化け猫のミーコ

板倉恭司

文字の大きさ
17 / 39

沼に棲む親友(1)

しおりを挟む
 江戸時代……山奥の集落・半月村はんげつむらは弱い者には住みにくい場所であった。厳しい環境の中で生きる男たちは乱暴であり、女房子供を平気で殴る。さらに、村長の言うことに逆らえば、たちまち村八分だ。女子供は、びくびくしながら暮らしていた。
 そんな半月村の片隅で、物語は始まる──




 源吉げんきちは泣いていた。
 泣きながら、傍らにある石を掴み上げる。目の前にある沼めがけ、思いきり投げつけた。石は、どぼーんという音を立てて沈んでいく。
 手で涙を拭きながら、源吉はその場に座り込んだ。
 その時、予想も出来なかったことが起きる。にわかに、水面がぶくぶく泡だった。直後、沼から奇怪な姿の者が現れたのだ。

「こら小僧、いてえじゃねえか! 石なんか投げやがって!」

 源吉の前には、おかっぱ頭のてっぺんに皿のような物を乗せた、緑色の奇妙な生き物が立っている。平べったく丸みを帯びた黄色いくちばしが、人間で言うところの唇に当たる部分を覆っていた。緑色の皮膚はぬるぬるしており、体の所々に水草や水ごけが付いていた。体からは、濁った水の匂いを発している。おまけに、背中には甲羅だ。どう見ても、人間ではない。

「かっ、河童だ! 河童が出た!」

 叫びながら、必死で逃げようとした。が、腰が抜けてしまい、その場にへたり込む。
 そんな源吉を、河童はじっと見下ろす。

「なんだよ。そんな怖がることないだろ」

 とぼけた口調で言った。が、源吉は恐怖に震えながら後ずさっていく。

「やめてえ! 俺のしりこだま抜かないでえ!」

「しりこだま? 何言ってんだよ。そんなもん抜くか」

 そう言うと、河童は源吉の傍に腰をおろした。
 源吉は、じっと河童を見上げる。どうやら、危害を加えるつもりはないらしい。それでも、念のため聞いてみた。

「ほ、本当にしりこだま抜かない?」

「だから、そんなことしないよ。誰から聞いたんだ」

「む、村の人が言ってたから……」

 そう、この許水沼きょすいぬまには河童が出るという伝説がある。また、背の高い草が多く生えているため視界も悪い。子供が下手に足を踏み入れると、沼に落ちて溺れる可能性が高い。そのため、近づかないように言われていたのである。
 ところが源吉だけは、この沼によく来ていた。人が近づかないため、嫌われ者の彼にとっては、ちょうどいい隠れ場所である。河童がいるという言い伝えなど、迷信であると思っていた。
 まさか、本当に河童がいるとは──

「村の人だあ? んなもん信じるな。それより、お前さっき泣いてたろ? どうしたんだよ?」

 いきなり問われ、源吉は顔を赤くして俯いた。

「べ、別に泣いてなんかいないよ」

「嘘つくなよ。お前、泣いてたじゃないか。俺は見てたんだぞ。なんか嫌なことがあったんだろ。なあ、言ってみ?」

 そう言うと、河童は顔を近づけてくる。源吉の方は、首を横に振って顔を遠ざけた。

「違うってば。俺、泣いてないから──」

「何があったんだよ? なあ、言ってみ?」

 ぐいぐい近づいて来る河童。その声からは、優しさが感じられた。

「俺、村の奴ら嫌いだ」

 気がつくと、そんな言葉が口から出ていた。

 そう、源吉は村人たちが嫌いだった。僅かな金を稼ぐために不景気な顔で仕事をこなし、帰ると女房や子供を怒鳴りつける。酒を飲み、くだを巻く。そんな村の男たちが、源吉は大嫌いだった。
 大きくなったら、華の都・江戸に行こう。江戸で一所懸命に働いて、偉くなってやろう。絶対に、村人たちのような小さな人間にはならない……そう、心に決めていた。
 だが、村の子供たちは源吉を馬鹿にした。

