人魚の祈りが届くまで

サトー

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6.婚約

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 あれからエリアスは週に一度は僕を訪ねてくるようになり、毎日のように手紙は届く。一度も返事は書いていないし、家にやって来たとしてもなるべく二人きりにならないようにしている。

 厄介なのは僕の兄弟達がエリアスを大好きになってしまったことだった。お兄ちゃんお兄ちゃんと寄ってくる全部で四人いる弟や妹のことをエリアスはよく構い、高価なプレゼントを持ってくる。近所で買える素朴な焼き菓子に飽き飽きしていた兄弟達は、エリアスから貰った高価なお菓子に熱狂し、「また遊びにきてね、絶対だよ」「次はいつ来る?」と勝手に約束までしてしまう。

 ある時、家族の目を盗んでエリアスが無理やり僕を抱き締めてきたことがあった。抵抗する僕を静かに、だけどすごい力で捕まえた後、何も言わずに帰っていった。
 なんだったんだろう、とモヤモヤしていたら妹が「エリアスお兄ちゃん、明日、病院に行くって言ってたよ。足を治してもらえたらいいな」と言っていたのを聞いた。
 これ以上悪くならないように定期的に診てもらっているのか、それとも少しでもよくなる可能性を信じて治療を続けているのか。どんな事情があるかは知らない。けれど、すがり付くようにして僕に腕を伸ばしていた様子を思い出すと、不安だったのだろうという気がして、胸が痛んだ。



「……家に来るのは、もう、やめてください。お願いします」

 病院に行ったということについて気になってはいたけれど、それには触れないまま、帰りがけのエリアスに思いきってそう伝えた。このままだと、エリアスの家族に期待をさせてしまうだけだとわかっていたからだ。

「じゃあ、次は職場で会うか」
「そんな……、どうして? 珍しいとは言っても、ハーヴェルマン家が本気を出せば人魚の末裔くらいいくらでも見つかるでしょう? 僕じゃなくたって……」

 言いながらなぜか涙が出そうになる。なぜだろう。数年ぶりに再会して以来、最後に話した時に、エリアスから言われた「迷惑」「顔も見たくない」という言葉が、あの頃の何倍も僕を傷つける。

「手を尽くしたが、どこにも私の求める条件を満たす者はいなかった。どこにも」

 違う。本当にエリアスに必要なのは、エリアス自身が心から愛している人を選んで生きていくことだ。なぜそれがわからないのだろう。歯痒い気持ちでいる僕をエリアスは真っ直ぐ見つめている。
 他の家族に聞こえないようにしているのか、エリアスは声の大きさをぐっと落としてから僕に囁いた。

「ノエル。私はべつに自分の要求だけを押し通そうなんて思っていない」
「……どういう意味ですか?」
「君と、君の家族のことも含めて話がしたい。そういうことを私は言っているんだ」

 ぐ、と歯を食い縛って耐える。ここ数日、今まであまり考えないようにしていたお金のことについて、僕は頭を悩ませていたから。

 べつに、このまま両親と僕が今と同じように働いていたとして、みんなで暮らしていけないというわけではない。ただ、エリアスにお金のことを言われて……それで僕は考えてしまった。
 足の悪い祖父や声の出せない祖母にとって、いつか治療や療養が必要になった時には惜しみ無くお金を使いたい。少しでも長生きをして欲しい。
 父と母の作る木製のおもちゃが僕は好きだ。もっとたくさんの人にも同じように感じて欲しいと願っているし、そのために工房を大きく出来ればいい。一生懸命働いて僕達を育ててくれた両親のことを僕は尊敬している。機械を使って簡単に大量生産出来るおもちゃに負けないで欲しい。
 兄弟達には何の不安も感じずに、素晴らしい環境でのびのびと勉強して立派な大人になって欲しい。辛い思いはさせたくない……。

 考えれば考えるほど、お金が必要なのだと感じ、その度に僕の心はぎりぎりと締め付けられていく。いつの間にか自分の心だけに従って、エリアスを拒絶することが出来なくなっていた。

「話していることについて、家族の誰にも聞かれたくないんです。だから、家ではもう……」

 慌てて「職場でも」と付け加えるよりも先に、エリアスが僕を抱き寄せて耳の側へ顔を近づけてきた。

「心配いらない。君の家族を悲しませるようなことを私はしない」

 来週の同じ曜日に、家へ迎えに行く。その時は外で会う。
 エリアスの言うことに僕は頷いた。エリアスが満足そうに微笑んでいる。まだ、全部を完全に受け入れると決めたわけじゃない。

「もし、人魚の祝福で、それでお仕事が上手く行ったら、僕のことを手放してくれますか? もう大丈夫だって、思える日が来たら、僕を手放すと約束してくれるのなら、僕は……あなたの言うとおりにしようと思います」

 僕からの質問にエリアスが眉を潜める。もうあまり時間がない。壁一枚を挟んだだけの場所には僕の兄弟達がいる。もうすぐ「ねえ、二人だけで何をしてるの-?」と呼びに来るかコッソリ覗こうとしてくるだろう。
 早く。すがるような僕の目付きに気がついたのかエリアスが口を開いた。

「……そうして欲しいと君が望むのなら。その代わり、別れの時が来るまで、君は私のものだ」

 エリアスの手のひらが僕に触れる。心から愛し合っているわけじゃない関係で、どれだけ僕がエリアスを守れるかはわからないけれど。少なくとも、海の声を伝え続けていれば役に立つことは出来るし、エリアスだって海を恐れなくなる。それにあと数年もすれば聴音器に代わるような機械が発明されて、人魚の力を借りなくても人間は自由に安全に海を旅するようになるだろう。

「わかりました。それで構いません。えっと、エリアスは人魚の末裔の力についてどのくらい知っていますか? 僕は……」
「しっ。……細かいことについては来週話す」

 エリアスが僕から身体を離した途端、クスクスと笑い声が聞こえ、ドアがゆっくりと少しだけ開いた。妹達が覗きに来たのだとわかって、僕はため息をついた。

「こそこそ部屋を覗くのはやめなさい」
「だって、お兄ちゃんもエリアスお兄ちゃんもいないからつまらなくて」
「まったく……。ほら、エリアスはもう帰るから。ちゃんとお見送りをしなさい」

 何をしてたの-? とまとわりついてくる妹達にエリアスは優しく微笑みかける。僕はその光景をなるべく見ないようにしていた。けれど、「来週、ノエルお兄さんを少し借りてもいいかな?」「えー! ノエルお兄ちゃんだけお出掛け? ずるーい!」「じゃあ、今度はみんなで出掛けよう」というやり取りはずっと聞こえていた。

「ノエルお兄ちゃんのことが好きなの?」
「……ああ、好きだよ。世界中の誰よりも」

 エリアスの答えに妹達はきゃっきゃとはしゃいでいる。最近はずいぶんませてきて、子供向けの恋愛小説なんかを読んでいるくらいだから、きっと僕に向けられるエリアスからの表面上の愛が面白くて仕方がないのだろう。
 たとえ、妹達を喜ばせるためだったとしても。未だに朝と夕方にエリアスの幸福と安全を祈っている僕にとって、世界中で一番最低な嘘だと思った。


 エリアスとは次の週に二人で会って、結婚することを正式に約束した。結婚と引き換えに僕が一生かかっても稼げないような金額の支払いをエリアスから伝えられて、その時に動揺したせいで、他のことについては何を話していたかはほとんど覚えていない。話の終わりに「サインを」と追い立てられるようにたくさんの書類を渡されたから、ほとんど目を通さずに名前を書いた。

「……本当に、いつか海を平気だと思える時が来たら、この関係を解消してくれますか?」

 何度も同じことを確認されてよっぽど腹が立ったのか、エリアスは舌打ちしてから「そっちこそ、今日交わした約束については守ってもらわないと困る」と言い返してきた。

「結婚している間はちゃんと言うことを聞きます。だから……」
「ああ、わかってる。今後船を買って貿易や支援活動の拡大を進めていくとしても、全て私の弟の名義にするつもりだから問題ない。それが軌道に乗れば君は自由だ」

 それなら大丈夫だって、僕は自分を納得させた。足を治してあげることは出来ないけれど、海の声を伝えることは出来る。一番苦しい時に何もしてあげられなかったことと、あの時に「お願いだから船には乗らないで」と言えなかったこと。そのことについて後悔しない日はなかった。
 だから、愛されなくていい。道具としてエリアスの役に立てればそれでいい。

「……泣いているのか」
「いいえ」

 顔を見られないように、さっき受け取ったばかりの書類に目を通しているふりをした。涙でぼやけて何が書かれているかはさっぱりわからない。なんだってよかった。僕はエリアスの言うことを聞いていればそれでいいのだから。


 ハーヴェルマン家の人間の婚約ということもあり、そのことを発表するパーティーがそれはそれは盛大に開かれた。僕はエリアスの側にただくっついて、次から次へとやって来る人々に挨拶をした。たくさんの人から「おめでとうございます」「なんてお似合いのお二人でしょう」と言われたけれど、その言葉に対して自分が上手く笑えているのかどうかが心配だった。

 少しだけ外の空気を吸おうとパーティー会場をこっそりと抜け出した時にエリアスとそのお兄様が立ち話をしているのを聞いてしまった。エリアスよりもずっと大きな声でお兄様が「あんな綺麗な子を見つけたなんて、本当によかったなあ!」と言っているのが聞こえた。

「寄宿学校の時から知ってるなんて……どうせずっと好きだったんだろ? いいよなあ、そんな相手と結ばれるなんて」
「……お互い家のために、形式上結婚するだけです。計画が軌道に乗って人魚の祝福が必要なくなれば、私は彼をすぐに解放するつもりですから」
「はあ? もったいない……べつに、お互い別の相手とも結婚するなりして、もっと気楽に暮らせばいいだろ。あんな綺麗な子を手放すなんてよっぽどの馬鹿がやることだ」

 エリアスが何を答えるのか。聞きたくなくて僕はその場からそっと離れた。嘘だとわかっていても、「好きだよ。世界中の誰よりも」というエリアスの言葉を忘れられない僕に。エリアスが他の誰かを愛するのを気にせずその側で生きていくなんて、出来るはずがなかった。そんな日が来たら、それこそ、泡になって消えてしまいたいと本気で願うだろう。



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