世にも異様な物語

板倉恭司

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父と子と悪霊の御名において

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 三宅博之ミヤケ ヒロユキは、周囲を見回した。
 ここは、小さなスーパーだ。さほど広くない店内には、数人の客がいる。皆、並べられている商品を、じっくりと吟味していた。博之のことなど、気にも留めていない。
 それも当然だろう。彼の外見は、ごく普通の冴えない四十男だ。頭は薄くなり始めているし、腹も出ている。服装も目立つものではない。完全な通行人Aである。
 もっとも、その評価は一瞬にして変わることとなるのだが。

「う、うわああああ!」

 突然、店内に叫び渡る叫び声。発したのは博之だ。彼はわなわな震えながら、その場にしゃがみ込む。

「だ、大丈夫ですか?」

 店員が、慌てた様子で近づいて来た。だが、博之は何も答えない。両手で顔を覆い、呻き声をあげる。
 やがて救急車が到着し、博之は近くの病院に連れていかれた。

「すみません。並んでいる包丁を見た途端、急に恐ろしくなって……気がついたら、ここにいました」

 医者に向かい、博之はそう語った。

「ふむ。体に異常はありませんね。これは、心の問題である可能性が高いです。もし、また同じ症状が出るようでしたら、心療内科を受診してみてください」



 その翌日。
 博之は、駅前の道を歩いていた。時間は、夕方の六時だ。人通りも多い。
 そんな中、博之は金切り声を上げた。周囲の視線が、彼に集中する。
 次いで、路上にてしゃがみ込む。獣のような唸り声を上げながら、道路に額をこすりつけて震え出す──
 すぐに救急車が呼ばれ、博之は運ばれていった。

「わからないんです……気がついたら、ここにいました。私は、何をしたんですか?」

 医者に向かい、博之はそう尋ねた。

「あなたは、心に問題があるようですね。しばらくは仕事を休んで、療養するべきです」

 医者の勧めに従い、博之は仕事を休むことにした。



 それから一週間後。
 博之は、病院へと向かっていた。事前に心療内科の予約を取っており、今日は初めての診察である。
 街中を歩いていた時、不意に足が止まる。ジュースの自動販売機を、じっと睨みつけた。

「誰だ……お前は誰なんだ!」

 喚きながら、自販機を睨みつけた。当然、周囲の通行人たちは彼に注目する。中には、スマホで撮影している者までいる始末だ。
 そんな状況にもかかわらず、博之の奇行は止まらない。

「てめえ! 何見てんだ! 殺すぞコラ!」

 衆人環視の中、博之は喚き続けた。
 やがて、数人の警官が到着する。警官は、にこやかな表情で博之に話しかけた。

「大丈夫ですか?」

 その瞬間、博之は棒立ちになった。血走った目で、警官を凝視する。
 直後、金切り声をあげた──

「やめてえ! 許して! お巡りさん助けてえ!」

 支離滅裂な言葉を叫びながら、その場にうずくまる。両手で頭を抱え、ガタガタ震え出したのだ。
 数分御、博之はパトカーに載せられる。そのまま、強制入院となった──



 一年が経過し、博之は退院することとなった。医者に挨拶し、閉鎖病棟を出る。
 彼は、途中あちこちの店に寄り必要なものを購入した。その後、電車に乗り込む。

 一時間後、博之は電車を降りる。駅を出て二十分ほど歩き、とある駐車場の中に入って行く。中は広く、車が二十台ほど停まっている。
 その中の一台に、ゆっくりと近づいていく。すると、突然ドアが開いた。中から、人相の悪い若者が顔を出す。

「あんた、三宅さん?」

「はい」

 博之が頷くと、若者は手招きした。
 車に乗ると、ドアが閉まる。同時に、若者がポケットから何かを取り出し差し出してきた。
 白い粉の入った、小さなビニール袋だ。口の部分はジップロック式になっており、開けたり閉めたりが容易である。通称・パッチンパケと呼ばれる物だ。違法な薬物をやる者たちには人気の品なのだ。
 そう、若者が渡してきたのは覚醒剤であった。

「ものの方、確認して」

 若者に促され、博之はビニール袋に指を入れた。白い粉を小指に付着させる。
 嘗めてみた。苦い。強い苦みと同時に、微かに頭がすっきりするような感覚を覚えた。調べた通りの味だ。これは、本物であろう。

