12 / 28
辰治
しおりを挟む
次の仕事は、片目の辰治と奴の子分たちだ。
この辰治、裏の世界で長らく飯を食っていた。本物の玄人だ。赤鞘組みたいな素人連中と違い、数々の修羅場を潜っている。はっきり言って、五両なんて金額じゃ引き受けたくない仕事だな。十両もらっても割に合わないよ。
お京、あんたの腕は認めるよ。しかしな、辰治は手強い相手だ。あんたの腕は認めるが、返り討ちに遭う可能性は、決して低くはないと思っている。
さて、あんたがどう戦うか……今回ばかりは、この目でじっくり見させてもらうぜ。
・・・
昼間の林道を、箱車が進んでいく。
箱に乗っているのはお京、押しているのはお花である。しかし、隣を歩いているのはお七ではない。同心の藤村左門である。
この三人は、辰治らとの待ち合わせ場所に向かっているのだ。
「あんた、腕の方はどうなんだい?」
不意に、お京が尋ねる。言うまでもなく、左門に向けた問いだ。
「俺か? 自慢じゃねえが、腕の方はからっきしだ。ここ数年ばかり、こいつを抜いたことはねえ。どうだ、すげえだろう」
言いながら、腰にぶら下げた刀の柄をぽんと叩く。その姿を見たお京は、呆れたように首を振った。
「威張って言うことじゃないだろ。どこが凄いんだよ。全く、情けない奴だね」
「ははは、違えねえや」
笑った左門だったが、その表情は一瞬で変わる。
「もうそろそろだ。いいか、辰治は手強いぞ。それと、もうひとつ言っておく。お前が殺されそうになったら、俺はさっさとずらかる。だから、俺の助けは期待するな」
「上等だ。あんたなんか、最初から当てにしてないよ」
吐き捨てるような口調で、お京は返した。
その頃。
林道を進んだ先に、ひらけた草原がある。周囲は木が生い茂り、昼間だというのに薄暗い。
そんな中、辰治が率いる巳之会の面々が、得物を手に殺気立った表情で集まっていた。
「藤村の奴、遅いな」
言ったのは子吉だ。軽薄そうな若者であり、態度の端々にも落ち着きのなさが窺える。今もいらついた様子で、足元の土くれを蹴飛ばした。
「もう一度聞くが、その藤村は殺っちまっていいんだな?」
辰治に念を押したのは寅助である。地面にしゃがみ込み、愛用の鎖鎌をいじっていた。体はさほど大きくないが、着物のすそから覗く腕は筋張っており、腕力は強そうだ。目つきは鋭く、頬に傷痕がある。
「ああ、構わねえ。ああいう馬鹿は、口をふさぐのが一番だ。だいたい、案山子の分際で俺をゆすろうなんざ、十年早いんだよ」
辰治が答えた時、ひときわ体の大きな丑蔵が立ち上がる。
「おい、藤村が来たぞ」
その言葉通り、茂みの中から左門が現れた。にやにやしながら、悠然とした態度で歩いて来る。
「遅かったなあ。それにしても、ひとりで来るとはいい度胸だ」
辰治の言葉が合図だったかのように、左門は歩みを止めた。両者の距離は、五間(約十メートル)から六間(約十・八メートル)といったところが。
立ち止まった左門は、鋭い表情で辰治を睨みつける。
「辰治さん、あんたはやり過ぎたよ。悪党にも、悪党の仁義ってものがあるはずだ。ところが、あんたらはその仁義を踏みにじった。巳之会を潰してくれ、そんな依頼を受けちまったんだよ。お前ら全員、死んでもらうぜ」
「ほう、奇遇だな。俺も、お前を殺す気で来たんだよ」
そう言って、辰治は笑った。と同時に、手下の三人が一斉に動く。
「ひとりで何が出来る! ぶっ殺してやるぜ!」
怒鳴った寅助に、左門は溜息を吐いて見せた。
「慌てるな。お前らの相手は俺じゃねえ」
言うと同時に、姿を現したのはお京とお花だ。箱車は、かたかた音をたて進んでいく。そのふたりの異様な姿に、辰治たちは呆気に取られている。
