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2.幼い恋心
しおりを挟むエリアスは僕の通っていた寄宿学校の三歳先輩だ。
森の側で木製の家具やおもちゃを作って生計を立てていた両親のもとで育った僕は、名門の寄宿学校とは縁のない生活を送っていた。けれど、まだ特待生で受け入れられる子供の数に空きがあると聞いているがどうかね、と村長さんに推薦状を書いてもらい、僕は十一歳で寄宿学校へ入学することとなった。村長さんは「溺れている小さな子供を助けるために、躊躇わずに海へ飛び込んだ君の勇気は素晴らしいよ」と言っていたけれど、逆に言えば功績はそれだけで、勉強も運動も普通かそれ以下の僕は平凡などこにでもいる子供でしかなかった。
寄宿学校での最初の一年はもちろん虐められた。珊瑚と同じ色をした髪の子供は僕だけで「アイツは人魚の末裔だ」と噂がすぐに広まったからだ。
人魚の血を引いていたとしても、全員に「桃色珊瑚と同じ髪の色、海のように青い瞳、白い肌」という性質が遺伝するわけではなく、人間と交わり続けたことで、そういった子孫は少なくなっているのだと言う。
人魚の力を持った者だけに現れるという容姿の特徴を持つのは、五人いる兄弟の中では僕だけ。後は親戚中を探しても父方の祖母しかいない。僕はあっという間に寄宿学校の子供達の耳目を集め、真っ先に虐めの対象になった。
やめて、といくら言っても聞く耳を持ってもらえず、髪を引っ張られたり池に落とされたりするのは当たり前。教師に見つからないよう僕を虐めるのが得意な子供ばかりだった。
中でも、三つ上の上級生のグループのやることは陰湿で残酷だった。放課後、誰もいない教室に呼び出されて髪を切られたり、僕の心の拠り所だった食堂の裏に住む野ねずみを目の前で殺されたりもした。
その日も、授業が終わった後、コソコソと宿舎に戻ろうとしていたのを見つかって。校舎の裏に連れていかれた後は、鞄や制服のジャケットを取り上げられてしまった。「返して」と泣く僕が面白かったのか、僕の持ち物は高く放り投げられ、落下したところを何度も踏まれた。
ジャケットを一着しか持っていないのに明日からは何を着ればいいんだろう、あんなに汚れた教科書でどうやって勉強すればいいんだろう。いつまでこんな日が続くんだろう。
途方に暮れて泣いていると何を思ったのか、上級生の一人が僕に言った。
服を脱げ、と。
そう命令された時、僕は今までにないくらい必死で頼んでいた。「それだけは無理です。お願いします、どうか許してください」と。
もちろん聞いてもらえなかった。人魚の末裔がどんな身体をしているのか見せろと言われて。身体を押さえつけられて、着ていた服を力ずくで剥ぎ取られた。ほとんど抵抗も出来ずに、シャツは破られて、ズボンは遠くへ放り投げられてしまう。
「いやだ! やだっ……、やめて……、いやだあっ……!」
悪魔だ。絶望して泣く僕を見て、四人いた上級生は全員笑っていた。身体を小突き、それから「見ろよ。ここに鱗みたいな跡があるぞ。気持ち悪い」と罵り、飽きることなく僕の身体をオモチャにした。
「……コイツ、女みたいだな」
そう言って胸を指先でつつく先輩も、「まだ変声もしてないからだろ」と脚を無理やり開く先輩も、いつの間にか誰も笑わずにじっとりとした目で僕の全身を見つめていた。それが、ただただ恐ろしかった。これは、今までされてきたこととは種類が違う。僕は、恐怖で自分の胸が真っ黒な何かに塗りつぶされていくのを感じていた。
最後、彼等はまるで何かに言い訳をするように、どこか怯えた様子で僕の顔を何度も叩いた。お前が誘惑したからだ、薄汚い人魚の末裔のくせに、と。
殴る蹴るといった暴力に比べれば痛いことは顔をぶたれたくらいで、身体は平気だ。でも、「死のう」と思っていた。もう耐えられない、このままだと心も身体も壊される。だったら、その前に海へ飛び込んで死んでしまいたい。こんな時も海へ帰ろうとする人魚の末裔の本能には逆らえないことが虚しかった。
好きでこんな姿で産まれてきたんじゃない。僕だって、みんなと同じように普通の人間として生きていきたい。でも、ここでは誰もそれを許してくれない。
汚れてボロボロになった制服を羽織り、とぼとぼと死ぬために歩いている時だった。
