世にも異様な物語

板倉恭司

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刑罰とは何か

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 ドアが開き、彼が入って来た。

「今日は、いったい何の用です?」

 にこやかな表情で、彼は言った。
 私は、彼の顔をまじまじと見つめる。見た目は、健康そのものだ。血色はいいし、何の悩みもないように見える。
 先日、死刑を宣告された男には見えない。

「山木さん、あなたは本当に控訴しないのですか?」

 言いながら、私は彼の目を見つめる。アクリル板越しではあるが、動揺すれば表情に出るのがわかるはずだ。
 だが、山木康介ヤマキ コウスケの表情は変わらない。彼は二十五歳のはずだが、見た目は十代の少年のようである。

「しません。裁判は面倒です。それに検事や裁判員のような連中には、今の時刻すら教えたくありませんから」

「あなたは、このままだと死刑なんですよ。もう一度、精神鑑定を受ける気はないのですか?」

「精神鑑定? あんなものには、何の意味もありませんよ」

 山木は、冷静な態度を崩さない。醸し出している雰囲気は、ごく普通のものだ。仮に、私が外で彼と道ですれ違ったとしても、次の瞬間には忘れているかもしれない。少なくとも、深く印象に残るタイプでないのは確かだ。
 事実、山木は小学校から大学まで、ごく普通の男であったという。多くはないが友人もいたし、かつて付き合っていた恋人もいた。
 にもかかわらず、三年の間に約二十人を殺している。そして半年前、警察に自首してきた。自身の犯した二十の殺人事件を細部まで完璧に記憶しており、取り調べた刑事からの質問には全て即答したという。しかも、その供述に嘘はひとつもない。
 私が今まで見てきた、どの犯罪者にも当てはまらないタイプだった。

「あなたは、死ぬのが怖くないのですか?」

 思い切って聞いてみた。だが、返ってきたのは想定外の答えだった。

「はい、怖くありません。逆に聞きたいのですが、先生は死ぬのが怖いのですか?」

 山木は、真顔でそんなことを聞いてきた。

「もちろん怖いですよ」

 私は、そう答えるしかなかった。すると、山木は不思議そうな顔で首を傾げる。

「あなたもですか。実に不思議な話ですよね」

「何が不思議なんですか?」

「だって、人間は必ず死にますよね。これは、人類が誕生してから、ただのひとりも例外はなかったはずです。その避けようがない死を、なぜ恐れるのでしょうか? 私も先生も、いつかは死ぬんです。遅いか早いか、差はそれだけです」

 きわめて普通の表情で、山木は語る。私は、そんな彼の顔をまじまじと見つめた。
 弁護士という職業柄、私は大勢の犯罪者を見てきた。犯罪者のほとんどが、息を吐くのと同じくらい簡単に嘘をつく。そんな連中と話していくうちに、私は相手の嘘を見抜く目が養われてきた。今では、目の前にいる者が嘘をついているかどうか、ほぼ見分けられる自信がある。事実、後になってから被告の嘘が判明する……というケースを、今まで嫌というほど見てきた。
 だが、今の山木の顔には、どこにも嘘をついている気配が感じられない。それどころか、彼の瞳は澄みきっている。これまた、他の犯罪者とは違う。
 この男には、死を恐れる気持ちがない。自分が罪を犯した、という自覚もないのだ。少年のような瞳で真っすぐ私を見つめ、さらに語り続ける。

「先生、僕はつまらないのですよ。今まで生きてきて、いろんなことをしてきました。だが、何をしても心から面白いと思ったことがない。人を殺してみたのも、単純に面白いかどうか知りたかったからです」

 淡々とした口調で、山木は語る。私は黙ったまま、彼の言葉に耳を傾けていた。

「以前、連続殺人鬼の自伝を読みました。そこには、こう書かれていました……殺人は私にとって、この上ない快楽であった、と。ですから、僕は人を殺してみました。初めのうちは、確かに面白かったですよ。警察に捕まらないように、知識と知恵を振り絞って計画を練り、一瞬のチャンスを逃さず仕留める。本当に、楽しい日々だった」

 その時、彼の顔に違う表情が浮かぶ。楽しかった過去の出来事を、思い返しているかのように見えた。
 だか、その表情は一瞬にして消え去る。

「でもね、それも長くは続かなかった。非日常の出来事は、刺激的ではあります。が、繰り返せば退屈な日常に変わります。人を殺すのにも、僕は飽き果ててしまいました。もう、何をしても面白くない。だから、死ぬことにしたんです。どうせ死ぬなら、最後に死刑というものを体験してみたい……そのため、僕は自首したんです。しかし、裁判は本当に面倒だった。終わってくれて、せいせいしています」

 そう言って、山木は微笑んだ。先ほどと同じく、嘘をついているような気配は感じられない。彼は、死刑になることを本気で望んでいるのだ。
 やはり、この男は狂っている。もはや、私のような人間には何も出来ない。彼に何を言おうが、その決心は変わらないだろう。
 心の闇、という言葉がある。私は、犯罪者の心の闇を何度も見てきた。時には、覗いた闇の深さに震えたこともある。
 だが、山木の心に闇はない。代わりに光もない。
 彼の心には、何もないのだ。



 帰り道、私は重い徒労感を覚えていた。駅のホームで電車を待ちながら、先ほどの対話について考えた。
 山木のような人間を死刑にして、いったい何の意味があるのだろうか。あの男は、死ぬことを全く恐れていない。
 退屈だから人を殺す。その人殺しにも飽きたから、人生を終わらせることを決める。最期に、死刑を体験するため自首する……何もかも異常だ。
 この心理は、私のような凡人には絶対に理解できない。ただ、分かることはある。死ぬのが怖くない人間に、死刑という刑罰は相応しいものなのだろうか。まして、死刑を体験したいと願う人間を死刑にする……これは、刑罰として意味があるのだろうか。
 何の意味もない。
 その時、ふと思い出したことがあった。小学生の頃、死刑について調べていた時……疑問に思ったことがある。現代の法では、人を三人殺せば確実に死刑になる。では、十人殺した場合はどうなのか? これも死刑である。それなら、百人殺した場合は? これまた死刑だ。
 三人殺した人間と、百人殺した人間が同じ刑罰でよいのだろうか?
 死刑よりも上の刑罰はないのだろうか? 
 当時、そんなことを本気で考えていた。しょせん、子供の考えと言ってしまえばそれまでである。だが、死刑よりも上の刑罰こそ、山木に相応しいものではないだろうか。

 その時、電車がホームに入って来た。私は重い体を引きずりながら、電車に乗りこんだ。
 だが、私はすぐに後悔する。近くの席に座っていた若い男が、いきなりスマホを出して話し始めたのだ。

「おう、どうした……んなの知るかバカ!」

 若者は楽しそうな様子で、スマホに向かい喋りかけている。周りの人間は皆、露骨に嫌な顔をしていた。
 だが、若者はお構いなしだ。 

「そういや、山木って殺人鬼が死刑になったらしいじゃん……はあ? バカ野郎! 詐欺とか殺人とか強盗みたいなのは、ドンドン死刑にしていけばいいんだよ!」

 車内の空気を完全に無視し、若者は話し続けている。私の近くに座っていた中年男が、チッと舌打ちした。見た感じ、四十歳は過ぎているだろう。いかつい顔つきをしており、普通のサラリーマンとは違う雰囲気を漂わせている。だが、ヤクザではない。恐らくは、若い時にヤンキーと呼ばれていた人種だろう。
 だが、若者は気づいていない。

「人権? 知るかよ。死刑にして始末した方がいい犯罪者は沢山いるんだよ……いっそ、俺らも犯罪者狩りとかやらね? 悪い奴をボコッたのが広まれば、抑止力になるっしょ。そうすりゃあ、日本は平和になるんだからさ」

 聞いていた私は、思わず笑ってしまった。周りに不快感を与えながら、日本の平和について語っているとは。
 そもそも、山木はただの殺人鬼ではない。彼は、自ら死刑になるために自首したのだ。もっとも、あの若者の猿以下の知能では、山木という人間を欠片ほども理解できないだろうが。
 山木を死刑にしたところで、喜ぶだけだ。刑罰にはなり得ない。国民に対する、みせしめの効果があるだけだ。

 その時、ついに中年男が立ち上がった。若者の前に歩いていき、彼を睨みつける。

「おい、いい加減にしろ!」

 中年男の言葉に、若者は凶悪な表情を浮かべて見上げた。

「はあ? 何言ってんの?」

「スマホを切れ! 車内で話すな!」

 その言葉に、若者はチッと舌打ちした。不快そうな表情で、スマホをポケットにしまう。だが、ここで終わりではなかった。

「何だ! その目は! やんのかコラァ!」 

 怒鳴った直後、中年男は若者の胸をドーンと突いた。途端に、若者が吠えながら立ち上がる。

「このクソオヤジが! ぶっ殺すぞ!」

 若者と中年男は掴み合い、殴り合った──



 次の駅で、二人は警官や駅員たちに引っ立てられて行った。直後、電車が遅れるとのアナウンスが聞こえてくる。
 私は、ため息を吐いた。本当に不快である。二人のバカが争ったせいで、こちらの生活スケジュールにまで影響してくるとは。これからの予定が、全て狂ってしまった。
 あの二匹こそ、死刑が相応しい。






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