ザイニンタチノマツロ

板倉恭司

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六月一日 隆司、買い物をする

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 世の中の人は、一度ここまで堕ちてしまった者を容易く受け入れてくれない。前科者は一般社会では、徹底的に疎外される。だから前科の付いてしまった人間は、むしろ裏社会で生きた方がいい。
 留置所の中で、懲役太郎――刑務所に何度も入っている累積犯罪者に対するスラング――のおっさんは、俺にそう言っていた。
 俺はその言葉を、ただの犯罪者の甘えだと思っていた。死ぬ気で頑張れば、前科者だろうと何だろうと社会は受け入れてくれる、そして真人間として生きられる……当時、俺は本気でそう信じていたのだ。
 だが、その考えは甘かった。甘えていたのは、むしろ俺の方だった。



 午前九時。
 佐藤隆司サトウ リュウジは自宅を出た。そして辺りを見回す。この辺りは閑静な住宅地である、人通りもほとんどない。歓楽街のように騒がしいわけではないのだ。
 にもかかわらず、隆司は軽い目眩のようなものを感じた。頭の中の違和感が拭いされない。たったひとりでこんな場所にいる……その事実に対し、未だに体が適応できていないのだ。
 そう、人間は習慣の奴隷なのだ。良きにつけ悪しきにつけ、一度身に付いてしまった習慣というヤツは、簡単には体から離れてくれない。
 今の隆司もまた、七年もの間に身に付いてしまった習慣から逃れられずにいた。ひとりで外を散歩しようと思った、ただそれだけのことなのに……散歩ですら、今の自分には困難なのだ。
 なぜなら、今まではどこに行くにも許可が必要だったのである。隆司は、一昨日まで刑務所にいたのだ。

 しばらくためらっていたが、隆司は意を決して歩き出した。いつまでも、こうしてはいられない。社会に慣れるため、リハビリをするのだ。まずは歩く。近所のコンビニまで行き、簡単な買い物をして帰る……ただ、それだけだ。
 しかし、それが思った以上に難しかった。
 とにかく、店内で何をするにも異様にもたついてしまうのだ。コンビニに入り、カップラーメンとおにぎりと菓子パンを手に取る。それらをレジに持っていき、金を払う……それだけのことなのだ。
 なのに、妙に緊張してしまう。ポケットから金を取り出し、レジで支払う動作が明らかにぎこちなく感じる。店員の目も、妙に気になった。こんな簡単な動作に手間取っている、そんな自分は怪しまれたりしないのだろうか? などと考えたりすると、さらに動きがぎこちなくなる。

 どうにか買い物を終え、帰宅した。帰りもまた、おぼつかない足取りで歩いている。
 前から人が歩いてきた。すると隆司は、反射的にパッと目を逸らす。これも、刑務所の中で身に付いた習慣だ。刑務所の中にいると、目と目が合っただけで因縁を付けてくる刑務官もいるのだから。

「お前、どこ見てんだ! わき見だぞ!」

 もし刑務作業中に刑務官と目が合ったりすると、そんな感じの罵声が飛んでくる。下手をすると、そのまま引っ張られて懲罰房に送られるのだ。
 もっとも、そのあたりの判断は全て刑務官しだいである。刑務作業中、囚人と目が合っても見て見ぬふりをする場合もある。刑務官に、個人的に好かれている囚人なら特にそうだ。少々の悪さは見逃してくれる。
 だからこそ、囚人たちは刑務官におべっかを使い、ゴマをする。刑務官のご機嫌をとり、どうにか無事に過ごそうと気を遣うのだ。刑務官に気に入られれば、刑務所は少しは過ごしやすい場所になる。
 ほんの僅かな差ではあるが、その差は侮れないものなのだ。下手をすると、その差が仮釈放に響くようなこともある。

 隆司は自宅に戻った。カップラーメンをすすりながら、今後の身の振り方について考える。まずは、仕事を探さなくてはならない。しかし、容易いことではないだろう。三十を過ぎている上に、約七年間のブランクがある。
 しかも、ただのブランクではない。社会から隔絶した環境にいたのだ。刑務所の中でも、テレビは一日二時間ほどは観ることが出来た。しかし、そこから得られる情報など微々たるものだ。根本的な部分において、わかっていない部分が多すぎる。
 留置場で同じ部屋にいた窃盗の常習犯の男は、隆司に語っていた。

「お前は、これから七~八年はお務めしなきゃならないだろうがな……出た後は大変だぞ。まずは、ムショぼけを治さなきゃならねえからな」

 ムショぼけ……当時は、何を言っているという気分だった。やる気さえあれば、出所した翌日からでもバリバリ働けるだろうと。
 ところが、今の自分はコンビニで買い物をすることさえ一苦労なのだ。ましてや、仕事となるとどうなるだろう。昔のように、サラリーマンとして働くことが出来るだろうか?
 いや、それ以前に……こんな挙動不審の人間を雇ってくれる会社など、果たしてあるのだろうか?

 ムショぼけってのも、想像してたよりずっと厄介なもんだな。

 隆司はため息をついた。ふと思いつき、テレビを点けてみる。今はテレビが自由に観られる環境であることすら、忘れそうになってしまうのだ。隆司は画面を見つめる。
 だが、その時──

(人殺し! あんたは人殺しよ!)

 不意に、テレビから聞こえてきた声。ドラマのセリフであるらしい。しかし、隆司はビクリと反応していた。その表情は、一瞬にして曇っていく。何とも言えない、嫌な気分に襲われた。形容のしがたい、様々な感情が入り混じった複雑な思いが胸にこみ上げてきた。
 人殺し……この言葉にだけは、どうしても慣れることが出来ない。
 何故なら、隆司は本物の人殺しだったからだ。








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