わらない。膝の上で眠るのも変わらない。なのに、起きた時に悲し気な眼差しをするようになった。
同じ頃、父と兄と弟の鍛錬が急に激しくなった。
どうしたのかと問えば、晴れやかな笑顔で強くなりたいという。この国の空気が私の知らない所で変化しているのは肌に感じていて、その変化の中心に私の恋人がいる事は容易に想像できた。
ギスランとは、一つの季節の間会う事が出来なかった。久しぶりに会ったのは、膝枕ができる部屋ではなくて季節の花を咲かせる庭園だった。
「久しぶり。元気だった?」
「はい。痩せましたね。お菓子以外のものも食べましたか?」
仕事中はお菓子ばかり食べると聞いている。
一度、三日ぐらい行方不明だった間の食事をきいたら、絶え間なくお菓子を食べていた。結婚したら、食事の管理だけはしっかりしてあげたいと真剣に思う。
「うん。一応食べたかな。エディス、結婚の話は白紙に戻そう?」
いつも通り。何でもないお喋りの様にギスランが言う。
その言葉に原因を探すけれど、思いつくものはなかった。
目覚めた後、ギスランが悲し気に私を見るようになった事が理由なら、その原因は何だったのか。
この国の空気が変わった事と、関りがあるの気はする。だけど、私には答えが見つからない。
「あのさ。仕事が忙しいんだよね。結婚の準備もしている暇がない。いつまでかかるか分からないぐらい忙しい。僕は仕事が好きなんだ。僕らがいなくちゃ出来ない事がある。責任は重いけど、仕事を誇りに思ってる。君を……いや、君じゃなくて僕は仕事を選びたいと思ってる」
季節の花の色が白黒にになった。暗い世界で、今日は一度もギスランが私の手を取ってくれていない事に気づく。
「貴方が忙しいのはもう慣れました。結婚だって急ぎません。今まで通りでいいじゃないですか?」
仕事なら待っていられる。これまでだってずっと待ってきた。
私の膝の上に帰ってくることが分かっていたら、どんなに長くたって待てる自信がある。
「いやいや。僕待ってたら君は次の結婚が出来なくなるよ? いくつになる? 結婚には時期があるでしょ? 現実は若い方が良いんだ。今の可愛いうちに結婚した方が良い。あぁ! 嫌になる! ……僕だって花嫁は若い方が良いからさ! 僕を待たないで欲しい!」
思わずギスランの頬を平手で打った。私より軽いんじゃないかと思う男は、勢いよく尻もちをつく。
「酷い……。若くない花嫁の私が嫌? そんな理由なの? ギスランだけは私をちゃんと見てくれるって思ってた」
頭の中が滅茶苦茶になった。一番言われたくない事をいって、心を搔き乱す。彼だけは違うと思っていたから、余計に胸が引き裂かれる。
「……うん。だから早く僕以外の男と結婚しなよ。君は最近可愛いって評判がいいんだよ。今ならすぐに他に男が見つかる。何日も帰らない男より、毎日家に帰ってくる男を見つけてよ。きっと君を側で守ってくれる男がいい。一生側にいて、一生守れる男を君に勧めるよ」
いざとなったら自分の身ぐらい自分で守る。そんな強さがいいと言ったのはギスランだ。その言葉が口に出せなかったのは、嗚咽を漏らさない様に唇を噛み締めた所為だ。
「さよなら、エディス。結婚式には呼んでよ。君が幸せになる顔も、君を幸せにする男も見たい」
ギスランを抱き上げて歩くと、近くの噴水に投げ込む。
何人かの貴族がその光景を見て息をのむ。また、消えかけた「怪力令嬢」の名前が復活するだろう。
それでいいと思った。今更、誰かを好きなれる訳がないから。
私を幸せにしてくれるのが貴方じゃない事に、私の幸せが見つかるとは思えなかった。
「来たければ招待状を偽造してきたらいいわ」
私には可愛げがない。何故、この時に好きだともう一度言えなかったのだろう。
噴水に投げずに、抱きしめて離さなければ良かったのに。
泣きながら庭園を駆け抜ける。私を追う足音はしなかった。
家族に勧められて再び舞踏会を主催した。「怪力令嬢」の噂は復活したけれど、今日は壁の花になる事はなかった。
以前と違って、ちゃんと男性から誘われる。でも、どんなに甘い言葉と女性としての扱いを受けても、心が動かされることはない。
疲れて人気のない壁際でグラスを傾ければ、隣に立った人影に期待して慌てて顔を向ける。
二人組の貴族の男性の姿が、やっぱりギスランじゃない事に肩を落とす。
