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天使の心 春樹
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真幌市の外れにある、小さなアパートの一室。
表札には『ラエムの教え 真幌支部』と書かれている。どうやら、新興宗教の事務所兼集会所として使われているらしい。
上田春樹は、その部屋にいた。神妙な表情を作り、申し訳なさそうにリビングにて座っていた。もっとも、内心では己の幸運に感謝しつつ次の手を考えている。
昨日、よりによって襲撃犯と出くわしてしまった。その挙げ句、追いかけられたのだ。春樹は必死で逃げた。久しぶりに、全力で走った。走りつつ振り返ると、誰も追いかけて来ていなかった。この男、昔から逃げ足だけは早い。
春樹はほっとして、その場にしゃがみこむ。だが、直後に強烈な腹痛が彼を襲う。久しぶりの全力疾走は、運動不足の体にはきつすぎたのだ。
耐えられなくなり、恥も外聞もなく道ばたでうずくまる。かろうじて堪えてはいるが、今にも吐きそうだ。
「大丈夫ですか?」
女の声が聞こえた。春樹が見上げると、中年の女が心配そうな顔でこちらを見ている。五十代から六十代か。身なりからすると、金持ちではなさそうだ。しかし、その瞳には妙な輝きがあった。年齢にそぐわない、やたらと澄みきった瞳の持ち主である。異様なものを感じたが、背に腹は変えられなかった。
「実は……」
中年女は、春樹のデタラメ話を信じこんでしまったらしい。
「まあ、それはそれはお気の毒に。オヤジ狩り、ですか」
「は、はい。いきなり少年たちが襲いかかって来まして……僕は抵抗も出来ず、さんざん殴られました」、
ここで春樹は頭を抱え、震え出す。
「ぼ、僕は怖いんです。こうやって道を歩いていると、また彼らが襲いかかって来るんじゃないか……うわあ! やめてくれ!」
叫びながら、春樹は再びうずくまった。もちろん、全て演技である。とにかく今は、何処かに潜り込まなくてはならない。屋根と壁のある場所に……そのためには、手段を選んでいられない。
中年女は、じっと春樹を見ていた。
やがて、意を決したような表情で口を開く。
「わかりました。この近くに、私たちの集会所があります。今夜一晩くらいなら構わないでしょう」
翌日。
一晩……と言われたにもかかわらず、春樹は未だに集会所にいた。今後、どう動くかについて考えていたのだ。
まずは、桑原徳馬についてだ。桑原は、春樹のカードや免許証などを全て押さえている。そのため、自宅の住所は知られているだろう。となると、自宅には帰れない。銀行の金も、奴らが残らず引き出しているのではないか。
完全に八方ふさがりである。残された手段は警察に駆け込み、洗いざらいぶちまける。あるいは、田舎の実家に転がりこむ。
しかし、その両方とも不可能だった。警察に駆け込んだところで、誰が信じるだろうか。しかも、春樹は叩けば埃の出る体なのである。警察に訴えれば、自分も確実にダメージを受ける。
そして実家の両親からは、既に縁を切られているのだ。もし、おめおめと実家に顔を出したりしたらどうなるか……容易に想像はつく。
ならば、このピンチを凌ぐには?
