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第2話:歓迎式典の待機室で、事故を防いだら事故が起きる
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入学式が終わった瞬間、人類は「安心して騒げる」生き物になる。
つまり、式典が終わったら終わったで、別の式典が始まる。
歓迎式典。
名目は「新入生の門出を祝う場」。
実態は「各家が顔を見せ合い、序列を確認し、誰が誰の味方かを測る場」。
面倒の展示会だ。
入場無料なのが唯一の救い。
私は式典係として、広間の外の動線整理に放り込まれていた。
手には進行表。頭には責任。胃にはストレス。
……いや、胃にストレスは入らないか。比喩だ。
比喩は、現実より軽いから便利だ。
現実は重い。持ちたくない。
「イレイン様、こちらの来賓待機室の確認をお願いします」
「はい」
返事は短く。
歩幅は小さく。
存在感は薄く。
それが私の理想だが、残念ながら私はソレイユ侯爵家の令嬢という“肩書きの光源”を背負っている。
暗がりに隠れる努力をしても、肩書きが勝手に照らしてくる。
やめてほしい。
廊下の角を曲がったあたりで、空気が変わった。
さっきまでのざわつきが、妙に「よそゆき」になる。
誰かが来る。
偉い人。
偉い人は、だいたい面倒を連れてくる。
(第二王子、来る?)
「来るよ。イベントの匂いが強いもん」
(匂いって言うな。リアルに臭そう)
「君、容赦ないね」
(容赦は面倒の元)
私は廊下の端に寄り、通路を確保した。
これだけで事故が減る。
事故が減れば騒ぎが減る。
騒ぎが減れば私の平穏が一ミリ守られる。
一ミリでも守りたい。
一ミリが積み重なれば、布団に近づける。
足音が来た。
護衛の靴音は揃っていて、侍従の声は柔らかい。
そして中心に、あの金髪。
第二王子。
笑顔は完璧、目は冷めている。
人を見ているというより、「配置」を見ている目だ。
ああ、王道の王子様って、たいていこういう目をしている。
“自分が物語の中心”だと疑わない目。
私は、できれば端っこの小石でいたい。
「殿下。こちらへ」
私は式典係の権限を最大限に活用して、王子を“正しい部屋”ではなく“安全な部屋”へ誘導した。
正しい部屋は、あの悪役令嬢枠が待機している控室の近く。
安全な部屋は、その手前の小待機室。
動線を切り分ければ、衝突が減る。
衝突が減れば、面倒が減る。
我ながら合理的だ。
合理的は正義。少なくとも私の中では。
王子が入室し、侍従が続く。
私は扉を閉めかけて——また、あの声を聞いた。
「殿下ぁ! こちらにいらっしゃったのですね!」
明るい。甘い。完璧。
そして、“距離が近い”。
見なくても分かる。
横恋慕令嬢枠が、今日も元気だ。
彼女は廊下を小走りで駆けてきて、扉の前でぴたりと止まった。
止まり方まで計算されている。
息が上がっていないのに、少し息を弾ませる演技。
頬の色も、たぶん調整している。
私は演技が嫌いではない。
演技は、相手の期待を満たして早く場を終わらせる道具だから。
ただし、その演技が私の平穏を削る方向に作用するなら話は別だ。
「入学式、お疲れではございませんか? 殿下のご負担が少しでも軽くなればと……」
「気遣いをありがとう。君は、いつもよく見ている」
ほらね。
王子の声が柔らかくなる。
“肯定してくれる女”に惹かれる導線が敷かれていく。
私はただ、事故を減らしたかっただけなのに。
どうして私は、恋愛イベントの受付みたいな位置に立っているのだろう。
このまま二人を同じ部屋に入れると、問題がある。
小待機室は狭い。
距離が近いと、他者が入り込む余地がない。
つまり、後から誰かが入ってきたとき、衝突の確率が上がる。
そして「後から誰かが入ってくる」の代表例が——悪役令嬢枠だ。
私の平穏センサーが、びりびり鳴っている。
(神様。これ、やばい気がする)
「うん。やばいね。だってさ、今から“遭遇イベント”起きるよ」
(起こさない方向に動いていい?)