その隙に、左門は動いた。茂みの中に姿を隠す。一方、お京とお花は自然体で近づいていた。辰治ははっとなり、すぐさま命令する。
「お前ら! まずはあいつらから殺せ!」
そこで、ようやく子分たちも動き出す──
寅助は、懐から鎖鎌を出した。分銅の付いたを鎖を、ぶんぶん振り回す。一定の間合いを保ちつつ、隙を窺っている。他の二人も同様だ。
頭目の辰治はというと、じっくりと戦況を見つめていた。この男、今まで幾多の修羅場を潜り抜けてきている。そんな戦いの日々で、研ぎ澄まされてきた勘が言っているのだ。
箱車に乗った女、まぎれもなく強い──
お京とお花の方は、落ち着いた様子で構えている。
二人の戦闘経験は、辰治に比べれば遥かに少ないだろう。ましてや今は、武器を手に殺気立った三人の男に囲まれているのだ。大の男でも、腰を抜かしてしまうような局面である。
にもかかわらず、二人の顔に怯えの色はない。お京もお花も、己の障害を乗り越えるため血へどを吐くような鍛練の日々を過ごしてきていた。しかも、お京にいたっては一度死にかけているのだ。
地獄を見た経験が、何物にも替えがたい確固たる自信となり、今のお京を支えていた──
先に耐えられなくなったのは、巳之会の雑魚たちだった。戦いはいつも、弱い者が先に吠える。
中でも最も弱い子吉が、喚き声をあげながら襲いかかる。声を出すことにより、恐怖を押さえられるのは確かだ。
だが真剣勝負では、声をあげることにより己の動きを相手に知らしめることとなる。お京にしてみれば、願ってもない展開だ。
喚き声が耳に届くと同時に、強烈な独楽の一撃を顔面に放つ。子吉は、痛みのあまり短刀を落とした。前歯を砕かれた口を片手で押さえ、その場にうずくまる。 直後、血を大量に吐き出した。
と、子吉につられたかのように丑蔵も動いた。六尺棒を振り上げ、どすどすと突進する。しかし、その動きはあまりにも遅い。お京の独楽が、容赦なく襲いかかる。
独楽の一撃が顔を襲い、丑蔵は顔を歪めた。その瞬間、お京は車から飛び降りる。地面を前転しながら移動し、一気に間合いを詰める。
短刀を抜き、丑蔵の太ももに突き刺した。大動脈を切り裂き、素早く抜く──
丑蔵の足から、大量の血が吹き出した。立っていられず、よろよろと膝をつく。
「くそがぁ!」
寅助が吠えた。と同時に、鎖が放たれる。だが、その鎖は払い落とされた。お花の杖だ。彼女は寅助に接近し、杖で打ちかかる──
しかし、寅助もただ者ではない。猿のような素早い動きで、地面を転がり杖を躱した。さらに、お花の足めがけ鎖を放つ──
分銅の付いた鎖は、お花の足首に巻き付いた。直後、寅助がぐいっと引っ張る。その腕力は強く、お花は足を取られ倒れた。
その瞬間、寅助は襲いかかる。鎌を振り上げ、お花に切りかかった。しかし、背中に強烈な痛みが走る。お京の独楽だ。
痛みのあまり、寅助の手から鎖鎌が落ちた。
「お花! 大丈夫かい!」
叫ぶお京。その声に反応し、お花はどうにか立ち上がる。と同時に、足に巻き付いた鎖を思い切り引っ張った。
鎖鎌は寅助の手元を離れ、あらぬ方向へと飛んでいった。武器を失った寅助は、怯えた表情で辺りを見回す。と、そこにお京が迫っていく。
そんな両者を、冷静な目で見ている者がいた──
辰治は、短筒を構え狙いを定めた。この距離なら、十発撃てば八発は当たるだろう。この女の独楽は大したものだが、鉛の弾丸を食らえば確実に死ぬ。
勝利を確信し、辰治はにやりと笑う。だが、彼はもうひとりの存在を忘れていた。
