サラリーマン二人、酔いどれ同伴

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第8話 おでんと白湯、湯気の向こうの半分こ

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――ちゅん、ちゅん。

鳥は相変わらず勤勉で、今朝は少し湯気の音がする。
鼻の奥が昆布だし。枕の片側は温い気配。
目を開けると、ベッドの脇のトレイに白い湯のみ。控えめに立つ湯気。ラベルは手書きで「白湯」。

「おはようございます、先輩。低温で淹れました」

「“淹れる”って言うの、白湯にも使うの?」

「使います。抽出時間はゼロですが」

迅蛇はいつもどおり真顔。寝癖は最小。
僕は布団の端から手を出し、湯のみを受け取る。
一口。やさしい。胃袋が“起動中”になる。

昨夜を巻き戻す。
――金曜。「白湯会+おでん」のプロトタイプ運用日。

―――

定時ちょい過ぎ。
外は秋口の風。ビル風が少し辛口。
エレベーター前で目が合って、自然に足並みが揃う。

「今日は“白湯会+おでん”ですね」

「うん。21:30カットオフ、忘れないように」

「“小瓶の罠”は回避。アルコールはゼロまたは一杯まで」

「ゼロで行こう。白湯会、初回だから」

B案(ゆる冗談返し)をポケットにしまったまま、僕らはそのまま駅前のコンビニへ吸い込まれた。

自動ドア。
カツンと乾いた“ピン”音。
店内の中央、ガラス越しに湯気の箱。
――おでん。

店員さんの「いらっしゃいませ」に湯気が混ざる。
ステンレスの仕切りの向こう、白と茶と灰色の小宇宙。
大根が鎮座。卵は月。糸こんは軌道。がんもは小惑星。

「選定会議を開始します」

「会議しなくても、直感で……いや、会議するか」

迅蛇がトングを構え、目は真剣。
僕はペーパーカップを持って“係”になる。
社会は係で回る。

「先輩、最優先は?」

「大根。厚いの。端っこじゃないやつ」

「了解。角の丸み良好。――たまごは?」

「一個。割る用」

「“む”の合図ですね」

「今日は“に”でもいいけどな。肉まんあるから」

「いい指摘です。合図“に”を半分こ用として暫定導入」

“合図”は増える。
でも、生活に必要なら、増えた分だけ親密さの路線図が伸びる。

「こんにゃく、しらたき、ちくわ、がんも……え、もち巾着あるじゃん」

「“もち”は暴走枠です。極小で制御」

「極小もち巾着ってある?」

「半分に切ってもらえますか?」

「トングで分割は難しいので、僕らで“分けっこ運用”にします」

店員さんにお願いして、取り皿を二枚追加。
からしの小袋、三つ。柚子こしょう、一つ。
だし多め。――ここ、重要。

レジへ。
“ピッ”音の向こうから、情シスの渚さんが出てきた。まさかの偶然。

「あ、どうも。――おでんの“湯気音”は名曲ですね」

「音、集めてないですよね?」

「集めてません。ただ、好きなので耳が勝手に」

「それ、集めてるのと同じでは」

渚さんは目だけで笑って、袋を持ち直す。
レジ横の蒸篭からは湯気がもう一つ。
肉まん。白い。丸い。誘惑。

「肉まん、半分こしよう」

「異議なし。――一個、お願いします。」

「“に”の合図の実装、初回です」

袋を二つ持って外へ。
夜の風。街路樹がきしむ音。
コンビニの前のベンチ。
屋外だけど、湯気の発光で小さな室内みたいな気持ち。

「大根から行きますか」

「うん。最初に大根で、全体の出汁バランスを舌にロードする」

「ロード完了後、卵は“割り”。半分こ」

大根を割って、口に運ぶ。
優勝。
口の中で、だしが時計になる。時間がうまい方向に進む。

「卵、割るよ」

「合図を」

人差し指で、迅蛇の手の甲に“に”。
ひらがな二画。
指で書くと、なんか妙に照れくさい。
けど、それがいい。
彼は小さく頷いて、卵を割って、黄身の柔らかい方を僕に渡す。
ずるい。いや、優しい。

