15 / 25
15.共同名義
しおりを挟む◇◆◇
「……それでそんなに慌ててやってきたというわけか」
取り乱して突然書斎を訪れた僕をエリアスは怒らずに温かく受け入れてくれた。
いきなり僕が書斎に押し掛けてくることなんて初めてのことだから、多少は戸惑っているようだったものの、エリアスは冷静だった。感覚のままに「三日後に強い風が吹き、波が急激に高くなる。とにかく危ないんだ」と訴える僕の話を黙って聞いている間、仕事の手を止め、とにかく一度落ち着きなさいと長椅子に腰掛けた僕の背中を撫でる。
話しているうちに少しずつ興奮も冷めてきた僕は、エリアスは船には乗らないし、そもそもエリアスの船は来週まで出港しないと聞いていたのに、あれほど慌ててしまうなんて……と恥ずかしくなった。
「ごめんなさい。海の様子を調べていたらどうしても嫌な感じがして、エリアスに言わないといけないってことだけで頭がいっぱいになってしまって……」
「いいんだ。最初は強盗が入ったんじゃないかと思って焦ったが、ノエルがなんともなくてよかった」
エリアスがしっかりと僕を抱き締めてくれる。こうしていると、自分の気持ちが少しずつ整理されていくのがわかった。エリアスが海を恐れていたのと同じように、僕も、エリアスをが危険な目に遭うことや、二度と会えなくなるということを想像するだけでとても怖い。
「あの事故は、君にも怖い思いをさせてしまった」
ポツリと呟かれた言葉に、僕はどう返事をするべきか迷っていた。一番怖い思いをしたのはエリアスだ。僕はそれを止められなかった。いくら後悔をしたって足りないくらいだ。おずおずと顔を上げる僕に、エリアスは「私はいなくならない。大丈夫。君が側にいるから」と言い聞かせた。
「僕、あの時、エリアスを止められなかったことをずっと後悔していた。今さらこんなことを言われてもエリアスを困らせてしまうのに、ごめんなさい」
「それで焦ってしまっていたんだろう。君は優しいから」
ゆっくりと語りかけるエリアスの声が心地いい。エリアスの腕の中にいると、さっきまで強く鳴っていた鼓動が少しずつ落ち着いていく。
「事故に遭ったことで失ったものも多くあったが……、私はあのまま成長していたら、自分や自分以外の人々について立ち止まって振り返る機会を逃し、傲慢な人間になっていたと思う。他の誰かの怪我や事故についてはそう思わないが、私にとっては必要なことだったのかもしれない」
きっと、こうして考えられるようになるまで、何度も涙を流してきたのだろう。
「エリアス……。僕を探してくれてありがとう。あの時エリアスが見つけてくれなかったら、僕はずっと自分を責めていたと思う。僕も悲しんでばかりいないで自分からエリアスに会いに行けばよかった」
「……もう、離れない。約束する」
あの頃よりも低くなったエリアスの声に僕は頷いた。エリアスに抱き寄せられていると身体がちいさくなったわけでもないのに、まるで幼い子供に還ったような気持ちになる。きっと髪を撫でる手や大丈夫だと言い聞かせる声が優しいからだろう。
「……それで、こうして部屋にやって来たということは、私のことだけじゃなくて、他の船乗り達のことも君は気がかりなんじゃないのか?」
「うん。あの、到底無理なことかもしれないけれど……」
本当に言ってもいいのか少しだけ迷う。けれどエリアスが「君の勇気が誰かを救うことになる」と言ってくれたから。
「三日後、急に波が高くなることがある。エリアスの持っているような大きな船は耐えられても、中型船や小型船は危険です。海が荒れ始めたら戻ってくればいいと考えるのではなく、出来ればこの日は誰にも船を出さないで欲しい……」
僕が見たのは、それはそれは恐ろしい光景だった。誰もが「今日は船を出しても大丈夫だろう」と感じるような温かい太陽の光と静かな波。その後、小さな船なら簡単に飲み込んでしまうであろう高い波がやって来るなんて……。港の近くには、小さな漁船で魚を獲って生活している人も大勢いる。
「わかった。港の管理を任されている会社へ手紙を書こう」
「手紙?」
