外道猟姫・釣り独楽お京

板倉恭司

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三者三様

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 どんな人間にも、それまで生きてきた年月で培われた哲学みたいなものがある。ひょっとしたら、赤鞘組みてえなろくでなしにも哲学はあるかもしれないよ。まあ、奴らの哲学なんざ知りたくもねえけどな。
 それはともかく、生きるために必要とわかってはいても、これだけは出来ないってこともあるだろう。人によって、そいつは違う。
 自分の中の悪鬼に気づく、それが人生を楽に生きる秘訣だ……なんて言った奴がいたらしい。どんな人間の心にも、大なり小なり悪鬼羅刹みたいなもんが棲んでいるのさ。それを理解し、面の皮を厚く良心を薄くしていけば、自分の行動に悩むことは少なくなるだろうよ。つまりは、楽に生きられる。
 お七、あんたは清廉潔白な人格者かもしれない。実際、あんたは人の命を救う仕事をしてる。だがな、あんたはお京の復讐旅に付き合って江戸まで来ちまった。ただひとり、汚れずにいるのは不可能だ。終わる頃には、相手の流した血で体も心も真っ赤に染まっているかもしれないぜ。命があれば、の話だけどな。

 ・・・

 左門が去った後、小屋の中には重苦しい空気が漂っていた。

「お京、あんたは今いわれた仕事を引き受けるんだね?」

 尋ねるお七に、お京は力の入った表情で頷く。

「もちろんだよ。今は、それしかないだろ」

 それを聞いたお七は、眉間に皺を寄せつつ、お花の方を向いた。

「お花、あんたはどう思うんだい?」

「殺し屋になるのは、あまり気は進みません。でも、今回は仕方ないと思います。仇を討つにほ、左門さんの情報が必要です。それに、生きていくにはお金も必要です」

 素っ気ない口調だ。この女は、常に冷静である。感情をあらわにすることはほとんどない。合理的に物事を判断する。お京とは、真逆の性格だ。
 
「そうかい。あんたらの心は、決まっているようだね」

 呟くように言ったお七に、お京は首を捻り尋ねた。

「おばさん、何が不満なの? 相手は極悪人なんだよ。殺した方が、世のため人のためさ。それに金も入る。何より、あいつの情報がないと動けないんだ。引き受けるよりほかないじゃないか。それとも、他に手があるの?」

 その問いに、お七は悲しげな顔で答える。

「あたしは、人の命を救うために蘭方医学を学んだ。その後、しばらく江戸で医者をやったよ。いろんな死に様を見てきた。肩で風切って歩いてた人斬り何ちゃらみたいな異名を持つやくざ者が、子供みたいな見た目の破落度ごろつきに滅多刺しにされた挙げ句、体を鴉に食い散らかされてた……そんなのを、たんと見たよ」

 口調は淡々としているが、その表情は暗い。鴉に食い散らかされた死体を思い出したのだろうか。

「あたしは死にやしないよ」

 言葉を返したお京を、お七は悲しげな目で見つめた。

「あんたは、確かに強いよ。でもね、上には上がいる。それにね、左門の仕事を引き受けるってことは、裏稼業に足を踏み入れるってことなんだよ。ああいう世界に足を踏み入れたら、畳の上じゃ死ねない覚悟が必要なのさ」

 その言葉の奥には、諦念がある。今まで、こういう状況を多く見てきた……そんな思いが感じられ、お京は黙り込む。
 少しの間を置き、お七は言葉を続ける

「人のお命いただくからにゃ、いつかは俺も地獄逝き……江戸にいた時、殺し屋やってた男がそんなことを言ってたよ。いい奴だった。けど、そいつは仕事でしくじっちまった。最後は数人の侍に滅多切りにされ、どぶ川に叩き込まれてたよ。野良犬みたいな死に様だったね。あたしゃ、今もはっきり覚えてる」