「君の人生はだいたいそうだよね」
(褒めてないから)
「褒めてるよ」
私は横恋慕令嬢に向き直った。
表情はにこやか。声は柔らかく。目は優しく。
中身は、面倒の回避ルート検索中。
「お嬢様、殿下はこれから歓迎式典の準備確認がございます。こちらの待機室では少々手狭で……」
「あら、そうなのですね。では私が、殿下のお邪魔になってしまいますわ」
「いえ。ですので、殿下には隣の来賓控室へお移りいただくのがよろしいかと」
言い方が大事だ。
“あなたが邪魔”ではなく、“部屋が手狭”。
責任の所在を空間に押し付ける。
空間は反論しない。
私は空間が好きだ。
王子は一瞬、私を見る。
値踏みの目。
だが、式典係としての建前がある。
ここで逆らうと「秩序を乱す王子」になる。
王子は、そう見られるのが嫌いそうだった。
だから頷く。
「分かった。案内してくれ」
「かしこまりました」
私は王子を隣の広い控室へ誘導することにした。
来賓控室。
本来、王族用に整えられた場所だ。
広い。護衛も置ける。出入口も二つある。
つまり、事故が起きても“逃げ道”がある。
逃げ道があると、面倒の規模が小さくなる。
私は逃げ道が大好きだ。
横恋慕令嬢も、当然のようについてくる。
当然のように。
当然のように、腕一本分の距離に。
近い。
近いというだけで面倒は増える。
近いと、言葉を交わさないと不自然になる。
不自然は噂の餌だ。
噂は面倒の苗床だ。
控室に着く。
扉が開く。
豪奢なソファ、壁の装飾、窓から入る光。
王子が入室する。
そして——窓辺に、あの少女がいた。
悪役令嬢枠。
深紅の髪、銀の瞳。
背筋がまっすぐで、空気が冷える。
彼女はここにいるべきではない。
本来は別の控室のはずだ。
どうしてここに——
「……」
彼女がこちらを見た。
視線だけで、廊下が凍る。
横恋慕令嬢も気づいた。
次の瞬間、彼女の笑みが一段明るくなる。
“勝てる相手が来た”という明るさ。
ああ、やめて。
やめて。
今この場で火花を散らさないで。
私は火花の掃除が嫌いなの。
焦げ跡が残ると、さらに面倒なの。
(事故を防いだら、事故が起きた)
「タイトル回収」
私は心の中で頭を抱えた。
そして、すぐに頭を切り替える。
ここで私が崩れると、誰も止まらない。
止まらないと、燃える。
燃えると、面倒が増える。
増えた面倒は、なぜか私に降ってくる。
世の中はそういう仕組みだ。
私は一歩前に出た。
目立ちたくないのに。
でも、今目立たないともっと目立つ未来が来る。
面倒回避は、いつも苦い選択だ。
「殿下。こちらの席へ」
私は王子をソファの中心ではなく、少し奥の席へ誘導した。
中心は争いが起きやすい。
奥は、守りやすい。
護衛が位置取りしやすい。
それだけで衝突率が下がる。
統計は取っていないが、感覚で分かる。
感覚は、陰キャの生存戦略だ。
「まあ……!」
横恋慕令嬢が、わざとらしく小さく声を上げた。
「こちらにいらしたのですね、ええと……」
悪役令嬢枠を見て、名前を呼ばない。
呼ばないことで、“距離”を作る。
距離を作って、自分が王子の側にいる理由を強調する。
上手い。
上手いけど、面倒。
上手い面倒が一番厄介だ。
悪役令嬢枠は、横恋慕令嬢を見て、何も言わない。
言わないことで、“格”を保つ。
そして周囲は、その沈黙を「冷たい」と受け取る。
王道だ。