「お京さん! 火薬の匂い!」
叫ぶと同時に、お花がぱっと伏せた。
その声が耳に届いた直後、お京は地面を転がった。無論、いくら彼女でも銃弾は避けられない。しかし、地面すれすれを這うように移動すれば、当たる確率は格段に低くなる。
一瞬遅れて、銃弾は寅助の体を貫く。皮肉にも、辰治の短筒は腹心の部下の命を奪ってしまった──
「んだとぉ!」
吠えながらも、辰治は次の弾丸を込めようと動く。しかし遅かった。その隙を突いて、お京の独楽が襲う。
強烈な一撃を手首に受け、辰治は短筒を落とした。痛みに顔を歪めながらも、どうにか拾おうとする。
その動きは、大きな間違いだった。お京は、独楽を頭上の木の枝へと放つ。
枝に巻き付いた紐を伝い、上に飛び上がる。上空で短刀を抜き、辰治めがけ落ちていった──
お京の短刀は、辰治の延髄を正確に貫いていた。
「やりましたね」
荒々しく呼吸をするお京に、甲斐甲斐しく寄り添うのはお花だ。ふたりは、そっと手を握り合う。
ところが、そこに乱入してきた者がいた。
「まだ仕事は終わってない。こいつも始末しろ」
そんなことを言いながら、のっそり姿を現したのは左門だ。彼が指を差した先には、子吉がいた。腰が抜けたのか、地面に尻を着きがたがた震えている。
「えっ?」
顔をしかめるお京を、左門は冷酷な表情で見つめた。
ややあって、口を開く。
「えっ、じゃねえんだよ。面を見られたら殺す、これは当然のことだよ」
その時、子吉が首を横に振る。涙と鼻水を垂れ流しながら、必死の形相で喚き出した。
「待ってくれ! あんたらのことは誰にも言わない! 誓うよ! だから助けてくれ──」
「黙ってろ」
言うが早いか、左門の蹴りが飛んだ。子吉の喉に、爪先がくいこむ。
途端に、子吉は再び倒れた。何か言おうとするが、口からはひゅうひゅうという音しか出ない。
そんな子吉を、左門は冷たい目で見下ろしている。
「こいつは今、死の恐怖に怯えている。だから、何でも約束するよ。俺やあんたのことは、絶対に口外しないと誓うだろうさ」
言いながら、子吉の腹にまたしても蹴りを叩き込む。
子吉の口から、声にならない呻きが漏れた。無様に顔を歪める姿を尻目に、左門は語り続ける。
「だがな、一月もすれば忘れちまう。死の恐怖を忘れて、あちこちで俺たちのことをべらべらと喋る。そうなったら、俺もお前も終わりだ」
その時、お京が口を開いた。
「喋らせない方法はないのかい? 何かあるはずだよ」
「さあな。あるかもしれん、ないかもしれん。俺にはわからねえよ。ひとつだけわかっているのは、死人に口なしってことだ。ついでに言っとくが、こいつだって悪党だよ。あっちこっちで、若い娘を手込めにしてやがった。どうしようもねえ屑だ」
直後、左門は腰の刀を抜いた──
「どうしても殺せないってんなら仕方ねえ。俺がこいつを殺す。その代わり、仕事料は払えない。お前の復讐相手の情報も教えない。さあ、どうするんだ?」
「わかったよ。やりゃあいいんだろ!」
怒鳴った直後、お京は短刀を抜く。子吉は、ひゅうひゅう声を出しながら逃げようとした。しかし、お京の独楽が放たれる──
独楽の一撃は、正確に顔面を打った。子吉は、痛みのあまり両手で頭を覆う。本能的な動きだが、この状況では命取りとなった。
動きが止まった子吉に、お京は苦もなく近づく。短刀を振り上げ、延髄に突き刺した。
「いいか、この稼業の掟をひとつ教えてやる。殺しの現場を見た奴は、必ず殺す。覚えておくんだ」
仕留めたお京の耳に、左門の冷たい声が聞こえてきた。
