世にも異様な物語

板倉恭司

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青春の終わり

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「今年の夏大会は、残念ながら中止となった」

 監督の言葉に、俺は唖然となった──



 俺の名は土井将一ドイ ショウイチ明冠メイカン高校の三年生で野球部のキャプテンだ。一年生の時からずっとレギュラーだったが、甲子園出場は一度も果たせていない。一昨年、去年と、あと一歩のところで甲子園出場を逃してきた。俺はそのたびに、無念の涙を流してきたのだ。
 そんな中で今年、鳴り物入りで部に入って来たのは……一年生でありながら超高校級のスラッガー・田山だ。ホームランを量産できる強打者だが、打率の方も凄まじい。ボジションはキャッチャーだが、こちらの能力もずば抜けている。まさしく天才だ。
 そんな田山とバッテリーを組むピッチャーの中里にも非凡なものを感じる。小柄でパワーはないが、それを補ってあまりあるのが、七種の変化球とそれを使いこなせる天才的な野球センスだ。悔しいが、二人とも俺より遥かに優れた才能を持っていることは認めざるを得ない。
 この二人を軸にしていけば、我が明冠高校野球部は悲願の甲子園出場を果たせる。それどころか、優勝も夢ではない。俺たちは、これまで以上に練習に励んできた。
 ところが俺たちは、全く予想していなかった事態に襲われる──



 ことの起こりは、あるウイルスだ。
 オーー五六七が日本に入り込んだのは、今年の初めである。それは、あっという間に日本全土に広まって行った。
 当初は、さほど気にもしていなかった。どうせ、インフルエンザに毛の生えたようなものだろうと、高をくくっていたのだ。ところが、このウイルスが原因と思われる死者が出始めた。その中には、有名な芸能人もいた。
 こうなると、政府も黙っていられない。総理大臣がテレビで「今、我が国を未曾有の危機が襲っている」と発表した。さらにマスコミは、連日ウイルスの危険性について報道する。やがて、春の選抜大会中止が発表された。
 この時点で、俺たちは危機感をつのらせていた。既にインターハイの中止も決定している。だが、夏の甲子園だけはなかなか発表されなかった。
 俺は必死で神に祈った。頼むから、奇跡を起こしてくれ……と。夏の甲子園だけは、何とか開催してくれと。
 だが、奇跡は起きなかった。やがて夏の甲子園中止が発表される。俺の高校最後の夏は、始まる前に終わってしまったのだ。
 その後、緊急事態宣言が出された。外出する時はマスク着用が当然のマナーとなり、テレビやネットでは人と人との距離……いわゆるソーシャル・ディスタンスを連呼するようになっていた。



 あれは、八月に入ったばかりの頃だった。
 その日、俺は近所の公園で素振りをしていた。時間は昼の二時過ぎである。日差しは強く、気温は三十六度を超えている。もっとも、この程度は大したことじゃない。甲子園では、これ以上の暑さを体験することになっていたのだ。だからこそ、俺は暑さに備える練習もしていた。
 そう、本当なら……俺がバットを振っているのは公園ではなく、甲子園だったはずなのだ。
 高校最後の夏を、こんなところで過ごしている……それを考えると、無性に腹が立ってきた。その怒りを、素振りにぶつける。思いきりバットを振った。
 その時だった。

「ちょっと! この公園は、野球禁止よ!」

 後ろから、声が聞こえてきた。振り向くと、四十代くらいのおばさんが立っている。
 俺は首を捻る。確かに、この公園は野球は禁止だ。しかし、俺のやっているのは野球ではない。野球の練習である素振りだ。

「いや、これは野球じゃなくて素振りなんですが」

 戸惑いながらも、言い返した。すると、おばさんはさらに怒る。

「はあ? 屁理屈いってんじゃない! 公園でバットなんか振り回しちゃ危ないでしょ! そんな簡単こともわからないの! あんたバカなの!」

 初めは、黙って聞いていた。が、だんだん不快になってきた。ここでは、素振りが禁止という項目はない。なのに、ここまで言われる必要があるのか。
 それ以前に、このババアはマスクを着けていないのだ。この五六七騒動でソーシャル・ディスタンスが叫ばれている御時世に、マスクもせず唾を飛ばしながら、俺のすぐ近くでガキみたいに喚き散らしている。これでは、飛沫感染は避けられない。
 それに気づいた瞬間、俺はムカムカしてきた。素振りの練習中でもマスクを外さない俺を、マスクもせず外出して口汚く罵るババア。こんな奴に、グダグダ言われる筋合いはない。

「黙らねえと殺すぞ! クソババア!」

 気がつくと、怒鳴りつけていた。同時に、バットを振り上げる。
 さすがに、ババアも一瞬は怯んだ。が、すぐさまスマホを取り出し構える。警察に電話する気か。あるいは動画を撮って、後でどっかのサイトに投稿し拡散しようというのか。
 ふざけやがって。
 んなことさせるかよ!

 俺は、バットを振った。全身の力を込めたフルスイングだ。
 バットは狙い違わず、スマホだけを捉えた。直後、スマホが飛んでいく。十メートル以上は飛んだろう。近所の家の壁にぶちあたり、派手な音を立てた。
 俺は、思わず首を振った。あれは駄目だ。試合だったら、ファールだろう。
 だが、ババアの方は違った印象を持ったらしい。真っ青な顔で震えていたかと思うと、突然その場に崩れ落ちる。恐怖のあまり、腰を抜かしたのか。

「やめて……殴らないで……」

 か細い声で、そんなセリフを吐いた。さっきまでの態度が嘘のようだ。こいつは、おとなしい相手は怒鳴り散らすが、暴力を振るうような相手には態度を変えるらしい。
 俺は、こういう人間が一番嫌いだ。バットを振り上げると、ヒッと叫んで両手で顔を覆う。
 このまま振り下ろしても構わない。が、俺はこのババアとは違う。怯えている相手に暴力は振るわない。ただ、はっきりさせなくてはならないことがある。

「この公園は、野球は禁止だが素振りはOKだ。あとな、人に説教する前にマスクくらい着けろ! 今は緊急事態宣言が出てんだぞ! ソーシャル・ディスタンス守れ! わかったか!」

「は、はひ!」



 ババアとの言い合いにより、素振りを続ける気をなくした俺はコンビニへと向かっていた。喉が渇いたし、腹も減った。スナック菓子とジュースを大量に買うとしよう。普段の俺は、食べるものにも気を遣っている。特に、スナック菓子のようなものはあまり口にしないようにしていた。
 だが、もはや食事制限の必要はない。だから、今日はやりたいようにやる。食いたいものを、好きなだけ食えるのだ。
 なのに、気分は最悪だった──

「なあ、八木と高橋も呼ばねえか?」

 前から、そんな声が聞こえてきた。顔を上げると、数人の男女がこちらに歩いて来る。見るからにガラの悪い連中だ。横に大きく広がっており、迷惑この上ない。
 しかも、全員がマスクを着けていない。その状態で、げらげら笑いながら大声で話している。
 俺の中に、怒りがこみあげてきた。こういうバカどもがウイルスを全国に撒き散らしたせいで、俺の夏は終わったのだ。
 怒鳴りつけてやりたい思いを必死でこらえ、俺は道路の端に移動する。これ以上、トラブルは起こしたくない。
 だが、奴らは俺を放っておいてはくれなかった。仲間との会話に気を取られたバカが、俺にぶつかって来たのだ。

「んだよ! 気をつけろバカ!」

 バカに、バカと言われた。それも、自分の方からぶつかってきたバカに、だ。
 普段の俺は、こんな奴らは相手にしない。喧嘩などしようものなら、部の皆に迷惑をかけることになるからだ。一度など、ヤンキーに因縁をつけられ殴られたこともあった。が、俺は手出しせず耐えた。
 だが、今は耐える気にはなれなかった。暑さが、俺から忍耐心を消し去っていた。
 もう、全てどうでもいい。部のことなど、知ったことか。

 俺はバットを構えた。直後、フルスイングした。
 バットは、バカの側頭部にクリーンヒットする。手応えは充分だ。バカは、ばたりと倒れる。格闘技のKOシーンみたいだ。実に気分がいい。
 他の連中は、何が起きたかわからず呆然としている。誰もマスクをしていないのに、口をポカンと開けている。
 俺は額から落ちる汗を拭い、再びバットを構える。こんなバカどもがウイルスを撒き散らし、挙げ句に俺は甲子園に行けなくなったのか。
 そう思うと、さらに腹が立ってきた。

「お前らのせいで、俺は甲子園に行けなくなったんだよ」

 言った後、俺はバットを振った──



 気がつくと、全員が倒れていた。頭から血を流し、顔面を砕かれ、道路でおねんねしている。
 情けない連中だ。こいつらは、喧嘩もまともに出来ないのか。
 暴れたせいで、喉の渇きがさらに強くなってきた。俺は、コンビニへと急いだ。
 コンビニに入り、ジュースを買おうとした。が、先客がジュースの棚の前にいる。

「だからさ、そこで俺は言ってやったんだよ……」

 若い男女が、楽しそうな会話に勤《いそ》しんでいる。どちらも、見るからに頭が悪そうなタイプだ。俺のことなど、見ようともしていない。夏になると、こういう輩が町に多くなる。
 しかも、こいつらもマスクを着けていない──

「おい、買わねえならどけよ!」

 俺が怒鳴ると、男の方はちらりと俺を見た。

「はあ? てめえ誰にンな口きいてんだ?」

 直後、俺はバットを振る──
 バットは、見事に男のあごを捉える。男は、ばたりと倒れた。
 女はというと、金切り声で叫びながら逃げて行った。倒れている男のことなど完全に無視し、一目散に逃げる。
 だが、あんな女のことはどうでもいい。邪魔さえしなければ、何をしようが構わない。俺はジュースと菓子をカゴに入れ レジに持っていく。すると、店員がいないことに気づいた。
 さらに、パトカーのサイレンの音も聞こえる。サイレンは、どんどん近づいているようだ。
 どうでもいい。俺は、その場でスナック菓子の袋を開け食べ始めた。さらに、ジュースを飲む。そのまま、警官が入って来るのを待っていた。
 やがて警官が入って来て、俺に手錠をかける。そのままパトカーに乗せられた。



 今年の夏の思い出は、生まれて初めてパトカーに乗ったこと。
 そして、生まれて初めて人を殺したこと──


 
 
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