サラリーマン二人、酔いどれ同伴

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第5話 朝ごはん会議、議題は腹と心

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――ちゅん、ちゅん。

鳥の勤怠は相変わらずパーフェクト。
土曜の朝、炊飯器の“ピッ”が小さく勝利宣言して、部屋に湯気が満ちる。
鼻の奥が米になっていく。幸せの炭水化物だ。

「おはようございます、先輩」

「おはよ……あ、米、もう上がってる」

「はい。タイマー設計は水曜の会議で合意済みです」

そう。今週から“朝ごはん会議”が正式運用になった。
水曜にメニュー決め。木曜に買い物。金曜は飲み過ぎない。土曜の朝、実装。
胃袋にアジャイルを持ち込むやつ、ここに爆誕である。

まずは水曜日まで時間を巻き戻す。

―――

水曜の昼、給湯室。
インスタントスープのカップが並ぶ手前で、迅蛇がメモを開いた。
顔は真顔。議事録の顔。

「朝ごはん会議、初回。議題は四点。①方針、②メニュー候補、③ロール分担、④木曜の買い物導線。異議?」

「議題に“予算”と“健康”を追加して。腹、無限じゃない」

「了解。⑤予算、⑥栄養KPI」

並べると急に会社のにおい。
でも、会社のにおいがあると、僕らは変に落ち着く。

「方針は“和食ベース、たまにお楽しみ枠”。今週は初回なので標準形から」

「お楽しみ枠って?」

「パンケーキです」

「やった」

即答した僕に、迅蛇の目が一瞬だけ柔らかくなる。
この一瞬のために生きてる感、ある。

「メニュー案は、鮭、卵焼き、小松菜のおひたし、豆腐の味噌汁、白米。お楽しみ枠に“極小パンケーキ”」

「“極小”って言った? 山はダメ?」

「山は初回ベースラインに不適切です」

「くっ……合理」

「ロール分担は、先輩が卵焼きとパンケーキ。僕が米・味噌汁・小松菜。焼き鮭はオーブンタイマーで相互監視」

「監視って言うな。見守り!」

「見守り。――予算は今週二千五百円。栄養KPIは“野菜二品以上”。小松菜と味噌汁のわかめで達成見込み」

「わかめをKPIに入れるの笑う」

「海藻は大事です」

「導線は?」

「木曜、退社後に駅前スーパー。混雑回避のために19:20入場、19:55退店目標。買い物カゴの“入れすぎストップ合図”を定義します」

「合図?」

「カゴの縁を“とん、とん”。手の甲だと誤作動するので」

「はい天才。新規合図、採用」

Slackに“朝ごはん会議”スレッドが立った。
ランニングシューズとビールジョッキの絵文字が付くのが、もう社内の季語みたいになりつつあるのが悔しい。いや、好き。

―――

木曜の夜、スーパー。
野菜売り場で小松菜が青々している。
迅蛇は値札を見ながら、三秒で判断するタイプ。
僕は値札と葉のシャキ度と“写真に撮ったら映えるか”の三項目で迷って三十秒かけるタイプ。
歩幅合わせは、ここから始まる。

「先輩、小松菜はこっちの方が茎がしっかり」

「了解。鮭は……塩ふってある切り身と生と、どっち?」

「初回なので塩。塩の挙動を学習します」

「学習って言葉、全部の食材に付けないで」

カゴには、卵・小松菜・豆腐・わかめ・鮭・牛乳・ヨーグルト(聖域)・薄力粉(パンケーキ)・メープルシロップ(極小)・コーヒー豆(本採用ブレンド)――必要最低限+お楽しみ。

「――あ」

向こうから八木さん(営業)がカートを押して現れた。
カートの中はスポドリとバナナと唐揚げ。マラソン前夜祭か?

「お、二人。ペア買い出し? “朝活”も同伴?」

「炭水化物のピッチ走をします」
迅蛇がB案(ゆる冗談返し)を即時発動。速い。

「糖質補給ラップ刻んでます」
僕もそれっぽく続く。
八木さんは「いいねー」と笑って去っていった。
噂は噂のまま、軽く。空気は軽く。

精肉コーナーを抜けると、情シスの渚さん。
レジの“ピッ”音を聴き分けていそうな顔で、豆腐を選んでいる。

「お疲れさまです。椀音の前に鍋音ですね」

「音、全部ログ取らないで」

「取ってません。ただ、米袋の持ち上げ音は気持ちいいですよね」

「わかる」

わかるんだ。
渚さんは豆腐を持ち上げて、静かに会釈して去った。
“気にしてない感じ”がプロ。ありがたい。

レジ前。
僕がメープルの瓶を追加しようとした瞬間、迅蛇がカゴの縁を“とん、とん”。
新合図、効果抜群。
僕はそっと瓶を棚に戻し、ナチュラルに薄力粉の列を整える。
陳列スキルはコミケ由来。どこでも役立つ。

19:48退店。導線完璧。
帰り道、紙袋が手の中で温かい。
食材のぬくもりって、なんでこんなに心臓に効くんだ。

―――

そして土曜の朝、現在地。

「じゃ、実装開始」

「卵を三つ。砂糖は少し、白だしは数滴。――いつもの」

「はい。味噌汁は出汁パックを短時間。豆腐は最後に。わかめは戻しすぎない」

作業の音が重なっていく。
フライパンのジュッ。菜箸のカチ、カチ。
オーブンが鮭を焼く微かな風。
渚さんがいたら“台所オーケストラ”って言いそう。

「卵焼き、巻くね」

「はい。巻き角度、前回と同じで」

「前回っていつ」

「脳内ログによれば第二話の土曜です」

シリーズ内メタをさらっと出すな。
でも、手が勝手に動く。
箸先が卵を寄せ、向こうへ送り、また寄せる。
黄色い層が重なって、小さな四角い丘になる。
丘の上に、極小パンケーキのタネを落とす。
“極小”の約束は守る。直径6センチ。ちゃんと小さい。僕えらい。

