16 / 25
16.それしか出来ない
しおりを挟む幸い港を管理しているのはエリアスのお父様の古い知り合いだと言う。それならきっと、目を通してその内容についても検討してもらえるだろう。書き終わった手紙は、エリアスが封蝋でしっかりと封を閉じる。エリアスの慣れた手つきを僕はじっと見守っていた。
「よかった! これでもう大丈夫だ、ありがとうエリアス。ありがとう……」
今にも飛び上がりそうなほど喜ぶ僕を見てエリアスは「まだ手紙を書き終わっただけだ。大丈夫と決まったわけじゃない」と少し戸惑っているようだった。責任ある立場を持っているから何もかもに対して慎重なのかもしれない。エリアスと結婚している僕もそうあるべきなのだろうけど、二人で困難を乗り越えられたように感じられて喜びが隠しきれなかった。
手紙を書き終えてしまうと、僕の文章よりもエリアスの集めた資料の方がよほど説得力があると思えた。でも僕は嬉しかった。何も知らなければ嵐に巻き込まれてしまう人がいたかもしれない。それを防ぐために少しでも前へ進めたことが嬉しかった。それに、「なんだか嫌な感じがする」という僕の抽象的な言い回しがどうすれば多くの人に納得してもらえるのか、少しだけわかったような気がする。
「僕も気候や海のことを勉強したら、もっとエリアスの役に立てる?」
本当は毎日船が出せるような天気が続くのが一番だけど。自然が相手だとそうはいかない。エリアスに手伝ってもらったことの大部分を僕が一人で出来るようになればエリアスの負担も減るのだろうか。
「何もしなくてもいい。と、言いたいところだが」
エリアスはそこで一度、言葉を区切った。何かを考えているのか、それとも言おうとしていることについて躊躇しているのか。勉強したいと言うのは簡単だけど続けることは難しい。たぶん、港やあちこちの会社で海の様子を伝える仕事をしている人魚の末裔達も、必要なことはちゃんと勉強しているのだろう。人の命や利益。責任が発生すると、その分だけ知識が必要になる。
僕がどれだけ本気なのかを推し測っているんだろうか。エリアスは眉間にシワを寄せて何かを考えている。僕は息を潜めて返事を待った。
「少しずつでいいから、ノエル、君に勉強してほしいと思っている。気候、海流、物流、海の生態系、様々なことを。……本当は誰の目にも触れないようにして君を閉じ込めておきたいが……。君の力は私だけのものじゃない。船乗りとその家族を助ける特別な力だ」
「本当?」
「ああ。真剣に手紙を書く様子を見ていてそう感じた。ただし、身体に過度な負担がかかるようならダメだ。私は直ぐに君を海から引き離し、場合によっては今就いている仕事も辞めさせる」
わかりました、と頷く僕を見てエリアスが満足そうに微笑む。今のエリアスとならそれほど難しいことじゃないと思った。今日は疲れているから休みたいと僕はちゃんと言葉にすることが出来るし、それを聞いたエリアスが怒るわけがないとわかっているから。
結婚する前はずっと、エリアスにとって僕はただの道具でしかないと思っていたし、それで構わなかった。でも、今の僕は違う。エリアスと一緒に支えあって生きていきたい。そう願ってもいいのだと思える勇気をエリアスの言葉がくれた。
おいで、とエリアスが僕を呼ぶ。一つの机に向かって隣あって座っているのだから充分近い。これ以上どうすればと狼狽えていると、エリアスからは自分の膝の上に座るよう言われた。
「ここに? 僕が?」
「昔はよくやっていた」
「だって、あの時はまだ子供だったから……!」
寄宿学校にいた頃も。エリアスは自分の部屋で僕のことをよく膝の上に乗せてくれた。可愛いよ、ノエルとエリアスの甘い囁きに僕は頬を熱くして、制服の下で身体は反応していて。あの頃、エリアスが僕に触れるのは、悲しいことがあった時に励ますためやふざけて戯れているといった側面が強くて、僕は自分ばかりがエリアスのことを好きなんだろうかって時々悩んだりしていた。
「それに、今の僕なんかが上に乗ったら……」
それほど大柄なわけじゃない。身長だって今もエリアスの方が高いけれど。あの頃に比べたら僕も背だって伸びているし、体重だって増えている。エリアスの足に負担をかけてしまう気がして、怖い。ほんの一瞬だけエリアスの右足に視線を向けたつもりだった。だけど、それだけでエリアスは僕が何を考えているか察しているようだった。
「……足首から上は正常だ」
