サラリーマン二人、酔いどれ同伴

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第4話 β版終了、本採用。そして同棲は設計中

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――ちゅん、ちゅん。

鳥は相変わらず勤務態度が良い。
カーテンの隙間に薄い光。枕の片側はあたたかい。
二週間って、思ったより短い。思ったより長い。
“β版”。言い出したのは迅蛇で、受け入れたのは僕。
毎週金曜に飲んで、土曜の朝にレビュー。
顔が赤くなったら一杯で打ち止め。合図は“とんとん”。
社内のからかいはB案で受け流し。
やってみたら、どれも案外ちょうどよかった。

「おはようございます、先輩」

右から、迅蛇。
声は安定、呼吸は一定。寝相まで整ってるの、処理系が違うんだよ君だけ。

「……おはよう。二週間、経ったね」

「はい。ではスプリントレビューを開始します」

「朝イチで言うの、もう定番になったな」

彼はベッドの端に腰かけ、スマホのメモを開く。
僕は毛布を肩まで上げたまま、出席だけ決める。議題は知ってる。今日は期末テストだ。

「議題は四点。飲酒量、合図運用、社内風評、そして――採用可否」

一拍、置くな。心臓がタイピングミスする。

「飲酒量は、先輩の“さまりレッドアラート”閾値を超えず安定。合図は“とんとん”の正しく実装。社内風評は“からかい半分・悪意少なめ”でトレンド横ばい、B案運用で支障なし。――以上を踏まえ、結論」

呼吸が、するりと深くなるのを感じた。
この二週間、僕らはわりと上手くやった。上手くやれた気がする。
それを、言葉にしてほしい。今すぐ。

「本採用でお願いします」

「お願いしますが付いてるの、好き」

「正式に、お付き合いしてください」

さらっと言うくせに、目が真面目すぎる。
胸が、ぎゅっと縮む。
βだのKPIだの言いながら、結局ここに来た。
僕は、うん、と噛むように頷く。

「こちらこそ。正式で」

「ありがとうございます」

彼は小さく頭を下げた。
お辞儀すんな。面接じゃない。
でも、笑いそうな喉をこらえる僕には、礼儀正しいこの瞬間がありがたかった。

「で、本採用の発表、以上――じゃないよな。次の議題?」

「同棲の有り無しについて」

来た。
大陸プレートみたいなテーマ。
布団の温度が、五度くらい上がった気がする。

「いきなり“住むか住まないか”を決めるの、スピードランじゃない?」

「なので、オプション提示から始めます」

迅蛇はメモに三つの項目を出した。
タイトルの字体まで冷静なの、ほんと面白い。

「A:フル同棲。家賃と光熱費を按分。家事は分担。寝具は二枚、布団干しはローテーション。
B:半同棲(週二~三)。合鍵を交換。衣類・歯ブラシ・常備薬を双方に常備。冷蔵庫の棚は“あなたの段”を決める。
C:非同棲・ただし“お泊まりSLA”明文化。急な宿泊の受け入れ時間帯と連絡手順を定義。鍋・毛布・タオルを予備として増設。――以上」

「SLAって言うな。耳が会社になる」

でも、助かる。
“同棲”って言葉は重いけど、三つにほぐされると持てる。
僕の頭もやっと回る。

「僕の前提から言う」

「どうぞ」

「正直、同棲で恋愛を壊しかけたことがある。大学の時、三年付き合ってた子と“ほぼ同棲”になって、最初は楽しくてさ。ごはん一緒に食べて、くだらない動画見て、寝る前にくだらない話して。最高だった。けど、卒論とコミケとバイトが重なって、俺が“ここ”にいなくなった。『楽しい時しかいない』って言われて、終わった」

