化け猫のミーコ

板倉恭司

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雪は全てを白く染めゆく(2)

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 十二年後──

「てめえ、何度言えばわかるんだよ!? いい加減にしねえと、本当に殺すぞ!」

 竜司は、目の前にいる中年男を怒鳴りつけた。すると、男は怯えた表情でペコペコ頭を下げる。

「す、すみません」

「すみませんで済んだらなあ、警察はいらねえし戦争だって起きねえんだよ! このクソ馬鹿が!」

 言うと同時に、竜司は男を殴りつけた。拳は頬に当たり、男は両手で顔を覆った。苦痛で顔をしかめる。
 だが、竜司は止まらなかった。男の腹に強烈な膝蹴りを入れ、倒れたところを蹴とばした。
 男は悲鳴を上げるが、竜司は容赦なく蹴りまくる。その目には、異様な光が宿っていた──

「おっさんよう、てめえわかってんのか? てめえが土下座して、何でもしますから雇ってください、って言ってきたんだろうが! なのに、取り立てのひとつも出来ねえのか!」

 そう怒鳴りつけた後、竜司はまたしても男を蹴り始めた。男はうずくまり、蹴られるたびに呻き声を上げていた。



 事件の後、竜司は施設に預けられる。
 彼は、人の心を捨てていた。母に暴力を振るい、挙げ句に刺されて死んだ父。その父を刺し殺し、刑務所に行った母。竜司は、その両方を激しく憎んだ。だが、いくら憎くても……死人と囚人には、その思いをぶつけることは出来ない。
 代わりに、周囲の者に憎悪の念をぶつけた。些細なことで相手を殴り、蹴り倒す。竜司の暴力は一切の容赦がなく、敵対する者を徹底的に痛めつけた。
 結果、彼は手のつけられない不良として、あちこちの施設をたらい回しにされる。その間、人を憎んだことはあっても愛したことは一度もない。
 やがて中学を卒業した竜司は、裏の世界へと足を踏み入れる。父が、母に刺殺される……という修羅場を、幼い頃に経験している竜司にとって、裏の世界はまさにうってつけであった。彼は他人に対し、一切の情けをかけることがない。また暴力を振るうことにも、何のためらいもないのだ。
 竜司は瞬く間に出世し、二十四歳の若さで、裏の世界では知られる存在へとなっていた。

 一方、竜司に殴られているのは……福田信雄フクダ ノブオという名の中年男である。既に四十一歳になっていた。この稼業においては、遅すぎるスタートである。
 かつては工場務めをしていたらしいが、リストラに遭い仕事を辞めることとなった。その後は必死で再就職を試みるも上手くいかず、知り合いのつてを頼った結果、竜司の下で働くこととなった。
 だが、今まで工員ひとすじで真面目に生きてきた信雄にとって、裏の世界で働くことは難しかった。口先三寸で人を騙して金を巻き上げ、時には暴力を振るうこともある……そんな仕事は、この男には向いていなかったのだ。
 そのため、信雄はしょっちゅうヘマをし、竜司に殴られていたのである。



 翌日。
 竜司が事務所に行くと、信雄が来ていない。竜司は忌々しそうに、電話番をしている三宅美紀ミヤケ ミキに尋ねた。

「おい、あのバカまだ来てねえのか?」

「バカって、福田さんですか?」

 ビクリとした表情で聞き返した美紀に、竜司は不快そうな様子で頷いた。

「当たり前だろうが。あいつ以外に誰がいる?」

「福田さんは、ケガがひどくて休むそうです。さっき連絡がありました」

「はあ? あの野郎、ふざけやがって……」

 竜司は口元を歪めた。本当に使えない男だ。この際、きっちり教える必要がありそうだ。
 裏の世界で生きていくための心構えを。



 その日の夜、竜司は信雄の家へと向かった。空は雲行きが怪しく、今夜は雪が降るかもしれない……との天気予報を耳にしている。
 しかも、今夜はクリスマスイブだ。浮かれた男女や家族の姿を、町のあちこちで見かける。
 竜司は、たまらなく不愉快であった。クリスマスイブ、それは父が死に母が罪人となった日である。彼にとって、呪わしい思い出しかない。そんな日だというのに、皆は妙に楽しそうなのだ。
 それゆえ、竜司のイライラは頂点に達していた。

 やがて、竜司は信雄の家に到着した。四階建てのアパートの一室である。

「コラおっさん、さっさと入れろや!」

 インターホンを連打しながら、ドアを蹴る竜司。すると、慌てたような声が聞こえて来た。

「だ、誰ですか! 警察呼びますよ!」

 まだ幼さの残る少女の声だ。いったい何者だろうか……竜司は首を傾げつつも、大声で怒鳴る。

「俺は福田信雄の上司の村山竜司だ! さっさと開けねえと、後悔することになるぞ!」

 言いながら、ドアを叩く竜司。すると、中から男の声が聞こえてきた。

「ま、待て……お前は関係ない。部屋に行ってろ」

 焦ったような声の直後、ドアが開く。中から信雄が顔を出した。

「む、村山さん……どうしました?」

 顔をしかめ、尋ねる信雄。竜司は、さらに腹が立って来た。

「その前に、入らせてもらうぞ」

「えっ……すみません、家はちょっと──」

「いいから入れろや! 外は寒いんだよ! 雪も降りそうなんだよ!」

 怒鳴ると同時に、竜司はドアを力ずくで開ける。家の中に、土足のまま入って行った。



「お父さん、この人誰よ!?」

 入って来た竜司を見たとたん、少女がヒステリックに叫んだ。
 竜司は、その少女をジロリと睨む。

「お前、誰だ?」

「わ、私の娘です! 娘の彩佳アヤカです!」

 慌てた様子で、信雄が叫んだ。

「はあ? 娘?」

 言いながら、竜司は彩佳をまじまじと見つめる。ショートカットに気の強そうな顔立ちである。幸い父親に似ず、なかなかの美少女だ。成長してからソープに沈めるかAVに出演させれば、かなり稼げる上玉になるだろう。