「お前なんか、偉くなれないよ」

 そのせいで、源吉は村の子供たちと度々いさかいを起こしていた。もっとも、源吉は喧嘩が弱い。いつも叩きのめされていた。



「そうかあ。それは大変だなあ」

 話を聞いた河童は、首を捻る。やがて、ぽんと手を叩いた。

「だったら、俺と相撲を取ろうぜ!」

「す、相撲? なんで?」

 びっくりして、聞き返す。だが、河童の方はお構いなしだ。

「そうだ、相撲だ。さあ、どーんとぶつかって来い!」

 そう言って、自身の胸を叩いた。源吉は、困った顔で後ずさる。

「いや、だから、なんで相撲なの──」

「馬鹿野郎、相撲が強ければ、本物の力士になれるんだぞ。力士になれば、ご飯がいっぱい食べられるらしいぜ。それに、力士になれなくても、相撲をやればお前も強くなれるぞ。さあ、来い!」

 言ったかと思うと、河童はすっと間合いを詰めて来る。
 次の瞬間、源吉は組み付かれていた。

「来い! まずは押してみろ! 相撲も出来ないようじゃ、江戸で偉くなんかなれないぞ!」

「わ、わかったよう」

 困惑しながらも、源吉は言われた通りに押してみた。だが、びくりともしない。満身の力を込めて押してみたが、全く動かない。巨岩を押しているかのようだ。
 その時、片手で軽々とつまみ上げられた。

「違う違う。お前は、腰が浮いてるんだ。だから、押しが弱いんだよ。腰をどんと落として、低い姿勢で押していくんだ」

 言いながら、その場に源吉を降ろした。

「いいか、明日から、四股と鉄砲とすり足を毎日やるんだぞ。わかったか?」

 河童にそんなことを言われたが、源吉には何のことかわからない。四股だの鉄砲だの、いったい何だろうか。
 混乱する源吉に、河童は一方的に語る。

「よし、決めた! 明日から特訓だ! お前、名前は?」

「えっ? 源吉だけど……」

「源吉か、わかった。ちなみに、俺の名前はカンタだ。明日、この沼に来て、俺の名前を三回呼べ。それが合図だ」

「あ、合図? どういうこと?」

 さらに混乱する源吉だったが、カンタはお構いなしだ。

「だってよう、二人の合図を決めなきゃ、源吉が来たかどうかわからないだろ。いいか、明日もここに来て俺を呼べ。そうしたら、俺が相撲を教えてやる。そうすれば、お前は村で一番強くなれるぞ」



 翌日から、源吉はカンタと相撲の練習をするようになった。
 まずは体を軽く動かした後、様々な技を教わる。さらにぶつかり稽古や、四股、鉄砲、すり足といった基本練習もみっちり行《おこな》う。
 たっぷり体を動かしたら、山菜や魚の入ったちゃんこを食べる。カンタが作ったものであり、塩で味付けしただけだが、とても美味しかった。
 カンタのおかげで、源吉は強く成長していく。村の子供相手には、もはや負けることはない。

 やがて、源吉は十五歳になった。背は高くなり、体つきもさらに逞しくなった。村でも、彼に太刀打ちできる者はほとんどいない。
 いよいよ、旅立ちの時が来たのだ。源吉は許水沼に行き、カンタを呼び出す。

「カンタ! カンタ! カンタ!」

 やがて、沼からカンタが姿を現した。

「来たか! さあ、相撲取ろうぜ!」

 はしゃぐカンタに、源吉は悲しそうな表情で口を開く。

「いや、違うんだよ。俺、江戸に行くことにしたんだ。しばらくの間、ここに来られなくなる。だから、お別れを言いに来た」

「えっ、そうなのか……」

 みるみるうちに、カンタの顔つきが変わっていく。しょんぼりした様子で、下を向いた。

「俺、今は貧乏だ。けど、江戸で金持ちになって帰って来るよ。必ず、また会いに来るから……」

 そう言うと、源吉は背中を向けた。このままだと、別れられなくなりそうだ。
 歩き出した時、カンタがそっと近づいて来た。

「わかった。じゃあ、途中まで見送らせてくれ」


 二人は、山道を歩いていく。ほとんど口もきかず、ひたすら歩いていった。
 だが、源吉は耐え切れなくなり口を開く。

「なあカンタ、もうここまでにしてくれ。俺もつらいんだよ……」

 その時、異変に気づいた。カンタの様子がおかしいのだ。目が虚ろで、息も荒い。こちらを見ようともせず、足を引きずるようにして歩いている。

「大丈夫か?」

 声をかけるが、カンタは無視して歩き続ける。その姿は、何かおかしい。源吉は、彼の肩を掴んだ。

「おいカンタ、聞いてるのか?」

 言った直後、源吉は愕然となる。カンタが、目の前でばたりと倒れたのだ──

「どうしたんだよ! しっかりしろお!」

 慌てて、カンタを抱き起こした。すると、微かにくちばしを開ける。だが、声が出て来ない。
 その時、がさりという音がした。同時に、道端の茂みから黒いものが出現する。

「お前、水持ってるかニャ?」

 聞いてきたのは、一匹の黒猫だった。源吉は唖然となる。

「み、水?」

「そうだニャ。河童は、頭の皿が乾ききると動けなくなるニャ。水があるなら、かけてやれニャ」

「わ、わかった」

 源吉は、腰に付けていた竹の水筒を外した。蓋を開け、カンタの頭に水を垂らす。
 その途端、カンタの目がぱっちり開いた。

「びっくりしたなあ、もう。こんな苦しいと思わなかったよ」

「だ、大丈夫かよ」

 源吉は、不安そうに声をかける。

「うん、大丈夫だ。地上を歩くの久しぶりだったからな。塩梅がわからなかったんだよ」

 言った後、カンタは黒猫の方を向いた。

「ありがとな、ミーコ」

「ふん、お前を助けるために来たわけじゃないニャ。たまたま、通りかかっただけだニャ」

 そう言って、黒猫はぷいと横を向いた。すると、源吉が黒猫に近づいていった。

「お前、ミーコって言うのか──」

「お前とは何だニャ! あたしは、二百年も生きてる偉い化け猫さまだニャ! 失礼な小僧だニャ!」

 黒猫は、源吉を睨みながら怒鳴った。直後、尻尾がびしゃりと地面を叩く。源吉は、びくりとなり後ずさった。よく見ると、尻尾は二本生えている。
 その時、カンタが囁いた。

「ミーコはな、根はいい奴なんだけど気難しいんだよ。怒るとくちゃくちゃ怖いから、謝っとけ」

 くちゃくちゃ怖いとは、どういう意味だろう……などと思いつつ、源吉は頭を下げた。

「ご、ごめんなさい」

 謝ると、ミーコはぷいと横を向く。

「まったく、人間は本当に礼儀知らずだニャ。三百年も生きてる化け猫さまを、なんだと思ってるニャ」

 ぶつぶつ言いながら、毛繕いを始めた。源吉は、あれ? と首を傾げる。

「あのさ、さっきは二百年て──」

 その瞬間、カンタの手が伸び源吉の口をふさいだ。一方、ミーコは素知らぬ顔で毛繕いをしている。
 だが、ミーコはすぐに顔を上げた。

「カンタ、ここまでにするニャ。でないと、また倒れることなるニャよ。沼に戻る前に倒れたら、どうするニャ」 

「そ、それもそうだな」

 言われたカンタは、源吉を真っすぐ見つめる。

「お前は、俺のただひとりの……人間の友達だった。お前のことは、絶対に忘れない。江戸に行っても、元気でやれよ」

 その言葉に、源吉は泣きそうになった。必死で涙をこらえ、言葉を搾り出す。

「カンタは、俺のただひとりの友達だ。江戸で偉くなって、必ず戻って来るからな。その時は、美味い胡瓜きゅうりを腹いっぱい食わせてやる」




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

処理中です...