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5.見捨てるのか、私を
しおりを挟むその日、僕は昼前までベッドで横になっていた。休日だからダラダラしていたのではなく、仕事の疲れと無理に人魚の力を使った影響があわさって、昨日の夜からひどい頭痛が続いていたからだ。薬を飲んでもう少しだけ休んでいよう。そう考えてノロノロと身体を起こすと、一番下の弟が「誰か来たよ」と僕の部屋に入ってきた。
「お客さん? 父さんと母さんは? まだ工房から戻ってこない?」
たぶん、父と母へおもちゃの注文か修理をお願いしたいと、お客さんが自宅の方へやってきてしまったのだろう。足の悪い祖父と声の出ない祖母に対応を任せるのは厳しい。僕が寝巻きから着替えているとやけに嬉しそうな声で弟が「大きな馬車だよ」とはしゃぐのが聞こえた。
「車じゃなくて、馬車ってことはこの辺りの人か……」
用件だけ聞いて後のことは両親に任せればいい。昨日の昼から何も食べていないフラフラの身体で外へ出た。
「嘘だ……」
一目で上流家庭の持ち物だとわかる馬車を見た時。あまりの衝撃で僕は目の前が真っ暗になった。忘れるはずもないハーヴェルマン家の紋章だったからだ。
エリアス。そう呟くことも出来ず、立っているのもやっと、という僕を置いて周囲はどんどん騒がしくなっていく。「だれー?」「お兄ちゃん誰ー?」という弟や妹達の声に、「まあー、素敵。なんて可愛い子供達!」という知らない婦人の朗らかな声。そして。
「……私を覚えているか。ノエル」
あの頃よりもさらに背が伸びて、ずっと美しくなったエリアスが目の前に立っていた。
「なんで、どうして……」
あの手紙で終わりだと思っていた。だって、船は無事に目的を達成して戻ってきているはずだ。それなのに、なぜ。
エリアスが何か言おうと口を開きかけた時、「あなたがノエル? なんて素敵なの!」と、僕の身体は見知らぬ婦人に抱きつかれていた。
「あの……」
「あなたがエリアスを救ってくれたのね! ありがとう、ありがとう……。私達どれだけお礼を言っても足りないくらい……、エリアスは本当に素敵な人を見つけたのね」
「……おばあ様、彼が困っています」
エリアスの咳払いに、婦人は「まあ! ごめんなさい!」と慌てて僕から身体を離した。
エリアスのおばあ様ということは……馬車の前に立っている男性はエリアスのおじい様……あの、ハーヴェルマン一族で一から事業を立ち上げ成功を収めてきた偉大な……。
「ねえ、お兄ちゃんどうしたのー?」
「あら、本当。大丈夫? 顔色が真っ青だわ」
いったい何が起こっている?
