ぼくたちは異世界に行った

板倉恭司

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少年大刺殺

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 ヒロユキは、その場で凍りついた。ヴァンパイアの目は、ニーナをじっと見ている。自分が逃げたら、確実にニーナが殺されてしまう……いや、殺されはしない。ヴァンパイアに変えられるだけだ。

 そうだ。
 ヴァンパイアに変えられるだけだ。
 死ぬわけじゃない。
 ぼくが戦う必要はない。

 そう、死ぬわけではないのだ。ただ単に、血を吸う化け物に変えられるだけだ……日光を浴びると火傷を負うような、そんな化け物に。
 他者の意思で、人間をやめさせられて化け物に変えられるだけ。

「ふざけるなぁ!」

 気が付くと、ヒロユキは叫んでいた。棒を握り締め、ヴァンパイアを睨みつける。
 ニーナは生まれた時から、ずっと他者の好き勝手にされ、人生を滅茶苦茶にされてきたのだ。喉を切られて声を奪われ、使いたくもない魔法を無理やり使えるようにさせられ、人権などひとかけらも与えられず、言うことを聞かなければ殴られ……。
 その上、今度はヴァンパイアにされると言うのか?

「ニーナから離れろ!」

 ヒロユキは踏みとどまった。震える足を懸命に動かし、ヴァンパイアに立ち向かっていこうとする。しかし、足が動かない。完全にすくんでしまっている。
 目の前のヴァンパイアは、あまりに恐ろしい存在なのだ。不死者には、血の通う生き物とはまるで違う種類の怖さがある。どんなに高尚な言葉を並べようとも、それを一瞬で吹き飛ばしてしまえる恐怖がある。

 逃げちゃダメだ。
 逃げたら、ニーナがヴァンパイアにされる。
 逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ──
 でも、無理だよ。
 怖い。
 逃げちゃダメなのに……。
 ダメだ、勝てない。
 逃げなきゃダメだ──

「ヒロユキ何やってる! 殺せ! そいつをぶっ殺すんだ! 殺すことだけ考えろ!」

 突然、どこからか聞こえてきた頼もしい声。間違いない、ギンジの声だ。ヒロユキはその声を聞き、はっと我に返った。

 そうだよ。
 逃げちゃダメだ、なんて言ってる時点で……。
 逃げることを考えてんじゃないか!
 逃げちゃダメだ、じゃないんだよ!
 殺すんだ。
 お前を殺す。お前を絶対に殺す。
 ニーナのために……お前を殺す!

 この間、一秒にも満たなかっただろう。ヒロユキの心に巣くう恐怖を、ドス黒い殺意が塗り潰していった。自分の心に潜んでいる闇……そこから得体の知れない何かが這い出てきて、ヒロユキの心を支配していく。とてつもなく恐ろしい何かが。
 さらに、もう一度声が聞こえてきた。

「ヒロユキ! 何でもいいから叫べ! 声を出しながらぶち当たれ! 腕で突き刺すんじゃない! 全身でぶち当たれ!」

 確かめるまでもない、ギンジのものだ。ヒロユキは、すぐさま反応した。

「ニーナから離れろおおおお!」

 わめきながら棒を構え、突っ込んでいく──
 棒は、ヴァンパイアの体にあっけなく突き刺さった。まるで、包丁を柔らかいトマトか何かに突き刺した時のように。
 ヴァンパイアの目は大きく見開かれた。怒り、恐怖、憎しみ、絶望……ありとあらゆる負の感情が瞳に浮かび上がる。
 直後、一塊の灰と化して崩れ落ちた。
 ヒロユキもまた、その場にへたりこむ。彼は呆然とした顔で、周りを見回した。
 皆が戦っている。数メートル離れた場所では、ギンジたち三人がヴァンパイアたちと戦っていた。ギンジ本人も必死で戦っているというのに、ヒロユキにアドバイスをしてくれたのだ……。
 その時、近寄って来た者がいた。ニーナだ。ニーナは涙を浮かべ、ヒロユキの肩に触れる。

「ニーナ……」

 ヒロユキは安堵のあまり泣きそうになりながらも、涙をこらえて微笑んでみせる。そう、今は泣いている場合ではないのだ。自分の目が涙で曇った時、ヴァンパイアに襲われたら……やられるのは自分一人ではない、二人なのだ。ヴァンパイアの数は目に見えて減ってきている。しかし、まだ相当の数が残っているのだ。ヒロユキは立ち上がり、棒を構えた。



 カツミは、じっくりと周りを見渡す。周囲を完全に囲まれているのだ。ヴァンパイアたちは、徐々に輪を狭めてきている。その数、二十人近く。
 いくらカツミと言えど、この数のヴァンパイアたちが一斉に襲いかかってきたら……無傷では済まないだろう。もし、ヴァンパイアの牙の一撃がカツミを見舞ったなら、それで終わりなのだ。
 しかし、カツミには怯む様子がない。無表情のまま、巨大なバトルアックスと日本刀を構えている。ヴァンパイアがひとりでも間合いに入ろうとすると、ピクリと反応するのだ。その様はヴァンパイアにも引けをとらない怪物ぶりである。
 じりじりとした、お見合い状態が続く……だが、その均衡を破ったのは乱入者だった。

「カツミさん! 待たせたな!」

 声と同時に、ひとりのヴァンパイアが後ろから喉をかき切られて灰と化す。言うまでもなくガイだ。
 さらに、素早い動きで隣のヴァンパイアに襲いかかるガイ。喉にナイフを突き刺し、えぐりこんで切り離す。ヴァンパイアは、たちまち灰と化していく。

「遅いぜガイ」

 カツミは無表情のまま呟くように言うと、混乱したヴァンパイアめがけ一気に突っ込んでいった。シラミか何かのように、次々と潰していく──

 いつの間にか、立場は完全に逆転していた。カツミとガイの常軌を逸した戦いぶりに、ヴァンパイアたちの方が怯えだしたのだ。
 ヴァンパイアは当然、並の人間よりも力は強い。その上、人間と違い疲れも痛みも感じない。さらに、恐怖心などヴァンパイアになった時点で捨て去っているはずだった。
 しかし、彼らはヴァンパイア以上の怪物だった。バトルアックスを軽々と片手で振り回し、日本刀で首をおとしていくカツミ。まるで熟練の外科医がメスを振るうかのように、確実に仕留めていく。
 一方、ガイは肉食獣のような敏捷な動きで草原を駆け回り、こちらも確実に仕留めていく。ガイの早すぎる動きを、ヴァンパイアは全く捉えられない。
 その時になって、ようやくヴァンパイアたちは理解した。
 これは、いつもの狩りとは違う。ここにいる者たちは、自分たちの獲物ではない。むしろ、自分たちの方が獲物なのだ。
 その事実を悟った時、ヴァンパイアたちは一斉に逃げ出した──

「待ちやがれ!」

 追いかけようとするガイを制するカツミ。彼の顔にも、ようやく表情らしきものが戻ってきた。
 その時、とぼけた声が響き渡る。

「いやあ、ヴァンパイアでも恐れる気持ちは残っているんですね! そんなものとは無縁の存在かと思ってましたよ! 何はともあれ、皆さんお疲れ様です!」

 ヘラヘラ笑いながら、灰だらけになった廃墟の周りを見回すのはタカシだ。この男にとって、ヴァンパイアすら恐怖の対象ではないらしい。横で壁にもたれかかり呼吸を整えているギンジも、さすがに呆れている。
 だがヒロユキは、ヴァンパイアが去っていくのを見たとたん、足の力が抜けていくのを感じた。彼はそのまま、廃墟の床にしゃがみこむ。
 今になって、体が震えてきた。凄まじい勢いでガタガタ震え出す。何とか震えを止めようとするが、体がいうことを聞かない。
 そんなヒロユキの肩に、誰かの手がそっと手が触れる。ニーナだった。ニーナの手がさらに顔に伸びる。彼女の手が頬に触れたとたん、ヒロユキの震えが収まり始めた。

「ニーナ……」

 ヒロユキは微笑む。やっと終わるのだ……悪夢のような夜が。あんな化け物どもを相手にするのは、もう御免だ。
 しかし、そのはかない望みは打ち砕かれた。

「みんな、まだ終わってないぞ。地下にまだ一匹残ってる。いや、二匹になってるかもしれねえが」

 ギンジの声だ。ヒロユキは一瞬、何のことかわからなかった。

「何言ってるんですか、ギンジさん。ジムさんとミリアさんが──」

「だったら、確かめてみようぜ。ガイとカツミ、それにチャムを連れて行け。正直、オレは疲れたよ。あとは若い奴らに任せる」

 そう言うと、ギンジは座り込んだ。

「どういうことです? そんなはずないですよ」

 ヒロユキは床板を外し、地下室をのぞいた。
 異常は見当たらない。二人はちゃんと揃っている。ミリアは不安そうに、こちらを見上げていた。闇の中、彼女の赤く光る目が見える。一方、ジムは横になっているようだ。
 しかし、次の瞬間にジムは跳ね起きた。
 その瞳は、赤く光っている──

「ちょっと待てよ。何でだよ? 何であんたが……」

 ヒロユキは呆然とした表情で、四つの赤い点を見下ろしていた。
 次の瞬間、ジムが恐ろしいスピードで梯子をよじ登り、ヒロユキに襲いかかった。一瞬のうちに地上に上がり、ヒロユキを突き飛ばす。押し倒すやいなや、牙を剥き出し噛みつこうとした。
 だが、ジムは不意に目を押さえる。自身の顔が、いきなり光り始めたのだ。あまりにも強烈な光……まるで、顔に電球を埋め込まれたかのような光を放ちながら、ジムは立ち上がる。両手で顔を覆い、光から逃れようと暴れだした──
 一方、ヒロユキは立ち上がり振り向く。すると ニーナがこちらを見ている。手をかざした体勢のままだ。

「ニーナ、今のは君がやったんだね。ありがとう。でも、魔法を使ったらダメだって──」

「んなこと言ってる場合じゃないにゃ!」

 チャムに後ろから襟首を掴まれ、ニーナともども引きずられる。彼女も、恐ろしい腕力の持ち主だ。
 次の瞬間、ミリアも梯子をよじ登り、地上に上がって来たのだ。しかし、両手で顔を覆い地面でのたうち回っているジムを見たとたん表情が変わる。

「お前ら! ジムに何をした!」

 凄まじい形相で、ミリアが吠えた。同時に牙と鉤爪が伸びる。
 だが、ヒロユキは怯まなかった。彼の心は、恐怖よりも深い哀しみが支配していたのだ。

「何で、ジムさんをヴァンパイアに変えたんだよ? 何でだ……」

 ヒロユキはミリアに向かい、淡々とした口調で言った。その右手には棒が握られているが、棒は震えている。

「うるさい! 人間の……人間の貴様に何がわかる! 貴様らには分からない!」

 牙を剥き出しにして、ミリアは怒鳴った。その時、ヒロユキの心を支配していたものは、哀しみから怒りへと変わる。

「分かりたくもないよ! そんなこと!」

 ヒロユキが怒鳴り返した直後、何かがドサリと倒れる音がした。彼がそちらを向くと、ジムは首を切断された状態で倒れていたのだ。その横には、バトルアックスを担いだカツミが冷酷な表情で立っている。
 ミリアの顔が、哀しみと怒りとで歪む。だが、彼女には後ろからガイが襲いかかる。ナイフで喉を切られ、さらに頭を引きちぎられる。
 二人は、ほぼ同時に灰と化した──



「ギンジさん、ミリアが裏切るってわかってたんですか?」

 全てが終わり、皆で一息ついている時にヒロユキは尋ねた。彼には、ギンジの考えが分からない。なぜ、ミリアが裏切るとわかったのか? 裏切るとわかっていたのなら、他にも対処のしようがあったのではないか?
 そんな疑問をぶつけずにはいられなかった。

「いや、確信はなかった。ただ、裏切る可能性は捨てきれないと思っていた。ヴァンパイアたちが初めに動きを見せなかったのは、ミリアの存在があったからだろう。ミリアと挟み撃ちにでもするつもりだったのか……あるいは、ヴァンパイア同士の条約みたいなものがあったのかもしれない。だが、いずれにしてもミリアは思うように動かなかった。業を煮やしたヴァンパイアたちは、攻撃開始ってワケさ。あくまで、オレの推測だがね」

「ギンジさんよう……だったら、あの二人もさっさと殺した方が早かったんじゃねえのか?」

 日本刀をチェックしながら、尋ねるカツミ。だが、ギンジは首を振る。

「あの時点で二人を殺す、なんて言ったら……お前らはどうしてた? 反対したろうが。ヴァンパイアとの戦いを控えている時に、仲間同士で感情にしこりが残るような議論はしたくない」

 淡々とした口調で、ギンジは答えた。その言葉に、ヒロユキは思わず感嘆のため息を吐く。あの二人を殺す、と聞いたら……ヒロユキは間違いなく反対していただろう。ギンジは、その展開を読んでいたのだ。

 そんなヒロユキの前で、ギンジはなおも語り続ける。

「それにだ、正直言うとオレもこんな終わり方は見たくなかった。かといって、二人と一緒に地下室に立て込もるのは危険過ぎる。万が一、一緒に戦っているはずのミリアにガイやカツミのような強者が噛まれたら、オレたちは終わりだ。ジムとミリアを地下室に残し、オレたちがここでヴァンパイアと戦う……それが一番ベストな選択だったってワケだ。もっといい方法はあったのかもしれんが、オレには思い付かなかったよ」

 ギンジは、そこで言葉を止めた。その時、タカシが水の入ったコップを差し出す。ギンジは小さく頷き、水を飲む。タカシという男は不思議だ。普段は空気を読まないくせに、こういう時には人の気持ちを察して行動したりするのだから。
 だが、ヒロユキはなおも問いを止めない。いや、止められなかったのだ。
 愛するミリアのため、土下座までしていたジム。彼は真面目で気弱な青年だったのだろう。なのに、ミリアを助けるために村の掟まで破ったのだ。
 そんなジムを、ミリアはヴァンパイアに変えてしまった。
 ヴァンパイアと化して襲いかかって来た二人の表情は、ずっと忘れられそうにない。

「ギンジさん、ミリアは初めから裏切るつもりだったんですか? ジムはミリアを助けるために、あんなに必死だったのに……」

 すると、ギンジは笑みを浮かべた。

「ちょっと話は変わるが……なあヒロユキ、セックスって何で気持ちいいか分かるか?」

「はあ!? 何言ってんだよギンジさん!」

 横から、ガイがすっとんきょうな声を出す。しかし、ギンジは平然とした表情でガイの方を向き、軽く右手を上げた。まあまあ、最後まで聞け……という意思表示だろう。

「セックスってのは本来、繁殖のための行為だろうが。だから気持ちいいんだよ。繁殖ってのは、あらゆる生き物の本能に組み込まれているんだよ、気持ちいい行為としてな。産めよ、増やせよ、地に満ちよ……ってな。腹が減るのも、死ぬのが怖いのも、みんな生き物としての本能だよ」

 ギンジは言葉を止め、ヒロユキを見つめる。

「さて、ここで問題だ。ヒロユキ、ヴァンパイアにとって繁殖って何だ?」

「に、人間の血を吸って、ヴァンパイアに変えることですか?」

 答えるヒロユキ。彼は改めて、ギンジという男の鋭さと洞察力とに感銘を受けていた。ギンジはジムとミリアを見た時、こうなることを予測していたのだろう。この世界のヴァンパイアのことなど、ほとんど知らなかったというのに。

「そうだ。不死者であるヴァンパイアの本能にも、繁殖は組み込まれていた。動物の血じゃあ、飢えは抑えられても繁殖の本能は抑えられなかったんだろうな」

 冷めた表情で、ギンジは語る。まるでヴァンパイアの生態を、初めから知っていたかのように。皆は黙ったまま、ギンジの言葉に聞き入っていた。

 そんな中で、ギンジはなおも語り続ける。

「ミリアも、ギリギリまでは我慢していた。ジムへの愛ゆえか、計算してのものかは知らないがね。で、集まったヴァンパイアたちはミリアの態度がおかしいと感じ、すぐには襲って来なかった。ま、ミリアも最後には本能に負けちまったがな。所詮、ヴァンパイアは人間の敵なのさ」

「敵、ですか。悲しい話ですね」

 ヒロユキは、そう口にせずにはいられなかった。ミリアは、好き好んでヴァンパイアになったわけではない。他者の意思で、ヴァンパイアにさせられたのだ。
 だがジムは、ヴァンパイアになったミリアを愛し続けていた。怪物になってしまった彼女との共存方法を、ジムなりに模索していたのだ。
 それなのに……。

 悲しげな表情を浮かべるヒロユキに向かい、ギンジは淡々とした口調で語り続ける。

「なあヒロユキ……俺たちのいた世界にも、血を吸う怪物の伝説がいたる所にあるんだ。文化も風習もまるで違う国なのに、何故か血を吸う怪物の昔話という共通点があったりするんだよ。何故だと思う?」

「えっ? わ、わかりません」

「つまり、オレたちのいた世界でも、昔はヴァンパイアが実在していたのかもしれない。人の血を吸って繁殖する、人類の天敵としてな……ところが、最終的にヴァンパイアは絶滅させられた。人間の手によって、な」

「本当ですか?」

 驚愕の表情を浮かべるヒロユキ。目の前にいる男は、何でも知っているのだろうか。その知識の量、そして説得力のある言葉は凄まじい。
 しかし、ギンジは笑いながらかぶりを振った。

「さあな、全てはオレの推測……いや、空想だよ。だが、少なくともこの世界においては、ヴァンパイアは人間の天敵なのさ。天敵なんかを愛したジムがバカなんだよ。愚かさは、それだけで罪になることもあるんだ」
















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