お隣さんがパンツを見せろと言うからプロ意識を持ってそれに応える

サトー

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アシダカグモ

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 一緒に暮らすぞ、とリンを家へ連れて帰ってきた日から数日が経った。

 初めの数日は、夜中にこっそり抜け出したリンがそのまま帰ってこなくなるような気がしてほとんど眠れなかった。
「なんで他にも部屋があるのに一緒に寝ないといけないわけ?」と隣に敷いた布団でリンがブツブツ文句を言うのを聞き流しては横になってただじっと身を固くする。ぐーぐー眠るリンの、作り物のように整った顔を眺めては、もう二度といなくなるな、と強く強く念じた。

 伝えたいことは山程あったが、結局は一つも言葉に出来ないまま、リンがどこへも行かないのなら、もうそれでいい、と目を閉じて眠くなるのをひたすら待つ。
 そうして、朝、リンよりもずっと早く目を覚まして、まだまだ起きそうにない寝顔を眺めては「まだ、いる」ということに安堵する、をもう何度も繰り返している。



「あーあ、せっかくの休みの日だって言うのに嫌になっちゃうよ……」

 助手席で退屈そうにしながら窓の外を眺めていたリンが眠そうな声で呟いた。

「……いつまでも放っておくわけにいかねーだろ」
「だってさあ、ゴミだって全部そのままで出てきたんだよ? 嫌だなあ、生ゴミが腐ってドロドロになってるかも……。ねえ、ドアを開けるのが怖いんだけど」
「そしたらなおさら早くなんとかしないといけないだろうが」
「……じゃあ、タクミが全部やって」

 本当に不安で心細そうな声をしているうえに、「アパートさえ引き払ってしまえば、もうリンはどこにも行かないだろう」という考えが浮かんで、それで気がついたら「わかった」と頷いていた。

「お前の家だろうが。自分のことは自分でしろ」と言い返されるとでも思っていたのか、返事をしたのにリンはそれに対して特に何も言わなかった。

「……ゴミは俺が片付けるから、お前は自分の荷物を何とかしろ。大事なものとかあるだろ、いろいろ」
「そんなもん無いよ、何も」

 吐き捨てるようにそう言った後、リンはムッツリと押し黙った。その態度から、ここ数日、一緒に暮らし始めてからのリンの様子を思い出した。

 スマートフォンと家の鍵と、着ている服とわずかな現金しか持っていなかったリンは「荷物を取りに帰りたい」と口にすることもなく、俺の家にあるものを使って普通に生活を始めた。ばーちゃんが使っていた布団に寝転び、じーちゃんがせっせと集めていた焼き物の器や湯飲みを食器棚から取り出して食事をしたり冷えたお茶を飲んだりする。

 自分の寝床や使うものにほとんどこだわりを持たない姿は、気まぐれに軒下を借りに来る猫のようだった。
 ふとした瞬間に、他の誰かの家にもこんなふうに寝泊まりしていたんだろうかと思い浮かんで、気が狂いそうになることもある。そんな時は 「好きだ。一緒にいて欲しい」と正直に伝えることもせずに、上手く優しい言葉をかけることも出来ないままでいる奴がリンに腹を立てる権利なんて無いだろ、と何とか自分を抑えた。

 リンをもう二度と泣かせたくないし、乱暴なこともしたくない。大切にしてやりたいし、危ない目に合わないですむようにしてやりたい。
 ……リンが側にいると、いろいろと考えることが多すぎる。一番上手く処理出来ない「好きだ」という感情を後回しにしているせいで、結局「大事なものなんか無い」と言うリンにかけるべき言葉が見つからないまま、アパートに着いてしまった。

「ねえ」
「……なんだよ」
「全部が済んだら帰りにマックを買ってくれる?」

 縦にも横にもデッカイ目でじっと見つめられた。柔らかい唇がもう一度「買って?」と動く。軽トラでリンの事を拐った日に自分がした事を思い出して、慌てて目を逸らした。無言で何度か頷くとリンがニヤリと笑った。

「じゃあ、さっさと行こ。……ドロドロのゴミを見て食欲なんか無くなるかもしんないけど」

 怖いからタクミが開けて、と部屋の前でリンにぎゅうぎゅう背中を押されて、甘ったるい匂いが鼻を掠めた。動揺したせいで鍵穴に鍵を差し込むのにずいぶん手間取る俺を見て「古いからなのかなー、ずいぶん前から鍵が入りづらいし、回しにくいんだよねー」とリンがぼやいていた。



 部屋の中は換気をしていないせいで、多少は埃っぽいものの、リンが考えていたほど、酷い状態にはなっていなかった。
 台所の流しはカラカラに乾いていて、ゴミ箱にも菓子パンやスナック菓子の袋が放り込まれているだけ。冷蔵庫は空っぽで、洗ったのか洗っていないのかわからない衣類が部屋の隅で山になっている。子供の頃に何度か訪ねてきたことがあるが、その時よりずっと、部屋の中は古臭く薄暗いように感じられた。

 床の上に散らばっている細々としたものを足で追いやって「全部いらない、捨てといて」とリンは平気で言う。少し迷ったが、軽トラの荷台に乗せきれない程の荷物を持ち込まれても困るだけだと、全て処分することにした。

 少し前まで熱心に身の回りの世話を焼いてくれるような人物がいたのか、冷蔵庫には公共料金や国民年金を納付した領収書が束になってマグネットでキチンと貼り付けられている。アパートの家賃や公共料金の支払いはどうしてんだ、と尋ねた時に「知らない、べつに電気や水が止まったってどうでもよかったし……」とめんどくさそうに答えるリンがマメに支払いを済ませ、その証拠を取っておくなんて信じられなかった。

 生活を気にかけてくれるような親切で金を持っているちゃんとした恋人、がリンにはいたんだろうか。どうしてダメになった? ソイツと一緒にいれば、もっといい暮らしが出来ていたんじゃないのか? とも思ったが、ソイツとダメになったから、こうして俺の側にリンはいる、というのが悔しくて、ゲームソフトを「売れる」「売れない」で分別しているリンに、元恋人について詳しく聞くことは出来なかった。

 全部捨てといて、とは言われたものの、床でしわくちゃになっているブランドものの服をゴミ袋に突っ込むのは気が引けて、服以外のものから片付けることにした。
 古い雑誌や、パリパリになったタオル、溜め込んだ段ボールといったものが押し入れからどんどん出てくる。全部済んだら、リンとちゃんと話が出来るんだろうか、と思いながら作業に集中していると、パッケージにでかでかと「SKYN」と書かれた箱が出てきて片付けどころではなくなってしまった。

「おい……!」
「なに?」
「……なんでもねーよ」
「はあ……?」

 用が無いなら声をかけるな、と言うリンに動揺していることが悟られないよう、慌てたせいでよく確認しないまま箱をゴミ袋に突っ込んでしまった。そういうことには縁が無い生活を今まで送ってきた俺は、薬局に設けられているコーナーに近付いたことすらない。

 リンだっていい大人だ。コンドームくらい持っていてもおかしくない……とわかっているのに、リンが女とのセックスの時に使っているのか、それとも「着けてよ」と男に頼んでいるのか、どっちだとしても想像しただけで、何にもぶつけることが出来ないような怒りがこみ上げてくる。

 たった一箱のコンドームを処分するだけでどっと疲れた。俺はいったい今まで何をやっていたんだろう、とやるせない気持ちでいると同じ部屋にいるリンが「ぎゃっ」と悲鳴をあげた。

「どうした」

 配線を外そうとでもしていたのかテレビの裏を覗き込んでいたリンが「でっかいクモがいる……!」と震えあがっていた。

「……ただのアシダカグモじゃねーか」

 十センチはありそうな長い脚。全身はうっすらと毛で覆われている大きな蜘蛛を見て「キモイ」とリンは本気で嫌がっていた。昔から、虫や魚が大嫌いな奴だったが、大人になってもこんなところは変わらねーのか、と感じていると「ぼさっとしてないで、早くなんとかしろ」と怒鳴られた。

「……害がない、ゴキブリを食べるいい蜘蛛だ」
「じゃあ、ゴキブリもこの部屋に住みついてるってこと……!? キモ! 早くなんとかしてよ!」

 どうせ引っ越すならそっとしておいてやってもいいのに、リンはやかましく騒いだ。仕方がないからすっかり怯えてしまっている蜘蛛を四苦八苦して家の外へ逃がしてやった。

「……あれくらいでギャアギャア騒ぐな」
「だって信じられないくらいデカかったし……! あー、キモかった……」
「……こんなことで騒いでいたら、いつまでたっても片付けが終わらねーだろ」

 明日も仕事なんだぞ、と背を向けると「わかった」とリンが弱々しく呟くのが聞こえた。よっぽどアシダカグモが恐ろしかったんだろうか、と振り返るといつの間にか背中にぴったりと張り付くようにしてリンが立っていた。

「……今までは何が出てきても、全部自分でなんとかしてたから……。タクミがいて良かった」

 泣いてはいないのに、リンが下を向くと伏せられた長い睫毛が目元に影を落として、そのせいでとても寂しげな表情に見えた。

「……そうか」

 これからは何かあったら全部俺に言え、ずっと昔から何もしてやれなくて悪かった。……かけてやりたい言葉はいくつも浮かんできたが結局一つも伝えられなかった。



 丸一日を費やして、部屋の中は空っぽになったが軽トラの荷台に積んだゴミは別の日にごみ処理施設へ持ち込まないといけない。「大家の婆さんにちゃんと家賃も払ったし、鍵も返した」というリンだけはスッキリした顔をしていた。

 まだやることが残っているのだから、何もかもが済んだら、とは言えないのかもしれない。けれど、「良かった」と頼ってきた時のリンの姿が忘れられなくて、結局帰りにマクドナルドへ寄った。ドライブスルーでビッグマックのセットとアップルパイとナゲットを全部二つずつ買って、二人で暮らす家へ戻った。


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