この辰治、裏の世界で長らく飯を食っていた。本物の玄人だ。赤鞘組みたいな素人連中と違い、数々の修羅場を潜っている。はっきり言って、五両なんて金額じゃ引き受けたくない仕事だな。十両もらっても割に合わないよ。
お京、あんたの腕は認めるよ。しかしな、辰治は手強い相手だ。あんたの腕は認めるが、返り討ちに遭う可能性は、決して低くはないと思っている。
さて、あんたがどう戦うか……今回ばかりは、この目でじっくり見させてもらうぜ。
・・・
昼間の林道を、箱車が進んでいく。
箱に乗っているのはお京、押しているのはお花である。しかし、隣を歩いているのはお七ではない。同心の藤村左門である。
この三人は、辰治らとの待ち合わせ場所に向かっているのだ。
「あんた、腕の方はどうなんだい?」
不意に、お京が尋ねる。言うまでもなく、左門に向けた問いだ。
「俺か? 自慢じゃねえが、腕の方はからっきしだ。ここ数年ばかり、こいつを抜いたことはねえ。どうだ、すげえだろう」
言いながら、腰にぶら下げた刀の柄をぽんと叩く。その姿を見たお京は、呆れたように首を振った。
「威張って言うことじゃないだろ。どこが凄いんだよ。全く、情けない奴だね」
「ははは、違えねえや」
笑った左門だったが、その表情は一瞬で変わる。
「もうそろそろだ。いいか、辰治は手強いぞ。それと、もうひとつ言っておく。お前が殺されそうになったら、俺はさっさとずらかる。だから、俺の助けは期待するな」
「上等だ。あんたなんか、最初から当てにしてないよ」
吐き捨てるような口調で、お京は返した。
その頃。
林道を進んだ先に、ひらけた草原がある。周囲は木が生い茂り、昼間だというのに薄暗い。
そんな中、辰治が率いる巳之会の面々が、得物を手に殺気立った表情で集まっていた。
「藤村の奴、遅いな」
言ったのは子吉だ。軽薄そうな若者であり、態度の端々にも落ち着きのなさが窺える。今もいらついた様子で、足元の土くれを蹴飛ばした。
「もう一度聞くが、その藤村は殺っちまっていいんだな?」
辰治に念を押したのは寅助である。地面にしゃがみ込み、愛用の鎖鎌をいじっていた。体はさほど大きくないが、着物のすそから覗く腕は筋張っており、腕力は強そうだ。目つきは鋭く、頬に傷痕がある。
「ああ、構わねえ。ああいう馬鹿は、口をふさぐのが一番だ。だいたい、案山子の分際で俺をゆすろうなんざ、十年早いんだよ」
辰治が答えた時、ひときわ体の大きな丑蔵が立ち上がる。
「おい、藤村が来たぞ」
その言葉通り、茂みの中から左門が現れた。にやにやしながら、悠然とした態度で歩いて来る。
「遅かったなあ。それにしても、ひとりで来るとはいい度胸だ」
辰治の言葉が合図だったかのように、左門は歩みを止めた。両者の距離は、五間(約十メートル)から六間(約十・八メートル)といったところが。
立ち止まった左門は、鋭い表情で辰治を睨みつける。
「辰治さん、あんたはやり過ぎたよ。悪党にも、悪党の仁義ってものがあるはずだ。ところが、あんたらはその仁義を踏みにじった。巳之会を潰してくれ、そんな依頼を受けちまったんだよ。お前ら全員、死んでもらうぜ」
「ほう、奇遇だな。俺も、お前を殺す気で来たんだよ」
そう言って、辰治は笑った。と同時に、手下の三人が一斉に動く。
「ひとりで何が出来る! ぶっ殺してやるぜ!」
怒鳴った寅助に、左門は溜息を吐いて見せた。
「慌てるな。お前らの相手は俺じゃねえ」
言うと同時に、姿を現したのはお京とお花だ。箱車は、かたかた音をたて進んでいく。そのふたりの異様な姿に、辰治たちは呆気に取られている。
その隙に、左門は動いた。茂みの中に姿を隠す。一方、お京とお花は自然体で近づいていた。辰治ははっとなり、すぐさま命令する。
