人魚の祈りが届くまで

サトー

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15.共同名義

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◇◆◇

「……それでそんなに慌ててやってきたというわけか」

 取り乱して突然書斎を訪れた僕をエリアスは怒らずに温かく受け入れてくれた。
 いきなり僕が書斎に押し掛けてくることなんて初めてのことだから、多少は戸惑っているようだったものの、エリアスは冷静だった。感覚のままに「三日後に強い風が吹き、波が急激に高くなる。とにかく危ないんだ」と訴える僕の話を黙って聞いている間、仕事の手を止め、とにかく一度落ち着きなさいと長椅子に腰掛けた僕の背中を撫でる。

 話しているうちに少しずつ興奮も冷めてきた僕は、エリアスは船には乗らないし、そもそもエリアスの船は来週まで出港しないと聞いていたのに、あれほど慌ててしまうなんて……と恥ずかしくなった。

「ごめんなさい。海の様子を調べていたらどうしても嫌な感じがして、エリアスに言わないといけないってことだけで頭がいっぱいになってしまって……」
「いいんだ。最初は強盗が入ったんじゃないかと思って焦ったが、ノエルがなんともなくてよかった」

 エリアスがしっかりと僕を抱き締めてくれる。こうしていると、自分の気持ちが少しずつ整理されていくのがわかった。エリアスが海を恐れていたのと同じように、僕も、エリアスをが危険な目に遭うことや、二度と会えなくなるということを想像するだけでとても怖い。

「あの事故は、君にも怖い思いをさせてしまった」

 ポツリと呟かれた言葉に、僕はどう返事をするべきか迷っていた。一番怖い思いをしたのはエリアスだ。僕はそれを止められなかった。いくら後悔をしたって足りないくらいだ。おずおずと顔を上げる僕に、エリアスは「私はいなくならない。大丈夫。君が側にいるから」と言い聞かせた。

「僕、あの時、エリアスを止められなかったことをずっと後悔していた。今さらこんなことを言われてもエリアスを困らせてしまうのに、ごめんなさい」
「それで焦ってしまっていたんだろう。君は優しいから」

 ゆっくりと語りかけるエリアスの声が心地いい。エリアスの腕の中にいると、さっきまで強く鳴っていた鼓動が少しずつ落ち着いていく。

「事故に遭ったことで失ったものも多くあったが……、私はあのまま成長していたら、自分や自分以外の人々について立ち止まって振り返る機会を逃し、傲慢な人間になっていたと思う。他の誰かの怪我や事故についてはそう思わないが、私にとっては必要なことだったのかもしれない」

 きっと、こうして考えられるようになるまで、何度も涙を流してきたのだろう。

「エリアス……。僕を探してくれてありがとう。あの時エリアスが見つけてくれなかったら、僕はずっと自分を責めていたと思う。僕も悲しんでばかりいないで自分からエリアスに会いに行けばよかった」
「……もう、離れない。約束する」

 あの頃よりも低くなったエリアスの声に僕は頷いた。エリアスに抱き寄せられていると身体がちいさくなったわけでもないのに、まるで幼い子供に還ったような気持ちになる。きっと髪を撫でる手や大丈夫だと言い聞かせる声が優しいからだろう。


「……それで、こうして部屋にやって来たということは、私のことだけじゃなくて、他の船乗り達のことも君は気がかりなんじゃないのか?」
「うん。あの、到底無理なことかもしれないけれど……」

 本当に言ってもいいのか少しだけ迷う。けれどエリアスが「君の勇気が誰かを救うことになる」と言ってくれたから。

「三日後、急に波が高くなることがある。エリアスの持っているような大きな船は耐えられても、中型船や小型船は危険です。海が荒れ始めたら戻ってくればいいと考えるのではなく、出来ればこの日は誰にも船を出さないで欲しい……」

 僕が見たのは、それはそれは恐ろしい光景だった。誰もが「今日は船を出しても大丈夫だろう」と感じるような温かい太陽の光と静かな波。その後、小さな船なら簡単に飲み込んでしまうであろう高い波がやって来るなんて……。港の近くには、小さな漁船で魚を獲って生活している人も大勢いる。

「わかった。港の管理を任されている会社へ手紙を書こう」
「手紙?」
「港を管理している人間や船を持つ者達の中にも、たぶん、君と同じ力を持つ誰かからそういった情報をすでに得ていると思うが……。危険を知らせる声は一つでも多い方がいい。そうすれば、港の管理者も出港を禁止する赤い旗を掲げることを考えるだろう」

 エリアスは僕を自分の机へ連れていって、港の管理者へ宛てた手紙を書くよう指示した。

「僕が?」
「そう。もちろん、ただそう感じたからとか、なんとなく嫌な予感がしたからとか、そういった理由ではダメだ。雲や波の様子といった、少しでも危険だと説明出来る材料がないと」

 エリアスは言う。僕やエリアスは危険だと感じているから船を出さないことが正しいと思っていても、そうじゃない人もいるのだと。

「商売や生活がかかっていると、船を出すことが正しいと考える者もいる。べつにそれは間違いじゃない。ただ、お互い自分の主張を押し通そうと攻撃的にぶつかり合うのは間違っている。……双方が正しいと思っていることを繋げるために、相手を説得出来る文章を考えないといけない」

 エリアスの言うことは最もだった。命を落とすくらいなら、たった一日休むくらいなんだと言うのだろう? と僕は思うけれど、毎日漁に出て必死で家族を養う人だっている。そんな人に「とにかく危ないからダメ! 船に乗らないでください!」と言ったところで反感を買うだろうし、もし何も起こらなければ、損をさせてしまったことについて僕やエリアスは責められるだろう。

 エリアスの机に向かい、ペンを握る手が少し震えた。これまで僕は、海の声をエリアスだけに伝えてきた。どれだけ抽象的で感情のままに話したとしてもエリアスは僕の言うことを信じてくれる。
 でも、今回は違う。僕の言うことが信じてもらえなければ、他の誰かの命を左右するかもしれない。間違えることはないと思うけれど、海の声を正確に聞き取れなければエリアスやハーヴェルマン家に迷惑がかかる。

 エリアスは僕の隣に立ち、静かに言った。

「……正直に書けばいい。君が感じたことを、そのまま」

 僕は深呼吸をしてから、ゆっくりと書き始めた。

『拝啓
突然のお手紙、失礼いたします。
私は人魚の末裔、ノエル・ネレイドと申します。現在、ハーヴェルマン家のエリアス・ハーヴェルマンと結婚しております。
 三日後の海の様子について、どうしてもお伝えしたく筆を執りました。明後日は穏やかな天気に見えますが、午後遅くから急激に北風が強まり、波高が四メートルを超える可能性があります。特に中型以下の漁船や小型船は、港近くでも危険な状況に巻き込まれる恐れがあります。
 私は、波の音や潮の匂い、魚達の動きから、海の変化を事前に感じ取ることができます。今朝から魚達の様子には落ち着きがなく、普段は浅瀬にいるヒラメやキスの姿はほとんど見えません。嵐を予感して深い場所へ隠れていると思われます。
 どうか、出港を控えていただくか、早めの帰港をお願いできませんでしょうか。……』

 書き間違えてしまったり、書いた後に「あっ、書かないといけないことを書き忘れた……」と気がついたり。何枚か便箋を無駄にしながら手紙を書く僕の側で、エリアスは地図とたくさんの資料を広げている。この辺りの海で一段と寒さが厳しくなる時期に、過去に似たような嵐や気候の変化がなかったかを調べてくれているようだった。その姿に、一人ではないのだと勇気づけられて、僕はなんとか自分の思いを文章にすることが出来た。

 僕が書き上げた手紙に目を通したエリアスは、これでいいと、すぐには首を縦に振らなかった。ここの言葉の遣い方を直しなさいとか、この文章がわかりにくいとか、そういったことを指摘して何度でも僕に訂正させた。

「君の名前で書く手紙だ」と言うエリアスの優しさがわかっていたから、僕はガッカリしたり腹を立てたりなんかしなかった。書き直す度に初めから終わりまできちんと目を通して、僕とエリアスが納得いくまで丁寧に文章を書き続ける。
 何度かそれを繰り返し、とうとうエリアスは無言で頷いてくれた。そして、僕の名前の下には「エリアス・ハーヴェルマン」とエリアスのサインが書き足された。

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