異世界転生者は平穏に暮らしたい

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第1話:一年生、面倒係に任命される

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入学式が終わった瞬間、人類は「安心して騒げる」生き物になる。

つまり、式典が終わったら終わったで、別の式典が始まる。

歓迎式典。

名目は「新入生の門出を祝う場」。

実態は「各家が顔を見せ合い、序列を確認し、誰が誰の味方かを測る場」。

面倒の展示会だ。

入場無料なのが唯一の救い。

私は式典係として、広間の外の動線整理に放り込まれていた。

手には進行表。頭には責任。胃にはストレス。

……いや、胃にストレスは入らないか。比喩だ。

比喩は、現実より軽いから便利だ。

現実は重い。持ちたくない。

「イレイン様、こちらの来賓待機室の確認をお願いします」

「はい」

返事は短く。

歩幅は小さく。

存在感は薄く。

それが私の理想だが、残念ながら私はソレイユ侯爵家の令嬢という“肩書きの光源”を背負っている。

暗がりに隠れる努力をしても、肩書きが勝手に照らしてくる。

やめてほしい。

廊下の角を曲がったあたりで、空気が変わった。

さっきまでのざわつきが、妙に「よそゆき」になる。

誰かが来る。

偉い人。

偉い人は、だいたい面倒を連れてくる。

(第二王子、来る?)

「来るよ。イベントの匂いが強いもん」

(匂いって言うな。リアルに臭そう)

「君、容赦ないね」

(容赦は面倒の元)

私は廊下の端に寄り、通路を確保した。

これだけで事故が減る。

事故が減れば騒ぎが減る。

騒ぎが減れば私の平穏が一ミリ守られる。

一ミリでも守りたい。

一ミリが積み重なれば、布団に近づける。

足音が来た。

護衛の靴音は揃っていて、侍従の声は柔らかい。

そして中心に、あの金髪。

第二王子。

笑顔は完璧、目は冷めている。

人を見ているというより、「配置」を見ている目だ。

ああ、王道の王子様って、たいていこういう目をしている。

“自分が物語の中心”だと疑わない目。

私は、できれば端っこの小石でいたい。

「殿下。こちらへ」

私は式典係の権限を最大限に活用して、王子を“正しい部屋”ではなく“安全な部屋”へ誘導した。

正しい部屋は、あの悪役令嬢枠が待機している控室の近く。

安全な部屋は、その手前の小待機室。

動線を切り分ければ、衝突が減る。

衝突が減れば、面倒が減る。

我ながら合理的だ。

合理的は正義。少なくとも私の中では。

王子が入室し、侍従が続く。

私は扉を閉めかけて——また、あの声を聞いた。

「殿下ぁ! こちらにいらっしゃったのですね!」

明るい。甘い。完璧。

そして、“距離が近い”。

見なくても分かる。

横恋慕令嬢枠が、今日も元気だ。

彼女は廊下を小走りで駆けてきて、扉の前でぴたりと止まった。

止まり方まで計算されている。

息が上がっていないのに、少し息を弾ませる演技。

頬の色も、たぶん調整している。

私は演技が嫌いではない。

演技は、相手の期待を満たして早く場を終わらせる道具だから。

ただし、その演技が私の平穏を削る方向に作用するなら話は別だ。

「入学式、お疲れではございませんか? 殿下のご負担が少しでも軽くなればと……」

「気遣いをありがとう。君は、いつもよく見ている」

ほらね。

王子の声が柔らかくなる。

“肯定してくれる女”に惹かれる導線が敷かれていく。

私はただ、事故を減らしたかっただけなのに。

どうして私は、恋愛イベントの受付みたいな位置に立っているのだろう。

このまま二人を同じ部屋に入れると、問題がある。

小待機室は狭い。

距離が近いと、他者が入り込む余地がない。

つまり、後から誰かが入ってきたとき、衝突の確率が上がる。

そして「後から誰かが入ってくる」の代表例が——悪役令嬢枠だ。

私の平穏センサーが、びりびり鳴っている。

(神様。これ、やばい気がする)

「うん。やばいね。だってさ、今から“遭遇イベント”起きるよ」

(起こさない方向に動いていい?)

