ツミビトタチノアシタ

板倉恭司

文字の大きさ
26 / 54

天使の心 春樹

しおりを挟む
 真幌市の外れにある、小さなアパートの一室。
 表札には『ラエムの教え 真幌支部』と書かれている。どうやら、新興宗教の事務所兼集会所として使われているらしい。
 上田春樹は、その部屋にいた。神妙な表情を作り、申し訳なさそうにリビングにて座っていた。もっとも、内心では己の幸運に感謝しつつ次の手を考えている。



 昨日、よりによって襲撃犯と出くわしてしまった。その挙げ句、追いかけられたのだ。春樹は必死で逃げた。久しぶりに、全力で走った。走りつつ振り返ると、誰も追いかけて来ていなかった。この男、昔から逃げ足だけは早い。
 春樹はほっとして、その場にしゃがみこむ。だが、直後に強烈な腹痛が彼を襲う。久しぶりの全力疾走は、運動不足の体にはきつすぎたのだ。
 耐えられなくなり、恥も外聞もなく道ばたでうずくまる。かろうじて堪えてはいるが、今にも吐きそうだ。

「大丈夫ですか?」

 女の声が聞こえた。春樹が見上げると、中年の女が心配そうな顔でこちらを見ている。五十代から六十代か。身なりからすると、金持ちではなさそうだ。しかし、その瞳には妙な輝きがあった。年齢にそぐわない、やたらと澄みきった瞳の持ち主である。異様なものを感じたが、背に腹は変えられなかった。

「実は……」

 中年女は、春樹のデタラメ話を信じこんでしまったらしい。

「まあ、それはそれはお気の毒に。オヤジ狩り、ですか」

「は、はい。いきなり少年たちが襲いかかって来まして……僕は抵抗も出来ず、さんざん殴られました」、
 ここで春樹は頭を抱え、震え出す。

「ぼ、僕は怖いんです。こうやって道を歩いていると、また彼らが襲いかかって来るんじゃないか……うわあ! やめてくれ!」

 叫びながら、春樹は再びうずくまった。もちろん、全て演技である。とにかく今は、何処かに潜り込まなくてはならない。屋根と壁のある場所に……そのためには、手段を選んでいられない。
 中年女は、じっと春樹を見ていた。
 やがて、意を決したような表情で口を開く。

「わかりました。この近くに、私たちの集会所があります。今夜一晩くらいなら構わないでしょう」



 翌日。
 一晩……と言われたにもかかわらず、春樹は未だに集会所にいた。今後、どう動くかについて考えていたのだ。
 まずは、桑原徳馬についてだ。桑原は、春樹のカードや免許証などを全て押さえている。そのため、自宅の住所は知られているだろう。となると、自宅には帰れない。銀行の金も、奴らが残らず引き出しているのではないか。
 完全に八方ふさがりである。残された手段は警察に駆け込み、洗いざらいぶちまける。あるいは、田舎の実家に転がりこむ。
 しかし、その両方とも不可能だった。警察に駆け込んだところで、誰が信じるだろうか。しかも、春樹は叩けば埃の出る体なのである。警察に訴えれば、自分も確実にダメージを受ける。
 そして実家の両親からは、既に縁を切られているのだ。もし、おめおめと実家に顔を出したりしたらどうなるか……容易に想像はつく。
 ならば、このピンチを凌ぐには?
 その時、ドアが開く音がした。次いで、誰かが入ってくる音。

「上田さん、お加減は……大丈夫ですか?」

 入って来たのは、若いスーツ姿の男だった。しかし、目の前で春樹が頭を押さえてうずくまっている。その姿を見て、目を丸くしながら駆け寄る。

「すみません。急に人が接近してくると、気分が悪くなるんです」

「そうですか。PTSDの症状かもしれないですね。お気の毒に。実は今、支部長と連絡を取りまして……あなたのことを伝えたところ、しばらく居てもらって構わないとのことです」

「ほ、本当ですか……」

「はい。困っている方に手をさしのべるのも、我々の務めです。この部屋で良ければ、今夜も泊まっていってください」

「あ、ありがとうございます。本当に、感謝します……」

 春樹はほっとした。実にありがたい話だ。これで、数日はどうにかなる。しばらくここに潜伏し、作戦を練るとしよう。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

汚部屋女神に無茶振りされたアラサー清掃員、チートな浄化スキルで魔境ダンジョンを快適ソロライフ聖域に変えます!

虹湖🌈
ファンタジー
女神様、さては…汚部屋の住人ですね? もう足の踏み場がありませーん>< 面倒な人間関係はゼロ! 掃除で稼いで推し活に生きる! そんな快適ソロライフを夢見るオタク清掃員が、ダメ女神に振り回されながらも、世界一汚いダンジョンを自分だけの楽園に作り変えていく、異世界お掃除ファンタジー。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
【3月中ーー完結!!】 私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 二十年の裏切りの果て、その事実だけを抱え、離縁状を置いて家を出た。 そこで待っていたのは、凍てつく絶望――。 けれど同時に、それは残酷な運命の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と縋られても、 死の淵を彷徨った私には、裏切ったあなたを許す力など残っていない。 「でも、子供たちの心だけは、 必ず取り戻す」 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔い、歪な愛でもいいと手を伸ばした彼女が辿り着いた先。 それは、「歪で、完全な幸福」か、それとも――。 これは、"石"に翻弄された者たちの、狂おしい物語。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

公爵令嬢は結婚式当日に死んだ

白雲八鈴
恋愛
 今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。 「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」  突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。 婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。  そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。  その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……  生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。  婚約者とその番という女性に 『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』 そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。 *タグ注意 *不快であれば閉じてください。

処理中です...