「鮭、OKです。味噌汁、仕上げます」

「パンケーキ、ひっくり返すよ」

「合図を」

「え、なんの?」

「“成功祈願とんとん”」

「そんな合図増やしたっけ?」

「今、追加しました」

笑いながら、迅蛇の手の甲を“とん、とん”。
フライ返しが空中でくるり。
パンケーキは無事に着地。
着地音は“ぽす”。小さい。かわいい。

テーブルに並ぶ、小さな祭り。
白米、味噌汁、鮭、卵焼き、小松菜のおひたし、そして極小パンケーキ二枚。
異文化交流の盆。

「いただきます」

「どうぞ」

迅蛇は卵焼きを一口。
噛むテンポが半拍、柔らかくなる。
それが合図みたいに僕へ伝わってくる。

「うまいです」

「ありがとう。鮭、いい塩梅」

「学習の成果です」

「やめろ、食卓を機械学習にするな」

味噌汁の湯気を吸う。
体の芯が、じんわり満たされる。
小松菜の茎がシャキと鳴って、舌が目を覚ます。
箸を置いて、極小パンケーキを一口。
メープルは慎重に。落としすぎない。直径6センチの宇宙。

「お楽しみ枠、成功です」

「極小、意外と満足するね」

「“あるけど主役じゃない”のバランスが良いのだと思います」

なるほど。
恋愛も、こういうバランスがいいのかもしれない。
主役は主役で、その他も全部生きてる。

「レビュー、しましょう」

「え、もう?」

「初回はフィードバックが重要です」

迅蛇はメモを開いて、食卓で小さい会議を始めた。

「総評:成功。改善点は三つ。①小松菜の塩抜き、もう少し控えめ。②パンケーキの焼き色、二枚目が薄かった。③味噌汁のわかめ、次回は乾燥のまま鍋に直接投入で食感維持」

「はい先生。僕からは一点。鮭、もうちょい厚いの買いたい」

「予算を二百円上げます」

「交渉成立、早」

「次週のメニュー候補は“和食継続”または“洋食回”。投票しますか」

「今週は和食だったから、次は洋食も気になるけど、実は“おにぎり会”もやってみたい」

「では、候補に“手むすび会”を追加。具材は鮭、梅、昆布。お楽しみ枠は“具の暴走枠”としてツナマヨチーズ」

「暴走やめろ」

「極小にします」

「極小なら許す」

食べ終わった食器を流しへ。
洗い物の水音。
渚さんのログに“蛇口の立ち上がり音”が加わる気がして笑う。
ふたりで手早く片づける。
台所に“居る練習”は、すでに始まっていたらしい。

「――合鍵、ありがとうな」

「いえ。昨日、冷蔵庫の二段目左半分を空けました」

「ヨーグルトの聖域、守られてた」

「遵守です」

身支度。
シャツを着替え、歯を磨き、靴下を探す。
ソファの隙間から迅蛇が靴下を救出。
有能。
玄関で靴を履く。
そして、毎度おなじみ――でも、今日は少し違う“いつも”。

「靴紐、結びます」

「お願い」

結び目が、きゅっと締まる。
僕はその手の甲を“とん、とん”。
止まってほしい合図じゃなくて、“ごちそうさま”の合図。
食卓から玄関まで、一本の線が引けた気がした。

外へ。
秋晴れ。パン屋の甘い匂い。
紙袋の中には、来週の候補たちがうっすら見える。
和食も洋食もおにぎりも、たぶん全部、順番にやる。
順番にやれる。順番にやりたい。

「先輩」

「ん」

「次の水曜、朝ごはん会議のスレッドを立てます。議題は“手むすび会の具材選定”と“買い物導線の混雑対策”」

「了解。僕からは“焼き海苔の等級”を議題に」

「よい追加です」

「あと、“何もしない平日夜”を今週どこに置くか」

「木曜以外で。木曜は買い物なので」

「じゃ、火曜」

「火曜、居る練習」

指で小さくOKサイン。
走り過ぎない。
ちゃんと立ち止まって、座って、ただ居る。
そのためのごはん。ごはんのための居る。
うん、悪くない循環。

改札前。
人の流れは穏やか。
僕は、振り向いて、迅蛇を見る。
真面目な目。笑ってないけど、温度は高い。

「ありがと。卵焼き、うまいって言ってくれて」

「事実です。――それと、極小パンケーキ、来週も“極小”のままでお願いします」

「山は永遠に来ない?」

「“祭り”の時に来ます」

「祭り、いつ?」

「たとえば、冬コミ前日搬入の前」

「いいね。それは山いこう」

互いに、ちいさく笑う。
朝ごはん会議は、腹だけじゃなく、心の在庫も整えてくれるらしい。

「じゃ、行ってくる」

「行ってらっしゃいませ。水曜に議事録を更新します」

「名前、もうちょい柔らかくしような。“議事録”って言うと胃が固くなる」

「“朝ごはんメモ”にします」

「それ!」

指先で、空気に“とん、とん”。
進んでいい合図。
彼は、目だけで“了解”と返す。
毎週の土曜、ちゅんちゅん、米の湯気。
これが、僕らのスタートラインだ。

佐万里、二十九歳。
“朝ごはん会議”初回は成功。
水曜に決めて、木曜に買って、土曜に食べる。
胃袋にアジャイル。心には余白。
来週は“手むすび”。極小の暴走は、たぶん、許す。
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