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カディス

48.カディス④(6月2日)

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トローの一撃で石畳に叩き付けられたビビアナの手を取って、カリナがいる倉庫上へと転移する。
すぐにカリナが駆け付ける。

「カリナ!水だ!彼女の首と頭に掛けてくれ!」

そう言いながらミリタリーリュックから取り出したタオルを彼女の首の下に差し込み、ほぼ抵抗がない彼女の頭を正しい位置に合わせる。完全に折れている……もうダメかもしれない。
カリナが彼女の首と頭にペットボトルの水を掛ける。頭部の固定をカリナと代わり、彼女の首と頭に重点的に治癒魔法を掛けながら心肺蘇生法を試みる。

「いち、に、さん、し、ご……」

30回の胸骨圧迫と2回の人工呼吸。このサイクルを繰り返す。肋骨が折れようが未知の感染症に罹ろうが知ったことか。目の前で消えようとしている命の灯火を吹き消させるわけにはいかないのだ。

◇◇◇

どれだけのサイクルを繰り返しただろう。
彼女を包む緑色の光は薄れ、首周りだけが淡く光っている。だが自発呼吸も脈拍も戻ってはこない。
もうダメなのか……そもそも負傷したのは椎骨だけなのか。それでも心肺蘇生を諦めることができない。何が悪かった。どうすればこの金髪の少女を救えた。トローを狙わずにゴブリンを撃って彼女を掻っ攫い転移すればよかったのか。だがそうすればトローの横撃を躱わすことはできなかったはずだ。

「カズヤ!また魔物が向かってきてる!」

ビビアナの頭部を保持したまま、カリナが鋭く警告を発する。だが今俺がそちらを確認するわけにはいかない。常時展開している探知魔法スキャンにはまだ反応がない。カリナが先に見つけたということは、見通しのいい方向から向かって来ているということか。

「カリナ、リュックの中から双眼鏡を。魔物の数と種類を教えてくれ」

「わかった。これだね」

俺が背負ったミリタリーリュックを漁ったカリナが、屋上の縁に移動して監視を始める。
その間にも心肺蘇生の手を止めるわけにはいかない。まだ諦めるわけにはいかないのだ。

「トローに大鬼、小鬼がたくさん、それに一角オオカミとモスカスまでいる!」

モスカス?モスカスとはなんだ。

「モスカスって魔物の名前か?」

ビビアナの胸を圧迫しながら尋ねる。

「そう!えっと……羽虫?蜂が大きくなったやつ!」

蜂の魔物だって?ならば当然空を飛ぶはずだ。カレイラの言では大空を舞う魔物はいないんじゃなかったのか。あの野郎、いっぱい食わせやがったか。

「でもそんなに高くは飛ばないはずだし、羽根の付け根を狙えば弓矢でも倒せるってお母さんが言ってた!」

そうか。デボラがそう言っていたのなら対抗手段はある。あとは数だけが心配だ。
魔物の群れが探知魔法スキャンの範囲に入った。激しく三次元に動いているのがモスカスか。数は……10匹以上はいるようだ。加えて先行するのが一角オオカミ。その数30頭は下らない。トローとオーガ、ゴブリンはさっきと同規模のようだ。
カリナだけで食い止められるだろうか。
ビビアナを諦めるべきか。
未だに彼女の脈拍も呼吸も戻ってはこない。辛うじて脳に酸素を送り込めているはずだが、要は脳死状態だ。俺が手を止めた瞬間に文字どおりの死が訪れる。
ここに至って俺は二重の恐怖と戦っていた。手を止めてビビアナに死をもたらす恐怖、手を止めずにカリナを死の危険に晒す恐怖。
頭ではわかっている。もうビビアナは手遅れだと。ほとんど可能性の無い蘇生に拘るよりも、生きているカリナを守るべきだと。だがその決心が付かないのだ。

「カレイラが魔法を放つよ!」

再びカリナが鋭く警告を発する。
直後に響く轟音。探知魔法スキャン上でみるみる反応が減っていく。

「すごい……無数の氷の矢が空から降ってる……」

「カレイラの魔法か?あいつ攻撃魔法を使えたのか?」

「そうみたい。さっきは衛兵さん達を巻き込んじゃうって言ってたけど、こういう事だったんだ」

指向性のない範囲攻撃魔法か。確かに使いどころが難しい。彼が躊躇したのも理解できる。だが……

「あっ!撃ち漏らしたモスカスがいる!数は……5匹!衛兵さん達に向かってるよ!」

やっぱりそうか。モスカスは蜂のような魔物だという。ならばその身体は外骨格で守られている。サイズは馬ほどの大きさはあるだろう。カレイラが放った氷の矢がどれほどの速度と重量、つまり衝撃力があったかは知らないが、その力が外骨格の強度を上回らない限り貫通はできない。

「カレイラは何をやっている!?第2射は!?」

「わかんない!でも連発はできないのかも!どうする?!」

どうする……このままでは衛兵達はおろか、カリナや俺自身も危ない……

“カズヤさん”

突然声が聞こえた。
いや、耳で聞いたのではない。直接内耳に届いたというか、とにかく声が聞こえたのである。

「カズヤさん。私はもう……どうか救える命を救ってください」

どこか懐かしいような聞き覚えのある声。まさかビビアナの声か。
胸部を圧迫していた手を止め、改めて彼女の顔を見る。その顔はいつのまにか安らかなものになっていた。

◇◇◇

決めた。
俺はミリタリーリュックを下ろして麻袋を取り出し、彼女を収容した。その光景を呆気に取られたかのように見つめていたカリナが声を発する。

「カズヤ、いいの?」

「ああ。一人でも多く助けたい。ビビアナもそう望んでいるはずだ」

確信はない。だが俺自身がそう信じたいのだ。

「それでどうする?カレイラの魔法も効かないんじゃ、矢ぐらいではどうしようもないかも」

「相手は虫だろう。だったら……」

屋根の縁に移動して状況を確認する。
魔物の群れが駐屯地に到達するまで残り50m強といったところか。だいぶ数は減っているが、やはり脅威なのはモスカスだ。
カリナは蜂と表現したが、その黄色と黒の体毛に覆われた胴体と大きな複眼、大きな鉤爪を持つ太い脚の昆虫には心当たりがある。シオヤアブに代表されるムシヒキアブの一種だ。自分の体長を遥かに超えるカマキリや、果てはスズメバチまでも襲う獰猛な肉食昆虫。それが奴の正体だろう。だったらバイタルポイントは羽根の付け根、頭部と胸部、胸部と腹部を繋ぐ結節、複眼、そして腹側の中心線に沿って並ぶ神経節だ。

「カリナ!先頭の目を狙ってフルオートだ!撃て!」

「わかった!」

カリナがフルオートで弾幕を張る。僅かな時間差で襲いかかるBB弾を避けようとしたか、1匹のモスカスが腹側を見せる。そのガラ空きになった胸部にPSGー1でBB弾を叩き込む。奴は空中で動きを止めてそのまま落下した。

「ワンダウン!次!」

こちらを脅威と認識したのだろう。残り4匹が一斉に向かってくる。だが奴等の前方を見据える大きな複眼が仇となったか。ムシヒキアブは昆虫の中でも有数の動体視力を持つと言われる。おそらく撃ち込まれる全てのBB弾を認識して避けようとしてフリーズするのだ。そのガラ空きになった胸部や頭部を撃ち抜き、あっさりと撃ち落とした。
残るはカレイラが撃ち漏らしたゴブリン共だけだ。

俺とカリナは金髪の少女を救えなかった悲しみをぶつけるかのように撃ち続けた。
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