「こんにゃく、からしあり?」

「あり。鼻に一発入れて、白湯で中和」

「白湯、運用開始」

魔法瓶の白湯。
70℃未満。舌が驚かない温度。
ひと口ごとに世界が音量を下げる。

「もち巾着、ちょっとだけ」

「“暴走しない合図”は塩皿じゃなく“からし袋の端とんとん”で代用します」

「合図の新設、速いな」

もち、しみしみ。
半分こ。
ちいさな罪悪感を、白湯がやさしく洗い流す。

「――肉まん、いく?」

「いきます。合図“に”」

ふたたび、人差し指で“に”。
肉まんの皮を割ると、ふわっと湯気。豚の甘い匂い。
その瞬間、世界が二度目の優勝をする。
半分こ。
もちっと噛むたび、秋の夜がやわらかくなる。

「“白湯会”、いいな」

「はい。酔いがないのに、会話が甘くなります」

「甘い、って言うな」

「仕様です」

ベンチでしばらく、湯気と白湯と、くだらない話。
社内のからかいは横ばい。
八木さんは来週ハーフ。
杉田さん家の猫は冬毛で増量。
渚さんは“湯気音”の可視化に興味がある(なにそれ)。

21:12。
温度は下がり始める。
僕らは予定どおり、21:30カットオフに向けて片づけて、帰宅。
鍵がカチン。玄関の空気が“おかえり”と言う。
白湯を二杯だけ継ぎ足して、“居る練習”。
テレビも音楽もなし。
ただ、湯気の音。
“とん、とん”は要らなかった。自然に止まれた。

―――

現在地、土曜の朝。
白湯は二杯目。
昨夜の残りの大根が、冷蔵庫でじゅうぶんに味を深めている。
迅蛇が台所で温め直している音がする。
台所は昨日の延長線。安心の延長戦。

「朝は“おでん茶漬け”にしましょう。だしを少し濃いめに」

「天才。胃に優しいやつだ」

「それと、肉まんの残り皮をカリッと焼いて“おやつ”。半分こ」

「残り皮まで救うの、なんか良い」

湯気がまた立ち上がって、部屋の密度が少し上がる。
僕はベッドの端に座り直し、昨夜のログをやわく振り返る。

「迅蛇」

「はい」

「昨日、外で肉まん半分こしたの、なんか良かったな。外の空気と湯気の交差点に座ってる感じ」

「“交差点の親密さ”ですね」

「その言い方、詩人かロガーかどっちかにして」

彼は小さく首を傾げる。
“どっちも”の顔。ずるい。

「――レビュー、軽くしておきます?」

「やろう。白湯会+おでん、初回レビュー」

迅蛇がスマホを開いて座る。
枕元会議はもう儀式だ。

「総評:成功。改善点は三つ。①からしの配給を“1人1.5袋”に最適化。②大根の厚さは次回も“厚い”に固定。③肉まんは“1→2個”に増やし、最初から“半分こ運用”でロス削減」