「は、はい、娘です。ところで、何の御用でしょうか?」

 気弱そうな様子で尋ねる信雄を、竜司はいきなり蹴飛ばした。信雄は吹っ飛び、床に尻餅を着く。

「何の用ですか、じゃねえだろうが。てめえ、休んでんじゃねえよ」

「い、いえ……昨日さんざん殴られたせいで、肩が動かないんです。医者に診てもらったら、打撲傷と診断されました……」

 顔をしかめながら、信雄は言った。だが、その言葉が竜司をさらに怒らせる。

「んだと? じゃあ、俺のせいでケガしたって言いたいのか? ざけんじゃねえぞコラ!」

 言いながら、竜司は信雄を殴りつける。その時、竜司の腕を掴む者がいた。

「やめて! 父さんを殴らないで!」

 彩佳が叫びながら、竜司の腕にすがり付く。
 娘の態度に、竜司は逆上した。彩佳の髪を掴み、乱暴に投げ飛ばした。彼女は簡単に吹っ飛び、床に倒れる。その時、信雄が凄まじい形相で立ち上がった。

「あ、彩佳に手を出すなあ!」

 喚きながら、掴みかかって来た。だが、竜司の敵ではない。喉元を掴まれ、あっさりとねじ伏せられる。

「てめえ、何をトチ狂ってんだ? 死んでみるかコラ?」

 暴力慣れしている竜司は、あくまで冷静であった。だが次の瞬間、その顔が歪む──
 背中に鋭い痛みを感じ、竜司は振り向いた。

「父さんから離れろ! うちから出て行け!」

 彩佳は何かに憑かれたような表情で叫び、竜司を睨み付けている。彼女の手には、血のついた包丁が握られていた。

「てめえ、何しやがんだ……」

 呻くような声を出しながら、竜司は立ち上がる。しかし彼の胸の中には、奇妙な感覚が湧き上がっていた。

 これは?

 竜司の脳裏に、不可解な映像が浮かんでは消えていった。昔の記憶だ。しかし、何かが違う。
 その時、またしても彩佳が叫んだ。

「うちから出て行け!」

 直後、彩佳は包丁ごと突進してきた。竜司は反応が遅れ、避け損ねる。
 腹に、包丁が突き刺さった──

「こ、この野郎!」

 喚きながら、竜司は彩佳の襟首を掴んだ。力任せに突き飛ばす。彩佳は、床に叩きつけられた。さらに、信雄の喚く声も聞こえてきた。その声は彩佳に向けられたものか、あるいは竜司に向けられたものなのかはわからない。
 だが竜司は、二人のことなど見ていなかった。よろよろしながら、家を出て行く。このままでは殺されるかもしれない、という思いもあったが……それ以上に、何かを思い出せそうな気がしていたのだ。
 ずっと忘れていた、重要な何かを。



 いつの間にか、外は雪が降り出していた。
 雪、そして血──
 竜司の頭に、かつての記憶が甦る。母を殴っていた父。止めに入る竜司。だが、竜司は突き飛ばされた……そこから先は、何も覚えていない。
 ふと、包丁の柄が目に入る。自身の腹に刺さっている包丁の柄。
 それを抜いてはいけないことは知っていた。刃物で刺された場合、下手に引き抜くと大量出血し、命が危険なのだ。しかし、これを抜いたら思い出せる……そんな気がした。
 次の瞬間、竜司は包丁を引き抜く──

 竜司は、地面に倒れた。右手の包丁、激痛、流れる血、雪、そして黒い何か。
 彼の視界の端に、奇妙なものが入っていた──

 数メートル離れた道端に、黒い猫がいた。雪の降る中、平然とした様子でじっと竜司を見つめている。二本の尻尾をくねくねと揺らしながら、倒れている彼に哀れむような目を向けていた。
 竜司は思い出した。十二年前も、この不思議な猫を見たのだ。母が連行されていく時、雪の中で黒猫が道端に座り込んでいた。
 その時、黒猫が口を開く。

「そろそろ、本当のことを思い出す頃だニャ」

 流暢な日本語で、黒猫は言った。と同時に、尻尾を振る。びしゃりと音を立て、二本の尻尾が地面を打った。
 その瞬間、竜司の脳裏を奇妙な映像が駆け巡る。彼は、ようやく思い出したのだ。
 十二年前の真実を。



 あの時、父に突き飛ばされた竜司はカッとなった。こいつのせいで、母はいつも殴られている。しかも、父が若い女と浮気していることも竜司は知っていた。

 悪いのは、親父だ。
 親父さえ死ねば、この家は平和になる。

 竜司は台所の包丁を握りしめると、父に向かい突進する。
 包丁を、父の腹に突き刺した。
 何度も、何度も──
 父は吠えながら、竜司を思い切り蹴り飛ばす。竜司は壁に後頭部を打ち、意識を失った。

 俺が犯人だったんだ。
 母さんは、俺を庇って……。

 薄れゆく意識の中、竜司は空を見上げた。舞い落ちる雪が、彼の体を包んでいく。竜司は、歪んだ笑みを浮かべた。

 俺は、何をやってるんだよ。




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