13 / 39
雪は全てを白く染めゆく(3)
しおりを挟む
「おい竜司よう……お前、本気で言ってるのか? 俺も長く刑事をやってるが、こんなバカな話は聞いたことがねえぞ。本当に、これは事故なのか?」
同じ質問を繰り返す刑事の高山に、竜司は面倒くさそうに頷いて見せた。
「はい、事故ですよ。俺が福田の家で包丁をいじってたら、間違えて自分の腹を刺しちまった。で、ビビりまくって外に飛び出て倒れた……ただ、それだけの話です。だから、誰も悪くないんですよ。あなたの手を煩わせるほどのことじゃありません」
ベッドで寝たまま答える。その表情は柔らかい。ほんの僅かな時間に、憑き物が落ちたかのようであった。
このふたりは今、病室にいる。
道端で倒れて、意識を失っていた竜司。後を追いかけて来た福田信夫に発見され、そのまま救急車で病院に運ばれた。出血多量で一時は生死の境をさ迷ったが、どうにか一命は取り留めた。
そして今、古い馴染みの刑事である高山に病室で事情聴取をされている。
「ンなふざけた話、俺が信じると思うのか?」
高山はいったん言葉を止め、竜司をじっと睨みつける。だが、竜司は平然としていた。すました様子で、刑事の鋭い視線を受け止める。
少しの間を置き、高山は再び語り始めた。
「だったら、あの福田親子は何なんだよ? 父と娘が口を揃えて、自分が村山を刺したって言い張ってるんだぜ。あたしが刺しました、いや俺が刺したんです……ってな。どっちも、逮捕されたくて仕方ねえって感じだ。うっとおしくて仕方ねえ」
そう言うと、高山は呆れたようにかぶりを振った。それを聞いた竜司は、思わず苦笑する。
親子という奴は、なんとも面倒なものだ。
「竜司よう、警察も暇じゃねえんだ。困らせないで本当のこと言ってくれよ。お前を刺したのは、一体どっちなんだ? お前さえ本当のことを言ってくれれば、俺がパクってやるからよ」
「だから、さっきから言ってるじゃないですか。あいつらは、どっちも嘘をついてるんです。俺は自分で自分を刺した、それだけです。たぶん、血を見て気が動転していたんですよ」
竜司は、面倒くさそうに視線を逸らした。
ふと、窓を見る。ひょっとしたら、また雪が降るかもしれない……なぜか、そんな気がした。
そんな竜司の態度を見て、高山は首を捻る。
「ひょっとして、お前はてめえの手でカタつけようと思ってんのか? あの親子を警察にパクらせずシャバに出しといて、傷が治ったらてめえの手でケジメとる……そんな腹なのか?」
言いながら、高山は立ち上がり顔を近づけてくる。だが、竜司は首を横に振った。
「何を言ってるんですか。あんなザコ以下の連中、殺したところで誰も得しませんよ。第一、俺はあんな奴らに刺されるほどヤワじゃないですから。俺は、誰にも刺されてません。誰のことも、訴えたりしません。誰のことも、傷つけようとは思っていません」
竜司の言葉に、高山は目を細める。もう六十近いはずなのだが、未だに迫力ある風貌だ。刑事ひとすじ二十五年のキャリアは伊達ではない。
「そうかい。ま、嘘をついてるのがお前だってことは、こっちもわかっているよ。だがな、俺も忙しいんだ。お前が被害届を出さねえなら、警察もこれ以上は関わる気はねえ。好きにしろ」
そう言って、高山は背中を向け病室を出ようとした。だが何かを思い出したのか、立ち止まり振り返る。
「たまには、お袋さんの面会に行ってやれ。お前、一度も行ってないそうじゃねえか」
高山が去った後、竜司は窓の方を向いた。だが、痛みが走り顔をしかめる。医師の話では、命に別状はない……とのことだった。後遺症もないらしい。もっとも、しばらくの間は入院していないといけないが。
母さん、何で言ってくれなかったんだよ。
竜司は心の中で、母に問いかけた。
もっとも、その理由は聞くまでもない。母は、竜司を殺人犯にしたくなかったのだ。
目の前で、父を殺してしまった息子の姿を見てしまった。母はその時、想像もつかない絶望感を味わったのだ。さらに、これまでの生活を激しく後悔したことだろう。自分たちがさっさと別れていれば、こんなことは起きなかったはずなのに……。
だが、意識を取り戻した息子には殺人の記憶がなかった。頭を打った衝撃か、あるいは無意識のうちに記憶を封じ込めていたのかは分からない。
いずれにせよ、息子には殺人の記憶がなかった。その事実を知った時、母は決意したのだ。
息子の身代わりになることを。その罪を、自分が代わりに償うことを。
全ては、息子に殺人犯としての人生を歩ませないためだった。
だが、その息子の今の姿は?