 その時、お花がぎょっとした表情で口を挟む。

「お、おばさん、殺し屋の知り合いなんかいたのですか?」

「昔、付き合ってた男だよ。あんたらよりも、ずっと慎重に生きていた。経験もある。でも死んじまった」

 言った後、お七は寂しげな笑みを浮かべる。
 だが、お京もお花も笑えなかった。このしっかりした中年女に、そんな過去があったとは。裏稼業からは、もっとも縁遠い人間だと思っていたのに──
 お七は、どこか悲しげな表情でふたりに語りかける。

「確かに、あんたらの言う通りだ。今の状況じゃ、あの不良同心に頼るしかない。それに、あいつを仲間に入れておけば、何かと役に立つだろうさ。だから、殺しを引き受けること自体は反対しないよ。でも、あたしはね……あんたらが、野良犬みたいな死に様を晒すのだけは見たくない。それだけだよ」

「大丈夫だよ。あたしは、地獄の底から這い上がってきたんだ。絶対に生き延びてやるさ」

 言いながら、拳を握り突き出すお京。その時、お花の表情が変わる。

「静かに!」

 突然、鋭い声を発した。皆、一斉に黙り込む。

「気をつけてください。誰か、こっちに近づいてきます。忍び足ですね」

 囁くように言ったお花。

「何人だい?」

 殺気立つお京に、お花は冷静な口調で答える。

「たぶん、ひとりです。でも、足音が小さい……いや、すぐそこにいます!」

「誰だい!? 隠れてないで出てきな!」

 外に向かい叫ぶと同時に、お京は独楽を構える。お花も、杖を手にした。部屋の空気が一気に変わり、殺気に包まれている。
 ややあって、壁越しに情けない声が聞こえてきた。

「ご、ごめんよ。脅かすつもりはなかったんだ。まさか、こんなに早く気付かれるとは思わなかった。あんたら凄いな。今、顔を出すよ。だからさ、俺のこと殺さないでね」

 言った後、入口から顔だけ出した者がいる。年齢は二十代半ばか、いっても三十手前だろう。色白で鼻筋の通った顔立ちであり、女性にもてそうだ。と同時に、軽薄そうでもある。

「あたしは、誰だいって聞いたんだけど? お前、名無しの権兵衛なのかい?」

 凄むお京に、若者はぺこぺこ頭を下げ答える。

「あ、あのう、俺は藤村左門ちゃんの子分の捨丸って名前なんだよ。でさ、仕事の件はどうなっちゃったのかな、なんて思ったのよう。引き受けてくれんのかな?」

 とぼけた口調だ。態度もへらへらしている。こんな状況でありながら、緊張感がまるで感じられない。この捨丸という男、ある意味では大物かもしれない。
 お京は、にやりと笑った。

「やるよ。だから、左門ちゃんにそう伝えといて」

 ・・・・

 その翌日、とある武家屋敷の朝飯時──

「婿どの、それはどういうことですか?」

 正座した中年女が、険しい表情で尋ねる。こちらを見る目つきはきつく、憎い仇を睨みつけているかのようだ。育ちは良さそうだが、性格の悪さが顔に滲み出ている。

「実は昨日、奉行所にて急な御達示おたっしがありましてな。明日、私は出かけることとなりました。したがって、家には帰れないと思います。なので、よろしくお願いします」

 藤村左門は、真面目くさった表情で答える。直後、ご飯を口に入れた。すると、中年女の隣にいる口うるさそうな女が不満そうな顔になる。

「ちょっとお待ちください。急な御達示とは、何なのですか? わたくしたちにも聞かせてくださりませ」

 口を尖らせ、尋ねてきた。
 この口うるさそうな女は、左門の奥方・藤村美津みつである。黙っていてくれれば特に問題はないのだが、何か起きると口を出さずにはいられない性格だ。必ず、余計な言葉を挟んでくる。事情のわからないことまで、ああでもないこうでもないと批評するのだ。近所の噂話と、奉行所の御役目を同列に考えているのだろう。

