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生田さん
しおりを挟む「……鈴井さん、ご迷惑をおかけしてしまって本当にすみませんでした」
「いえ、俺は大丈夫です……。あの、お水飲みますか?」
勝手に拝借したコップに注いだ水を差しだすと、生田さんはぶるぶる震える手で受け取った後、一気にそれを飲み干した。さっき涙で出て行ってしまった分の水分を取り戻すかのような勢いだ。
「あの、何かあったんですか……?」
「ああ……」
生田さんはぼんやりとした目つきのまま、手の中のコップを弄んだ。もう涙は流れていないけど、やはりショックが大きかったせいなのか放心状態だ。
「……フラれた」
「え?」
とりあえずさっき頭を過ったようなことが起きていなかったことにはホッとした。けれど、目の前の生田さんは相変わらず死にそうだった。
俺だって、失恋したことはある。もちろん悲しかったし落ち込んだ。悲しい恋の映画やドラマ、小説は一切見ないけれど、失恋することの辛さはわかっているつもりだ。けれど、ここまでボロボロになるまで傷ついたことは無かった。
「えーと……リンちゃんに?」
さっき聞いた名前を口にすると、生田さんはドロリとした目をほんの少し見開いてから「……そう」と呟いて項垂れてしまった。
こんなに落ち込むなんて、結婚の約束をしていたとか、もう何年も前から付き合っていたとか、そういう事情があるのかもしれないな、と俺は心の中で勝手に頷いていた。
「……ええと、リンちゃんのことがよっぽど好きだったんですね」
なんと言葉をかけたらいいのかわからなくて、わざわざ聞かなくてもわかるだろう、と自分で自分に突っ込みを入れたくなった。生田さんは深々とため息を吐いた後、何度も頷いた。
「……リンちゃんは俺の夢だった」
「ゆ、夢ですか……」
「愛」ではなく「夢」か、でもそれってどういうことだろう、と首を傾げたくなるのを我慢した。
きっと、生田さんは立派な大人だから、それこそ、俺の想像が及ばないような深い絆で好きな人と結ばれていたのかもしれなかった。二人とも自立した大人だから、お互いの夢を尊重し合い応援する、といった関係を築いていたということだろうか。いろいろな想像を巡らせながらションボリしている生田さんのことを「それにしてもどうしてフラれてしまったんだろう」とまじまじと眺めた。
このマンションの402号室に引っ越してきた日に緊張しながらお隣の401号室へ挨拶に行った。インターフォンを鳴らすとドアの向こうからヌッと姿を現したのが生田さんだった。
初めて見た時の印象は大きくて冷たそうな人、だった。生田さんは、見た目から予想すると30歳くらいなんだろうけど、すごく落ち着いていて堂々としていた。顔は彫刻みたいに整っていて、身長が高い。大きな目は丸みがほとんどなくて鋭く、鼻が高くて唇が薄い。
鷹みたいな顔をしている、真顔だとなんだか少し怖い、と思いドキドキしながらも「隣に引っ越してきた鈴井マナトです。よろしくお願いします」と頭を下げた。
生田さんは全然怖い人ではなく、ニコッと笑った後、「こちらこそよろしく。ここエレベーターがないのに四階への引っ越しは大変でしょ? 何か手伝えることがあったらいつでも声をかけて」と優しく言ってくれた。
その後、風呂場の電球が切れていることに気が付いた。慌てて買いに行ったものの脚立や踏み台になるようなものが何もなくて、自分ではうまく取り付けられなかった。
管理会社に連絡をしても「あとで担当からかけ直す」と言われたきりで、途方に暮れてしまった。それで、申し訳ないと思いつつ生田さんに助けを求めたら自分の部屋から折り畳み踏み台を持ってきて、すぐに電球を交換してくれた。
その後も、たまたま通りかかった生田さんが、買い物帰りの重い荷物を俺の部屋まで運ぶのを手伝ってくれたこともあった。外に干していた俺のパンツが生田さんの部屋のベランダに飛ばされた時は「落ちてたよ」と嫌な顔一つせずに拾ってわざわざ部屋まで届けてくれる。あの時は顔から火が出る程恥ずかしかったけど……。隣が女の人だったらこうはいかなかっただろうから、拾ってくれたのが生田さんでよかったと思う。
生田さんは会社、俺は学校があるから、しょっちゅう顔を合わせるわけではないけど、朝のゴミ出しの時にはよく会う。まだ半分寝ぼけた顔をしながら、髪もぐしゃぐしゃで部屋着姿の俺を見かけても、「学生はいいよなあ。ダラダラ出来て」と軽蔑の目を向けることもなくいつも爽やかに「おはよう」と笑いかけてくれる。
生田さんは優しい。
フラれたなんてきっと何かの間違いじゃないですか? よく話し合えば仲直り出来ますよ、と言いたいけれど、そんなことはなんの慰めにはならないということは、生田さんの落ち込みっぷりで、なんとなく察してしまった。
それで、結局生田さんの元気が出るような気の利いた言葉は何も思い浮かばなくて、ちょっとだけ居心地の悪さと気まずさを感じながら、側にいることしか出来なかった。
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