ズキズキと痛む頭と現実とは思えない状況に、僕は立っているのがやっとだった。事業の成功で爵位まで与えられたハーヴェルマン一族が、こんな平凡な一般家庭にやってくることがそもそも間違っている。
会って話したいという誘いを二回も断ったから、よっぽど頭にきたということなのだろうか。じゃあ、いったい僕はどうすればよかったんだろう。帰ってください、と丁寧に伝えるにはどうすれば……。あまり働かない頭で必死に考えを巡らせていると、ふっと肩に心地いい重みを感じた。
「……しばらく二人で話がしたい。なるべく時間は取らせない」
あの頃よりもずっと硬い口調と声色。突然のことに驚いたのか、一瞬ぞくりとした感覚が僕の腰から背中を走った。
その感触に僕は予感のようなものを感じていた。エリアスが近くにいる。その事実が僕の何もかもを引っ掻き回し、めちゃくちゃにしてしまう、と。
僕の気持ちを確認する気は一切ない、と言いたげなエリアスの態度と、妹達とエリアスのおばあ様がきゃあきゃあはしゃぐ声に「いや、いやだ」と小さく首を横に振る僕の反応はかき消された。
「……会えるなんて、一言も言っていません。なのに、どうして……」
僕達は約六年ぶりに、僕の部屋で二人きりになった。きっと、こんな狭くて古い部屋に入るなんてエリアスにとっては初めての経験なんだろう。
部屋に入ってきた時に、エリアスの視線は机の上に並べてあったエリアスからの手紙をしっかりと捉えていた。そのことに気がついた時は「しまった」と焦ったけれど、今さら慌てて隠したってどうしようもない。紅潮した頬を隠すように僕はエリアスから顔を背けた。
「……急に家を訪ねてきたことについては謝罪する」
でも、そうでもしないと会わなかっただろう。
ゆっくりと、けれどどこか威厳を感じさせるような口調でそう言われて、僕は黙ったまま返事はしないでいた。
「どうぞ。座って、ください……、古いけど、清潔にしているつもりです……」
足の悪いエリアスのことが気になって僕はベッドへ腰掛けることを勧めた。杖は使っていなかったけど、微かに右足を引き摺っていたし、エリアスの体格から考えると歩幅だってずいぶん小さかった。
エリアスは僕の寝床を一瞥した後、いい、と短く答えて机に備え付けの椅子へゆっくりと腰掛けた。
「体調が悪いんだろう。横になっていていいから、聞いて欲しい。なるべく手短に話す」
もしあの手紙の内容に関することなのだとしたら、一言だって聞きたくない。ため息をつきたいのを我慢しながら僕はベッドに座った。
「船は無事に南の大陸に着いて、戻ってきた。今日はその礼を言いにきた」
「……それについては、ハーヴェルマン……いえ、エリアス、が、慎重に準備を進めていたからだと、思います。僕は何も……」
部屋へ戻る時に、「ハーヴェルマン様」と呼び掛けたらすごい顔で睨み付けられたのを思い出して、僕は辿々しく言葉を選んだ。僕は海の様子を伝えただけで、エリアスの勇気と努力で船は無事に着いたのだと本気で思っている。だから、助かった、と頭を下げられても僕は困るだけ。
「……言ったことはなかったが、私は四つの頃海で溺れて死にかけたことがあった」
エリアスの告白に多少驚きはしたものの、それが彼の言う「自分は海に呪われている」という主張と結び付くのかと言われると、僕はやっぱり違うと思った。浅瀬で遊んでいた時に流された履き物を追いかけて波にさらわれた。……もちろん、あってはいけないことだとは思うが、世界中誰にだって起こる可能性のある事故だ。だから僕達は気を付けないといけない。そういう話だ。
けれど、エリアスは手のひらで額を押さえながら、「ハーヴェルマン家の人間として、海に呪われ、海を恐れるというのは致命的だ。人よりも早く海を制したから、祖父や父は成功できた」と深刻な顔で呟くだけだった。
「……最新の聴音器を買って、一流の航海士を雇ってはいかがでしょう」
「呪いが人間の力で跳ね返せると思っているのか?」
「では、他の人魚の末裔を探されては? ハーヴェルマン家と聞けばいくらでも名乗り出る女性はいると思いますが」
「……見捨てるのか、私を」
「先に……」
声が震えてしまって、続きは言葉に出来なかった。僕を突き放したのはそっちでしょう、とは。
長い沈黙が続いた後、エリアスはゆっくりと立ち上がった。
「また日を改める」
「また?」
もう来ないで欲しい、という僕の声にエリアスの肩がピクリと揺れた。そして。
「……何度でも言うが、私には人魚の祝福が必要だ。ノエル、君もきっとすぐにわかる」
「やめてください、もうその話は聞きたくありません……」
「決まった相手はいないんだろう? 毎日、家と図書館を往復しているだけだ。だったら君にとっても悪い話じゃない、欲しいものなら何だって……」
「待って! し、調べたんですか……何もかも……」
うっすらと微笑むだけでエリアスは僕の質問には答えない。でも、僕は確信していた。家へ訪ねて来たことが今日だというのも、たまたまじゃない。僕の休日を調べたうえでエリアスは会いに来ている。狼狽える僕にエリアスはゆっくりと近づいてきた。
「君の両親の工房とこの家は、だいぶ老朽化が進んでいる。君の父親が何度か銀行に足を運んでいることも私は知っている」
「な……」
「ああ、そうだ。下で遊んでいる君の弟や妹達のことだが。ずいぶん優秀らしいじゃないか。特待生で名門校へ入学出来るかもしれないと私は聞いている」
僕も僕の家のことも、何もかもを知られている。その事実に全身からガックリと力が抜けていく。
「この先あの子達を自分と同じ目に遭わせたいか? ノエル、よく考えろ。ハーヴェルマンの名前は可愛い弟と妹を守る。永遠にな」
「……ひどい。エリアス、あなたはひどい人だ」
あの時僕が何をされたか知っているはずなのに。それを利用して揺さぶりをかけてくるなんて。信じたくなかった、目の前のこの男性がエリアスなのだと。
「帰ってください。もう顔も見たくありません……」
本心だった。せめて、寄宿学校でエリアスと一緒に過ごした記憶だけは誰にも汚されずに持っていたかったから。
もっとひどいことを言い返されると思ったけれど、エリアスはほんの一瞬顔をしかめただけで何も言わなかった。
帰って、とは言っても部屋から締め出しておしまいというわけにはいかず、外までエリアスを送っていった。なにせ、外にはエリアスのおじい様とおばあ様が待っている。
エリアスが一階への階段を一段ずつ慎重に降りていく。右、左、右と片足ずつ交互に足を下ろすことはせずに、両足できちんと立ってから、また次の段へ……というふうに。なるべく右足に体重をかけすぎないようにしているのだろう。
信じられないことだけど、エリアスのおばあ様は靴や服が泥で汚れるのも構わずに庭で僕の兄弟と遊んでいた。僕を見るとハッとした顔をして「楽しくて何をしにきたか忘れちゃったわね」と笑っていた。
エリアスのおじい様とおばあ様は、僕の兄弟達や外へ出てきた祖父母、一人一人にお礼を言ってしっかりと握手をしていた。
ずっと静かに成り行きを見守っていたエリアスのおじい様は最後に僕の手を強く握った。
「体調が優れない時に失礼した。……あなたにとって、あまりいい話ではなかったようだね」
しゃがれている声ではあったけど、僕にはくっきりと聞き取れた。薄いグリーンの瞳が僕を見つめる眼差しは優しい。けれど、それだけじゃなくて僕やエリアスの何もかもを、本当はわかっているのではないかとも感じられた。
「いえ。……弟や妹達は喜んでいましたから、よかったです」
「エリアスは二十二名いる私の孫の中で、誰よりも優しく勇敢で真っ直ぐな子だ。その分、一番危うく脆い部分があると私は感じていてね……」
「とんでもない。素晴らしい方です、本当に僕にはもったいないくらい、だから」
「初めてなんだ。あの事故以来、あの子が仕事以外のことで出掛けようとしたのも、誰かに会いに行こうとしたのも」
僕の言葉を遮るようにして、おじい様は話を続けた。僕の右手がさっきよりもずっと強く握られる。
「私に出来ることがあればなんだってする。どうか、エリアスと生きることについて考えてみて欲しい、どうか……」
おじい様は隠さずに泣いていた。エリアスのおじい様もおばあ様も、エリアスのことを本当に可愛いと思っている。それが痛いくらいに伝わって、僕はさっきエリアスに言ったのと同じ言葉をおじい様にぶつけることが出来なかった。
祖父母と暮らしている僕なら、おじい様とおばあ様が一緒なら断らないんじゃないかって、頭のいいエリアスはきっと全部わかっていてやっている。それでも、僕はエリアスを憎みきれない。
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