「港を管理している人間や船を持つ者達の中にも、たぶん、君と同じ力を持つ誰かからそういった情報をすでに得ていると思うが……。危険を知らせる声は一つでも多い方がいい。そうすれば、港の管理者も出港を禁止する赤い旗を掲げることを考えるだろう」
エリアスは僕を自分の机へ連れていって、港の管理者へ宛てた手紙を書くよう指示した。
「僕が?」
「そう。もちろん、ただそう感じたからとか、なんとなく嫌な予感がしたからとか、そういった理由ではダメだ。雲や波の様子といった、少しでも危険だと説明出来る材料がないと」
エリアスは言う。僕やエリアスは危険だと感じているから船を出さないことが正しいと思っていても、そうじゃない人もいるのだと。
「商売や生活がかかっていると、船を出すことが正しいと考える者もいる。べつにそれは間違いじゃない。ただ、お互い自分の主張を押し通そうと攻撃的にぶつかり合うのは間違っている。……双方が正しいと思っていることを繋げるために、相手を説得出来る文章を考えないといけない」
エリアスの言うことは最もだった。命を落とすくらいなら、たった一日休むくらいなんだと言うのだろう? と僕は思うけれど、毎日漁に出て必死で家族を養う人だっている。そんな人に「とにかく危ないからダメ! 船に乗らないでください!」と言ったところで反感を買うだろうし、もし何も起こらなければ、損をさせてしまったことについて僕やエリアスは責められるだろう。
エリアスの机に向かい、ペンを握る手が少し震えた。これまで僕は、海の声をエリアスだけに伝えてきた。どれだけ抽象的で感情のままに話したとしてもエリアスは僕の言うことを信じてくれる。
でも、今回は違う。僕の言うことが信じてもらえなければ、他の誰かの命を左右するかもしれない。間違えることはないと思うけれど、海の声を正確に聞き取れなければエリアスやハーヴェルマン家に迷惑がかかる。
エリアスは僕の隣に立ち、静かに言った。
「……正直に書けばいい。君が感じたことを、そのまま」
僕は深呼吸をしてから、ゆっくりと書き始めた。
『拝啓
突然のお手紙、失礼いたします。
私は人魚の末裔、ノエル・ネレイドと申します。現在、ハーヴェルマン家のエリアス・ハーヴェルマンと結婚しております。
三日後の海の様子について、どうしてもお伝えしたく筆を執りました。明後日は穏やかな天気に見えますが、午後遅くから急激に北風が強まり、波高が四メートルを超える可能性があります。特に中型以下の漁船や小型船は、港近くでも危険な状況に巻き込まれる恐れがあります。
私は、波の音や潮の匂い、魚達の動きから、海の変化を事前に感じ取ることができます。今朝から魚達の様子には落ち着きがなく、普段は浅瀬にいるヒラメやキスの姿はほとんど見えません。嵐を予感して深い場所へ隠れていると思われます。
どうか、出港を控えていただくか、早めの帰港をお願いできませんでしょうか。……』
書き間違えてしまったり、書いた後に「あっ、書かないといけないことを書き忘れた……」と気がついたり。何枚か便箋を無駄にしながら手紙を書く僕の側で、エリアスは地図とたくさんの資料を広げている。この辺りの海で一段と寒さが厳しくなる時期に、過去に似たような嵐や気候の変化がなかったかを調べてくれているようだった。その姿に、一人ではないのだと勇気づけられて、僕はなんとか自分の思いを文章にすることが出来た。
僕が書き上げた手紙に目を通したエリアスは、これでいいと、すぐには首を縦に振らなかった。ここの言葉の遣い方を直しなさいとか、この文章がわかりにくいとか、そういったことを指摘して何度でも僕に訂正させた。
「君の名前で書く手紙だ」と言うエリアスの優しさがわかっていたから、僕はガッカリしたり腹を立てたりなんかしなかった。書き直す度に初めから終わりまできちんと目を通して、僕とエリアスが納得いくまで丁寧に文章を書き続ける。
何度かそれを繰り返し、とうとうエリアスは無言で頷いてくれた。そして、僕の名前の下には「エリアス・ハーヴェルマン」とエリアスのサインが書き足された。
23
あなたにおすすめの小説
【完結】待って、待って!僕が好きなの貴方です!
