化け猫のミーコ

板倉恭司

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亮の親友(2)

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 不思議だ、と亮は思った。
 廃墟のような建物。そこで自分と一緒に、木の実や干した肉や果物などを食べている男女は、かつて自分が飼っていた犬と猫なのだ。
 今では、その二人が自分を守ってくれている。
 亮はうつむいた。この二人と、また再会できるとは……昨日の夜は、昔話に花が咲いた。ボニーとクライドは、亮の楽しく美しい思い出を甦らせてくれたのだ。亮は、泣きながら笑った……何度も何度も。そして、気がついたら眠りこけていたのだ。

「亮、食べ終わったら河原で遊ぼうぜ!」

 干し肉を食べ終えたクライドが立ち上がり、亮に言ってきた。亮はきょとんとした表情で、クライドの顔を見る。

「か、河原?」

「ああ。昔みたいに三人で遊ぼう! ボニー、お前も行くだろ?」

「嫌だニャ。そんなの、面倒くさいニャ」

 渋い顔をするボニー。だが、クライドはお構い無しだ。亮の手を握り、強引に立ち上がらせる。

「じゃあ二人で行こう! もうじきお別れなんだ! 今のうちに、いっぱい遊ぼうぜ!」

 クライドは、楽しそうに言った。だが、彼の言葉は亮の心に暗い影を落とす。
 この二人とは、二日後にお別れなのだ。自分は元の世界に帰る。だが、ボニーとクライドはこっちの世界に残る。
 亮は下を向いた。元の世界に帰るのは、果たしていいことなのだろうか? この怪物が蠢く世界で生きるのは恐い。
 しかし、ここには親友が二人いる。

「おい何やってるんだ! 早く行こうぜ!」

 クライドの声が聞こえた。亮は顔を上げ、微笑みながら頷く。

「うん、行こう」



 しかし、想像もしていなかった事態が起きる──

「ちょっとクライド!? 何やってんの!?」

 唖然とした顔で、亮は叫ぶ。クライドは川まで歩いてきたかと思うと、服を着たまま水に飛び込んだのだ。
 唖然となる亮の前で、クライドは楽しそうに泳いでいる。

「クライドは、いつもああだニャ。本当にアホな奴だニャ」

 呆れ返った表情で、ボニーは言った。ぶつくさ文句を言いながらも、彼女も付いて来てくれたのだ。
 亮は、そんなボニーを見つめる。

「ボニー、昨日は助けてくれてありがとう」

 亮の言葉に、ボニーはプイと横を向く。

「ふん、お前を助けたかったわけじゃないニャ。あたしらの縄張りで、餓鬼がでかい面してたからだニャ。お前は本当に、昔から世話の焼ける人間だったニャ。あたしたちが遊んでやらないと、お前は寂しそうにピコピコカチャカチャばっかりしてたニャ」

「ピコピコ? ああ、ゲームのことか」

 面白そうに笑う亮。そう、自分にはこの二人以外に友だちと呼べるような存在がいなかった。ボニーは気まぐれ、クライドは忠実……でも、どちらも大好きだった。犬派と猫派という言葉があるが、亮には当てはまらない。彼は、ボニーもクライドも大好きだ。二匹が相次いで死んだ時には、悲しみのあまり、しばらく登校拒否して部屋で寝込んでいたほどだ。
 思い起こせば……ボニーとクライドが死んで、亮はこれまでに味わったことのない深い悲しみを知った。
 だからといって、他の犬や猫を飼いたいという気にはなれなかった。彼らは、確実に自分よりも先に死ぬのだ。また同じ悲しみを味わうのだとしたら……亮には、それに耐えられる自信がなかった。
 その結果、亮はクラスの中に友だちを作ろうとした。本来ならば、これで上手くいくのだろう。亮には人間の良い友だちが出来て、青春の日々を過ごす。少なくとも、学園ドラマならそういう展開になっていたはずだ。
 だが、そうはならなかった。
 友だちを求めた亮に待っていたもの、それは人間の悪意だった。人間の無意識に潜む悪意……それは、あっという間に亮を追い詰め、亮の心をズタズタに引き裂いていった。



「亮、どうしたニャ?」

 ボニーの声を聞き、亮は我に返った。クライドの方を見ると、まだ楽しそうに泳いでいる。
 思わず微笑んだ。そういえば、クライドは川で泳ぐのが好きな犬だったのだ。近所の川に飛び込んでは、嬉しそうにじゃぶじゃぶ泳いでいた。

「クライド、本当に楽しそうだね。僕、ここに来て良かったよ」

 亮にとって何気ない言葉だったが、ボニーの表情は一変した。

「バカなこと言うニャ。ここには、危険な連中が大勢いるニャ。昨日だって、あたしが来なかったら、お前は食われてたニャよ」

「そ、そうだね。ごめん」

「まったく、お前は世話の焼ける奴だニャ。さっさと元の世界に帰るニャ。もう、バカなことはしないニャ?」

「う、うん」

 亮は口ごもり、下を向いた。
 あと二日したら、元の世界に帰れる。そうすれば、元通りの便利な生活が出来る。電気も水道もガスもない今の生活は不便きわまりない。食事も不味いし、娯楽も全くない。元の世界の方が、遥かに住み心地がいい。
 しかも、今いる場所は異世界なのだ。昨日の餓鬼のような妖怪が、他にも大勢いるらしい。命が惜しいなら、さっさと立ち去るべきだろう。少なくとも、自分のようなひ弱な人間の住めるような場所ではない。
 だが、元の世界に帰るのが自分にとって喜ぶべきことなのか、亮には分からなかった。
 自分は一度、死んだ人間だ。この世を去る決意をしたはずの自分が、今さら何を恐れる?

「亮、一緒に泳ごう! 俺は、お前と川で泳ぎたかったんだ!」

 物思いにふける亮をいきなり抱き上げたのは、びしょ濡れのクライドだった。クライドは凄まじい怪力で亮を高々と持ち上げると、そのまま川に入っていく。

「ちょっとクライド!」

 亮は慌ててクライドに抗議するが、クライドは止まらない。亮を水の中に放り投げ、次の瞬間には彼の周りを飛び跳ねる。満面の笑みを浮かべて。

「やったなあ!」

 亮は立ち上がり、クライドに水をかけた。クライドは嬉しそうに、水の中を走り回る。亮はその後を追いかけ、組み付いていく。

「あいつらは、アホだニャ」

 猫耳の裏をボリボリ掻きながら、呆れた口調でボニーは呟いた。だが、その表情は暖かい。母のそれにも似た優しい眼差しで、ボニーは川で戯れる二人を見ていた。



 その後、三人は河原で焚き火をしながら魚を焼く。木の枝に突き刺した魚に、塩を振っただけの粗末な昼食だ。しかし、亮の舌には美味しく感じられた。
 亮は食べながら、ボニーとクライドの顔を見る。二人はとても優しく、頼もしい存在である。亮の、最高の友だちだ。

「亮、明後日の夜には、ちゃんと帰れるニャ。もう二度と、自殺なんかしたらいけないニャよ」

 魚をむしゃむしゃ食べながら、ボニーが諭すような言葉をかけた。すると亮は顔を上げ、ボニーの顔を見る。
 ようやく、心を決めたのだ。

「僕、帰らない」

 亮の言葉に、きょとんとなる二人。

「何バカなこと言ってるニャ。下らない冗談はやめろニャ」

「冗談じゃない、本気だよ。僕、ここに残る」

 亮の表情は、真剣そのものだった。すると、ボニーの顔つきも変わる。みるみるうちに険しいものへと変貌していく。

「バカ言ってんじゃないニャ! ここはお前のいる場所じゃないニャ! 恐ろしい妖怪が、いっぱいいるニャ!」

「それでもいい! 僕は二人と一緒にいたいんだ! 僕はここに残る!」

「ふざけるニャ!」

 声と同時に、ボニーの平手打ちが飛ぶ。亮は頬を張られ、倒れた。
 直後、ボニーはハッとした表情になり、慌てて亮を抱き起こそうとする。だが、亮は頬をさすりながら自力で起き上がった。

「ふざけてんのは、どっちだよ? お前たちがいなくなって、どれだけ寂しかったか分かってんのか!? 二人が先に逝っちまって……僕がどんな思いだったか、わかってんのかよ!?」

 亮の、心からの悲痛な叫び。ボニーは何も言えず、うつむくことしか出来なかった。

「僕、何でもする。料理でも掃除でも、出来ることは何でもする。だから、ここに居させて。お願いだよ」

 言い終えると、亮は土下座した。額を地面に擦りつけ、もう一度叫ぶ。

「お願い! 僕をここに置いて!」

 しばらくの間、沈黙がその場を支配する。

「亮、お前に見せたいものがある。付いて来い」

 ややあって、亮の頭上から聞こえてきた声はクライドのものだった。先ほどまでとは明らかに違う、冷酷な声。同時に、亮は腕を掴まれて立たせられた。

「亮、俺に付いて来るんだ」

 そう言ったクライドの顔からは、感情が消え失せていた。



 クライドに手を引かれ、亮は歩いた。その後ろからは、ボニーも付いて来ている。周囲は自然に囲まれた、とてものどかな場所である。だが亮は歩くうちに、異変に気付いた。
 まず、奇妙な匂いが漂ってきた。いや、悪臭と呼ばれるものだ。胸がむかむかするような匂いが、風に乗って流れてくる。しかも、歩くにつれて悪臭はさらに強くなっていった。亮は耐えきれなくなり、鼻をつまみながら進む。
 やがて、クライドは立ち止まった。いつの間にか、小高い丘の上に来ている。クライドはそこから、下を指さした。

「あれを見ろ。あれこそが、この世界の現実だ」

 それを見た瞬間、亮はしゃがみこんで嘔吐した。胃の中のものを、その場に吐き出す。

 下には、木の小屋の残骸や皮のテントらしきものがある。つい最近まで、人が住んでいたような雰囲気だ。
 しかし、それよりも目立つ物がある。人間の死体が、大量に転がっているのだ。老若男女を問わず、かつて人だったはずの者たちが、肉の塊と化して無惨な姿を晒している。さらに人間の手足や内臓や骨なども、大量に散らばっている。テントや小屋にも、大量の血や内臓や肉片がこびり付いていた。
 そんな地獄絵図の中、転がっている死体や肉片を、巨大な何かが貪り食っていた。その姿形は、人間に似ている。ただし、肌はペンキを塗りたくったかのように真っ赤な色だ。頭には鋭い角が生え、体つきは動物園で見たゴリラよりも大きく逞しい。口には鋭い牙が生えており、その牙で人間の手足を噛み砕いている……。

「ここは、つい最近まで大勢の人間の住んでいた村だった。ところが昨日、あの鬼に全滅させられたんだよ。住んでいた人間たちは、たった一匹の鬼に皆殺しにされちまったんだ。しかも、人を食うのは鬼だけじゃない。俺たち妖怪は、お前ら人間から見れば、人食いの化け物なんだよ。この世界はな、妖怪の支配する場所なんだ。ここは、お前にとっての楽園なんかじゃない……本物の地獄だ」

 胃液を吐き続ける亮に向かい、そう言い放つクライド。亮は震えながらも、下の光景から目が離せなかった。

 人間が皆、食われた?
 あの鬼に、食われたのか。
 あんなのが、他にも……。

「あれを見ても……まだ、この世界にいたいと言えるのか? それならば、俺は止めない。決めるのはお前だ」

 語り続けるクライド。だが、亮は何も言えず震えていた。
 その時、鬼が貪り食う手を止めた。顔を上げると、亮と目が合う。
 にい、と凶悪な笑みを浮かべた。次の瞬間、鬼は跳躍し亮の目の前に降り立つ。ここまで五メートルはあるはずなのに、一瞬で飛び移ったのだ。

「うわあああ!」

 しゃがんだまま後退りする亮。腰が抜け、立つことが出来ないのだ。
 鬼は恐ろしい笑みを浮かべ、こちらに手を伸ばす。二メートルを超す長身と、丸太のような腕。顔は獣じみており、耳元まで裂けた口には、鋭い牙が生えているのが見える……間近で見ると、化け物そのものだ。亮は怯え、蛇に睨まれた蛙のごとく硬直していた。
 その時、クライドが亮の前に立つ。亮の眼前で、クライドの姿が変貌していった──
 頭は犬に似ているが、体は蛇のように長く細い。二メートルほどの体長には不釣り合いな、短い手足が付いている。白い体毛に覆われた体をくねらせながら、泳いでいるかのように宙を舞っていた。

「この人間に、手を出すんじゃねえ」

 クライドは宙をゆっくりと移動しながら、鬼に言った。だが、鬼も負けていない。威嚇するかのように、足を踏み鳴らして吠えた。

「そうかい。鬼ごときが、犬神イヌガミの俺に刃向かおうってのか」

 言った直後、クライドの姿が消えた──
 次の瞬間、クライドは鬼の横に移動していた。一瞬で間合いを詰め、鬼の太い首に食らいつく。直後、凄まじい勢いで鬼の体を振り回した。
 ぶんぶん振り回したかと思うと、遠くに放り投げる。百キロを軽く超えているであろう巨体が宙を舞い、どさりと地面に落ちた。十メートル以上は飛んだろう──

「どうした? まだやるのか?」

 余裕の口調で言いながら、クライドはひらひら宙を舞う。すると、鬼は起き上がった。だが、戦意は無くなったらしい。向きを変え、どすどすという足音を立てながら走り去って行った。
 その時、亮の体が抱き上げられた。目の前には、ボニーの顔がある。彼女は真剣な表情で、亮の顔を見つめた。

「わかったかニャ? ここは、あたしたち妖怪の世界だニャ。お前は来てはいけない世界だニャ。お前なんかいても、あたしたちの足を引っ張るだけだニャ。このまま、この世界に居続けたら……お前もいつか、人間をやめることになるニャよ。よく考えて、選択しろニャ」






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