「“ロス削減”って言うな。ロスはおいしかったよ」

「おいしいロスでした」

「僕から一点。“白湯温度”。70℃弱、良かったけど、もうちょいぬるい日があってもいい。喉が幸せ」

「“白湯温度レンジ 60–70℃”。その日の気分で選択」

「あと、屋外ベンチ。風が強い日は“室内ベンチ”に切り替え。コンビニ裏のイートスペース」

「導線、確認しておきます」

脳内に地図ができていく音がする。
この人の頭の中、たぶん駅前のベンチまで路線図が引かれてる。

「家族のおでん話、したっけ?」

「してません」

「うちはさ、母が“おでんは大根から”って宗派だった。あと、卵は“最後”。黄身で締める、っていう謎ルール」

「合理的です。脂が少ない順に攻めることで最後まで疲れない」

「すぐ合理にするな。――妹は“もち巾着先行”。写真映え重視」

「血統」

「言うな。迅蛇の兄たちは?」

「長兄は“根性だ!”で大根を二個。次兄は“熱拡散”で蓋の角度を調整。母は静かにがんも」

「想像が余裕でつくの、家族って感じだな」

「普通の家族です」

“普通”。
昨夜の湯気が、その普通をすっと包んでくれる。
音のないところに、だしのにおいが残るの、ずるい。

「できました。――おでん茶漬け、梅少し」

「わー、やさしい」

茶碗の上に、だしが薄金色。大根の影。
ひと口。
胃が“これだ”と拍手。
白湯の役割は、朝にちゃんと引き継がれた。

「うまい」

「よかったです」

「肉まん皮、おやつ」

「半分こ。合図“に”」

人差し指で“に”。
温まった皮は、表面だけカリ。中はしっとり。
砂漠にちびっと雨。そんな顔になる。僕の顔が。
迅蛇は見ないふりで見ている。ずるい。

食べ終わって、食器を片づける。
“台所オーケストラ”のテンポは低め。
昨日の“尊い”Slackは、渚さんから「湯気に合う言葉」とリアクションが増えていた。
削除しなくてよかった。昨日の僕、グッジョブ。

身支度。
歯磨き、シャツ、鍵。
迅蛇がゴミ袋の“からしの端”をまとめる。
使い切った小袋が、いい戦歴みたいに見える。

玄関で靴。
いつもの手つきできゅっと結ぶ。
僕はその手の甲に、二文字。
“に”と“とん”。
半分こと、ありがとう。
伝えたい言葉は多いけど、合図でいい時がある。

「駅まで、歩幅ゆっくりで」

「うん。白湯の延長で」

外。
空はうす晴れ。
パン屋の甘い匂いに、だしの記憶が混ざる。
ベンチの前を通ると、昨夜の湯気がまだどこかに残っている気がして、笑ってしまう。

「来週の朝ごはん会議、議題追加。――“コンビニおでんメニューの季節変動”」

「ちくわぶが入荷されたら祭りです」

「祭りはパンケーキだったろ」

「“ダブル祭り”にします」

「暴走の気配がする。合図“からし端とんとん”で止めよう」

「了解」

横断歩道。
信号待ちの間、僕はふと、白湯の色のない味を思う。
味がないのに、たしかに“味”がある。
恋愛も、たぶんそうだ。
味が派手じゃなくても、湯気があればいい。
一緒に息をするだけで、何かが温かくなる。

「先輩」

「ん」

「“半分こ”の合図、“に”は継続採用で」

「採用。――“む”と“に”、だんだん手の甲が辞書になってきたな」

「辞書の増分は親密さのログです」

「名言メーカー、また稼働してる」

駅前。
人の流れは穏やか。
改札の手前で立ち止まり、僕は迅蛇を見る。
真面目な目。笑ってないけど、温度は高い。
湯気の向こうで見たのと同じ目。

「ありがとな。おでん、白湯、肉まん、ぜんぶ良かった」

「こちらこそ。――21:30カットオフ、次回も厳守で」

「もちろん」

指先で、空気に“とん”。
進んでいい合図。
それからもう一つ、人差し指を立てて、ゆっくりと“に”。
半分こは、また来週。
次はちくわぶが来るかもしれない。
来なくても、湯気があればいい。

佐万里、二十九歳。
“白湯会+おでん”初回は成功。
コンビニの湯気、ベンチの夜気、肉まんの半分こ。
ぜんぶ、ほどよい温度で、ほどよい幸福。
ちゅん、ちゅん。鳥は勤勉。
僕らは、ほどよく。
また来週、湯気の向こうで。
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