夏休みの終わり

板倉恭司

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怪物との対話(1)

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 その日も、零士は自転車を走らせていた。
 昼食を食べた後、自転車に乗り港の方へと進んでいく。森の中を、自転車で走るのは気分がいい。自分に、こんな一面があろうとは知らなかった。今まで、自分はインドア派だと思いこんでいたのだ。しかし、それは間違いだったらしい。
 考えてみれば、都内に住んでいた頃は人が多かった。車もあちこち走っており、自転車で伸び伸びと走るのは難しかった。
 しかし、今は違う。周囲には誰もいないため、他人の目を気にする必要がない。彼の行く手を邪魔する者もいない。何より、森の中を自転車で走るのは気分が良かった。



 やがて、港が見えてきた。どのくらい走ったのかはわからないが、家を出てから一時間も経っていないだろう。
 港で自転車を停め、周りを見回す。相変わらず人気ひとけがない。船も停まっていなかった。コンビニエンスストアは営業しているが、とりあえず買いたいものなどない。それに、何かをしに来たわけでもない。単純に、自転車で港まで来るのが目的だった。
 しかし今、その目的は達成してしまった。後は、帰るだけだ。思えば、都内にいた時には、こんな目的のない遠出をしたことがなかった。遠出をする時は、買い物や手続きといった何かしらの目的があった。自転車で走ること、そのものが目的の遠出など初めての体験である。
 明日は、学校まで行ってみようか……そんなことを思いながら、零士は自転車にまたがった。家のある方向へと走っていく。

 そんな零士の後ろ姿を、じっと見ている男がいた。傍らには、コンビニエンスストアでレンタルした自転車がある。
 男は自転車に乗り、そっと零士の後を付いていく。しかし、少年は全く気づいていなかった。 



 快調に自転車を走らせていた零士だったが、道中あるものを発見した。同時に、自転車を停める。
 木々の陰に、何か動くものがいるのだ。小さな動物が潜んでいるらしい。
 零士は自転車を降り、そっと近づいていった。潜んでいるものは逃げず、じっとこちらを見ている。
 両者の距離が縮まるにつれ、ようやく潜んでいるものの正体が判明した。猫だ。真っ黒い体の猫が、丸い目でまじまじと見つめている。ただし、一応の警戒はしているようだ。ある程度の距離を置き、何かあったら、すぐに逃げられる体勢で零士の出方を窺っている。
 零士は、その場でしゃがみ込んだ。おいでおいで、と手招きしてみる。
 猫の方は、じっとこちらを見ている。こちらを怖がっているわけではなさそうだが、かといって好感を抱いているわけでもないようだ。お前は何者だ? と言わんばかりの態度である。まだ、様子見の段階なのか。
 その時、足音が聞こえてきた。途端に、猫は反応する。ビクリとしたかと思うと、即座に動いた。一瞬にして、茂みの中へと消えていった。
 零士がそちらを見ると、ひとりの男がこちらに歩いて来ていた。小山のような体格であり、身長は二メートル近くありそうだ。零士がこれまで見てきた中で、もっとも背の高い人間だろう。傍らには、コンビニでレンタルしている自転車が停められていたが、この大男と比較すると子供用の三輪車に見えてしまう。
 その上、横幅も大きい。肩幅は広くがっちりした体格で、Tシャツの袖から出ている腕は零士の足より太い。髪は短く五分刈りで、顔もまた厳つい。笑顔でこちらに近づいて来ているが、正直言ってあまり仲良くなりたくないタイプの人間だ。
 しかも、この男が来たせいで猫が逃げてしまったのてある。もう、ここに留まる理由はない。こうなった以上は、さっさと帰るだけだ。
 そんな零士の思惑など、お構い無しに大男は聞いてきた。