その時、ドアが開く音がした。次いで、誰かが入ってくる音。
「上田さん、お加減は……大丈夫ですか?」
入って来たのは、若いスーツ姿の男だった。しかし、目の前で春樹が頭を押さえてうずくまっている。その姿を見て、目を丸くしながら駆け寄る。
「すみません。急に人が接近してくると、気分が悪くなるんです」
「そうですか。PTSDの症状かもしれないですね。お気の毒に。実は今、支部長と連絡を取りまして……あなたのことを伝えたところ、しばらく居てもらって構わないとのことです」
「ほ、本当ですか……」
「はい。困っている方に手をさしのべるのも、我々の務めです。この部屋で良ければ、今夜も泊まっていってください」
「あ、ありがとうございます。本当に、感謝します……」
春樹はほっとした。実にありがたい話だ。これで、数日はどうにかなる。しばらくここに潜伏し、作戦を練るとしよう。
表札には『ラエムの教え 真幌支部』と書かれている。どうやら、新興宗教の事務所兼集会所として使われているらしい。
上田春樹は、その部屋にいた。神妙な表情を作り、申し訳なさそうにリビングにて座っていた。もっとも、内心では己の幸運に感謝しつつ次の手を考えている。
昨日、よりによって襲撃犯と出くわしてしまった。その挙げ句、追いかけられたのだ。春樹は必死で逃げた。久しぶりに、全力で走った。走りつつ振り返ると、誰も追いかけて来ていなかった。この男、昔から逃げ足だけは早い。
春樹はほっとして、その場にしゃがみこむ。だが、直後に強烈な腹痛が彼を襲う。久しぶりの全力疾走は、運動不足の体にはきつすぎたのだ。
耐えられなくなり、恥も外聞もなく道ばたでうずくまる。かろうじて堪えてはいるが、今にも吐きそうだ。
「大丈夫ですか?」
女の声が聞こえた。春樹が見上げると、中年の女が心配そうな顔でこちらを見ている。五十代から六十代か。身なりからすると、金持ちではなさそうだ。しかし、その瞳には妙な輝きがあった。年齢にそぐわない、やたらと澄みきった瞳の持ち主である。異様なものを感じたが、背に腹は変えられなかった。
「実は……」
中年女は、春樹のデタラメ話を信じこんでしまったらしい。
「まあ、それはそれはお気の毒に。オヤジ狩り、ですか」
「は、はい。いきなり少年たちが襲いかかって来まして……僕は抵抗も出来ず、さんざん殴られました」、
ここで春樹は頭を抱え、震え出す。
「ぼ、僕は怖いんです。こうやって道を歩いていると、また彼らが襲いかかって来るんじゃないか……うわあ! やめてくれ!」
叫びながら、春樹は再びうずくまった。もちろん、全て演技である。とにかく今は、何処かに潜り込まなくてはならない。屋根と壁のある場所に……そのためには、手段を選んでいられない。
中年女は、じっと春樹を見ていた。
やがて、意を決したような表情で口を開く。
「わかりました。この近くに、私たちの集会所があります。今夜一晩くらいなら構わないでしょう」
翌日。
一晩……と言われたにもかかわらず、春樹は未だに集会所にいた。今後、どう動くかについて考えていたのだ。
まずは、桑原徳馬についてだ。桑原は、春樹のカードや免許証などを全て押さえている。そのため、自宅の住所は知られているだろう。となると、自宅には帰れない。銀行の金も、奴らが残らず引き出しているのではないか。
完全に八方ふさがりである。残された手段は警察に駆け込み、洗いざらいぶちまける。あるいは、田舎の実家に転がりこむ。
しかし、その両方とも不可能だった。警察に駆け込んだところで、誰が信じるだろうか。しかも、春樹は叩けば埃の出る体なのである。警察に訴えれば、自分も確実にダメージを受ける。
そして実家の両親からは、既に縁を切られているのだ。もし、おめおめと実家に顔を出したりしたらどうなるか……容易に想像はつく。
ならば、このピンチを凌ぐには?
その時、ドアが開く音がした。次いで、誰かが入ってくる音。
「上田さん、お加減は……大丈夫ですか?」
入って来たのは、若いスーツ姿の男だった。しかし、目の前で春樹が頭を押さえてうずくまっている。その姿を見て、目を丸くしながら駆け寄る。
「すみません。急に人が接近してくると、気分が悪くなるんです」
「そうですか。PTSDの症状かもしれないですね。お気の毒に。実は今、支部長と連絡を取りまして……あなたのことを伝えたところ、しばらく居てもらって構わないとのことです」
「ほ、本当ですか……」
「はい。困っている方に手をさしのべるのも、我々の務めです。この部屋で良ければ、今夜も泊まっていってください」
「あ、ありがとうございます。本当に、感謝します……」
春樹はほっとした。実にありがたい話だ。これで、数日はどうにかなる。しばらくここに潜伏し、作戦を練るとしよう。
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