王道の溝は、だいたい無言で深くなる。
王子が、悪役令嬢枠の方を見た。
「ここにいたのか。……準備の確認は?」
彼の口調は丁寧だが、どこか“面倒そう”だ。
彼にとって、彼女は「すでに用意された婚約者」。
努力しなくても手に入るものには、感謝が薄い。
そういう人間は多い。
残念ながら、王族にも多い。
むしろ王族の方が多いかもしれない。
努力しなくても周りが頭を下げるから。
悪役令嬢枠が静かに答える。
「確認は済んでおります。殿下のご都合に合わせて動けるよう、こちらに」
声も姿勢も完璧。
完璧すぎて、周囲に“隙”を与えない。
隙がないと、人は勝手に隙を作って叩く。
面倒な心理だ。
横恋慕令嬢が、柔らかく割り込む。
「まあ、さすがでいらっしゃいますのね。殿下にとって、どれほど心強いことか……」
“殿下にとって”。
主語を王子にする。
そして、悪役令嬢枠を「道具」の位置に置く。
上手い。
上手いけど面倒。
面倒の才能がある人は、だいたい成功する。
私の平穏を犠牲にして。
王子が微笑む。
「そうだな。——君も、そう思うだろう?」
悪役令嬢枠に同意を求める。
同意させれば、場は丸く収まる。
しかし、同意させるのは“強要”に近い。
彼は気づいていない。
気づかないから王子なのかもしれない。
気づかないから面倒なのかもしれない。
悪役令嬢枠の瞳が、わずかに細くなる。
拒絶ではない。
ただ、感情が一ミリ動いた。
その一ミリが、噂の種になる。
私は種が嫌いだ。
芽が出ると刈らないといけない。
刈るのが面倒だ。
——ここで、私の役目が決まった。
この場を荒らさない。
荒れた痕跡を残さない。
誰にも“私が関与した”と悟らせない。
ついでに、転生者同士の正体も匂わせない。
禁止事項は絶対だ。
バレたら、面倒が無限になる。
私は、控室の隅に置かれていた茶器に目をつけた。
完璧な逃げ道。
貴族社会で「お茶を淹れる」は、会話の温度を調整できる。
沈黙がまずいときは、手を動かして間を作れる。
言葉が刺さりそうなときは、香りで空気を薄められる。
そして何より、私が中心から離れられる。
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしますね」
私は誰の許可も取らずに動いた。
式典係の札は万能だ。
“気が利く”という評価は、面倒だが今は利用する。
湯を注ぐ。
香りが立つ。
カップを並べる。
手を動かすと、心も少し落ち着く。
陰キャの儀式。
現代でも異世界でも変わらない。
その間に、横恋慕令嬢の声が続く。
「殿下、学園生活ではきっとお疲れになることも多いでしょう? 私、できる限りお力になりたいのです」
王子がそれを受け取る。
「君は優しいな」
悪役令嬢枠は黙っている。
黙っているから冷たく見える。
王道の加速装置が、いま目の前で組み上がっていく。
私はカップを持って、そっと近づく。
そして配置する。
王子の右手側。
横恋慕令嬢の手前。
悪役令嬢枠の少し奥。
——距離を作る。
距離は衝突を減らす。
衝突が減れば面倒も減る。
私は距離が好きだ。
人間関係も距離がすべてだと思っている。
「ありがとうございます、イレイン様でしたわね」
横恋慕令嬢が私を見た。
にこにこ。
覚えた。
私は今、覚えられた。
最悪だ。
覚えられると、次から「お願い」が来る。
お願いは断ると面倒、受けるともっと面倒。
