夏休みの終わり

板倉恭司

文字の大きさ
5 / 31

上野さんとの会話

しおりを挟む
 やがてフェリーが島に到着し、零士は港に降り立った。
 もとより荷物は少ない。思い出の品と呼べるようなものはほとんどなかったし、それ以前に過去を思い出すようなものは、なるべくなら持っていきたくなかった。したがって、リュックひとつを背負い夜禍島へとやって来たのだ。
 港は、予想よりも遥かに静かな場所だった。人はほとんど歩いておらず、人工物と呼べるようなものも少ない。船着き場と、その横にあるコンビニエンスストアを除くと、あとはアスファルトの道路があるだけだ。
 道路脇には、車が数台停まっている。大型バスが一台、後は乗用車である。他は、見渡す限り森と荒れ地が広がっているだけだ。民家は見えない。
 率直に言って、この島の印象を一言でいえば……寂れた場所、でしかない。この島の経済を担うのは観光業らしいが、こんな場所を誰が観光するというのだろう。
 不安な面持ちで、零士は周囲を見回す。その時、学生たちも船を降りてきた。大声で語り合いながら、すたすた歩いていく。今になって気づいたが、全員が男だ。いかにも旅行客、といった雰囲気である。彼らは、何の迷いもなく道路脇に停まっていたバスに乗り込んでいった。
 少しの間を置き、バスは動き出す。零士の目の前で道路を進んでいき、やがて見えなくなってしまった。いったい、どこに行くのだろうか。ひょっとしたら、彼らの行く先には繁華街などあるのかもしれない。
 取り残された零士は、どうしたものかと思った。手紙には、島に着いたら迎えの車が来る……と書かれていたのだ。となると、残っている車のどれかに、まだ見ぬ父親・茨木統志郎が乗っているのだろうか。
 ならば、そちらに行ってみるとするか。車に近づこうとした時、ある疑問が頭に浮かんだ。あのペドロという男は、どうしているのだろう? 
 振り返ってみたが、降りてくる気配はない。どういうことだろう。まだ船に残っているのか。あるいは、気づかぬ間に船を降りたのか。いや、それはないだろう。
 その時、車のドアが開く音が聞こえた。音のした方を見ると、ひとりの女が降りてきていた。年齢は二十代だろうか。先ほど船に乗っていた大学生たちと、さほど変わらない年齢に見える。
 黒いTシャツとデニムパンツ姿で、肌は日焼けした小麦色だ。髪は短めで、背は高くスラリとした体型である。目鼻立ちははっきりしており、純粋な日本人とは思えない顔立ちだ。
 率直な意見を言えば、とても綺麗な女性だ。それも、零士のいた町では、あまり見ることのないタイプである。美しさだけでなく、どこか野性的な雰囲気をも漂わせていた。有名なタレントだと言われても、違和感なく受け入れられるだろう。そんな女性がこちらを見て、にこやかな表情を浮かべているのだ。
 零士はドキリとなった。彼のこれまでの人生において、こんな女性とは接したことがない。まさかとは思うが、この人が父の使いの人間なのだろうか。
 そのまさかは、現実のものとなった。女は、まっすぐこちらへと歩いてくる。歩く姿も堂々としており、自らに抱く自信の大きさを感じさせた。
 やがて女は、零士の前に立った。近くで見れば、彼よりも遥かに背が高い。百七十センチ近くあるかもしれない。体もしなやかな筋肉に覆われており、かなり鍛えているようだ。威圧感を覚え、零士は思わず後ずさりした。
 その時、女はぺこりと頭を下げた。続いて口を開く。

「茨木零士くん、ね。私は上野麻理恵ウエノ マリエ、お父さんの統志郎さんに頼まれて君を迎えに来たの」

 そう言って、にっこり微笑んだ。見た目の通り、元気ではきはきした口調だ。零士は、戸惑いながらも頭を下げる。

「は、はい。かざ、いや茨木零士です。あのう、父は……」

「お父さんは今、仕事の方が立て込んでいて来られないの。だから、私が家まで送ってあげる。さあ、行こ行こ」

 言いながら、不意に零士の手を握った。突然のことに、零士は目を白黒させている。思ったよりゴツい感触の手だ。頼もしさを感じる。
 そんな少年の手を引き、上野は颯爽と歩き出した。車の前に立ち止まり、後部座席のドアを開ける。

「ほら乗って。お姉さんが、うちまで連れて行ってあげるから」

 言われた零士は、頬を赤く染めながら答える。

「えっ? あっ、はい!」

 上擦った声で返事をすると、ロボットのごとき固い動きで車に乗り込んだ。喋り方のみならず、動きそのものまでぎこちなくなっている。手を握られただけで、彼の脳から肉体に至るまで、全ての機能が混乱していた。
 しかし、上野はお構いなしだ。

「シートベルトは締めた? じゃあ、行くよ」

 言うと同時に、車は発進する。窓の外には、豊かな自然が広がっていた。
 だが零士には、外の景色を見る余裕はない。どうしても聞いておきたいことがあった。
 
「あっ、あの、上野さんは、父とはどういった関……いや、知り合いなんでしょうか?」

 どういった関係ですか? と聞こうとして、慌てて言い直したのだ。
 その問いに、上野は即答する。

「んーとねえ、実は愛人なの」

「あ、愛人!?」

 ドキリとなった。もしかして、そうではないかと思っていたのだ。だとしたら、どんな態度で接すれば良いのだろう。
 その時、ぷぷぷ……という声が聞こえてきた。笑いをこらえているらしい。

「冗談だよ。冗談だから、本気にしないでよ」

「あっ、冗談ですか」

 言った後、零士はそっと胸を撫で下ろしていた。一方、上野はさらに付け加える。

「私は、君のお父さんの部下……みたいな感じかな」

 部下か、それなら良かった。だが、話は終わりではない。もうひとつ、聞いておきたいことがある。

「あのう、父はどういう人なんでしょう?」

「すっごくいい人! イケメンだし、背は高くて足は長いし、何より優しいの! ちょっと天然なところがあるけど、そこも魅力だね」

 いきなり声の調子が変わった。しかも矢継ぎ早に言われ、零士は唖然となっている。だが、次に出た言葉はさすがに聴き逃がせなかった。

「出来ることなら、本当に愛人になっちゃいたいくらい」

「は、はい!? な、何を言ってるんですか!?」

 思わず大声を出す。と、上野はクスリと笑った。

「ウソウソ、冗談だってば。まったく、零士くんて冗談が通じない子なんだね」

「す、すみません」

 なぜか謝っていた。この上野という女、どうにも調子を狂わされる。もとより零士は口下手で真面目だ。女の子とも、あまり喋る方ではない。
 かと言って、女性に興味がないわけでもない。零士とて、十三歳の健康な男子である。当然、女性には興味がある。あり過ぎるくらいある。そこは、本人も認めざるを得ない。
 興味はあるが、気が弱く引っ込み思案なため話しかけることすら出来ない……そんな零士の前に、突如として現れた上野麻理恵は、眩し過ぎる存在だった。ただ綺麗なだけでなく、仕草や行動が格好いいのだ。歳上のお姉さん、という言葉では表現しきれないものがある。
 後部座席にてドギマギしている零士だったが、上野の揺さぶりは止まらない。

「だけどさ、そこが零士くんの可愛いところでもあるね」

「えっ!?」

 いきなりの言葉に、零士の心臓はドクンと跳ね上がる。女性から可愛いなどと言われたのは初めてだ。しかも、こんな美しい人から……零士の頬は、またしても赤くなっていた。

「零士くん、可愛いから。学校では、さぞかしモテたでしょう」

 零士の変化を知ってか知らずか、さらなる追い打ちをかけてくる上野。零士は、上擦った声で答える。

「は、はあ!? 全然モテなかったですよ!」

「えええ、本当に?」

「本当ですよ! 僕は背が低いし、スポーツはまるで駄目だし、勉強だって出来る方じゃないし、暗いって言われるし、友だちもいないし……」

 自分で言っていて惨めになり、零士の声はか細くなっていった。
 もっとも、今いったことは全て事実である。自分が冴えない人間であることは、よくわかっていた。ところが、先ほどは上野に可愛いなどと言われ、天にも昇るような気分になっていたのだ。そんな浮かれ気分が、自身の言葉により冷めていくのを感じていた。
 惨めな気持ちに、さらに拍車がかかり暗い表情になる。しかし、その気分は長く続かなかった。

「それさあ、気づいてなかっただけなんじゃないの?」

「えっ、何をですか?」

「零士くんのこと、気になってた女の子は絶対にいたよ。だってさ、零士くん可愛いもん。なんか、見てるとほっとけない感じするんだよね」

 またしても顔が赤く染まった。もじもじしながらも、どうにか答える。

「いや、そんなこと無いです」

「君のお父さんはさ、すっごくカッコいい人だよ。だから、零士くんもカッコいい大人になれるから」

 言った直後、車が停止する。同時に、上野が振り向いた。

「さあ、着いたよ」


 



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ボクとセンセイの秘密

七町 優
恋愛
高校2年のボクと24歳のセンセイの秘密を描いたストーリーです。 タイトルで分かるとは思うのですが、恋愛ストーリーです。 一応登場人物たちのいる学校は関西という設定です。 なので関西弁での会話が多くなります。 ボクとセンセイの濃いような淡いような恋愛ストーリーをお楽しみください。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

【完結】あの日の月に君を見る

月狂 紫乃/月狂 四郎
ライト文芸
【アルファポリス「25周年アニバーサリーカップ」参加作品】  深夜に峠へ肝試しに行った中学生の男女4名。その肝試しがきっかけで、それぞれの関係に変化が起こりはじめる。甘酸っぱい青春の日々を過ごしていた4人は、ある事故をきっかけに別れていき、そのまま25年の時が過ぎ去っていく。  大人になった彼らは小規模な同窓会を開く。だが、目の前に現れた「彼女」は、25年前の事故で亡くなったはずの少女だった。  なぜ「彼女」は現れたのか。そして、25年の間に果たされなかった想いとは?  ラストは涙必至⁉ 切ない想いが胸をしめつける、感動の純愛ストーリー‼

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

皆さんは呪われました

禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか? お勧めの呪いがありますよ。 効果は絶大です。 ぜひ、試してみてください…… その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。 最後に残るのは誰だ……

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 190万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...