「お前ら! まずはあいつらから殺せ!」
そこで、ようやく子分たちも動き出す──
寅助は、懐から鎖鎌を出した。分銅の付いたを鎖を、ぶんぶん振り回す。一定の間合いを保ちつつ、隙を窺っている。他の二人も同様だ。
頭目の辰治はというと、じっくりと戦況を見つめていた。この男、今まで幾多の修羅場を潜り抜けてきている。そんな戦いの日々で、研ぎ澄まされてきた勘が言っているのだ。
箱車に乗った女、まぎれもなく強い──
お京とお花の方は、落ち着いた様子で構えている。
二人の戦闘経験は、辰治に比べれば遥かに少ないだろう。ましてや今は、武器を手に殺気立った三人の男に囲まれているのだ。大の男でも、腰を抜かしてしまうような局面である。
にもかかわらず、二人の顔に怯えの色はない。お京もお花も、己の障害を乗り越えるため血へどを吐くような鍛練の日々を過ごしてきていた。しかも、お京にいたっては一度死にかけているのだ。
地獄を見た経験が、何物にも替えがたい確固たる自信となり、今のお京を支えていた──
先に耐えられなくなったのは、巳之会の雑魚たちだった。戦いはいつも、弱い者が先に吠える。
中でも最も弱い子吉が、喚き声をあげながら襲いかかる。声を出すことにより、恐怖を押さえられるのは確かだ。
だが真剣勝負では、声をあげることにより己の動きを相手に知らしめることとなる。お京にしてみれば、願ってもない展開だ。
喚き声が耳に届くと同時に、強烈な独楽の一撃を顔面に放つ。子吉は、痛みのあまり短刀を落とした。前歯を砕かれた口を片手で押さえ、その場にうずくまる。 直後、血を大量に吐き出した。
と、子吉につられたかのように丑蔵も動いた。六尺棒を振り上げ、どすどすと突進する。しかし、その動きはあまりにも遅い。お京の独楽が、容赦なく襲いかかる。
独楽の一撃が顔を襲い、丑蔵は顔を歪めた。その瞬間、お京は車から飛び降りる。地面を前転しながら移動し、一気に間合いを詰める。
短刀を抜き、丑蔵の太ももに突き刺した。大動脈を切り裂き、素早く抜く──
丑蔵の足から、大量の血が吹き出した。立っていられず、よろよろと膝をつく。
「くそがぁ!」
寅助が吠えた。と同時に、鎖が放たれる。だが、その鎖は払い落とされた。お花の杖だ。彼女は寅助に接近し、杖で打ちかかる──
しかし、寅助もただ者ではない。猿のような素早い動きで、地面を転がり杖を躱した。さらに、お花の足めがけ鎖を放つ──
分銅の付いた鎖は、お花の足首に巻き付いた。直後、寅助がぐいっと引っ張る。その腕力は強く、お花は足を取られ倒れた。
その瞬間、寅助は襲いかかる。鎌を振り上げ、お花に切りかかった。しかし、背中に強烈な痛みが走る。お京の独楽だ。
痛みのあまり、寅助の手から鎖鎌が落ちた。
「お花! 大丈夫かい!」
叫ぶお京。その声に反応し、お花はどうにか立ち上がる。と同時に、足に巻き付いた鎖を思い切り引っ張った。
鎖鎌は寅助の手元を離れ、あらぬ方向へと飛んでいった。武器を失った寅助は、怯えた表情で辺りを見回す。と、そこにお京が迫っていく。
そんな両者を、冷静な目で見ている者がいた──
辰治は、短筒を構え狙いを定めた。この距離なら、十発撃てば八発は当たるだろう。この女の独楽は大したものだが、鉛の弾丸を食らえば確実に死ぬ。
勝利を確信し、辰治はにやりと笑う。だが、彼はもうひとりの存在を忘れていた。
「お京さん! 火薬の匂い!」
叫ぶと同時に、お花がぱっと伏せた。
その声が耳に届いた直後、お京は地面を転がった。無論、いくら彼女でも銃弾は避けられない。しかし、地面すれすれを這うように移動すれば、当たる確率は格段に低くなる。