どっちに転んでも面倒。
面倒の二択は、人生の定番メニューだ。
「いえ。式典係の務めでございます」
私は無害な笑みを貼った。
自我はしまう。
自我を見せると絡まれる。
絡まれると面倒。
私はモブ。
私はただの便利な空気。
そう、便利な——
「……あなた」
悪役令嬢枠が、私を見た。
さっきと同じ目。
刺すみたいに真っ直ぐな目。
でも、そこにわずかに“観察”が混じっている。
私の動き。
私の配置。
私の距離感。
見られている。
やめて。
分析されると、余計な意味が生まれる。
意味が生まれると、噂が生まれる。
噂が生まれると面倒が増える。
「はい」
「……式典係は、ここまで気を回すのね」
「……揉めると、進行が滞りますので」
私は本音を誤魔化した。
“揉めると面倒”が本音だが、それを言うと人間性が疑われる。
疑われると面倒だ。
だから私は「進行」という言葉に逃げる。
進行は正義だ。
正義は、たいてい面倒を正当化する。
私は面倒を正当化したくないけど、今日は必要だ。
その瞬間だった。
控室の扉が、勢いよく開いた。
息を切らした式典係の上級生が飛び込んでくる。
顔色が悪い。
嫌な予感がする。
嫌な予感は当たる。
当たるから嫌だ。
「申し訳ありません! ……来賓の動線で、少し……いえ、かなり……」
言い切る前に、廊下の向こうから怒号が聞こえた。
男の声。
誰かが誰かを責めている声。
そして、何かが倒れる音。
金属の音。
——事故だ。
私が防いだはずの事故が、別の場所で起きた。
事故は、形を変えて必ず来る。
世の中はそういう仕組みだ。
王子が眉をひそめた。
横恋慕令嬢が不安げな顔を作る。
悪役令嬢枠が立ち上がる。
立ち上がっただけで、空気がさらに冷える。
ああ、最悪の連鎖が始まる。
ここで誰かが出る。
出た先で火に油を注ぐ。
油を注げば、燃える。
燃えたら、面倒が増える。
増えた面倒は、なぜか私の方へ流れてくる。
私は、笑顔のまま、心の中で叫んだ。
(お願いだから、誰も動かないで)
神様が、呑気に言った。
「動くよ。だって主人公キャラがいるもん」
私は、静かにカップを置いた。
そして、内心で決めた。
——これ以上燃えるなら。
私は“何もしないために”、動くしかない。
歓迎式典は、まだ始まってすらいないのに。
つまり、式典が終わったら終わったで、別の式典が始まる。
歓迎式典。
名目は「新入生の門出を祝う場」。
実態は「各家が顔を見せ合い、序列を確認し、誰が誰の味方かを測る場」。
面倒の展示会だ。
入場無料なのが唯一の救い。
私は式典係として、広間の外の動線整理に放り込まれていた。
手には進行表。頭には責任。胃にはストレス。
……いや、胃にストレスは入らないか。比喩だ。
比喩は、現実より軽いから便利だ。
現実は重い。持ちたくない。
「イレイン様、こちらの来賓待機室の確認をお願いします」
「はい」
返事は短く。
歩幅は小さく。
存在感は薄く。
それが私の理想だが、残念ながら私はソレイユ侯爵家の令嬢という“肩書きの光源”を背負っている。
暗がりに隠れる努力をしても、肩書きが勝手に照らしてくる。
やめてほしい。
廊下の角を曲がったあたりで、空気が変わった。
さっきまでのざわつきが、妙に「よそゆき」になる。
誰かが来る。
偉い人。
偉い人は、だいたい面倒を連れてくる。
(第二王子、来る?)
