人魚の祈りが届くまで

サトー

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4.手紙

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 ハーヴェルマン家から手紙が届いたということは、僕の家族にとって大ニュースとなった。妹達は見せて見せてとやかましかったけれど、断固としてそれは拒否した。

 自室でこっそりと開いた手紙は、昔とは比べ物にならないほど硬い文章で、用件が淡々と綴られていた。冒頭で僕の健康を気遣い、父親の元で服飾に関係する新しい事業を任されていることが書かれていたけれど、それについては新聞で読んでいたから僕も知っている。

 その後に書かれていたのは。自分の信念と意志のために船を買った、ということだった。そして、自分は海に呪われているから、船を出港させずにいる。自分だけの命ならどうなったって構わないが、乗組員の命がかかっている。だから。

『人魚の祝福を受けたい』

 その一言で僕は全てを理解した。エリアスにとって僕はとっくの昔に過去の存在になっていて、仕事の成功のために僕の力だけが必要とされているのだと。
 流れるような美しい字で、その後は形だけの結婚について、どんな条件でも受け入れる、一度会って話したい、ということが書かれていたけれど、目が滑って内容についてはほとんど頭に残らなかった。

 大人になっていろいろな責任を抱えるようになったエリアスは、たぶん、今の不安と過去の事故を無意識のうちに結びつけているのだろうと。船を買った理由についてはわからないけれど。海に呪われている、ということについては違うと僕ならハッキリとわかる。
 呪いなんかじゃない、あれは不幸な偶然が重なった事故だ。他の誰がああなったっておかしくはなかった。誰が責められるべきでもない、避けようのないことだったのだと。

 ずっと会っていないけれど、間違いなくエリアスは立派な大人になっている。足の痛みや、思うように動かない自分の身体へのもどかしさ、周囲の人からの哀れみの目……。僕には想像も出来ないような苦悩をエリアスはきちんと乗り越えられている。そんなエリアスには人魚の祝福なんか必要がない。過去に縛られなければ、しっかりと前へ進んでいけるのだから……。

 ということを、失礼のないよう丁寧な言葉で書いて返事を出そうと思った。仕事を終えて帰ってきてから、毎日欠かさずに僕は机に向かった。そして、ペンを握る。でも、書けなかった。エリアスを思うだけで手が震えて、頭の中はぐちゃぐちゃになってしまったから。

 どうして。あんなふうに僕を突き放したのに、今さら手紙なんて送ってくるんだ。

 そんな思いで胸が潰れそうになりながら、何度も深呼吸を繰り返す。それから、自分に言い聞かせる。違う、エリアスは僕を求めているんじゃない。欲しいのは人魚の末裔の力なのだと。どんな身体になっても変わらず君が好きなんだと言っていたのは昔のことだ。もうエリアスは僕を愛してなんかいない。僕だって……。

「どうして……」

 一文字も書かれることがないまま、何枚もの便箋が涙でびしょびしょに濡れて、ゴミ箱へ捨てられていった。結局、『他の人魚の末裔の方を探してはいかがですか』とだけ書いた手紙を出した。見つかるかどうかは僕が気にすることではない。こんな時も朝と夕方にエリアスのことを祈り続けるだけの僕には関係のないことだ。

 返事はすぐに返ってきた。相変わらず妹達が騒がしかったが「見たら絶交する」とよーく言い聞かせてから、僕は部屋に閉じ籠った。

 この前よりもずっと乱れた字で、とにかく一度会って話がしたいということが書かれていた。
 きっと船のことで焦っているのだろうと思う。自分の買った船が、万が一事故で沈んでしまうようなことがあれば。そんな不安をエリアスは今も一人で抱えている。

 迷ったけれど、やっぱり会えないと思った。ここで会ってしまったら、エリアスは永遠にあの事故に縛られ続けてしまう。だから、僕は今までで一番意識を集中させて、向こう十日分の海の様子を調べた。先になればなるほど、不鮮明な部分も多く、激しい耳鳴りや頭痛といった僕の身体にも大きな負担がかかった。
 それでも、何も知らずに船を出すのとでは大違いだと思ったから。僕は十日分の海の様子をエリアスへの手紙に書き写した。

『この期間は船を出したとしても事故に巻き込まれることはありません。知っているかと思いますが、もし、ルーベンス海峡を横断するのならくれぐれも北ルートは避けてください。南ルートを通ってください』

 それから最後に、絶対に会えません、と書き足してから、迷いが生まれないうちに封をした。一度、成功してしまえば、きっと人魚の祝福なんて自分には必要ないものだとエリアスもわかってくれるだろう。役に立つかはわからないけれど、それからも毎日エリアスのために祈り続けた。どうか幸せになれますようにと。

 それからちょうど十日後、新聞でエリアスの会社の船が遥か南の大陸に無事到着したことを知った。エリアスが船を買ったのは、災害で荒れた地域に、食料や医薬品を大量に届けるためだったという。
 あの日、僕を助けてくれた時からエリアスの心は何一つとして変わっていない。僕は長いことその記事から目を離せずにいた。

「与えてもらった多くのものを、誰かに分け与えるために私は今日まで生きてきた。私はあらゆるものを持ちすぎているから」

 エリアスの言葉の側に、あの事故のことも書かれていた。怪我を乗り越えた、愛の人だと。誰かに手を差しのべられる優しさと強さをエリアスは持っている。だからもう大丈夫、そう思えたのに心にぽっかりと穴が開いたような気持ちでいる自分自身に僕は戸惑った。

 きっともう二度とエリアスからの手紙は来ない。そうわかっていたから、新聞記事を大事に切り抜いた。せめて、気持ちだけは側にいたかったから。


 いつもと同じ平凡な日に戻るだけ。そう思っていたのに。翌日のことだった。エリアスが直接僕の家へやって来たのは。

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