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11.初夜(1)
しおりを挟む結婚式を終え、祖母を家まで送った後は二人で暮らす家へ戻った。
「朝からずっと慌ただしくしていて疲れただろう」
「いいえ。何もかもあっという間で夢を見ていたようです」
エリアスと僕が結ばれて結婚したという実感が湧かず、未だに信じられないでいるけれど。結婚したからといって、僕もエリアスも急にお喋りになるわけではないし、まだお互いどう振る舞うのが自然なのかもわからないでいる。それでも、あの時僕達が愛を誓いあったのは本当だ。僕の祖母が見届けてくれたのだから。
疲れていたのか馬車に乗っている間、エリアスは目を閉じてじっと座っていた。負担が大きかったのかもしれない、と僕は革で出来た黒い靴を履いたエリアスの足を見つめていた。まだ僕は靴を脱いだ状態の、エリアスの右足を見たことがない。この目で見て、触れてみたい。そうするべきだと感じている。
家に着いた僕とエリアスのことを、じいやや他のお手伝いの方たちもみんなで出迎えてくれた。「エリアス様、万歳!」と興奮して叫ぶじいやに「やめないか、じいや!」とエリアスが顔を赤くして怒り、僕も他の人達も思わず笑顔になった。
「さあさあ! もう準備は完璧に整っているのですよ。あとはノエル様の荷物を運んでしまえばおしまいです」
「ありがとうございます。……あの、中に入っているものを見られるのは恥ずかしいので、鞄は開けずにそのままにしていてもらえませんか?」
「もちろんですとも」
持ってきた荷物をじいやは僕のための書斎へ運んでくれると言う。その後はすぐに食事。なんだか、ポツンと突っ立っている自分の周囲の光景がぐるぐると目まぐるしく変わっているような、そんな気持ちになる。
「疲れているなら、じいやに言って休憩をしてから食事にしなさい」
「ま、待って……!」
僕を置いてどこかへ行こうとするエリアスの腕を慌てて掴む。まだ僕はこの広い家の中がどうなっているのかも知らない。たぶん、エリアスは自分の家と同じように過ごせばいいと思っているのだろうけど。
「あ……、ごめんなさい……」
一人になるのが心細くてエリアスを引き留めてしまった。結婚したからといって、家にいる間は始終一緒にいてもらって面倒を見てもらう、というわけにはいかないのに。
エリアスは不思議そうにしながら、まじまじと僕のことを見ていた。やがて、ふっと表情が和らいで「一緒に来たらいい」と僕の手を握ってくれた。
「父に、無事に式を終えたことを知らせる手紙を書こうと思っていた。すぐにすませるから退屈じゃなければ、側で待っていたらいい」
子供のように一人になるのを嫌がっていることを知られたのは恥ずかしかったけど、せっかくいいと言ってくれたのだからエリアスに付いていくことにした。書斎へ向かうまでの間に、客間が三つあることやトイレとお風呂の場所、家の裏口といった場所をエリアスが僕に教えてくれる。
エリアスの書斎は大きな本棚がびっしりと本で埋まっていて、壁には大きな地図。机の上に置いてあるストームグラスをエリアスは毎日覗いているのだろう。長椅子に座ってエリアスが手紙を書き終えるのを待ちながら、明日から海の声を聞いてエリアスに伝えることも僕の大事な仕事なのだと考えていた。
お手伝いの女性の作ってくれたおいしい食事を頂いた後は、僕の書斎の鍵を受け取ったり、お風呂に入ったりして過ごした。足りないものがあれば揃えるから、すぐに言いなさいとエリアスからは言われている。今のところ、何不自由なく生活していけるとしか思わない。足りないものなんて……そういえば僕の寝室は?
「あの、僕、そろそろ寝室の方へ……」
誰に聞けばいいのかもわからず、じいやにこっそりと尋ねると「ああ」とエリアスの元へ連れていかれてしまった。まずはエリアスにおやすみなさいの挨拶をしなさいということだろうか。自分の家から持ってきた寝間着がこの家にはやっぱり不釣り合いだったと感じているせいか、居心地が悪い。
「ノエル様はそろそろお休みに」
「……わかった。あとは二人で過ごす。今日はもういい」
かしこまりました、とお辞儀をしてじいやはいなくなってしまう。エリアスの家には住み込みでずっと働く人はいない。じいやはずっと前からハーヴェルマン家に与えられた家で暮らしていると言うし、他のお手伝いさん達もそれぞれが暮らす家へ帰っていくのだと聞いている。残ってくれるのは門番として朝と夕方に交代で雇われている男性だけだ。
「来なさい」
エリアスの案内で僕は寝室へと向かった。僕のために用意された書斎の家具はどれも高級なものばかりだった。寝室もそうだったらどうしよう。緊張して上手く眠れないかもしれないな……そんなことを考えていた僕は、ドアの向こうの光景を目にした瞬間、驚きで言葉を失ってしまった。
ふかふかの絨毯に、壁に飾られた絵。それに一台しかない大きなベッド。ここは僕専用の部屋じゃないのだとすぐにわかった。
「寝室は……」
それだけ言ってからすぐに、しまった、と僕は自分の失言に気がついた。エリアスの表情が若干曇ったのと、ベッドの側に飾られた花や明かりを灯す前のキャンドルランプの存在に、一つしかない寝室へ連れてこられた意味がわかったからだった。
「……今日はもう休みなさい。私は書斎で仕事をしてから客間の方で休む」
「えっ……」
心配なら鍵をかけたらいい。そう言ってエリアスが僕に背を向ける。
「待って……! ちが、違うんです……、こんなに豪華な部屋だと思わなかったからビックリしただけで、ひ、一人で眠るなんて……」
「……いい。バカみたいだ、私が」
「あの、僕、初めてなんです、こういうの、全然、知らなくて……。嫌な思いをさせてしまいました、ごめんなさい……」
部屋から出ていこうとしていたエリアスがようやく足を止めた。花やキャンドルはエリアスが準備してくれたのだろうか。それとも偉い人は初夜の準備もお手伝いの人に任せるのかな。花は黄色がいいとか青がいいとか、キャンドルは匂いつきでとか、そういう指示を出して。……そんなことを考えていないと動揺して、このままどうにかなってしまいそうだった。
「違う。私が先走りすぎた。……まだ言葉に心が付いていっていないだろう。今日までの間に私は何度も君を傷つけた」
「……いえ、僕は平気です」
「ひどいことを言った。学生時代、私を気遣ってくれた君に。それを謝罪して愛していると本心を伝たところで、拒絶されてしまったらと思うと怖くて。……自分の持っているものに頼って力で君を手に入れようとした。六年という空白に、私は君からだけでなく自分の本心からも逃げてしまった」
申し訳なかった、どうか許して欲しい。
謝罪の言葉を口にするエリアスの目は何かに怯えているようで、そこにはいつもの威厳は存在しなかった。こんな顔をさせたいんじゃない。傷つけられたことも、本当に僕はもう平気だ。エリアスの気持ちも少しずつわかってきたから。
ずっと、もう愛されていないと思っていた。僕はただ道具として必要とされていて、用がなくなれば捨てられるのだとばかり思っていた。
「まだ結婚したばかりで、僕にはエリアスについてわからないことがいっぱいあります。だから、どうかゆっくり……」
勇気を出して自分からエリアスに抱きつく。いいのか、と呟くエリアスの声が掠れていた。それに僕は頷いて、エリアスの肩に顔を埋めた。
まだ僕の脚は痛くない。始まったばかりの愛を、僕の心はどこか不安に感じているのだろうか。やっぱり順番が違うのかもしれないけれど。祖母の言葉を思い出す。「直にあなたの脚が痛む日が必ず来る。順番なんていいの」……これから少しずつエリアスと心を通わせて愛を深めていけたら、いつかその気持ちが試される日がやって来るんだろうか。だったら、その時までにいろいろな方法で愛を伝えてみようと思う。
ベッドへ移動してからも、エリアスは僕を気遣い、すぐに事を進めようとはしなかった。ただ並んで腰掛けて、それから手を握ったり僕の髪を撫でたり。寄宿学校にいた時もそうだった。僕が上級生からされたことを知っていたからなのか、エリアスは「今はここまで」と口づけまでしかしようとしなかった。
だから、僕は言えた。恥ずかしいから明かりはキャンドルランプ一つ分だけにして欲しいと。エリアスが人魚の末裔の身体についてどれだけ知っているのかはわからないけれど、いきなり全部を見られるのは恥ずかしくて。
「他には?」
「他に……」
何もないです、もう何も望むものは。そう言おうと思った。けれど、『言葉を交わすことを怖がらないで』という祖母の言葉があったから。
「離れてからずっと寂しい思いをしていました。……エリアスもそうだった? もしそうなら、僕のことをたくさん愛して欲しいです、僕も今夜あなたを精一杯愛するから」
寝間着の裾から伸びた僕の脚はまだ痛む様子はない。今夜が終わればその日は近づくのだろうか。初めての夜に胸を震わせながら、僕はエリアスに身体を包まれていた。
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