「来るよ。イベントの匂いが強いもん」
(匂いって言うな。リアルに臭そう)
「君、容赦ないね」
(容赦は面倒の元)
私は廊下の端に寄り、通路を確保した。
これだけで事故が減る。
事故が減れば騒ぎが減る。
騒ぎが減れば私の平穏が一ミリ守られる。
一ミリでも守りたい。
一ミリが積み重なれば、布団に近づける。
足音が来た。
護衛の靴音は揃っていて、侍従の声は柔らかい。
そして中心に、あの金髪。
第二王子。
笑顔は完璧、目は冷めている。
人を見ているというより、「配置」を見ている目だ。
ああ、王道の王子様って、たいていこういう目をしている。
“自分が物語の中心”だと疑わない目。
私は、できれば端っこの小石でいたい。
「殿下。こちらへ」
私は式典係の権限を最大限に活用して、王子を“正しい部屋”ではなく“安全な部屋”へ誘導した。
正しい部屋は、あの悪役令嬢枠が待機している控室の近く。
安全な部屋は、その手前の小待機室。
動線を切り分ければ、衝突が減る。
衝突が減れば、面倒が減る。
我ながら合理的だ。
合理的は正義。少なくとも私の中では。
王子が入室し、侍従が続く。
私は扉を閉めかけて——また、あの声を聞いた。
「殿下ぁ! こちらにいらっしゃったのですね!」
明るい。甘い。完璧。
そして、“距離が近い”。
見なくても分かる。
横恋慕令嬢枠が、今日も元気だ。
彼女は廊下を小走りで駆けてきて、扉の前でぴたりと止まった。
止まり方まで計算されている。
息が上がっていないのに、少し息を弾ませる演技。
頬の色も、たぶん調整している。
私は演技が嫌いではない。
演技は、相手の期待を満たして早く場を終わらせる道具だから。
ただし、その演技が私の平穏を削る方向に作用するなら話は別だ。
「入学式、お疲れではございませんか? 殿下のご負担が少しでも軽くなればと……」
「気遣いをありがとう。君は、いつもよく見ている」
ほらね。
王子の声が柔らかくなる。
“肯定してくれる女”に惹かれる導線が敷かれていく。
私はただ、事故を減らしたかっただけなのに。
どうして私は、恋愛イベントの受付みたいな位置に立っているのだろう。
このまま二人を同じ部屋に入れると、問題がある。
小待機室は狭い。
距離が近いと、他者が入り込む余地がない。
つまり、後から誰かが入ってきたとき、衝突の確率が上がる。
そして「後から誰かが入ってくる」の代表例が——悪役令嬢枠だ。
私の平穏センサーが、びりびり鳴っている。
(神様。これ、やばい気がする)
「うん。やばいね。だってさ、今から“遭遇イベント”起きるよ」
(起こさない方向に動いていい?)
「君の人生はだいたいそうだよね」
(褒めてないから)
「褒めてるよ」
私は横恋慕令嬢に向き直った。
表情はにこやか。声は柔らかく。目は優しく。
中身は、面倒の回避ルート検索中。
「お嬢様、殿下はこれから歓迎式典の準備確認がございます。こちらの待機室では少々手狭で……」
「あら、そうなのですね。では私が、殿下のお邪魔になってしまいますわ」
「いえ。ですので、殿下には隣の来賓控室へお移りいただくのがよろしいかと」
言い方が大事だ。
“あなたが邪魔”ではなく、“部屋が手狭”。
責任の所在を空間に押し付ける。
空間は反論しない。
私は空間が好きだ。
王子は一瞬、私を見る。
値踏みの目。
だが、式典係としての建前がある。
ここで逆らうと「秩序を乱す王子」になる。
王子は、そう見られるのが嫌いそうだった。
だから頷く。
「分かった。案内してくれ」
「かしこまりました」
私は王子を隣の広い控室へ誘導することにした。
来賓控室。
本来、王族用に整えられた場所だ。
広い。護衛も置ける。出入口も二つある。
つまり、事故が起きても“逃げ道”がある。
逃げ道があると、面倒の規模が小さくなる。
私は逃げ道が大好きだ。
横恋慕令嬢も、当然のようについてくる。
当然のように。
当然のように、腕一本分の距離に。