「本物ですね」

 博之は頷くと、金を渡した。若者は金を数え、ニッコリと微笑む。

「じゃあ、気をつけて」

 言葉の直後、ドアが開いた。博之は、外に出る。
 これで、準備は全て整った。



 大きな道路に出て、タクシーを拾う。場所を指定し、後は無言で外を見ていた。
 やがて、目的地へと到着した。タクシーを降りると、ゆっくり歩いていく。
 五分ほど歩き、古いアパートの前で立ち止まった。筑数十年という雰囲気を醸し出している。二階建てで、階段はトタン屋根に覆われていた。
 一階の角部屋の前に立ち、ブザーを押す。
 ややあって、ドアが開いた。中から、若い男が顔を出す。

「はい……」

 若者は、困惑した表情で博之を見ている。何の用で来たか、わかっていないのだろう。
 博之は、ポケットからスタンガンを取り出す。そのまま、若者に押し当てた──
 悲鳴をあげ、若者は吹っ飛ぶ。博之は、すぐさま室内に入り込んだ。ベルトに差しておいたダガーナイフで、若者を滅多刺しにする。
 たちまち、博之の顔は返り血で染まっていった。

「お前が……お前が、俺の娘を殺した!」

 うわごとのように叫びながら、博之はなおもナイフを振り下ろした──

「お前が少年法で罰を逃れるなら、俺は三十九条で罰を逃れてやる!」



 六年前、博之の娘の幸代ユキヨは殺害された。
 明るく活発な性格で、成績も上位だった幸代。顔も母に似て美しく、スタイルも抜群だ。スポーツも万能であり、友達も多くクラスの人気者だった。
 そんな幸代が、いつも通り学校に行った時、いきなり包丁で滅多刺しにされる。直ちに病院に運ばれたが、治療も間に合わず死亡が確認された。十二歳の短い生涯を終えたのである。
 犯人は、その場で逮捕された。滝川直也タキガワ ナオヤという同じクラスの少年である。暗い生徒であり、幸代との接点はなかった。
 滝川は動機を聞かれた時、こう答えたという。

「人を殺してみたかった。相手は誰でもよかった」

 それを知った時、博之は気も狂わんばかりだった。そんなことがあっていいのだろうか。人を殺してみたかった、などという理不尽な理由の為に、幸代は人生を終えることになったのか。
 犯人に厳罰を望み、署名を集め提出もした。だが、滝川は当時十二歳である。少年法では、十二歳以下の者が犯した事件は罪に問うことが出来ない。したがって、滝川は刑務所に行くことすらなかった。
 しばらくして、さらなる悲劇が博之を襲う。妻の優子ユウコが自殺したのだ。
 優子は娘が殺されて以来、何とか滝川の親の家と連絡をとろうとしていた。刑事事件に問えないなら、せめて親に謝罪させようとしたのだ。だが、滝川に母はなく、父親は優子を完全に無視していた。
 しかも滝川の家は事件後に引越してしまい、行方が知れなくなる。それでも優子は、執拗に滝川を探し続けていた。
 ところが一年前、何を思ったか彼女は全てをやめてしまう。それから間もなくして、優子は自殺してしまったのだ──

 何もかも失った博之は、滝川直也の殺害を決断した。滝川が生きている限り、永遠に人生の再出発が出来ないのだ。
 もっとも、ただ殺したのでは自身が罰を受ける。ならば、刑法三十九条を利用するまでだ。
  犯行時、犯人が心神耗弱もしくは心神喪失の場合は罪に問わないというのが刑法第三十九条の規定である。少年法と同じく、被害者にとってははなはだ不合理なものだ。
 だが、博之は違う評価をした。人を殺しておきながら、少年法により罰を逃れた者を殺した犯人が、三十九条により罰を逃れる。
 実に面白い話ではないか。

 この計画を立ててから、博之はずっと演技をしていた。初めは、ごく些細な奇行。ちょっとした発言や行動で、周囲の人たちに違和感を覚えさせる。
 そこから、徐々に奇行のレベルを上げていく。最後には、衆人環視の中で何度か騒ぎを起こした。結果、医者は博之に心の病気だという診断を降す。博之は、入院されることとなった。
 さらに駄目押しとして、事前に覚醒剤を買って飲み込んだのだ。僅かな量ではあるが、尿検査をすれば確実に反応が出る。薬物乱用による心身喪失もまた、三十九条の条件に入っている。
 以前からの数々の奇行、医者の診断、入院歴、さらに覚醒剤の使用……これなら、犯行当時は心神喪失だった……と診断されるはずだ。
 結果、博之は無罪となるだろう──

 幸代。
 父さんは、お前の仇を討ったぞ。

 滝川直也の死亡を確認した後、心の中で博之は呟いた。
 やがて駆けつけた警官により、博之は連行されて行った。



 裁判の結果、博之は心神喪失と判断され無罪となった。代わりに、閉鎖病棟にて入院となった。

 ・・・・

 三年後、博之は退院した。
 久しぶりに、外に出た博之。虚ろな目で、町を見回す。復讐を遂げ、ようやく人生を再出発できる……はずだった。しかし、何もやる気が起きない。これから、どうすればいいのだろう。
 そんなことをぼんやりと考えながら、駅に向かい歩き始めた。時間は午後三時であり、人通りもまばらだ。そんな中を歩いていた時だった。
 突然、後ろから何かが首に巻き付いてきた。博之は必死で抵抗するが駄目だった。巻き付いたものは、容赦なく気道と頸動脈を絞めつけてくる。
 博之の意識は、闇の中に消えた──



 目を開けると、まず飛び込んできたのがコンクリートの壁だった。周囲を見回してみるが、あるのは汚らしい色の壁と、ほこりとゴミの散乱した床だった。
 立ち上がろうとして、自分が縛られていることに気づく。両腕を太いロープで縛られ、頑丈そうな木製の椅子に座らされていた。
 チッと舌打ちした時、ドアが開く。室内に、がっちりした体格の中年男が入ってきた。ツナギのような作業服を着ており、目つきは異様な鋭さだ。
 博之を睨みながら、口を開く。 

「私は、滝川功タキガワ イサオ。あんたが殺した、滝川直也の父親だ」

 その自己紹介を聞いた時、博之は苦笑せざるを得なかった。まさか、ここで滝川直也の父親と対面できるとは。
 恐らく、自分を殺すためにここに連れて来られたのだろう。だが、不思議と恐怖はなかった。

「笑えるよ。俺たちを無視し続けてきた父親と、ようやく対面できたはな。お前も息子と同じく、人を殺してみたいタイプか?」

 そう、直也の父親は自分たちと会おうともしなかった。間に弁護士を挟み、直接の話し合いを拒絶し続けてきた。
 この態度もまた、博之の憎しみの一因だった。

「どうした? 何とか言ってみろよ。俺は、幸代の仇を討てたんだ。今さら、長生きしようとは思わない」

 憎しみをこめた言葉を功にぶつける。すると、目の前の男は乾いた笑みを浮かべる。

「やはり、お前は何も知らないようだな。自分の娘が、何をしていたかを」

 彼の表情は、ひどく悲しげなものだった。博之は異様なものを感じ、思わず尋ねる。

「ど、どういう意味だ?」

「地獄へ行く前に教えてやる。お前の娘の幸代はな、私の息子をずっといじめていたんだよ。いや、あれはいじめなんて生易しいもんじゃない。もはや悪霊の所業だ」

 功の言葉は、静かなものだった。何の感情も込められておらず、淡々としている。
 にもかかわらず、その言葉の衝撃は強烈なものだった。

「な、なんだと……」

 思わず口ごもる博之に、功は語り続ける。

「お前の娘は、悪霊に憑かれていたような奴だったんだよ。クラスメート全員の弱みを握り、暴力と知力でクラスを支配していた。逆らう者は、恐ろしい目に遭わされた。私が調べただけでも、これまでに四人の子供を不登校に追い込んでいる。うちひとりは、今も外出が出来ない状態だ。直也は、そんな三宅幸代に逆らったため……手ひどく叩きのめされた。挙げ句に毎日いじめられ、心と体を目茶苦茶に壊されたんだよ」

 聞かされた博之の方は、愕然となっていた。
 そんなはずはない。娘の幸代は、明るく活発な人気者だった。成績も優秀で教師からのウケも良く、スポーツも万能である。特に小学校入学と同時に始めた空手は、小学生の部で全国大会に出るほどだった──

「嘘だ! そんなはずはない!」

「嘘じゃない、これを見ろ」

 言うと同時に、功はスマホを突き出してきた。画面には、異様なものが写っている。焼けただれた指のようなもの。
 いや、あれは指ではない──

「これが何だかわかるか? 直也の、男のしるしだったはずのものだ」

 男のしるしだと? それって……。
 博之の顔は、見る見るうちに青ざめていく。全身の毛が逆立つような感覚に襲われていた。これ以上は、聞きたくない。
 だが、功は語り続ける。

「直也が事件を起こす前日のことだ。お前の娘がズボンとパンツを無理やり脱がせた挙げ句、笑いながらジッポオイルをかけて火をつけたんだよ。おかげで、息子は十二歳にして男でなくなったんだ」

 聞いた瞬間、博之は思わず吐きそうになった。そんなことをしていたのか。
 あの、可愛かった幸代が──

「なぜ……なぜ言わなかった? あんたたちはなぜ、言ってくれなかったんだ?」

 その途端、功の表情が一変する。

「言えるはずないだろうが! 十二歳の多感な時期の少年が、同じ年頃の女の子に喧嘩で負けて叩きのめされ、いじめられ続け、挙げ句に性器に火をつけられたなど……言えるはずがないだろうが!」

 涙を流しながら、功は吠えた。
 聞いている博之は、もはや言葉が出てこなかった。頭の中が真っ白になり、その場で意識を失いそうになっていた。
 そんな博之の前で、功は狂ったような表情を浮かべ語り続ける。

「直也はな、お前の娘に性器を焼かれた。しかも、その姿を動画に撮られたんだ。焼かれた直後、すぐに病院に行っていれば治ったかもしれない。だが、直也は行けなかった。火傷《やけど》の凄まじい苦痛より、恥ずかしさの方が勝ってたんだよ。結果、あいつは十二歳で性的不能者になったんだ」

「そ、そんな……」

 博之の口からは、それしか言えなかった。なぜ、自分は気付かなかったのだろう。
 娘の裏の顔に、もっと早く気づいていれば……。

 その時、思い出したことがあった。事件の直後、博之と妻の優子は同級生たちに聞いて回った。二人の間に、何かなかったのかと……だが、誰も答えようとしなかった。露骨に嫌な顔をして、そそくさと立ち去っていった。
 当時は、現代っ子特有の冷たさゆえだと思っていた。だが、真相は違っていたのだ。
 幸代は、死んでからもクラスを支配していた。いじめの件がおおやけになれば、同級生たちは自身の恥をさらすことになる。
 だから、事件にはかかわらないようにしていたのだ。
 今になって、真相を知るとは……。
 
「私は、これからお前を殺す。その後、自首するよ。私はお前とは違う。自分の罪を逃れようとは思わない。どんな罰でも受けてやる。その代わり、裁判の時に何があったかをはっきりさせてやる」

 言いながら、功は近づいて来る。その手には、巨大なサバイバルナイフが握られていた。
 
「三宅幸代が滝川直也に何をしてきたか、裁判の時に全てを暴露してやる。マスコミにも、事件の証拠となる書類のコピーを送る。証言してくれる人も、既に見つけてある。これで、直也の名誉を回復させるんだ」

 サバイバルナイフが、腕に突き刺さった。だが不思議なことに、博之は痛みを感じていなかった。
 彼は、娘のことを思い出していた。赤ん坊だった頃。無邪気で、本当に可愛かった。他の子と比べ活発で、将来が楽しみだった。

「私はね、あんたの娘のやったことを明かすつもりはなかった。そんなことをしても何もならないし、死者を鞭打つつもりもなかった。墓場まで持っていくつもりだったんだよ。それよりも、直也のこれからの人生を全力でバックアップする……それこそが、父親である私のしなくてはならないことだったからな」

 言いながら、功は何度もナイフを振り下ろす。その顔は、返り血で真っ赤に染まっていた。

「あんたの気持ちは、父親としてよくわかるよ。あんたのやったことも、父親として理解できる」

 うわごとのように、功は語り続けた。
 博之は、その言葉に何も言えなかった。ナイフで刺されている自身の体を、他人事のような目で見つつ、功の言葉を聞いていた。痛みはないが、意識が遠くなっていることだけは感じていた。

 ずっと、自慢の娘だったのに。
 他の親からも、うらやましがられていたのに。
 何もわかっていなかった。
 娘のことを、何もわかっていなかった──

「ただね、私とあんたとは決定的に違う点がある。私は、あんたみたいに姑息な手段で罰を逃れるような真似はしない」

 喋りながら、功は何度も刺し続ける。その目からは、涙が流れていた。涙が、顔についた返り血と共に流れていく。
 まるで、真っ赤な涙を流しているように見えた──

「あんたと娘は、本当にそっくりだよ。娘は、計画的にいじめを行い罰を逃れていた。父親のあんたは、計画的に人殺しを行い刑罰を逃れた。この父親にして、この娘ありだな」

 そうか。
 幸代は、俺に似たのか。
 全ては、俺のせいだったのだ。
 幸代の裏の顔に、気づくことが出来なかった俺の責任だ……。
 ひょっとして優子が自殺したのは、真実を知ってしまったからか──

「地獄で、娘を教育し直せ」



 



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