言葉にすると、まだ少し痛い。
枕の端を握る。
痛みは、今の選択にちゃんと効いてくるはずだ。

「だから、怖い。同棲という箱をかぶると、中の空気を甘く見積もっちゃうのが、俺は怖い」

「了解。僕の前提も言います」

迅蛇は、ごく短く息を吸う。
目はいつもどおり真面目。でも、ほんの少しだけ、焦点が柔らかい。

「僕は、以前“決める速度”で相手を疲れさせてしまった。だから、住むかどうかも、段階を踏みたい。歩幅を測りたい。これは僕のわがままです」

わがまま、という単語をこの男の口から聞くと、なぜか安心する。
完璧そうで、完璧じゃない。
僕らは人間だ。よかった。

「じゃ、Aは今じゃないよね」

「同意」

「Cは、現状維持に名前をつけるだけ。悪くないけど、進んだ実感が出にくい」

「同意」

「B……半同棲。合鍵。棚」

「B案に、補助線を引いてもいいですか」

「どうぞ」

「“段階的B案”。三ステップ」

出た、三。本当にこの人は三が好き。

「B-1:合鍵だけを先に交換。金曜の夜~土曜の朝の運用はこれまでどおり。
B-2:生活必需品の“常備枠”を最小で置く。歯ブラシ、Tシャツ一枚、充電器、常備薬。冷蔵庫は一段の半分。
B-3:週一回、平日の夜をどちらかの家で“何もしないで過ごす”時間にする。料理でも映画でもなく、ただ居る。これは“居る練習”。」

“居る練習”。
耳の中で、やけにきれいに響いた。
昔の僕が一番できなかったやつ。
今なら――できるかもしれない。やってみたい。

「……B-3、いいな」

「ありがとうございます。僕も、そこで“決めない練習”をします」

「決めない迅蛇、見てみたい」

「難易度は高いですが、非機能要件として定義しておきます」

「非機能要件、恋愛に持ち込むやつ初めて見た」

笑いがこぼれて、少しだけ緊張が抜ける。
僕は毛布から手を出して、迅蛇の手の甲を“とん、――”と叩きかけて、止めた。
止める練習も必要。合図のインフレを防ぐために。

「合鍵、今日?」

「持ってきています」

早い。
迅蛇は枕元のカバンから、小さな黒いキーホルダーを出した。
無駄のないデザイン。ブランドロゴが控えめ。らしい。

「先輩のは?」

「……渡す前に、部屋の“オタク棚”を一段整理させて」

「期待値は管理します。フィギュアの向きを僕の感覚で変えたりはしません」

「絶対に変えるな。あれは全員“前傾姿勢の角度”が決まってるんだ」

「了解。デプロイ前にレビューします」

“デプロイ”と言いながら、手のひらに鍵を載せてくれる。
重さは軽い。意味は重い。
指先が少し汗ばむ。
僕はうん、と頷いて、それを受け取った。

「ありがとう。じゃあ俺のは、今日の駅の帰りに家寄って持ってくる」

「はい。B-1、完了見込み」

「言い方」

口の端が上がりっぱなしになるのを、コーヒーでなんとかごまかす。
あ、コーヒー。今日の香りはいつもより優しい。豆を変えた?

「コーヒー、今日、違う?」

「“本採用ブレンド”です」

「そんなの売ってるの?」

「命名しました。ミルク多め、砂糖小さじ一、抽出時間短め」

「うちの仕様だ」

マグを合わせるみたいに、テーブルにちょんと置いた。
乾杯の代わり。
正式になっても、やることはそんなに変わらない。
それが、いい。

「同棲B案の細かいとこ決めよう。冷蔵庫の“あなたの段”、どこにする?」

「二段目の左半分。右半分は、先輩のヨーグルトの聖域なので避けます」

「聖域って言うな。賞味期限がものすごく短いだけ」

「洗濯は、各自自分のを基本。ただし“雨の日の救済”を双方に許可」

「救済って言うな。神父か」

「布団は二枚運用。くっつけるのは“合図”がある時だけ」

「それは……いい。合図、大事」

「歯ブラシは色で識別。青が先輩、白が僕」

「なんで色、俺が青?」

「なんとなく」

「なんとなくで決めるの、うれしい」

“決めない練習”。一歩踏み出してる。
迅蛇が“なんとなく”って言うと、世界がちょっと丸くなる。

「あと、ゲーム機」

「ゲーム機」

「保存データ、混ざると悲劇だから“ユーザー分け”必須」

「了解。僕は“迅DAS”で作ります」

「そのネーム、古いネットの香りがする」

細かいルールを笑いながら並べていく。
笑いながら決められるうちは、たぶん大丈夫。
重い議題を、軽い言葉で運ぶ。
運びながら、ちゃんと積む。

「朝ごはん、作ります」

「今日は俺の番じゃない?」

「本採用祝いなので、僕が」

迅蛇は台所へ。
僕は枕を整え、ぼんやり天井を見上げる。
“正式”。
口に出すと、胸がほんのり温かい。
β版が終わっても、世界は同じ音で回ってる。
鳥はちゅんちゅん。パン屋の甘い匂い。郵便受けのチラシ。
でも、この部屋の空気だけ、少しだけ密度が増えた。

「焼き鮭と、豆腐の味噌汁。卵焼きは先輩の領域なので自重します」

「やればできるじゃん、領域理解」

「仕様です」

並んだ茶碗。
ふたりで“いただきます”。
味噌汁をすする音がシンクロする。
渚さんがいたら“打鍵音の次は椀音”ってログ取られそう。
いや、取られてもいいか。たぶん、笑ってくれる。

「うまい」

「ありがとうございます」

食器を片づけながら、ふと、心の底に沈んでいた石がころんと動いた。
言わないと、今日に穴が空くやつ。

「迅蛇」

「はい」

「怖いって言ったけどさ」

「はい」

「同じ家に“ただ居る”練習、したい。俺、できるようになりたい」

彼は、ほんの少しだけ目を細めた。
笑ってはいない。けど、光がやわい。

「僕も“決めない”を練習します。なので、B-3には“居眠り可”を追加します」

「居眠り可、いいな」

「寝落ちしたら、毛布をかけるのが“合図”です」

「合図、多いな」

「増えます」

合図が増えるたびに、言葉がいらない瞬間が増える。
それは、親密さの路線図みたいなものだ。
行き先は、まだ先。乗り換えもきっとある。
でも、路線が見えると、人は安心する。

身支度。
歯を磨いて、シャツを着替えて、靴下を探す。
迅蛇が僕の靴下の片方をソファの隙間から救出。
有能。
玄関で靴を履く。
そして、いつもどおり――いや、“正式”最初のいつもどおり。

「靴紐、結びます」

「お願い」

彼の指先が、きゅっと結び目を作る。
ほどけないように、でも優しく。
結び終わったその手の甲に、僕は“とん、とん”。
止まってほしい合図ではない。
“ここにいる”の合図。
次の合図は、きっと夜だ。毛布の合図。

外へ。
秋晴れ。パン屋の匂い。
郵便受けには、引っ越しのチラシ。――タイミングよ。
でも、僕らは飛びつかない。
B案で行く。歩幅を測る。
“引っ越し”は、路線図のもう少し先に置いておく。

歩きながら、社内の話。
杉田さんの猫は写真で見るかぎりさらに丸く、八木さんは来週マラソン、渚さんは“椀音”にも興味があるらしい。
金曜の冗談返しはうまくいった。
Slackのビールジョッキとランニングシューズは、さりげない装飾になった。
“気にしてない感じ”は、ちゃんと伝わったと思う。
伝えたいのは、僕らの内側じゃなくて、僕らの外側の安定だ。

「先輩」

「うん」

「本採用おめでとうございます」

「おめでとうございます、はこっちの台詞でもある」

「では、相互祝福で」

「うん。相互祝福」

改札前。
人の流れはいつもどおり穏やかで、でも僕らの足取りはほんの少しだけ軽い。
正式のせいか、合鍵のせいか、たぶん両方。

「今日、帰りに寄って鍵、渡すね」

「はい。僕は冷蔵庫の二段目左半分を空けておきます」

「ヨーグルトの聖域、守ってくれ」

「遵守します」

僕は深呼吸して、指先を彼へ伸ばす。
“進んでいい”の合図。
言葉いらずの、ちいさなOKサイン。
彼は、目だけで“了解”と返す達人なので、口角は動かさない。
でも、わかる。わかるようになった。二週間の成果だ。

「行ってくる」

「行ってらっしゃいませ。来週の金曜も、同伴で」

「もちろん」

改札を抜ける直前、振り返る。
黒いキーホルダーが、彼の指の中で小さく光った。
僕のポケットの中にも、いま同じ重さがある。
軽いけど、意味は重い。
この重さで、歩幅を合わせる。
焦らず、でも止まらず。
“居る”練習をしながら。

佐万里、二十九歳。
二週間のβ版を無事に完走し、レビューの結果は本採用。
同棲は――B案、段階的。
路線図の先に“同じ屋根”の駅を見据えつつ、今日は駅前で手を振る。
ちゅん、ちゅん。鳥は相変わらず勤勉。
僕らも、ほどよく。
来週も、起きる。飲む。笑う。居る。
そして、鍵が増えたポケットの重さに、ちいさく頷く。
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