化け猫のミーコ

板倉恭司

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亮の親友(1)

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 夜のとばりが降りようとしている東京の下町。
 そんな都会の片隅で、成宮亮ナリミヤ リョウは思わず足を止めた。その目に、不思議なものが映ったのだ──

 彼の目の前を、一匹の黒猫が通る。とても美しい毛並みをしていて、尻尾は長い。ちょっとした汚れなどはついているものの、痩せすぎておらず太りすぎておらず、歩く姿からは優雅ささえ感じさせる。
 その黒猫には、他の猫と決定的に違う点があった。長くふさふさした尻尾は二本生えていたのだ。
 亮は、その黒猫を見つめる。黒猫の方は、彼を無視してそのまま歩いていく。

「お、おい……ちょっと待てよ」

 思わず声をかける、言うまでもなく、猫に言葉など通じるはずがない。したがって、待てと言われて待つはずもなかった。黒猫はすたすたと歩いて行き、路地裏へと入って行った。

「待てって言ってんだろ!」

 叫びながら、亮は追いかけた。彼は知っている。この黒猫には、言葉が通じるのだ。それだけではない……この黒猫は、かつての大切な思い出の重要なピースを成しているのだ。
 亮は、必死で黒猫の後を追いかけていく。そんな彼の頭に、十年以上前の記憶が蘇った。
 それは、亮にとって忘れることの出来ない、大切な思い出だった──

 ・・・

 ここは、どこなんだ?

 亮は目をこすりながら、辺りを見回す。全く見覚えのない風景だ。周囲には木が生い茂り、緑に覆われている。こんな場所に来た覚えはない。
 いったい、何が起きたのだろうか。亮はズキズキ痛む頭を押さえ、もう一度周りを見渡す。ここはどこだ? 自分は何故ここにいる? そもそも、自分は何をしていたのだろう? 次々と疑問が浮かんできた。
 頭の痛みに耐えながら、亮は自らの記憶を辿ってみる──



 亮はパッとしない少年だった。ごく普通の中流家庭に生まれ、特に問題もなく成長した。極端に優れた部分はなかったが、極端に劣った部分があるわけでもない。どこのクラスにもいる、「その他大勢」のうちのひとりだった。
 だが高校に入ると、いじめの標的になってしまったのだ。

 きっかけは何だったのか、自分でも分からない。気がついてみると、自分はとあるグループの一員となり、そこのイジられキャラとなっていた。
 だが、グループの行動はどんどんエスカレートしていった。彼らの行動は、いじめと呼ばれるものへと変化する。亮の体には痣ができ、親の財布から金をくすねたり店から万引きさせられたりするようになっていった。
 しかし、彼らからの要求は止まらない。さらに過激な行動を求められる。その要求は、亮の心と体を容赦なく破壊していく。
 やがて亮は限界を迎え、この世を去る決意をした。

 思い出した。
 僕は、睡眠薬を大量に飲んだはず。
 じゃあ、僕は死んだのか?
 ここは、死後の世界なのか?
 僕は、地獄に来たのか?

 呆然とした表情で、地面にへたりこむ亮。何もかも理解不能だった。この事態は、亮の思考のキャパシティを超えている。放心状態のまま、虚ろな目でもう一度あたりを見回す。
 その目に、恐ろしいものが飛び込んで来た──

 そいつらの外見は、人間に似ていた。体はさほど大きくないが、獣じみた顔つきをしている。肌の色は黒く、衣服は着ていない。上半身は痩せこけており、手足は木の枝のように細い。だが、腹の回りだけは異様なほど膨らんでいた。明らかに、人ではない。
 こんな不気味な怪物が数匹、亮から十メートルも離れていない位置にいる。亮を指さしながら、ギャアギャア耳障りな声を発しているのだ。明らかに、歓迎している雰囲気ではない。
 亮は恐ろしさのあまり、後ずさった。だが足が震え、それ以上動くことが出来ない。それどころか、その場に膝から崩れ落ちてしまった。
 その様を見た怪物は、ギャアギャア鳴きながら近づいて来た。亮は必死で逃げようとするが、腰が抜けてしまい立つことすら出来ない。地面を這い回り、何とか逃れようとする。この不気味な怪物たちは、どう見ても友好的ではない。捕まったら、確実にひどい目に遭わされる。

 いや、ひどい目なんてものじゃない。
 こいつらは、僕を食おうとしているんじゃないか?
 
 そんな考えが亮の頭を掠め、彼は必死で逃げようとした。だが、そんな努力を嘲笑うかのように、怪物たちはあっさりと彼を捕まえた。直後、胴上げのように皆で高々と持ち上げる。ギャアギャア鳴きながら、亮をどこかに運んで行こうとしているのだ──
 亮は悲鳴を上げながら、あらんかぎりの力でもがいた。だが怪物の腕力は、自分のそれとは比較にならない。
 その時だった。突然、怪物たちの動きが止まる。

「お前ら、さっさと失せろニャ。ここは、猫叉であるあたしの縄張りだニャ」

 いきなり聞こえてきた、奇妙な声。喋り方はおかしいが、声は若い女性のものだ。同時に怪物たちの力が緩み、亮はどさりと地面に落ちた。彼は慌てて立ち上がり、何事が起きたのか確認すべく周囲を見回す。
 そこにいたのは、奇妙な姿の女だった。

「ここは、餓鬼ガキの来る場所じゃないニャ。さっさと消えろと言ってるニャ」

 女はそう言いながら、怪物たちを見回す。年齢は、二十歳から二十五歳くらいだろうか。髪は黒く、肌は白い。整った綺麗な顔立ちではあるが、全体的に野性味を感じさせる。背は高く、しなやかな筋肉の付いた体に毛皮の服を着ている。
 そして、女の頭には三角の何かが二つ生えている。まるで、猫の耳のようだ。さらに、尻からは尻尾のようなものも生えていた。

 唖然とした表情で、亮は女を見つめる。まさか、こんな者まで出てくるとは。
 だが、怪物たちの反応は違っていた。女に向かい、耳障りな声でギャアギャア吠える。引き下がるつもりはないらしい。
 すると、女はため息を洩らした。

「聞こえなかったのかニャ? なら、もう一度言ってやるニャ。お前ら、その人間を置いて、さっさと失せるニャ。ここはな、お前ら餓鬼の来る場所じゃないニャ」

 女は、面倒くさそうな表情で言った。しかし、怪物たちには失せる気がないらしい。敵意を剥きだしにした顔つきで、ギャアギャア言い返す。 
 その様子を見て、女はすました表情でウンウンと頷いた。
 
「はいはい、わかったニャ。お前らには、引く気がないらしいニャ。じゃあ全員、死んでもらうニャ」

 次の瞬間、女が動く。
 何をしたのか、亮にははっきりと見えなかった。それくらい女の動きは速く、かつ無駄の無いものだった。女は滑らかに動き、腕を振る。直後に、彼女の手近な位置にいた怪物が、喉から血を吹き上げて倒れた。
 女は振り返りもせず、次の相手へと向かっていく。他の者たちは、何が起きたのか把握できないまま硬直している。
 だが、女は容赦しなかった。素早くしなやかな動きで、怪物へと襲いかかっていく。その姿は、アクション映画でも見ているかのようであった。女が動き、手を振る……直後、怪物が血を吹きながら倒れていく。
 亮がこれまでに見たこともない、残酷な光景だった。しかし同時に、美しく華麗なる舞踊を見ているかのようでもあった。


 気がつくと、怪物たちは地面に倒れていた。女が全員を死体に変えるまで、一分ほどしかかからなかっただろう。
 その間、亮は呆然としていた。恐怖もあったが、それよりも女の戦いぶりに魅入られていたのだ。
 だが女からの言葉が、亮を現実へと引き戻す。

「久しぶりだニャ、亮」

 その言葉を聞き、亮は顔を上げる。女は優しげな笑みを浮かべ、じっとこちらを見下ろしていた。だが、亮はぽかんとした顔のまま、女の顔を見つめる。なぜ、この女は自分の名前を知っているのだろうか。
 すると、女は呆れたような表情を浮かべる。

「お前は、相変わらずヘタレだニャ。いくつになっても、世話の焼ける小僧だニャ」

「だ、誰?」

 亮は、そんな言葉を返すのがやっとだった。当然ながら、目の前の猫耳の女に見覚えはない。
 すると、女はイラついたような顔つきで口を開く。

「あたしの名は、ボニーだニャ。忘れたとは言わせないニャ」

「ボ、ボニー?」

 呆けたような表情で、同じ言葉を繰り返す亮。だが次の瞬間、その目が丸くなる。

「ボニーって、あのボニーなの!?」

 亮は、思わず叫び声を上げていた。彼にとってボニーとは、忘れられない名前だったのだ。

 かつて亮が物心ついた頃、家に雑種の猫がもらわれて来た。猫はすくすくと育ち、亮の良き遊び相手となったのだ。その猫は亮に懐き、亮も猫が大好きだった。人見知りするタイプの亮にとって、猫が一番の親友だった。
 しかし一年前、猫は死んでしまう。亮は悲しみのあまり、しばらく学校を休むほどだった……。
 その猫の名前が、ボニーだった。

「やっと思い出したのかニャ。まったく、こんな場所に来ちゃダメだニャ。さ、帰るニャよ」

 そう言うと、ボニーと名乗る女は、亮の手を掴み強引に引っ張っていく……その腕力は凄まじく、亮はずるずる引きずられていった。

「ち、ちょっと待ってよ! 帰るって、どうやって!? そもそも、ここは何なの!?」

 亮は引きずられながらも、どうにか叫ぶ。すると、ボニーは立ち止まった。

「お前は、本当に面倒くさい奴だニャ。後でちゃんと説明するから、まずは付いて来るニャ。それに、ここにはクライドも来てるニャよ」

「ク、クライド!?」



 ボニーに手を引かれ、亮は森の中にある石造りの廃墟の中へと入って行った。中はホコリまみれで汚く、床には虫や鼠などが蠢いている。亮は顔をひきつらせながら歩いた。
 その時、突然声が響き渡る。

「亮か!? 亮なのか!?」

 暗闇から叫ぶ声。次いで亮の目の前に躍り出てきたのは、二十歳前後の若い男だった。背は高く、がっちりした体に毛皮の服を着ている。顔はボニーと同じく野性的であるが、どこか人の良さも感じさせた。

「えっ? 君がクライドなの?」

 亮は面食らいながらも、かろうじて言葉を絞り出す。すると、男は嬉しそうにウンウンと頷いた。



 クライドとは、ボニーと同じく成宮家にもらわれて来た雑種犬である。クライドもまた、亮にとても懐いていた。
 やがて亮はクライドとボニーを連れ、ひとりと二匹のトリオで近所を散歩するようになる。気のいいクライドは、猫のボニーとも仲が良かった。二匹は時にジャレあい、時に寄り添って眠った。その姿は、見ていて微笑んしまうくらい可愛いものだった。
 しかし、ボニーが死んでから二ヶ月後……ボニーの後を追うように、クライドも静かに息を引き取る。
 亮は立て続けに、かけがえのない友だちを失ったのだ。
 いじめが始まったのは、それからだった。


 呆然となっている亮に、クライドは勢いこんで話しかけてくる。

「亮!? お前、何でこっちに来た!? 何があったんだ!? 話してみろよ──」

「クライド、お前は少し黙ってろニャ。亮、今から説明してやるニャよ。ここが、どんな場所なのかを」

 クライドの言葉を遮り、ボニーは静かに語り始めた。

 亮の予想通り、ここは「もうひとつの世界」なのだ。人間以外の種族が、数多く存在している。
 この世界を支配しているのは、妖怪と呼ばれている種族なのだ。妖怪たちにとっては、人間など最弱の生き物である。どんな強い人間だろうが、妖怪たちから見れば食料でしかない。
 ボニーとクライドは、半年ほど前にこの世界に転生してきた。他の妖怪よりも、強い殺傷能力を持った存在として。

「じゃ、じゃあ、僕も転生しちゃったの?」

 恐る恐る尋ねた亮に、ボニーはかぶりを振った。

「違うニャ。お前はまだ、転生しきってないニャ」

「えっ? どういうこと?」

「お前はまだ、完全には転生してないニャ。匂いでわかるニャよ。今なら、まだ間に合うニャ。ここからしばらく歩いた所に、異世界への門があるニャよ。あたしらの師匠に頼めば、門を開けてくれるはず。そしたら、元の世界に帰れるはずだニャ」

 自信たっぷりの表情で断言する。その言葉を聞き、亮はへなへなと崩れ落ちた。

「た、助かったぁ……」

 しゃがみ込んだ体勢で、亮は安堵の表情を浮かべる。自分は助かるのだ。この恐ろしい世界で生きる……彼にとって、それは耐え難い恐怖だった。先ほど、餓鬼たちに持ち上げられた時、亮は身震いするほどの嫌悪感と恐怖とを感じたのだ。
 あんな思いは、もう二度としたくない。

 その時、亮の背中に何かが覆い被さって来た。

「良かったなあ亮! 元の世界に帰れるんだぞ! 本当に良かったなあ! あ、そうだ! 戻る前に追っかけっこしようぜ! 好きだったよな! 追っかけっこ!」

 クライドだ。クライドはニコニコしながら、顔をこすりつけんばかりの勢いで亮に迫る。

「ちょっと! クライド近すぎだってば!」

 亮は、思わず叫んだ。もっとも、そこに不快さは感じていない。先ほど、餓鬼たちに触れられた時のようなおぞましさは欠片もないのだ。クライドの手から感じられるもの、それは溢れんばかりの愛情だった。優しさと暖かさに満ちている。と同時に、懐かしさも。
 ふと、幼い頃の記憶が甦る。愛犬と触れ合い、遊んだ記憶が。確かに、昔はよく愛犬と追っかけっこをしていたのだ。
 見た目は、完全に人間のクライド。それでも、亮の記憶と本能が彼に伝える。この男は間違いなく、かつての愛犬クライドの転生した姿なのだと。

 本当に、クライドなんだね。
 また会えたんだね……。

 亮の視界がぼやけていった。下を向き、肩を震わせる。亮は久しぶりに、嬉しさのあまり泣いた。大粒の涙が、石の床を濡らしていく。
 その時、別の手が肩に触れた。

「お前は、本当に泣き虫な奴だニャ」




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