N2O
BL
脳筋ゆえ不本意な塩対応を只今猛省中、ユキヒョウの獣人
×
箱入りゆえガードが甘い愛され体質な竜人
愛しい幼馴染が有象無象に狙われて、居ても立っても居られなくなっていく余裕のない攻めの話。
(安心してください、想像通り、期待通りの展開です)
Special thanks
illustration by みとし (X:@ibarakiniarazu)
※独自設定かつ、ふんわり設定です。
※素人作品です。
※保険としてR設定にしていますが、基本健全。ほぼない。
君の恋人
risashy
BL
朝賀千尋(あさか ちひろ)は一番の親友である茅野怜(かやの れい)に片思いをしていた。
伝えるつもりもなかった気持ちを思い余って告げてしまった朝賀。
もう終わりだ、友達でさえいられない、と思っていたのに、茅野は「付き合おう」と答えてくれて——。
不器用な二人がすれ違いながら心を通わせていくお話。
【本編完結】才色兼備の幼馴染♂に振り回されるくらいなら、いっそ赤い糸で縛って欲しい。
ホマレ
BL
才色兼備で『氷の王子』と呼ばれる幼なじみ、藍と俺は気づけばいつも一緒にいた。
その関係が当たり前すぎて、壊れるなんて思ってなかった——藍が「彼女作ってもいい?」なんて言い出すまでは。
胸の奥がざわつき、藍が他の誰かに取られる想像だけで苦しくなる。
それでも「友達」のままでいられるならと思っていたのに、藍の言葉に行動に振り回されていく。
運命の赤い糸が見えていれば、この関係を紐解けるのに。
前世が飼い猫だったので、今世もちゃんと飼って下さい
夜鳥すぱり
BL
黒猫のニャリスは、騎士のラクロア(20)の家の飼い猫。とってもとっても、飼い主のラクロアのことが大好きで、いつも一緒に過ごしていました。ある寒い日、メイドが何か怪しげな液体をラクロアが飲むワインへ入れています。ニャリスは、ラクロアに飲まないように訴えるが……
◆いつもハート、エール、しおりをありがとうございます。冒頭暗いのに耐えて読んでくれてありがとうございました。いつもながら感謝です。
◆お友達の花々緒さんが、表紙絵描いて下さりました。可愛いニャリスと、悩ましげなラクロア様。
◆これもいつか続きを書きたいです、猫の日にちょっとだけ続きを書いたのだけど、また直して投稿します。
刺されて始まる恋もある
神山おが屑
BL
ストーカーに困るイケメン大学生城田雪人に恋人のフリを頼まれた大学生黒川月兎、そんな雪人とデートの振りして食事に行っていたらストーカーに刺されて病院送り罪悪感からか毎日お見舞いに来る雪人、罪悪感からか毎日大学でも心配してくる雪人、罪悪感からかやたら世話をしてくる雪人、まるで本当の恋人のような距離感に戸惑う月兎そんなふたりの刺されて始まる恋の話。
(完結)冷徹アルファを揺さぶるオメガの衝動
相沢蒼依
BL
名門・青陵高校に通う佐伯涼は、誰もが一目置く完璧なアルファ。冷静沈着で成績優秀、規律を重んじる彼は、常に自分を律して生きてきた。だがその裏には厳格な父と家の名に縛られ、感情を抑え込んできた孤独があった。
一方、クラスの問題児と呼ばれる榎本虎太郎は自由奔放で喧嘩っ早く、どこか影を抱えた青年。不良のような外見とは裏腹に、心はまっすぐで仲間思い。彼が強さを求めるのは、かつて“弱さ”ゆえに傷ついた過去がある。
青陵高校1年の秋。冷徹で完璧主義の委員長・佐伯涼(α)は、他校の生徒に絡まれたところを隣のクラスの榎本虎太郎(Ω)に助けられる。だがプライドを傷つけられた佐伯は「余計なことをするな」と突き放し、二人の関係は最悪の出会いから始まった。
《届かぬ調べに、心が響き合い》
https://estar.jp/novels/26414089
https://blove.jp/novel/265056/
https://www.neopage.com/book/32111833029792800
(ネオページが作品の連載がいちばん進んでおります)
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
劣等アルファは最強王子から逃げられない
東
BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。
ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる