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14.悩みごと
しおりを挟む「どうしたんだ、ぼんやりして」
エリアスからそう声をかけられて、まさか正直に「どうしてエリアスはきっちりと五日に一回僕を抱くのだろう? おやすみなさいの口づけだけで足りない日があるのは僕だけなのかな?」と考えていたとは言えず、なんでもありませんと僕は首を横に振った。幸い、出掛けた帰りだったからなのか「疲れたんだろう。今日は早く休みなさい」と言われるだけで、怪しまれずにすんだ。
「君の兄弟達の服を選ぶのに時間がかかって、肝心の君の服を買う時間がなくなってしまった」
「いえ! 僕は今持っているもので十分です。それよりも、あんなにたくさん僕の兄弟達へありがとうございました……」
本格的な寒さがやってくる前に僕の兄弟達へコートを買ってやりたいと、エリアスは僕達を買い物へ連れていってくれた。上は15歳から下は8歳の子供向けの服、とは言っても、今までの人生では入ったことのないような高級店に、僕はどの服の値段を見ても悲鳴をあげそうになった。
確かにエリアスの言う通りだった。「ダメ! 勝手に触っちゃダメだってば!」とヤンチャでイタズラ好きの末の弟を叱り、似たような服を手に取り延々と悩み続ける一番上の妹にどっちでもいいから早くしてくれと思いながら、「素敵だよ」と百回は言わされて、店を出る頃には僕はクタクタになってしまっていたからだ。
だけど、服を選んでいる最中に聞こえた、妹達からの「ねえねえ、ノエルお兄ちゃんのどこが好き?」という質問にエリアスが……。「全部が好きだよ。それはずっと前から変わらない」とさらっと答えているのを耳にして、それだけで僕は、もう何もいらないと思ってしまうほど嬉しかった。ひゃあ-、という妹達のはしゃぐ声にエリアスは少しだけ笑っていた。その時僕は、僕の好きな笑顔だ、と感じていた。寄宿学校にいた頃から、エリアスはとびきり嬉しいことがあったりすると、自分の中に喜びを隠すようにして、上品に静かに笑っていた。
「エリアスは? ずーっと妹や弟に囲まれていて、僕よりも疲れたでしょう?」
「いや、そんなことはない」
とは言っても、構って構ってという子供達の相手をすることで疲れていたのか、やがてエリアスは静かに目を閉じた。考え事がある、と言っていたけれどほんの少し俯いたエリアスの頭が馬車の揺れにあわせて微かに揺れている。
騒がしかった僕の兄弟達を送った後の馬車は、エリアスが眠ってしまったことでいっそう静かに感じられた。僕は寝ているエリアスの顔をこっそりと盗み見る。起きている時のエリアスは忙しそうにしていることが多いのと、僕が恥ずかしいのとで、なかなかじっと見つめることが出来ない。
だから、こういう機会に僕はエリアスの作り物のように整った顔を思う存分見つめる。やっぱり疲れているんだろう。いつも、会社で働く人達一人一人について考えたり、どうやってお金を稼ぐか、増やしたお金をどうするか……そういった難しいことについて、エリアスはいつも書斎に籠って考えている。
僕に出来るのはエリアスの船の予定に合わせて、海の声を伝えるだけ。本当に時々、言葉では上手く表現出来ないような「なんだか海の様子がおかしい」と感じる時がある。とにかく船を出さないで欲しい、と必死で訴えるしかない僕の話にもエリアスはじっと耳を傾けてから、わかったと船に関わる予定は全て考え直してくれる。ただでさえ人魚の末裔というだけで、珍しがられるか、「今時人魚なんて」と冷ややかな反応をされることも多いから、言っていることをエリアスに信じてもらえるのは僕にとってすごく安心出来ることだった。
僕がもっと役に立てればいいのになと思う。今のところ僕に出来るのは海の様子を伝えることだけ。耳を澄ませば海からの声が聞こえるように、じっと側にいればエリアスの気持ちがわかるようになればいい。
未だに僕は、細くて急な階段や滑りやすい道で、何をどうすることがエリアスにとって一番いいのかがわからずにただオロオロしている。むしろ、エリアスの方から「自分の後から下りてきて欲しい」「ゆっくり歩きたい」ということを教えてもらってばかりだ。
だから、僕の脚が痛くならないのかもしれない。エリアスに寄り添おうという気持ちが足りないから。祖母から言われた『自信がないのね。自分がハーヴェルマンさんからの愛に値する人間なのかどうか』という言葉を思い出す。不思議なことに、結婚して結ばれてからも、自分がエリアスへ同じくらい愛情を返せているのかどうかで悩んでいる。道具として必要とされているんじゃない、ちゃんとエリアスは僕を愛してくれていると理解しているのに、モヤモヤと考えてばかりいるなんて。
ガタンと馬車が揺れてエリアスの身体が僕の方へ傾いてくる。どこかに頭や腕をぶつけないように、懸命にエリアスの身体を支えていると、寝惚けているのか時々エリアスの唇が僕の首筋に当たる。ふ、と息がかかる度に感じるくすぐったさになるべく反応しないよう僕は声を殺して耐えないといけなかった。馬車が揺れる度に、エリアスが目を覚ましたんじゃないかと様子を窺い、必死で身体を支えた。
「ん……」
僕の首筋でエリアスの唇がむぐむぐと動いたことで思わず声を漏らしてしまった。ハッとした後で、息を殺して気配を消そうとしていると、やがて、エリアスがくくっと笑った。
「起きてる……?」
「……いいや、起きていない」
「え……? 寝たふりだったの!?」
起こしちゃダメだってずっと気をつけていたのに! と僕が抗議をしても目を閉じたままエリアスはくすくす笑っていた。からかわれているんだろうけれど、僕は怒っているフリをしながら心のどこかでは喜んでいた。
今よりもずっと身長差があった頃、僕のかぶっていた帽子をエリアスがパッと取ってしまったことがあった。返して、と背伸びして手を伸ばす僕のことをエリアスが捕まえて。意地悪しないで、と僕は顔を赤くしていた。そのまま思いきり抱き締められた後「可愛いな、君は」とエリアスは嬉しそうに笑っていた。それと似たような雰囲気を感じていたからだ。
二人で暮らす家に着くまでの間、寝たふりを続けながら僕に抱きつき口づけをするエリアスと、幸福な時間を過ごした。脚の痛みがやって来ないことは少しの間忘れて、始まったばかりのエリアスとの生活を大切にしよう、離れていた分の時間をエリアスと少しずつ埋めていきたいから……そう思うと、怒っている顔はたちまち維持出来なくなってしまった。もう、とそっぽを向いていても、きっと幸せを感じている時の顔をしていたと思う。
◇◆◇
その日の夜は「疲れているだろうから、海の様子についての報告は必要ない」とエリアスからは言われた。出港届を受理してもらうのに時間がかかってしまい、どうも向こう一週間は船が出せそうにないらしい。少し前に「集中しすぎて、耳鳴りがする。ちょっとだけ休みます」と僕が言ったことも関係しているのかもしれない。
少しだけ仕事を片付けてから寝るというエリアスのことを僕は寝室で待っている。先に休んでいるように言われたけれど、おやすみの挨拶の後にエリアスの側で眠りにつきたかった。
部屋の大きな窓に近づいて、空に浮かんでいる月を眺める。雲一つない星空は風もなく、静かな夜だった。普段だったら、明日もきっといい天気になるだろうと安心して、そのままベッドに入って眠ってしまっていたと思う。
だけど、今夜はなんとなく海の様子が気になった。冬の海は季節風の影響を受けて荒れることが多いからかもしれない。エリアスからは必要ないと言われていたけれど、僕は海の様子にそっと意識を集中させた。
少しずつ真冬の寒さへ向かっていく日々の中で、明日から数日は風が弱く穏やかな天気が続く。魚達が気持ちよさそうに泳いでいる様子が見えて、エリアスの船が出せたらよかったのに、と僕は残念に思っていた。けれど、突然風の向きや早さが変わり、小さな船なら簡単に飲み込んでしまうであろう高い波が見えた。いつ? と驚く僕に、三日後強い北風が吹き、海が荒れた後、厳しい寒さがやってくるのだと海から答えが返ってきた。耳の奥で、ごうごうと低い唸りが聞こえる。エリアスを止めないと。
「エリアス!」
気がついたら、僕は書斎のドアを何度も叩きながらエリアスの名前を叫んでいた。仕事を邪魔してはいけないと頭で考えるよりも先に身体が勝手に動いていた。
仮にエリアスの船が今週どこかへ出発するとしても、エリアス自身は船に乗らないのだから、僕の反応は大袈裟すぎるかもしれない。それでも、あの時の後悔がそうさせるのか、止めないとエリアスがいなくなってしまう、という不安で僕の胸は押し潰されそうで。
「ノエル? 何があった? そんなに慌てて」
驚いた様子でドアを開けたエリアスに僕は思いきり抱きついていた。
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