「君の人生はだいたいそうだよね」

(褒めてないから)

「褒めてるよ」

私は横恋慕令嬢に向き直った。

表情はにこやか。声は柔らかく。目は優しく。

中身は、面倒の回避ルート検索中。

「お嬢様、殿下はこれから歓迎式典の準備確認がございます。こちらの待機室では少々手狭で……」

「あら、そうなのですね。では私が、殿下のお邪魔になってしまいますわ」

「いえ。ですので、殿下には隣の来賓控室へお移りいただくのがよろしいかと」

言い方が大事だ。

“あなたが邪魔”ではなく、“部屋が手狭”。

責任の所在を空間に押し付ける。

空間は反論しない。

私は空間が好きだ。

王子は一瞬、私を見る。

値踏みの目。

だが、式典係としての建前がある。

ここで逆らうと「秩序を乱す王子」になる。

王子は、そう見られるのが嫌いそうだった。

だから頷く。

「分かった。案内してくれ」

「かしこまりました」

私は王子を隣の広い控室へ誘導することにした。

来賓控室。

本来、王族用に整えられた場所だ。

広い。護衛も置ける。出入口も二つある。

つまり、事故が起きても“逃げ道”がある。

逃げ道があると、面倒の規模が小さくなる。

私は逃げ道が大好きだ。

横恋慕令嬢も、当然のようについてくる。

当然のように。

当然のように、腕一本分の距離に。

近い。

近いというだけで面倒は増える。

近いと、言葉を交わさないと不自然になる。

不自然は噂の餌だ。

噂は面倒の苗床だ。

控室に着く。

扉が開く。

豪奢なソファ、壁の装飾、窓から入る光。

王子が入室する。

そして——窓辺に、あの少女がいた。

悪役令嬢枠。

深紅の髪、銀の瞳。

背筋がまっすぐで、空気が冷える。

彼女はここにいるべきではない。

本来は別の控室のはずだ。

どうしてここに——

「……」

彼女がこちらを見た。

視線だけで、廊下が凍る。

横恋慕令嬢も気づいた。

次の瞬間、彼女の笑みが一段明るくなる。

“勝てる相手が来た”という明るさ。

ああ、やめて。

やめて。

今この場で火花を散らさないで。

私は火花の掃除が嫌いなの。

焦げ跡が残ると、さらに面倒なの。

(事故を防いだら、事故が起きた)