一瞬遅れて、銃弾は寅助の体を貫く。皮肉にも、辰治の短筒は腹心の部下の命を奪ってしまった──
「んだとぉ!」
吠えながらも、辰治は次の弾丸を込めようと動く。しかし遅かった。その隙を突いて、お京の独楽が襲う。
強烈な一撃を手首に受け、辰治は短筒を落とした。痛みに顔を歪めながらも、どうにか拾おうとする。
その動きは、大きな間違いだった。お京は、独楽を頭上の木の枝へと放つ。
枝に巻き付いた紐を伝い、上に飛び上がる。上空で短刀を抜き、辰治めがけ落ちていった──
お京の短刀は、辰治の延髄を正確に貫いていた。
「やりましたね」
荒々しく呼吸をするお京に、甲斐甲斐しく寄り添うのはお花だ。ふたりは、そっと手を握り合う。
ところが、そこに乱入してきた者がいた。
「まだ仕事は終わってない。こいつも始末しろ」
そんなことを言いながら、のっそり姿を現したのは左門だ。彼が指を差した先には、子吉がいた。腰が抜けたのか、地面に尻を着きがたがた震えている。
「えっ?」
顔をしかめるお京を、左門は冷酷な表情で見つめた。
ややあって、口を開く。
「えっ、じゃねえんだよ。面を見られたら殺す、これは当然のことだよ」
その時、子吉が首を横に振る。涙と鼻水を垂れ流しながら、必死の形相で喚き出した。
「待ってくれ! あんたらのことは誰にも言わない! 誓うよ! だから助けてくれ──」
「黙ってろ」
言うが早いか、左門の蹴りが飛んだ。子吉の喉に、爪先がくいこむ。
途端に、子吉は再び倒れた。何か言おうとするが、口からはひゅうひゅうという音しか出ない。
そんな子吉を、左門は冷たい目で見下ろしている。
「こいつは今、死の恐怖に怯えている。だから、何でも約束するよ。俺やあんたのことは、絶対に口外しないと誓うだろうさ」
言いながら、子吉の腹にまたしても蹴りを叩き込む。
子吉の口から、声にならない呻きが漏れた。無様に顔を歪める姿を尻目に、左門は語り続ける。
「だがな、一月もすれば忘れちまう。死の恐怖を忘れて、あちこちで俺たちのことをべらべらと喋る。そうなったら、俺もお前も終わりだ」
その時、お京が口を開いた。
「喋らせない方法はないのかい? 何かあるはずだよ」
「さあな。あるかもしれん、ないかもしれん。俺にはわからねえよ。ひとつだけわかっているのは、死人に口なしってことだ。ついでに言っとくが、こいつだって悪党だよ。あっちこっちで、若い娘を手込めにしてやがった。どうしようもねえ屑だ」
直後、左門は腰の刀を抜いた──
「どうしても殺せないってんなら仕方ねえ。俺がこいつを殺す。その代わり、仕事料は払えない。お前の復讐相手の情報も教えない。さあ、どうするんだ?」
「わかったよ。やりゃあいいんだろ!」
怒鳴った直後、お京は短刀を抜く。子吉は、ひゅうひゅう声を出しながら逃げようとした。しかし、お京の独楽が放たれる──
独楽の一撃は、正確に顔面を打った。子吉は、痛みのあまり両手で頭を覆う。本能的な動きだが、この状況では命取りとなった。
動きが止まった子吉に、お京は苦もなく近づく。短刀を振り上げ、延髄に突き刺した。
「いいか、この稼業の掟をひとつ教えてやる。殺しの現場を見た奴は、必ず殺す。覚えておくんだ」
仕留めたお京の耳に、左門の冷たい声が聞こえてきた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
3
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる