化け猫のミーコ

板倉恭司

文字の大きさ
18 / 39

沼に棲む親友(2)

しおりを挟む
それから、十年が経った。
 許水沼の河童伝説は、いまだに語り継がれていた。近寄る者など、ひとりもいない。
 日は高く昇り、夏の日差しが辺りを照り付ける沼のほとりに、ひとりの若者が立っていた。高そうな着物姿で杖を持ち、腰には刀をぶら下げている。
 それは、成長した源吉だった。

「カンタ! カンタ! カンタ!」

 叫んだ後、じっと水面を見つめる。
 ややあって、水面にぶくぶく泡が湧いて来た。続いて、カンタが上がって来る。

「源吉じゃねえか! 懐かしいな! 会えて嬉しいぞ!」

 叫びながら、源吉の周囲をぴょんぴょん飛び回った。源吉は、笑いながら彼の手を握る。

「俺は、江戸で出世したよ。これも、お前のおかげだ。だから、お礼がしたいんだ。前に、一度でいいから胡瓜をお腹いっぱい食ってみたい……って言ってたよな?」

「えっ、くれるのか!? 胡瓜、くれるのか!?」

「ああ。向こうに用意してある。いこうぜ」

 そう言うと、源吉は彼の手を握ったまま歩き出す。カンタは、嬉しそうに付いて行った。
 今は夏である。昼の日差しは強く、容赦なく二人を照り付ける。源吉の額からは、汗が流れていた。
 カンタの方はというと、源吉の後をふらふらと付いて歩く。この暑さは、河童にとって苦しいものだ。
 やがて、耐え切れなくなったカンタが、おずおずと口を開く。

「源吉、悪いけど水をくれないか? 皿が乾いてきたよ。俺、そろそろ歩けなくなりそうだ」

 その途端、源吉は立ち止まった。険しい表情で振り返る。

「もう少しだ。だから、我慢してくれ」

 きつい口調で言うと、カンタの手を引き強引に進んでいく。カンタは、思わず叫んだ。

「ちょっと待ってくれよ。どうしたんだ?」

 だが、源吉は無視してどんどん進んでいく。
 やがて、カンタの意識が薄れてきた。足に歩くのもおぼつかない状態だ。半ば引きずられるようにして歩いている。
 その時、源吉が不意に立ち止まった。にやりと笑う。

「お前ら、出て来い」

 直後、周囲の草むらから数人の男が出てきた。彼らはカンタを取り囲み、縄で縛り上げる。カンタは、抵抗できずされるがままだ。

「馬の用意は出来てるな?」

 源吉が尋ねると、男たちは頷く。

「へい! もちろんでさあ!」

「そうか。なら、この河童をさっさと馬に乗せろ。こいつはな、江戸に連れて行けば一万両で売れるぞ」

 言いながら、源吉は満足げに笑った。その時、カンタが顔を上げる。

「どういうことだ……」

 ふらふらの状態だが、どうにか声を搾り出した。すると源吉は、冷たい目で見下ろす。

「お前みたいな妖怪はな、江戸では高く売れるんだよ」

「俺を騙したのか」

 カンタの声は、悲しみに満ちている。しかし、源吉は平気な顔だ。

「お前にひとつ教えてやる。江戸ではな、金がない奴は首がないのと同じ扱いなんだよ。つまり、貧乏人は人間として扱ってもらえねえんだ。金はな、お前の命なんかよりずっと大事なんだよ。俺はな、金のためなら親でも売るぜ」

「そんな……」

 カンタは、呻くような声を出した。一方、源吉は上機嫌だ。

「心配するな。お前を殺しはしない。まあ、逃げられないように手足のけんは切るけどな。心配するな。毎日、胡瓜をたらふく食わせてやるからよ」

 言った後、子分たちの方を向く。

「お前ら、こいつをさっさと運ぶぞ……」

 そこで言葉が止まる。目の前に、黒い猫が現れたのだ。

「お前、どうしようもないくずに成り下がったようだニャ」

 黒い猫は言った。その時、源吉は思い出す。十年前に出会った喋る猫のことを。名前は、確か……。

「思い出した。お前、ミーコとかいう化け猫だな。ちょうどいい、お前も捕まえてやろう……」

 言葉は止まった。源吉は、あんぐりと口を開けて立ち尽くしている。。
 なぜなら、目の前で黒猫が変身したからだ。小さな体は、七尺(約二百十センチ)はあろうかと思うほど巨大なものになっていた。体つきも、先ほどとはまるで違うものになっている。後ろ脚は長くなり、二本脚で立っていた。前脚も長くなったが、むしろ人間のように指が付いているのが目立つ。
 そこには、人間と猫を無理やり融合させたような、巨大な怪物が立っていた。

「お前たち、全員死んでもらうニャ」

 冷たい声で言い放った直後、ミーコは猛然と襲いかかる──



 やがて、ミーコは黒猫の姿に戻った。丹念に毛繕いをしている。
 カンタは、その場にじっと立っていた。先ほどミーコに水をかけてもらい、ようやく意識を取り戻したところだ。
 危ういところを助けられたにもかかわらず、カンタは虚ろな目で地面を見下ろしている。
 そこには、人間たちの死体が転がっていた。全員、ミーコに殺されたのだ。
 もちろん、源吉も──

「ミーコ、金ってそんなに大切なのか?」

 ぽつりと尋ねる。すると、毛繕いをしていたミーコは顔を上げた。

「金? そんなの知らないニャ。噛んでも硬いし、美味しくないし、あたしは欲しくないニャ。でも、人間は金が大好きだニャ」

「そうか。その金のために、俺を裏切ったのか。昔は、こんな奴じゃなかった。俺は、こいつを親友だと思ってたのに……」

 カンタは、死体となった源吉を見つめた。その時、ミーコのため息が聞こえてきた。

「人間なんかと友達になったら、確実に裏切られるニャ。だから、あたしは人間なんか信じないし、友達にもならないニャ。お前も、これに懲りたら、人間とはかかわるのを止やめろニャ」

 そう言うと、ミーコは再び毛繕いを始めた。だが、カンタは言う。

「いやだよ。俺は、人間を信じる。妖怪の中にも、いろんな奴がいるだろ。人間の中にも、いい奴がいるはずだ。いつか、いい人間と友達なれる。俺は、そう信じてる」

「ふん、馬鹿な奴だニャ。勝手にしろニャ。今度ひどい目に遭っても、あたしは助けてやらないニャよ」







しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

処理中です...