「タイトル回収」

私は心の中で頭を抱えた。

そして、すぐに頭を切り替える。

ここで私が崩れると、誰も止まらない。

止まらないと、燃える。

燃えると、面倒が増える。

増えた面倒は、なぜか私に降ってくる。

世の中はそういう仕組みだ。

私は一歩前に出た。

目立ちたくないのに。

でも、今目立たないともっと目立つ未来が来る。

面倒回避は、いつも苦い選択だ。

「殿下。こちらの席へ」

私は王子をソファの中心ではなく、少し奥の席へ誘導した。

中心は争いが起きやすい。

奥は、守りやすい。

護衛が位置取りしやすい。

それだけで衝突率が下がる。

統計は取っていないが、感覚で分かる。

感覚は、陰キャの生存戦略だ。

「まあ……!」

横恋慕令嬢が、わざとらしく小さく声を上げた。

「こちらにいらしたのですね、ええと……」

悪役令嬢枠を見て、名前を呼ばない。

呼ばないことで、“距離”を作る。

距離を作って、自分が王子の側にいる理由を強調する。

上手い。

上手いけど、面倒。

上手い面倒が一番厄介だ。

悪役令嬢枠は、横恋慕令嬢を見て、何も言わない。

言わないことで、“格”を保つ。

そして周囲は、その沈黙を「冷たい」と受け取る。

王道だ。

王道の溝は、だいたい無言で深くなる。

王子が、悪役令嬢枠の方を見た。

「ここにいたのか。……準備の確認は?」

彼の口調は丁寧だが、どこか“面倒そう”だ。

彼にとって、彼女は「すでに用意された婚約者」。

努力しなくても手に入るものには、感謝が薄い。

そういう人間は多い。

残念ながら、王族にも多い。

むしろ王族の方が多いかもしれない。

努力しなくても周りが頭を下げるから。

悪役令嬢枠が静かに答える。

「確認は済んでおります。殿下のご都合に合わせて動けるよう、こちらに」

声も姿勢も完璧。

完璧すぎて、周囲に“隙”を与えない。

隙がないと、人は勝手に隙を作って叩く。

面倒な心理だ。

横恋慕令嬢が、柔らかく割り込む。

「まあ、さすがでいらっしゃいますのね。殿下にとって、どれほど心強いことか……」

“殿下にとって”。

主語を王子にする。

そして、悪役令嬢枠を「道具」の位置に置く。

上手い。

上手いけど面倒。

面倒の才能がある人は、だいたい成功する。

私の平穏を犠牲にして。

王子が微笑む。

「そうだな。——君も、そう思うだろう?」

悪役令嬢枠に同意を求める。

同意させれば、場は丸く収まる。

しかし、同意させるのは“強要”に近い。

彼は気づいていない。

気づかないから王子なのかもしれない。

気づかないから面倒なのかもしれない。

悪役令嬢枠の瞳が、わずかに細くなる。

拒絶ではない。

ただ、感情が一ミリ動いた。

その一ミリが、噂の種になる。

私は種が嫌いだ。

芽が出ると刈らないといけない。

刈るのが面倒だ。

——ここで、私の役目が決まった。

この場を荒らさない。

荒れた痕跡を残さない。

誰にも“私が関与した”と悟らせない。

ついでに、転生者同士の正体も匂わせない。

禁止事項は絶対だ。

バレたら、面倒が無限になる。

私は、控室の隅に置かれていた茶器に目をつけた。

完璧な逃げ道。

貴族社会で「お茶を淹れる」は、会話の温度を調整できる。

沈黙がまずいときは、手を動かして間を作れる。

言葉が刺さりそうなときは、香りで空気を薄められる。

そして何より、私が中心から離れられる。

「失礼いたします。お茶をお持ちいたしますね」

私は誰の許可も取らずに動いた。

式典係の札は万能だ。

“気が利く”という評価は、面倒だが今は利用する。

湯を注ぐ。

香りが立つ。

カップを並べる。

手を動かすと、心も少し落ち着く。

陰キャの儀式。

現代でも異世界でも変わらない。

その間に、横恋慕令嬢の声が続く。

「殿下、学園生活ではきっとお疲れになることも多いでしょう? 私、できる限りお力になりたいのです」

王子がそれを受け取る。

「君は優しいな」

悪役令嬢枠は黙っている。

黙っているから冷たく見える。

王道の加速装置が、いま目の前で組み上がっていく。

私はカップを持って、そっと近づく。

そして配置する。

王子の右手側。

横恋慕令嬢の手前。

悪役令嬢枠の少し奥。

——距離を作る。

距離は衝突を減らす。

衝突が減れば面倒も減る。

私は距離が好きだ。

人間関係も距離がすべてだと思っている。

「ありがとうございます、イレイン様でしたわね」

横恋慕令嬢が私を見た。

にこにこ。

覚えた。

私は今、覚えられた。

最悪だ。

覚えられると、次から「お願い」が来る。

お願いは断ると面倒、受けるともっと面倒。

どっちに転んでも面倒。

面倒の二択は、人生の定番メニューだ。

「いえ。式典係の務めでございます」

私は無害な笑みを貼った。

自我はしまう。

自我を見せると絡まれる。

絡まれると面倒。

私はモブ。

私はただの便利な空気。

そう、便利な——

「……あなた」

悪役令嬢枠が、私を見た。

さっきと同じ目。

刺すみたいに真っ直ぐな目。

でも、そこにわずかに“観察”が混じっている。

私の動き。

私の配置。

私の距離感。

見られている。

やめて。

分析されると、余計な意味が生まれる。

意味が生まれると、噂が生まれる。

噂が生まれると面倒が増える。

「はい」

「……式典係は、ここまで気を回すのね」

「……揉めると、進行が滞りますので」

私は本音を誤魔化した。

“揉めると面倒”が本音だが、それを言うと人間性が疑われる。

疑われると面倒だ。

だから私は「進行」という言葉に逃げる。

進行は正義だ。

正義は、たいてい面倒を正当化する。

私は面倒を正当化したくないけど、今日は必要だ。

その瞬間だった。

控室の扉が、勢いよく開いた。

息を切らした式典係の上級生が飛び込んでくる。

顔色が悪い。

嫌な予感がする。

嫌な予感は当たる。

当たるから嫌だ。

「申し訳ありません! ……来賓の動線で、少し……いえ、かなり……」

言い切る前に、廊下の向こうから怒号が聞こえた。

男の声。

誰かが誰かを責めている声。

そして、何かが倒れる音。

金属の音。

——事故だ。

私が防いだはずの事故が、別の場所で起きた。

事故は、形を変えて必ず来る。

世の中はそういう仕組みだ。

王子が眉をひそめた。

横恋慕令嬢が不安げな顔を作る。

悪役令嬢枠が立ち上がる。

立ち上がっただけで、空気がさらに冷える。

ああ、最悪の連鎖が始まる。

ここで誰かが出る。

出た先で火に油を注ぐ。

油を注げば、燃える。

燃えたら、面倒が増える。

増えた面倒は、なぜか私の方へ流れてくる。

私は、笑顔のまま、心の中で叫んだ。

(お願いだから、誰も動かないで)

神様が、呑気に言った。

「動くよ。だって主人公キャラがいるもん」

私は、静かにカップを置いた。

そして、内心で決めた。

——これ以上燃えるなら。

私は“何もしないために”、動くしかない。

歓迎式典は、まだ始まってすらいないのに。
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