近い。
近いというだけで面倒は増える。
近いと、言葉を交わさないと不自然になる。
不自然は噂の餌だ。
噂は面倒の苗床だ。
控室に着く。
扉が開く。
豪奢なソファ、壁の装飾、窓から入る光。
王子が入室する。
そして——窓辺に、あの少女がいた。
悪役令嬢枠。
深紅の髪、銀の瞳。
背筋がまっすぐで、空気が冷える。
彼女はここにいるべきではない。
本来は別の控室のはずだ。
どうしてここに——
「……」
彼女がこちらを見た。
視線だけで、廊下が凍る。
横恋慕令嬢も気づいた。
次の瞬間、彼女の笑みが一段明るくなる。
“勝てる相手が来た”という明るさ。
ああ、やめて。
やめて。
今この場で火花を散らさないで。
私は火花の掃除が嫌いなの。
焦げ跡が残ると、さらに面倒なの。
(事故を防いだら、事故が起きた)
「タイトル回収」
私は心の中で頭を抱えた。
そして、すぐに頭を切り替える。
ここで私が崩れると、誰も止まらない。
止まらないと、燃える。
燃えると、面倒が増える。
増えた面倒は、なぜか私に降ってくる。
世の中はそういう仕組みだ。
私は一歩前に出た。
目立ちたくないのに。
でも、今目立たないともっと目立つ未来が来る。
面倒回避は、いつも苦い選択だ。
「殿下。こちらの席へ」
私は王子をソファの中心ではなく、少し奥の席へ誘導した。
中心は争いが起きやすい。
奥は、守りやすい。
護衛が位置取りしやすい。
それだけで衝突率が下がる。
統計は取っていないが、感覚で分かる。
感覚は、陰キャの生存戦略だ。
「まあ……!」
横恋慕令嬢が、わざとらしく小さく声を上げた。
「こちらにいらしたのですね、ええと……」
悪役令嬢枠を見て、名前を呼ばない。
呼ばないことで、“距離”を作る。
距離を作って、自分が王子の側にいる理由を強調する。
上手い。
上手いけど、面倒。
上手い面倒が一番厄介だ。
悪役令嬢枠は、横恋慕令嬢を見て、何も言わない。
言わないことで、“格”を保つ。
そして周囲は、その沈黙を「冷たい」と受け取る。
王道だ。
王道の溝は、だいたい無言で深くなる。
王子が、悪役令嬢枠の方を見た。
「ここにいたのか。……準備の確認は?」
彼の口調は丁寧だが、どこか“面倒そう”だ。
彼にとって、彼女は「すでに用意された婚約者」。
努力しなくても手に入るものには、感謝が薄い。
そういう人間は多い。
残念ながら、王族にも多い。
むしろ王族の方が多いかもしれない。
努力しなくても周りが頭を下げるから。
悪役令嬢枠が静かに答える。
「確認は済んでおります。殿下のご都合に合わせて動けるよう、こちらに」
声も姿勢も完璧。
完璧すぎて、周囲に“隙”を与えない。
隙がないと、人は勝手に隙を作って叩く。
面倒な心理だ。
横恋慕令嬢が、柔らかく割り込む。
「まあ、さすがでいらっしゃいますのね。殿下にとって、どれほど心強いことか……」
“殿下にとって”。
主語を王子にする。
そして、悪役令嬢枠を「道具」の位置に置く。
上手い。
上手いけど面倒。
面倒の才能がある人は、だいたい成功する。
私の平穏を犠牲にして。
王子が微笑む。
「そうだな。——君も、そう思うだろう?」
悪役令嬢枠に同意を求める。
同意させれば、場は丸く収まる。
しかし、同意させるのは“強要”に近い。
彼は気づいていない。
気づかないから王子なのかもしれない。
気づかないから面倒なのかもしれない。
悪役令嬢枠の瞳が、わずかに細くなる。
拒絶ではない。
ただ、感情が一ミリ動いた。
その一ミリが、噂の種になる。
私は種が嫌いだ。
芽が出ると刈らないといけない。
刈るのが面倒だ。
——ここで、私の役目が決まった。
この場を荒らさない。
荒れた痕跡を残さない。
誰にも“私が関与した”と悟らせない。
ついでに、転生者同士の正体も匂わせない。
禁止事項は絶対だ。
バレたら、面倒が無限になる。
私は、控室の隅に置かれていた茶器に目をつけた。
完璧な逃げ道。
貴族社会で「お茶を淹れる」は、会話の温度を調整できる。
沈黙がまずいときは、手を動かして間を作れる。
言葉が刺さりそうなときは、香りで空気を薄められる。
そして何より、私が中心から離れられる。
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしますね」
私は誰の許可も取らずに動いた。
式典係の札は万能だ。
“気が利く”という評価は、面倒だが今は利用する。
湯を注ぐ。
香りが立つ。
カップを並べる。
手を動かすと、心も少し落ち着く。
陰キャの儀式。
現代でも異世界でも変わらない。
その間に、横恋慕令嬢の声が続く。
「殿下、学園生活ではきっとお疲れになることも多いでしょう? 私、できる限りお力になりたいのです」
王子がそれを受け取る。
「君は優しいな」
悪役令嬢枠は黙っている。
黙っているから冷たく見える。
王道の加速装置が、いま目の前で組み上がっていく。
私はカップを持って、そっと近づく。
そして配置する。
王子の右手側。
横恋慕令嬢の手前。
悪役令嬢枠の少し奥。
——距離を作る。
距離は衝突を減らす。
衝突が減れば面倒も減る。
私は距離が好きだ。
人間関係も距離がすべてだと思っている。
「ありがとうございます、イレイン様でしたわね」
横恋慕令嬢が私を見た。
にこにこ。
覚えた。
私は今、覚えられた。
最悪だ。
覚えられると、次から「お願い」が来る。
お願いは断ると面倒、受けるともっと面倒。
どっちに転んでも面倒。
面倒の二択は、人生の定番メニューだ。
「いえ。式典係の務めでございます」
私は無害な笑みを貼った。
自我はしまう。
自我を見せると絡まれる。
絡まれると面倒。
私はモブ。
私はただの便利な空気。
そう、便利な——
「……あなた」
悪役令嬢枠が、私を見た。
さっきと同じ目。
刺すみたいに真っ直ぐな目。
でも、そこにわずかに“観察”が混じっている。
私の動き。
私の配置。
私の距離感。
見られている。
やめて。
分析されると、余計な意味が生まれる。
意味が生まれると、噂が生まれる。
噂が生まれると面倒が増える。
「はい」
「……式典係は、ここまで気を回すのね」
「……揉めると、進行が滞りますので」
私は本音を誤魔化した。
“揉めると面倒”が本音だが、それを言うと人間性が疑われる。
疑われると面倒だ。
だから私は「進行」という言葉に逃げる。
進行は正義だ。
正義は、たいてい面倒を正当化する。
私は面倒を正当化したくないけど、今日は必要だ。
その瞬間だった。
控室の扉が、勢いよく開いた。
息を切らした式典係の上級生が飛び込んでくる。
顔色が悪い。
嫌な予感がする。
嫌な予感は当たる。
当たるから嫌だ。
「申し訳ありません! ……来賓の動線で、少し……いえ、かなり……」
言い切る前に、廊下の向こうから怒号が聞こえた。
男の声。
誰かが誰かを責めている声。
そして、何かが倒れる音。
金属の音。
——事故だ。
私が防いだはずの事故が、別の場所で起きた。
事故は、形を変えて必ず来る。
世の中はそういう仕組みだ。
王子が眉をひそめた。
横恋慕令嬢が不安げな顔を作る。
悪役令嬢枠が立ち上がる。
立ち上がっただけで、空気がさらに冷える。
ああ、最悪の連鎖が始まる。
ここで誰かが出る。
出た先で火に油を注ぐ。
油を注げば、燃える。
燃えたら、面倒が増える。
増えた面倒は、なぜか私の方へ流れてくる。
私は、笑顔のまま、心の中で叫んだ。
(お願いだから、誰も動かないで)
神様が、呑気に言った。
「動くよ。だって主人公キャラがいるもん」
私は、静かにカップを置いた。
そして、内心で決めた。
——これ以上燃えるなら。
私は“何もしないために”、動くしかない。
歓迎式典は、まだ始まってすらいないのに。
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