「やあ。君は、この島の人なのかい?」

 いきなり聞かれ、零士はまごつきながらも答える。本当は、すぐさま立ち上がって自転車に飛び乗り、この場を離れたかった。だが、それはあまりにも失礼だろう。

「えっ、はい、一応はそうですが……」

「そうなんだ」

 ニコニコしながら、大男はさらに近づいてきた。座っていた零士の隣に腰掛けてきた。気遣いが、完全に裏目に出てしまったらしい。
 この大男、妙に馴れ馴れしい。だからといって、嫌な顔も出来なかった。近くで見れば、本当に大きい男だ。零士と比べれば、大人と子供いや巨人と小人くらいの差があるだろう。その大きさだけで、圧倒されてしまう。
 その気になれば、零士など片手で捻り潰せるだろう。

「君は、この島のことをどこまで知ってるの?」

 親しげな口調で、なおも聞いてくる大男。同時に、その巨大な手が伸びてきた。零士の背中に触れ、そっと撫でてくる。止めて欲しかったが、怖くて言えない。
 そのため、今の問いのおかしさに気づけなかった。

「いや、最近来たばかりなので、詳しくは知らないです」
 
 言いながら、少しずつ離れようとした。この触り方は変だ。とてつもなく嫌なことが起きそうな気がする。この場から、早く離れた方がいい。
 だが、大男の方は離れたくないようだ。

「ああ、そうなんだ。君は知らないんだ」

 そこで、大男はにっこり微笑んだ。嫌な笑顔だ。零士はぞっとなり、思わず顔を背ける。

「じゃあ、俺が教えてあげるよ。この島のことを」

「えっ? どういうことです?」

 思わず聞き返していた。大男への嫌悪感を、好奇心が上回ったのだ。
 しかし、それはミスだった。逃げられるかもしれない僅かな時間を、自ら潰してしまった──

「俺はね、友だちに誘われてここに来たんだよ。付き合いで来てみたけど、どうもその気にならなかったんだ。でも、君は別だよ」

 言いながら、大男は手を動かしていた。零士の腰へと回される。
 直後、一気に引き寄せられた。零士は、相手が何をしようとしているのか察する。
 幼い頃、見知らぬ男にトイレへと連れ込まれた記憶が蘇った。早く逃げなくては。さもないと、あの時よりもっと恐ろしい目に遭わされる──

「ちょ、ちょっと! 何をするんですか!」

 叫びながら、必死でもがき手から逃れようとした。だが、大男の腕力は尋常ではない。零士がどんなに暴れようが、その腕は離れてくれなかった。まるで機械で固定されているかのように、僅かな隙間ですら開かない。
 大男の方は、優しげな表情を浮かべてこちらを見ている。零士の抵抗など、全く意に介していない。

「俺の言う通りにしなよ。乱暴はしたくない。さっさと服を脱ぎな」

「い、嫌です……許して……」

 震える声で懇願する零士だったが、相手は聞く耳を持っていないようだった。むしろ、その態度が大男をかえって興奮させてしまったらしい。

「そうかい。ちょっと手荒くしないとわからないのかな」

 言いながら、大男は立ち上がった。同時に、零士の体をひょいと肩に担ぎ上げる。片腕のみの力で担ぎ上げたのだ。
 さらに、もう片方の手が零士のズボンへと伸びる。零士は恐怖で体がすくみ、動くことが出来ない。
 その時だった。どこからか、声が聞こえてきた。

「やめたまえ。その少年を怒らせない方がいい。大変なことになるよ」

 聞いた途端に、大男の腕の力が緩んだ。零士の体は、そのまま落下する。地面に体を打ち付け、思わず呻き声が漏れた。しかし、大男の方はそれどころではないらしい。

「ああン? 誰だてめえは?」

 彼は、いきなり乱入してきた何者かに凄んでいる。だが、相手も怯んでいない。

「君のような人間に、いちいち名乗りたくはないな。とにかく、この少年に手を出さない方がいい。でないと、大変なことになるよ。これは、君のためを思っての忠告なんだがね」

 その声には聞き覚えがある。あの男ではないだろうか……零士は、そっと顔を上げた。
 思った通り、声の主はペドロだった。いつの間に現れたのだろうか……不敵な表情で、大男の前に立っているのだ。





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