「それは言えません。何せ、これは極秘の御役目です。あなたに内容を話して、あちこちで喋られては困りますからな」

 箸を動かしながら、左門は答える。表情には出さないが、相変わらずうるさい奴だと思っていた。
 その時、今度は中年女が口を開く。

「美津、殿方のお仕事に軽々しくくちばしを突っ込んではなりません。まあ、婿どのに任される仕事など、ろくなものではないでしょうが」

 厭味たらしく言ってきた。
 この中年女は、藤村ふみという名で、左門の義理の母である。一応は、由緒ある武士の家で生まれ育った。しかし、口から出る言葉は人を不快にさせるものばかりである。
 左門は、もともと貧乏な家の出だった。一応は侍の家に生を受けたが、本来ならば同心になれるような身の上ではない。
 ところが十年近く前、僅かな伝手から美津と出会う。この出会いから、藤村家との繋がりが出来た。最終的には藤村家の婿養子となり、見回り同心の地位を得ることも出来た。それゆえ、このふたりが嫌になったからといって離縁などすれば、藤村の名字と見回り同心の職を失うのだ。
 その事実が頭の片隅にあるためか、美津にしろ文にしろ、こちらに投げかけてくる言葉には礼節などない。遠慮もない。ただ、思ったことをそのまま投げてくるだけだ。
 もっとも、左門はその辺りの対処が、きちんと出来る男なのだ。いちいち相手にせぬよう心の門を閉ざし、ほとんどの言葉を聞き流している。投げられた言葉のひとつひとつを真面目に受け止めていたら、殺傷沙汰になっていたかも知れない。
 今も、左門は聞き流して飯を食べている。この程度でいちいち感情を動かしているようでは、同心と殺し屋稼業という二足のわらじを履くことは出来ないのだ。

「では、行ってまいります」

 形だけの挨拶をした後、左門はいつもの道を歩き出した。今、彼の頭を占めているのは、奉行所のお勤めではなく明日の仕事である。無論、奉行所の御役目などない。
 赤鞘組を、確実に仕留めるためにはどんな作戦でいくか。鍵となるのは、お京たちだ。



 そんなことを思いつつ歩いていた左門だったが、その足が止まる。
 道の真ん中で、小さな子供が尻餅をついているのだ。その前には、若い侍がいる。いかつい顔に、派手な柄の着物。腰にぶら下げた刀の鞘は、真っ赤に染まっていた。誰であるかは、すぐにわかる。赤鞘組の徳沢慎之介とくざわ しんのすけだ。
 徳沢は、子供を睨みつけた。

「餓鬼が……この俺にぶつかるとは、いい度胸だ」

 言った直後、刀の柄に手がかかる。だが、子供は逃げようともしない。腰が抜けてしまったらしい。
 その瞬間、左門は動いた。子供の前に立ち、へらへら笑いながら頭を下げる。

「おや、徳沢さまではないですか。どうかなさいましたか?」

「こいつがな、俺にぶつかって来たのだ。おかげで、着物が汚れてしまったわ」

 言いながら、着物の裾を突きだす。確かに、よだれとも鼻水ともつかないものがこびり付いていた。
 左門は、大げさに表情を歪めて見せた。

「うわあ、これはひどい」

 直後、左門は子供の襟首を掴む。

「お前、なんてことをしたんだ!」

 怒鳴りつけ、ぽかりと頭を殴った。途端に、子供は泣き出す。
 しかし、左門は容赦しない。泣いている子供を睨みつけた。

「これから、奉行所できっちり説教してやるからな! こっちに来い!」

 言いながら、強引に引きずっていく。
 徳沢は、ちっと舌打ちし去っていった。周りで見ていた者たちは、呆れた表情になる。

「なんだ、あの同心は」

「侍が相手だとへらへらして、子供が相手だと殴るなんて、ひどい奴だ」

「しようがねえよ。あいつは藤村っていう有名な腰抜け同心だ」

 口々に勝手なことを言いながら、その場を離れていった。一方、左門は人気ひとけのない場所に来ると、すぐに子供から手を離した。しゃがみ込むと、真顔で口を開く。

「いいか坊主、世の中には、ああいう馬鹿もいる。理屈の通じる頭を持ってねえんだ。おまけに、かっとなると刀を振り回しやがる。だからな、通りを歩く時は気をつけろよ。ああいうのには、絶対に近づくなよ」
  






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