灰と麦と夜明けのパン

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第47話

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――この街の、はじまりは、焼け跡だった。

けれど今、ここは違った。

石畳には水が流れ、軒先には籠が並ぶ。

井戸の前では子供が笑い、細い路地にも灯りがある。

“スラム”と呼ばれていたその地は、今では“南市場”と呼ばれ始めていた。

建て替えたわけでも、誰かが金を投じたわけでもない。

ただ、いつの間にか、人が集まり、住み始め、働き、火を焚き、飯を作り、――パンを焼いていた。

偉い人たちが、初めてこの地を視察に訪れたとき。

彼らは口を開いたまま、言葉を失った。

「……何が、あったんだ……?」

「かつての荒地が……なぜ、ここまで……。」

水道も税も、国が与えたわけではない。

それでも、人は住み着き、生活を整え、子供たちが育っていた。

「夜風か?」

一人の役人がぽつりと呟いた。

確証はない。姿も見えない。

だが、軒先に並ぶ丸いパン。
素焼きの窯。
子供たちの爪の清潔さ。

なにより――

“パンを運ぶ小さな手”に、見覚えがあった。

「……かつて、どこかで見たことがある。あの目だ。」

「人の下ではなく、“火のそば”に立つ目。」

誰も夜風の名を出さない。

けれど、皆が理解していた。

この変化は、誰かが焼いた火の記憶。

誰かが焦がさずに渡した、温もりの証。

「では……このままに?」

「……ああ。余計なことをすれば、“火が消える”。これは、そういう火だ。」

役人たちは、そっと帽子を脱いだ。

それは“干渉しない”という決断であり、ひとつの“敬意”でもあった。

その夜、スラムの細い路地裏で、一人の少女がパンを焼いていた。

焼き目の濃淡を見て、鼻で香りを確かめる。

小さな窯から、静かに火が灯る。

「今日も、誰かに届きますように。」

その願いは、煙になって、空へと立ち昇っていった。

スラムには、もはや“貧しさ”よりも、“火の気配”がある。

その火の名前は誰も言わない。

でも皆が、どこかで感じている。

――ここには、夜風が通ったのだ、と。
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