「どうしたんだ。そんな格好で」
僕や同級生よりもずっと低い声で呼び止められて、心臓が止まりそうになった。いつからそこにいたのだろう。真っ黒な髪をした、人形のように美しい顔をした人が目の前に立っていた。
また、ひどい目にあわされる。
さっき上級生からされたことを思い出してガタガタと身体が震えた。何も答えずに涙を流す僕を見てその人は眉をひそめた。
「……こっちへ」
僕のことなんか気持ちが悪いと、放っておいたっていいはずなのに。その人は僕の手をそっと握ってから、人の目につかない、宿舎の側にある庭の隅まで連れていってくれた。そして、ちらっと僕の着ている制服を見て、何も聞かずに「夕方は冷える」と自分の着ていたジャケットをかけてくれた。
「……ノエル・ネレイドだろ? 俺はエリアス。エリアス・ハーヴェルマンだ」
「どうして……」
エリアスの言葉に僕は目を丸くした。入学した時から、僕はエリアスのことを知っていた。美しくて頭がよくて、運動だって誰よりも得意で、慈善活動も積極的にこなしている。模範的な生徒で有名で、友人達といつも楽しそうに笑っている明るい姿を見かける度に、「すごいな、僕もあんなふうになれたら」と目で追っていたから。
そんな有名な、エリアスが僕の名前を知っているなんて。……すぐに気がついた。僕が人魚の末裔だからだと。
「どうしてって……。泳ぎの名人だ。前にみんなで海へ行った日に泳いでいるのを見たから。誰も行けないような流れの早い場所で、君は楽しそうに泳いでいた」
エリアスの言葉に僕は自分の耳を疑った。確かに僕は泳ぐのが得意で……ほとんど息継ぎをしないまま泳ぎ続けることが出来る。だから、夏に海へ連れていってもらった日は、虐めから逃れるようにして沖の方で泳いでいた。でも、それを理由に僕のことを知っている人に出会うのは初めてだ。特に、この学校の人は僕のことを「人魚の末裔」としか見ていないと思っていたから。だから、そう言われても信じられずにいた。
「……なあ。その顔と格好、誰にやられた?」
「ぼ、僕……」
言えない、と僕は首を横に振った。誰かに喋ったら殺すからなと脅されているし、第一、何をされたか話すと考えただけで、吐き気がこみ上げてくる。真っ青になって黙り込む僕にエリアスはペンと手帳を差し出した。
「口で言うのが難しいなら文章でもいい。名前だけは絶対に書いて」
エリアスは真剣で冷静だった。僕は散々迷って……震える手でぽつぽつと自分の身に起こったことを書いた。詳しく書けない所は「指」「ズボンの中」といった単語で。もちろん書けないこともあったし、文字を書いている間は苦しくないわけじゃないけれど。口で話すよりは少しだけマシだと思えた。そして、迷ったけど、四人の上級生の名前も書いた。もうどうなったっていいと思っていた。どうせ、死ぬつもりだったのだからと。
「……殺すか。コイツら全員」
手帳に書かれたミミズが這ったような字を見つめていたエリアスがそう呟いた時、僕は全身に寒気を感じた。優しく接してくれていたさっきまでとは別人のような、冷たい声と表情。エリアスは静かに怒っていた。上級生達が僕を脅すのに使っていた「殺す」という言葉とは違う。本気だ、本気でこの人は人を殺そうとしている……そう感じさせる目をしていた。
「だ、ダメ……」
エリアスの腕を掴んで必死で止めた。上級生達のことは正直に言うといなくなって欲しいとは思っている。ただ、「この人を絶対人殺しにしちゃダメだ」という思いが圧倒的にそれを上回っていた。ダメです、とバカになったみたいにそれだけを繰り返す僕を見てエリアスはようやく優しく微笑んだ。
「どうして?」
「だ、だって、人を殺したら、捕まっちゃう……、ダメ、それは絶対に……」
しどろもどろになりながら、自分の思いを懸命に言葉で伝えた。どんな事情があったとしても人を殺すのは許されないことだ。そんなことになったら、関係のない僕のせいで、エリアスは裁きを受けないといけない。それがどんなに恐ろしいことか、この頭のいい先輩がわからないはずはないのに。
「いいよ、べつに」
そう呟きうっすらと笑うエリアスに、僕は内心震え上がっていた。人を殺したらどうなるかわかったうえで、この人はそう言っているのだと。
「う、う……」
「え……ごめん、泣かせようと思ったわけじゃないんだ。嫌な目に合わせるヤツはもういなくなるんだって、君を安心させたくて……。ああ、ごめん。だって、後輩にこんな思いをさせるなんて、俺には人殺しと同じくらい許せないことだ……」
そう言ってからエリアスは僕のことを、貸してくれた制服のジャケットごとぎゅうっと抱き締めた。僕はエリアスの腕の中で声をあげて泣いた。今まで押し殺していた悲しみが堪えきれなくなって、止めどなく溢れ出すように。この学校に来て、誰かからこんなふうに守ってもらえたのはこれが初めてだった。
三歳年上のエリアスの身体は僕よりもずっと大きくて、大人の男の人とほとんど同じ体格をしている。でも、怖いとは思わなかった。この人なら信じてもいいんだって、心の深い場所で僕はそう感じていた。
エリアスはゆっくりと、「君は何も悪いことをしていない。一方的に暴力を奮われて、今、君の心は殺されたのと同じ状態にあるんだ」と僕に教えてくれた。身体は平気だから気がつかなかったけれど、僕の心を塗り潰した真っ黒な何かの正体が少しだけわかったような気がした。
「学校ではこの上着をずっと着ているといい。……ここに、ほらハーヴェルマン家の紋章がある。これを見て君を虐めてくるようなヤツはまずいない。大丈夫、側にいない時でも、俺は君を守るよ」
いいの、と不安な気持ちで躊躇う僕に「本当は家の名前を使うのは好きじゃないんだけど」とエリアスはおどけたように笑ってから僕の頭を撫でた。入学して一年にも満たない僕の身体に対して、エリアスのジャケットは大きすぎる。けれど、それがかえって「君を守る」という言葉の表れのような気がして、僕は貰った上着を着ている時はいつだって自分がエリアスに包み込まれているような気持ちで安心出来た。
学校のワッペンの側についているハーヴェルマン家の月桂樹と盾を組み合わせた紋章は、以降僕のことをずっと守ってくれた。学校内で「ノエル・ネレイドはハーヴェルマン家と繋がりがあるらしい」とすぐに噂になっていたからだ。
間違った事実が広まることでエリアスに迷惑がかかるんじゃないかと心配だったけど。エリアスは「ノエルを弟のように大切に思っているから、あれは嘘じゃなくて本当のことだろう」と言って笑ってくれた。
僕を虐めた四人の上級生はあの後すぐに退学になったと聞いた。いくら聞いてもエリアスは「心配しなくていい」と何も教えてくれなかった。実家が破産したらしい、という噂を聞いた時はゾクッとしたけれど、なるべく考えないようにした。深く知りすぎたら、何か恐ろしいことに出会ってしまうような気がしたから。
「ノエルのことは俺がずっと守るって約束する」
躊躇わずに僕の髪を撫でて、手を繋いでくれるエリアスに対して、僕が幼い恋心を持つようになったのはごく自然なことだった。
僕にとっての初めての口づけは十三歳の時。相手はもちろんエリアスだった。二人きりで過ごしているとそういう話題になって、「まだ誰ともしたことがないけれど。いつかしてみたいな」と言ったらエリアスに唇を塞がれていた。恋人どうし、と言えるような雰囲気からは程遠かったと思う。二人とも少しだけギクシャクしながら「へえ、こういう感じなのか」って笑っていた。
エリアスの側にいられることで、僕は「あの時死ななくて本当によかった」と思えるようになっていた。
身体がぐんぐん成長していくのに比例するように、エリアスのことが好き、という気持ちは膨らんでいく。人魚の末裔が物珍しかったのか、いつからか上級生から下級生までいろいろな人から告白されるようになったけれど、すべて断っていた。僕の心はエリアスでいっぱいだったから。よく知らないヤツから思いを伝えられても困るだけだろう? というエリアスからの質問に頷いてからは、ピタリとそういうことも無くなった。
エリアスは僕のことを可愛がってくれてはいるけれど、それは弟に向ける愛情に近くて、僕と同じ気持ちじゃない。僕が子供っぽいから? どうしたら早く大人になれるんだろうということばかりを考えていた。そんなことで頭がいっぱいになるなんて、あの頃、きっと僕は幸せだったのだろう。エリアスとあんな形で別れることになるなんて知らずに。
あの恐ろしい事故が起こったのは、エリアスが最上級生になった年のことだった。
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