悲しんでいるわけでも怒っているわけでもない。ただ、今まで何度も人にそう説明してきたのだろうと感じさせる、静かで硬い声だ。
「あ……」
「それにどんな身体になったとしても、近くで君を感じていたいという気持ちは変わらない」
エリアスは静かに僕の手を引き、自分の膝の上へ導いた。いいのかなと躊躇う気持ちと、少年だった頃の日々を、そしてエリアスを恋しく思う気持ち。僕の反応はエリアスを傷つけてしまったかもしれない。そのことについてエリアスに何を言えばいいのか答えを見つけられないまま、僕は彼の膝に腰を下ろしていた。
重くない? 大丈夫?……そんな言葉を飲み込んで、僕はそっと息を吐いた。エリアスの腕が僕の腰に回り、背中を優しく引き寄せる。
「気遣ってくれたことはちゃんとわかっている。……ただ、こんなふうに君と触れあうことは私にとっての希望だ。今までも、この先も」
耳元で、低い声が響く。エリアスの右足が、僕の脚の下で静かに存在している。そっと手を伸ばして太ももに触れる僕をエリアスは小さく息を漏らして笑った。ありがとう、と。
「誰よりも大切に思っている。君がいれば何もいらない」
「……はい。僕も、同じです。僕も、エリアスに触れていたいです……。それはあの頃からずっと変わりません」
いい子だと音をたてて頬に口づけられる。大きくて立派な椅子が軋む音に驚いてエリアスにしがみついた。ノエルは怖がりだと嬉しそうに言うエリアスに僕は首を横に振って否定する。もう子供じゃないのに、と不満を隠さずエリアスを見つめていると、顔が近づけられる。拗ねている僕の唇にエリアスの唇が触れて、その甘い空気に僕もエリアスもなんとなく笑った。
エリアスの唇が僕の首筋をなぞり、くすぐったさから逃れようと顔を背けても追いかけてくる。僕の反応を面白がっているみたいに。エリアスの手のひらが腰を撫でて、もどかしい刺激に僕の身体が疼く。
「ノエル?」
「ん、なんでもない……」
どうしてこんなに愛し合っているのに僕の脚は痛くならないんだろう。……エリアスにも言えない僕の悩み事だ。まだエリアスへの思いが足りないんだろうか。不安を掻き消すようにエリアスの肩に額を押し付ける。甘えていると思ったのだろうか、エリアスが僕の背中を撫でてくれた。
「……続きをしないか。寝室で」
エリアスの言葉に僕は目を丸くする。今日? と信じられない気持ちでいた。
「きょ、今日は最後にしてからまだ三日しか経っていないでしょう……?」
今度はエリアスの方が驚いた様子で目を見開いている。言ってしまってから気がつく。これは二人の間で話し合って決めたことではないのだと。
「気がついていたのか。……いや、気がつくか」
エリアスが静かに微笑んでいる。抱かれた後に、きっと次はあと何日後と毎日数えていたことを知られてしまった。違うんです、と言うべきなんだろうか。でも、何が違うのか。エリアスの膝の上で暴れるわけにもいかず、僕はただじっとしていた。
「そうやって決めていないと、時間があれば私は君を求めてしまう」
「へ……」
「負担になるだろう。君だって昼間は働いている。もちろん今よりももっと回数を減らしたいと言うのなら……」
「ちがっ……、僕、僕は、いつだってエリアスから求められると嬉しいのに……」
義務感で僕のことを決まった日に抱くのだと思っていた。僕の身体を気遣ってそうしていたなんて。知らなかった、もっと早く自分からねだってみればよかった。そう後悔する僕の目の前で、エリアスも珍しく顔が引きつっている。僕と似たようなことを考えているように見えた。
「……遅すぎる、ということはない。まだ私達の生活は始まったばかりなのだから」
「うん……」
「それに……。言葉が足りないとまた君を不安にさせるかもしれないから今で言っておくが、私は」
一度言葉が途切れて、それからエリアスは慎重な口調で「いつも同じ格好で君を抱くだろう」と言った。僕はその問い掛けに無言で頷きながら、エリアスと愛し合う時のことを思い出していた。寄り添うようにして、ゆっくりと繋がっている時間は僕を安心させる。愛していると囁かれながら、濡れたソコにエリアスが入ってくる瞬間を思うと、きゅーっと胸が締め付けられる。
だから、それしか出来ないんだとエリアスから言われた時。すぐにはその言葉の持つ意味といつもしている行為について、僕は上手く結びつけられずにいた。
22
あなたにおすすめの小説
【完結】待って、待って!僕が好きなの貴方です!
N2O
BL
脳筋ゆえ不本意な塩対応を只今猛省中、ユキヒョウの獣人
×
箱入りゆえガードが甘い愛され体質な竜人
愛しい幼馴染が有象無象に狙われて、居ても立っても居られなくなっていく余裕のない攻めの話。
(安心してください、想像通り、期待通りの展開です)
Special thanks
illustration by みとし (X:@ibarakiniarazu)
※独自設定かつ、ふんわり設定です。
※素人作品です。
※保険としてR設定にしていますが、基本健全。ほぼない。
君の恋人
risashy
BL
朝賀千尋(あさか ちひろ)は一番の親友である茅野怜(かやの れい)に片思いをしていた。
伝えるつもりもなかった気持ちを思い余って告げてしまった朝賀。
もう終わりだ、友達でさえいられない、と思っていたのに、茅野は「付き合おう」と答えてくれて——。
不器用な二人がすれ違いながら心を通わせていくお話。
【本編完結】才色兼備の幼馴染♂に振り回されるくらいなら、いっそ赤い糸で縛って欲しい。
ホマレ
BL
才色兼備で『氷の王子』と呼ばれる幼なじみ、藍と俺は気づけばいつも一緒にいた。
その関係が当たり前すぎて、壊れるなんて思ってなかった——藍が「彼女作ってもいい?」なんて言い出すまでは。
胸の奥がざわつき、藍が他の誰かに取られる想像だけで苦しくなる。
それでも「友達」のままでいられるならと思っていたのに、藍の言葉に行動に振り回されていく。
運命の赤い糸が見えていれば、この関係を紐解けるのに。
前世が飼い猫だったので、今世もちゃんと飼って下さい
夜鳥すぱり
BL
黒猫のニャリスは、騎士のラクロア(20)の家の飼い猫。とってもとっても、飼い主のラクロアのことが大好きで、いつも一緒に過ごしていました。ある寒い日、メイドが何か怪しげな液体をラクロアが飲むワインへ入れています。ニャリスは、ラクロアに飲まないように訴えるが……
◆いつもハート、エール、しおりをありがとうございます。冒頭暗いのに耐えて読んでくれてありがとうございました。いつもながら感謝です。
◆お友達の花々緒さんが、表紙絵描いて下さりました。可愛いニャリスと、悩ましげなラクロア様。
◆これもいつか続きを書きたいです、猫の日にちょっとだけ続きを書いたのだけど、また直して投稿します。
刺されて始まる恋もある
神山おが屑
BL
ストーカーに困るイケメン大学生城田雪人に恋人のフリを頼まれた大学生黒川月兎、そんな雪人とデートの振りして食事に行っていたらストーカーに刺されて病院送り罪悪感からか毎日お見舞いに来る雪人、罪悪感からか毎日大学でも心配してくる雪人、罪悪感からかやたら世話をしてくる雪人、まるで本当の恋人のような距離感に戸惑う月兎そんなふたりの刺されて始まる恋の話。
(完結)冷徹アルファを揺さぶるオメガの衝動
相沢蒼依
BL
名門・青陵高校に通う佐伯涼は、誰もが一目置く完璧なアルファ。冷静沈着で成績優秀、規律を重んじる彼は、常に自分を律して生きてきた。だがその裏には厳格な父と家の名に縛られ、感情を抑え込んできた孤独があった。
一方、クラスの問題児と呼ばれる榎本虎太郎は自由奔放で喧嘩っ早く、どこか影を抱えた青年。不良のような外見とは裏腹に、心はまっすぐで仲間思い。彼が強さを求めるのは、かつて“弱さ”ゆえに傷ついた過去がある。
青陵高校1年の秋。冷徹で完璧主義の委員長・佐伯涼(α)は、他校の生徒に絡まれたところを隣のクラスの榎本虎太郎(Ω)に助けられる。だがプライドを傷つけられた佐伯は「余計なことをするな」と突き放し、二人の関係は最悪の出会いから始まった。
《届かぬ調べに、心が響き合い》
https://estar.jp/novels/26414089
https://blove.jp/novel/265056/
https://www.neopage.com/book/32111833029792800
(ネオページが作品の連載がいちばん進んでおります)
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
劣等アルファは最強王子から逃げられない
東
BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。
ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる