夏休みの終わり

板倉恭司

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洋館

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 車を降りた零士は、唖然となっていた。
 周囲は高い木に囲まれており、時おり野鳥の鳴き声が聞こえる。道は砂利などで舗装されているが、脇には草が生い茂っている。
 そんな森の中に、茨木統志郎の家はあった。茨木の家、つまりは零士の家でもあるわけだ。この家は、親子ふたりで住むには、あまりにも大きすぎるのではないだろうか。家というより、屋敷といった方が適切だろう。映画やアニメなどで観た古い洋館が、森の中にそびえている……そんな風景である。
 高さは二階建てのようであるが、横幅が広い。その上、窓が多く付けられている。ということは、部屋の数が多いのか。ただし、窓のほとんどが雨戸を閉めた状態である。屋敷の周囲は柵に囲まれており、庭は駐車場をも兼ねているらしく車止めブロックらしきものが設置されていた。もっとも、他に車は停まっていない。
 この風景に圧倒され立ち止まっている零士を尻目に、上野はさっさと歩いていく。零士は、慌てて後に続いた。
 玄関にはひさしと、洒落たデザインの両開きドアが設置されている。上野と零士がドアの前まで来た時、待ち構えていたかのようにすっと開いた。
 中から出てきたのは、険しい表情の中年女だ。肩幅は広くがっちりした体格で、身長は零士より高い。おそらく百六十センチから百六十五センチほどではないか。目つきは鋭く、顔はいかつい。髪はひっつめており、Tシャツとカーゴパンツにエプロンという奇妙ないでたちだ。
 その鋭い目が、上野に向けられた。

「上野さん、ご苦労さんでした」

 女は、冷酷な表情で言った。次いで、零士の方を向く。

「君が零士くんね。私は大橋由香里オオハシ ユカリ、この家の家政婦みたいな者だから」

 愛想の全く感じられない口調である。見た目も態度も怖い。家政婦というより、女兵士という方が正確だ……などと考えていると、上野が横から口を挟む。

「零士くん、そのオバサンには気をつけなよ。お風呂入ってる時、襲われちゃうかもしれないから」

「は、はい?」

 びっくりして聞き返した零士の横で、大橋はじろりと上野を睨んだ。

「その口、釣り糸で縫い付けてやろうか?」

 言った途端、上野は大げさな仕草でパッと飛びのく。

「もう、冗談だから。そんなに怒らないでよう」

 言った後、零士の方を向く。

「零士くん、このオバサン顔が怖いしゴツい体してるけど、悪い人じゃないから。じゃ、また後でね」

 ふざけたことを言いながら、車に乗り込む。すぐに発車するかと思いきや、運転席の車窓が開いた。上野がニコニコしながら顔を出す。

「今度、お姉さんとドライブしよ。いろいろ教えてあげるから」

「えっ、あっ、はい! お願いします!」

 上擦った声で返事をする零士の前で、車は派手なエンジン音と共に走り去っていった。
 零士は、切なげな様子で見送る。先ほどまでは、上野のマイペースさに圧倒されていたが、いなくなると寂しい。
 また会いたいな……などと思っていたら、大橋が声をかけてきた。

「何をお願いする気なのやら。早く来なさい。家の中を案内するから」

 そう言うと、屋敷の中に入っていく。

「はっ、はい!」

 零士は、促されるまま後ろから付いていく。近くで見ると、この女は肩周りや背中の筋肉が発達しているのがわかる。力は強そうだ。相当に鍛えているのだろう。
 もっとも、あの男ほどではないだろう……。
 零士は歩きながら、船で出会った奇妙な外国人のことを思い出していた。背はさほど高くないが、体は分厚い筋肉に覆われている。しかも、一目で零士の身長や体重、果ては秘密までも見抜いてみせた。

(見た瞬間、目から入ってきた情報……外見や仕草、話し方や目の動きなどを、脳内にあるデータと照らし合わせたのさ。そして、君がどのような人間であるかを分析した)

 たったそれだけで、初対面の人間の秘密を言い当てたというのか。だとすれば、恐ろしい洞察力だ。
 そういえば……あのペドロと名乗った男は、船から降りた気配がない。大学生たちに紛れて降りたのか。いや、あの連中は全部で五人か六人ほどだった。その人数の中に、あんな目立つ男が紛れ込めるとは思えない。
 では、あの男はいつ、どうやって降りたのだろう?

 その時、零士は何かにぶつかった。よろけて、床に尻餅をつく。
 次の瞬間、こちらを見下ろす大橋と目が合った。どうやら、立ち止まった大橋にぶつかってしまったらしい。もっとも、大橋の方はびくともしていなかった。足腰の強さは尋常ではない。大木にぶつかったような感触である。
 その大橋は、ふうと溜息を吐いた。

「君は何をしているの。どうせ、上野のお姉さんのことでも考えてたんでしょう」

「違いますよ!」

 慌てて否定した。正直、同じ考えるなら上野のことにしたかった。だが、あいにくと今考えていたのは、船で出会った奇妙な外国人男性のことである。
 そんな零士を見て、大橋はやれやれとでも言いたげな表情を浮かべた。

「そんなことじゃ、先が思いやられるねえ」

 そう言うと、彼女は手を伸ばしてきた。零士の腕を掴み、グイッと引き上げ立たせる。凄い力だ。

「あっ、す、すみません」

 その腕力に圧倒されながら頭を下げる零士を、大橋は睨むような目で見ながら、壁に付いているドアを指差す。

「ここが君の部屋だから。しばらく部屋で休んでいて。後で、また呼びに来るから」

「あっ、はい」

 言われるがまま、零士は部屋に入った。直後にドアが閉まり、廊下を歩いていく足音がする。
 零士は、部屋の中を見回した。普通の子供部屋、という感じだ。勉強机と椅子がそれぞれひとつずつ。さらに、テレビとベッドが設置されている。いずれも、ごく普通のものだ。少なくとも、貴族が使う高級品には見えない。この屋敷の外観から比べると、むしろミスマッチな気さえする。
 その時、またしても疑問が湧いてきた。

 他の人は、どこにいるんだ?

 この家は、かなり広い。となると、掃除するのも一苦労だ。大橋ひとりでは、さすがに手が回らないだろう。だが、他に人のいるような気配はなかった。屋敷内は静まり返っており、生活音は聞こえない。
 どういうことなんだろう、などと思っていた時だった。不意に、強烈な眠気に襲われる。考えてみれば、今朝は五時に起きたのだ。その後、電車に揺られ港まで行き、そこからフェリーに乗った。言うまでもなく、ひとりでやったことだ。全てが初体験である。
 しかも、船ではペドロなる怪人物と出会った。あの男と交わした会話は、未だにはっきり覚えている。
 あいつは、この島のどこに潜んでいるのだろう……そんなことを思いながら、零士は眠りに落ちていた。



「起きなさい」

 誰かの声が聞こえる。女の声だ。では、母親だろうか。

「か、母さん」

 言いながら、零士は目を開けた。だが、視界に入ってきたのは母親ではない。厳つい顔立ちの中年女だ。名前は確か……。

「あっ、大橋さん」

「そろそろ、お父さんが帰って来るよ。それにしても、よっぽど疲れてたみたいだね」

「はい」

「でもね、寝てる場合じゃないんだよ。これから、いろいろ覚えなきゃならないことがたくさんあるから。覚悟しとくんだね」

「覚悟、ですか」
 
 どういう意味だろう。わけがわからず戸惑っている零士だったが、大橋は語り続ける。

「そうだよ。この先、君はいろいろ学ばなければならないことがある。大人になれば、責任も出てくる」

 やはり意味がわからないが、とりあえずは頷いておいた。
 と、廊下から物音が聞こえてきた。人の足音らしい。それも、ひとりやふたりではなかった。少なくとも三人以上いる。廊下を歩いたり、何やら話す声が聞こえるのだ。
 この屋敷に入った時は、人の気配を全く感じなかった。いつの間に来たのだろう……などと思いながら、ふと窓を見れば暗くなっている。まさか、夜になってから出勤してきたのだろうか。それとも、どこかの部屋に潜んでいたのか。

「何をしてるの? 下に降りるよ」

 大橋に促され、零士は立ち上がった。彼女に続いて、部屋を出る。





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