つまらない事で、まだ好き過ぎる自分を自覚する。このままでは、忘れるだけで一生を逃しそうだった。
「聞いたか? 国政管理室の書記官のギスランの噂を……」
突然、大切な人の名前が出てきて、目を瞬いて隣の話に耳を傾ける。さっき見た貴族の二人は線が細かったからギスランと同じ文官なのだろう。
「室長とその書記官のギスラン・カノヴァスはヴァイツに行くんだよね!」
「おいおい! それは国家機密だよ! 知られたら大変だ!」
「そうでしたね、先輩! 絶対口外禁止です! でも、ギスラン書記官は阿保ですねー」
よくしゃべる文官だ。機関銃の様によくしゃべる話し方に、ほんの少しギスランを思い出して笑みが零れる。
「そうそう。アホだねー。可愛い彼女がいたらしいんだけど、結婚白紙だって!」
その言葉に心臓がぎゅっと掴まれる様に痛くなる。耳を塞いでその場を離れようと思うのに、大切な人の事が知りたくて足が動かない。
「好きだったのに諦めるなんてアホだね!」
「室……、アングラード侯爵とギスランは調停に行く! 凄く状況は良くなくて、少数だから交渉の流れ次第で命の危険もある! こんなことが噂になったら大変だ! 誰にも言えませんよねー。ちょっ、僕らも首が飛びそうですね!」
命の危険と聞いた瞬間に体の芯から熱が逃げていく、指先が震えて眩暈がしそうだった。
「――バカ、ぐらいしかできないだろ。……そうだな! 結婚して未亡人にするのが可哀そうとか、ギスランの女に関しての意外なメンタルの弱さが発覚したな!」
「それは仕方ないですよ! ほら、ウ……国政管理室色々そうゆう陳情に政策を出すから、厳しい現状を考えれば通常通りの頭の回転です。むしろ、自分の仕事は守りたい時に、恋人を守れないとか言い出した事にビックリです! キャラじゃないですよ! 気持ち悪いです!」
「お前、言うようになったなー。まぁ、命の危険があるのが堪えてるんだろ。性格が悪かろうが、頭が切れるようが命は一つだ。命がけで守りたい人がいれば、今は引く事も進む事も苦しい時だ。さぁ、帰るぞ。新人」
何の為に現れてのか分からない文官たちの、立ち去る背を追いかける。綺麗な身なりなのに少しだけ手を抜いた雰囲気、やや目の下にクマが出来てる疲れた顔。同じ雰囲気の人を私は良く見て知っていた。
「あの、今の話は――」
「国家秘密ですお嬢さん! 知れたら僕らの首が飛びます! それに、同僚からどんな嫌がらせを受けるか分かりません! 内密にね!」
「誰にも言いません! だから教えてください。ギスランはまだこの国にいますか? どこかで会える機会はないでしょうか?」
二人の文官が嬉しそうに顔を見合わせる。それから、情報の黙秘と交換条件である小さな庭園の場所と日付を指定してくれた。
お城の近くの小さな庭園はとても静かだった。ここにはギスランが仕事の息抜きに来ることがあるらしい。指定された日の朝から小さなベンチに座って、通り過ぎる人を見つめる。
私は可愛げがない。
どうして、あの日もっと素直に嫌だと言わなかったのだろう。
愛しているという言葉も、好きという言葉も、伝えなければ届かない。
どうして、噴水に投げ込んだのだろう。
その胸に縋って待っていると伝えたらギスランの答えは変わっていたかもしれないのに。
でも、私の恋人も変わり者だ。待っててと言ってくれたら良かったのだ。
勝手な事を言う自分に頭を振る。
ギスランは私に優しい。あの人の目に映る私は「震える女の子」だった。守ろうとしてくれただけ。
「そうだったんだ……」
漸く気付く。私が「可愛げがない」のは、いつも期待して待つばかりだからだ。
「エディエス」
名前を呼ばれれて顔を上げれば、ギスランが必死な顔で私に向かって走ってくる。
どこか余裕のある彼の、そんな顔を見るのは初めてだった。
今日で私は「可愛げのない」自分をやめる。
その顔に向かって泣きながら微笑んで走り出す。
私から貴方へ、
胸を張って私は「怪力令嬢」だから一人で待てると思い出して貰おう。
そして、心配せずに優しい仲間と、誇れる仕事の為に戦っていいと教えてあげよう。
貴方が戻るまでいつまでも愛していると、私から貴方にキスをしよう。
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