殺人犯と、たいして変わりない──
いつのまにか、外はまた雪が降り出していた。
空から落ちてくる雪が、竜司のドス黒く汚れた心を白く清らかなものへと変えてゆく。声を殺し、竜司はひとりで泣いた。
その泣いている姿を、外からじっと見つめているものがいる。
一匹の黒猫だった。降りしきる雪にも構わず、二本の尻尾をゆっくりと揺らしながら竜司を見つめている。
やがて、黒猫は消えた──
同じ質問を繰り返す刑事の高山に、竜司は面倒くさそうに頷いて見せた。
「はい、事故ですよ。俺が福田の家で包丁をいじってたら、間違えて自分の腹を刺しちまった。で、ビビりまくって外に飛び出て倒れた……ただ、それだけの話です。だから、誰も悪くないんですよ。あなたの手を煩わせるほどのことじゃありません」
ベッドで寝たまま答える。その表情は柔らかい。ほんの僅かな時間に、憑き物が落ちたかのようであった。
このふたりは今、病室にいる。
道端で倒れて、意識を失っていた竜司。後を追いかけて来た福田信夫に発見され、そのまま救急車で病院に運ばれた。出血多量で一時は生死の境をさ迷ったが、どうにか一命は取り留めた。
そして今、古い馴染みの刑事である高山に病室で事情聴取をされている。
「ンなふざけた話、俺が信じると思うのか?」
高山はいったん言葉を止め、竜司をじっと睨みつける。だが、竜司は平然としていた。すました様子で、刑事の鋭い視線を受け止める。
少しの間を置き、高山は再び語り始めた。
「だったら、あの福田親子は何なんだよ? 父と娘が口を揃えて、自分が村山を刺したって言い張ってるんだぜ。あたしが刺しました、いや俺が刺したんです……ってな。どっちも、逮捕されたくて仕方ねえって感じだ。うっとおしくて仕方ねえ」
そう言うと、高山は呆れたようにかぶりを振った。それを聞いた竜司は、思わず苦笑する。
親子という奴は、なんとも面倒なものだ。
「竜司よう、警察も暇じゃねえんだ。困らせないで本当のこと言ってくれよ。お前を刺したのは、一体どっちなんだ? お前さえ本当のことを言ってくれれば、俺がパクってやるからよ」
「だから、さっきから言ってるじゃないですか。あいつらは、どっちも嘘をついてるんです。俺は自分で自分を刺した、それだけです。たぶん、血を見て気が動転していたんですよ」
竜司は、面倒くさそうに視線を逸らした。
ふと、窓を見る。ひょっとしたら、また雪が降るかもしれない……なぜか、そんな気がした。
そんな竜司の態度を見て、高山は首を捻る。
「ひょっとして、お前はてめえの手でカタつけようと思ってんのか? あの親子を警察にパクらせずシャバに出しといて、傷が治ったらてめえの手でケジメとる……そんな腹なのか?」
言いながら、高山は立ち上がり顔を近づけてくる。だが、竜司は首を横に振った。
「何を言ってるんですか。あんなザコ以下の連中、殺したところで誰も得しませんよ。第一、俺はあんな奴らに刺されるほどヤワじゃないですから。俺は、誰にも刺されてません。誰のことも、訴えたりしません。誰のことも、傷つけようとは思っていません」
竜司の言葉に、高山は目を細める。もう六十近いはずなのだが、未だに迫力ある風貌だ。刑事ひとすじ二十五年のキャリアは伊達ではない。
「そうかい。ま、嘘をついてるのがお前だってことは、こっちもわかっているよ。だがな、俺も忙しいんだ。お前が被害届を出さねえなら、警察もこれ以上は関わる気はねえ。好きにしろ」
そう言って、高山は背中を向け病室を出ようとした。だが何かを思い出したのか、立ち止まり振り返る。
「たまには、お袋さんの面会に行ってやれ。お前、一度も行ってないそうじゃねえか」
高山が去った後、竜司は窓の方を向いた。だが、痛みが走り顔をしかめる。医師の話では、命に別状はない……とのことだった。後遺症もないらしい。もっとも、しばらくの間は入院していないといけないが。
母さん、何で言ってくれなかったんだよ。
竜司は心の中で、母に問いかけた。
もっとも、その理由は聞くまでもない。母は、竜司を殺人犯にしたくなかったのだ。
目の前で、父を殺してしまった息子の姿を見てしまった。母はその時、想像もつかない絶望感を味わったのだ。さらに、これまでの生活を激しく後悔したことだろう。自分たちがさっさと別れていれば、こんなことは起きなかったはずなのに……。
だが、意識を取り戻した息子には殺人の記憶がなかった。頭を打った衝撃か、あるいは無意識のうちに記憶を封じ込めていたのかは分からない。
いずれにせよ、息子には殺人の記憶がなかった。その事実を知った時、母は決意したのだ。
息子の身代わりになることを。その罪を、自分が代わりに償うことを。
全ては、息子に殺人犯としての人生を歩ませないためだった。
だが、その息子の今の姿は?
殺人犯と、たいして変わりない──
いつのまにか、外はまた雪が降り出していた。
空から落ちてくる雪が、竜司のドス黒く汚れた心を白く清らかなものへと変えてゆく。声を殺し、竜司はひとりで泣いた。
その泣いている姿を、外からじっと見つめているものがいる。
一匹の黒猫だった。降りしきる雪にも構わず、二本の尻尾をゆっくりと揺らしながら竜司を見つめている。
やがて、黒猫は消えた──
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる