化け猫のミーコ

板倉恭司

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アンドウ先生(2)

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 その時、何が起きていたのか……正確なことは分からない。

 私に分かっているのは、かつて人間という種が絶滅の危機に瀕していたことである。どうやら治療不可能な疫病のようなものが、地球で瞬く間に広がっていったらしい。やがて地球の総人口は、たったの数十万人へと激減した。生き残った人々は話し合い、ひとつの決断を下す。
 まずは、広大な地下シェルターに百人の子供たちを避難させた。古い小学校の地下に、あらかじめ建設されていたのである。
 その地下シェルターは、ブレインと名付けられたスーパーコンピューターによって管理されていた。さらに、コールドスリープのためのカプセルも設置されていたのである。
 コールドスリープカプセル……すなわち冬眠のためのカプセルだ。ブレインによって完璧に調整されており、生命維持装置も完備されている。
 選ばれた百人の子供たちと十人の大人たちは、カプセルに入り眠りについた。
 ブレインはシェルターの安全を守ると同時に地上を監視し、人間の住める環境になった時に冬眠状態の人間を起こす……そうプログラムされた。
 残りの者たちは、地上で治療方法の研究を続けることとなった。



 その後、冬眠状態の少年少女が目覚めるまでには……約千年ほどの時間を要した。
 その間に、地上にいた人間は全て死に絶えたらしい。新種の疫病を治すことが出来ず、人類は滅亡した……と、ブレインは判断している。
 必然的に、人間の生み出した文明は崩壊した。

 ブレインの推理によれば、この現象は地球の免疫機能による、一種の治療であるらしい。当時、科学の進歩は手の付けられない状態になっていた。自然破壊を危惧するよりも、むしろ宇宙開発の方向へと人類は進んでいたのだ。仮に地球が滅んでも、他の惑星に移住すればよい。首脳陣は皆、そう考えていたらしい。
 だが、彼らは分かっていなかった。地球は生きているということを。
 やがて地球は、人類を敵とみなしたのである。自然を破壊し、多くの種を絶滅させてきた人間。このままでは、地球もまた滅ぼされてしまう……。
 人体に病原菌が侵入すれば、その病原菌を殺すための抗体が出来る。地球にとって、人類は病原菌であった。その病原菌を死滅させるため、強力な抗体を生み出す。
 それは、人間だけを死滅させるウイルスだった。
 結果、人間は絶滅した。地球は元の美しい姿を取り戻したのである。



 やがて月日が流れ、ウイルスは完全に消滅した。ブレインは人間が出ても安全な環境になったと判断し、コールドスリープカプセルの冬眠状態を解除したのである。
 だが、千年という歳月はあまりにも長かった。その間、ある者は装置の故障により死亡した。
 また、ある者は冬眠状態から目覚めることが出来なかった。
 さらに、目覚めた直後に死亡した者もいる。
 結局、ほとんどの人間が眠りから覚めることが出来なかった。まともに目覚めたのは、幼いキョウジとレイラの二人だけだったのである。
 言うまでもないことだが……二人の幼子が大人の保護もなしに、この大自然の中を生き延びることなど不可能であろう。
 だが、ブレインに抜かりはない。人工的に野菜を栽培できるシステムは、シェルターに完備されている。さらに、こうした事態もあらかじめ予測されていた。万が一の時のため、高性能の人型アンドロイドを用意していたのである。
 そのアンドロイドこそ、私なのだ。

 私がブレインより命令を受けたのは、一月ほど前である。キョウジとレイラが目覚めると同時に、私も起動した。以来、二人の教師そして親代わりとなっている。

 ・・・

 私は、足音を忍ばせて寝室へと戻る。体に付着した血や肉片などは、綺麗に洗い流した。匂いも消してあるし、倉庫の周辺もきちんと掃除した。校庭で何が起きたか、二人は気づかないだろう。今はまだ、知る必要もない。
 ただし、これからは二人の行動に、より一層の注意を払う必要が出てきた。何せ、校庭に巨大な熊が出たのだ。他の猛獣が現れても、おかしくはないだろう。
 今後は授業の中で、動物の危険性についてもっと詳しく教える必要があるな……そんなことを考えながら、私は二人の寝顔を見つめた。
 キョウジは両手を広げ、万歳のような体勢で眠っている。一方、レイラは横向きの体勢だ。
 彼らは、この世界で生き残った人間である。私の使命は二人を教育して身の安全を守り、自立した大人へと成長させることだ。
 いずれ彼らは、この世界のアダムとイブにならなくてはならないのだから。
 しかし、今はまだ己の使命を知らない。また、私がアンドロイドであることも知らない。
 もっとも、今はそれでいい。己の使命にプレッシャーを感じることなく、普通の子供として伸び伸びと育って欲しい。

 その時だった。またしても、奇妙な気配を感じた。
 パッと振り返ると、そこには一匹の猫がいた。中型で、恐らくは成体だろう。尻尾が二本あるが、それよりも奇怪な点がある。

「なんだか、血の匂いがするニャ。熊が出たみたいだニャ」

 そう、この黒猫は人語で会話が出来るのだ。しかも、知能も高い。その上、私には理解不能な能力の持ち主である。
 私の脳内のデータにある、どの生物にも該当しない。ブレインにも聞いてみたが、そんな生物のデータはないと言う。ひょっとしたら、独自の進化を遂げた新種の生物なのだろうか。
 今のところ、わかっているのはふたつ。我々に敵意はないことと、気が向くと私に会いに来ることだけだ。ただし、子供たちはこの奇怪な生き物の存在をまだ知らない。

「そうだ。熊が出た。だから殺した。放っておけば、キョウジとレイラに害を為しそうだったのでな」

「そうかニャ。本当に、物騒な奴だニャ」

 言ったかと思うと、素知らぬ顔で毛づくろいを始めた。本当に、理解不能な生物である。こんな生物は、まだ他にも生息しているのだろうか。
 その時、ふと思いついた。

「君に頼みがある。これから熊の肉を調理してみるつもりだ。また、味見をしてくれないか?」

「味見? まあ、仕方ないニャ。頼まれてやるかニャ」

 猫は、こちらを見もせずに答えた。私は倉庫に行き、熊の肉を切り取る。
 調理室に行き、肉に塩を振る。油を用いて、焦げない程度に焼いてみた。

「出来たかニャ」

 後ろから声がした。見ると、黒猫が来ていた。二本の尻尾をくねらせ、こちらを見上げている。

「ああ、焼けたよ。食べてみてくれ」

 焼けた肉を細かく切り、皿に乗せて黒猫の前に置いた。
 黒猫は口を開け、肉にかぶりつく。この猫は、味覚のない私の代わりに味見役になってくれているのだ。
 やがて、黒猫は肉を食べ終えた。

「まあ、食べられないこともないニャ。ガキどもには、これくらいの味付けで充分じゃないかニャ」

「そうか。ありがとう」

 礼を言うと、黒猫はフンと鼻を鳴らした。

「別に、礼を言われるほどのことはしてないニャよ。そろそろ帰るとするかニャ」

 そう言うと、体の向きを変える。
 去り行こうとしている黒猫に、そっと声をかけた。

「君は以前、数百年前から生きていると言っていたな。では、この先も数十年は生きていられるのか?」

「当たり前だニャ。それが、どうかしたかニャ」

 黒猫は、顔をこちらに向け答えた。

「私が活動を停止する日が来たら、子供たちの面倒を見てあげて欲しい。頼めるだろうか?」

「カツドウヲテイシ? 面倒な言葉を使う奴だニャ。まあ、暇つぶしにやってもいいニャよ」

 言った直後、フッと消えた。物理の法則を完全に無視している。何を考えているかもわからない。
 だが、我々が活動を停止したら、頼れるものはあの未知の生物だけなのだ。



 ブレインの機能は、あと数年で停止するとのことだ……「本人」が、そう弾き出している。自己修復機能も、近頃では上手く働かなくなってきている。千年もの間、故障もせずに動いてきたスーパーコンピューターといえど、そろそろ限界らしい。
 それに伴い、私の機能もいつかは停止する。ブレインの予測では、私の寿命は、あと十年ほどらしい。もしかしたら、その前に停止する可能性もある。事故で、突然停止する可能性もある。
 停止する前に、キョウジとレイラが自立して生きていくのに必要な知識を授けられるだろうか。
 私には、その自信がない。だから、あの奇妙な生物に頼るしかないのだ。



 寝室に戻ると、二人は眠ったままだった。

「この……チビ……」

 不意に声が聞こえた。レイラのものである。私は、ちらりと彼女を見た。だが、目を覚ましてはいなかった。どうやら寝言らしい。夢の世界でも、キョウジと喧嘩をしているのだろうか。
 その時、なぜか私の顔に笑みが浮かんでいた。

 どうしたのだろうか?

 私が笑顔を見せるのは、子供たちの前だけである。二人とのコミュニケーションの手段の一つとして、笑顔を用いることはある。笑顔を見せることにより、子供たちは時に喜び、時には安心したりもする。私にとって、笑顔とは彼らとの関係を円滑なものにする手段でしかない……はずだった。
 しかし今、二人の寝顔を見ているうちに、自然と笑顔になっていた。これは、どういうことなのだろうか。
 あるいは、これが愛情というものなのだろうか……。





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