人魚の祈りが届くまで

サトー

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16.それしか出来ない

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 幸い港を管理しているのはエリアスのお父様の古い知り合いだと言う。それならきっと、目を通してその内容についても検討してもらえるだろう。書き終わった手紙は、エリアスが封蝋でしっかりと封を閉じる。エリアスの慣れた手つきを僕はじっと見守っていた。
 
「よかった! これでもう大丈夫だ、ありがとうエリアス。ありがとう……」

 今にも飛び上がりそうなほど喜ぶ僕を見てエリアスは「まだ手紙を書き終わっただけだ。大丈夫と決まったわけじゃない」と少し戸惑っているようだった。責任ある立場を持っているから何もかもに対して慎重なのかもしれない。エリアスと結婚している僕もそうあるべきなのだろうけど、二人で困難を乗り越えられたように感じられて喜びが隠しきれなかった。

 手紙を書き終えてしまうと、僕の文章よりもエリアスの集めた資料の方がよほど説得力があると思えた。でも僕は嬉しかった。何も知らなければ嵐に巻き込まれてしまう人がいたかもしれない。それを防ぐために少しでも前へ進めたことが嬉しかった。それに、「なんだか嫌な感じがする」という僕の抽象的な言い回しがどうすれば多くの人に納得してもらえるのか、少しだけわかったような気がする。


「僕も気候や海のことを勉強したら、もっとエリアスの役に立てる?」

 本当は毎日船が出せるような天気が続くのが一番だけど。自然が相手だとそうはいかない。エリアスに手伝ってもらったことの大部分を僕が一人で出来るようになればエリアスの負担も減るのだろうか。

「何もしなくてもいい。と、言いたいところだが」

 エリアスはそこで一度、言葉を区切った。何かを考えているのか、それとも言おうとしていることについて躊躇しているのか。勉強したいと言うのは簡単だけど続けることは難しい。たぶん、港やあちこちの会社で海の様子を伝える仕事をしている人魚の末裔達も、必要なことはちゃんと勉強しているのだろう。人の命や利益。責任が発生すると、その分だけ知識が必要になる。

 僕がどれだけ本気なのかを推し測っているんだろうか。エリアスは眉間にシワを寄せて何かを考えている。僕は息を潜めて返事を待った。

「少しずつでいいから、ノエル、君に勉強してほしいと思っている。気候、海流、物流、海の生態系、様々なことを。……本当は誰の目にも触れないようにして君を閉じ込めておきたいが……。君の力は私だけのものじゃない。船乗りとその家族を助ける特別な力だ」
「本当?」
「ああ。真剣に手紙を書く様子を見ていてそう感じた。ただし、身体に過度な負担がかかるようならダメだ。私は直ぐに君を海から引き離し、場合によっては今就いている仕事も辞めさせる」

 わかりました、と頷く僕を見てエリアスが満足そうに微笑む。今のエリアスとならそれほど難しいことじゃないと思った。今日は疲れているから休みたいと僕はちゃんと言葉にすることが出来るし、それを聞いたエリアスが怒るわけがないとわかっているから。

 結婚する前はずっと、エリアスにとって僕はただの道具でしかないと思っていたし、それで構わなかった。でも、今の僕は違う。エリアスと一緒に支えあって生きていきたい。そう願ってもいいのだと思える勇気をエリアスの言葉がくれた。
 おいで、とエリアスが僕を呼ぶ。一つの机に向かって隣あって座っているのだから充分近い。これ以上どうすればと狼狽えていると、エリアスからは自分の膝の上に座るよう言われた。

「ここに? 僕が?」
「昔はよくやっていた」
「だって、あの時はまだ子供だったから……!」

 寄宿学校にいた頃も。エリアスは自分の部屋で僕のことをよく膝の上に乗せてくれた。可愛いよ、ノエルとエリアスの甘い囁きに僕は頬を熱くして、制服の下で身体は反応していて。あの頃、エリアスが僕に触れるのは、悲しいことがあった時に励ますためやふざけて戯れているといった側面が強くて、僕は自分ばかりがエリアスのことを好きなんだろうかって時々悩んだりしていた。


「それに、今の僕なんかが上に乗ったら……」

 それほど大柄なわけじゃない。身長だって今もエリアスの方が高いけれど。あの頃に比べたら僕も背だって伸びているし、体重だって増えている。エリアスの足に負担をかけてしまう気がして、怖い。ほんの一瞬だけエリアスの右足に視線を向けたつもりだった。だけど、それだけでエリアスは僕が何を考えているか察しているようだった。

「……足首から上は正常だ」

 悲しんでいるわけでも怒っているわけでもない。ただ、今まで何度も人にそう説明してきたのだろうと感じさせる、静かで硬い声だ。

「あ……」
「それにどんな身体になったとしても、近くで君を感じていたいという気持ちは変わらない」

 エリアスは静かに僕の手を引き、自分の膝の上へ導いた。いいのかなと躊躇う気持ちと、少年だった頃の日々を、そしてエリアスを恋しく思う気持ち。僕の反応はエリアスを傷つけてしまったかもしれない。そのことについてエリアスに何を言えばいいのか答えを見つけられないまま、僕は彼の膝に腰を下ろしていた。

 重くない? 大丈夫?……そんな言葉を飲み込んで、僕はそっと息を吐いた。エリアスの腕が僕の腰に回り、背中を優しく引き寄せる。

「気遣ってくれたことはちゃんとわかっている。……ただ、こんなふうに君と触れあうことは私にとっての希望だ。今までも、この先も」

 耳元で、低い声が響く。エリアスの右足が、僕の脚の下で静かに存在している。そっと手を伸ばして太ももに触れる僕をエリアスは小さく息を漏らして笑った。ありがとう、と。

「誰よりも大切に思っている。君がいれば何もいらない」
「……はい。僕も、同じです。僕も、エリアスに触れていたいです……。それはあの頃からずっと変わりません」

 いい子だと音をたてて頬に口づけられる。大きくて立派な椅子が軋む音に驚いてエリアスにしがみついた。ノエルは怖がりだと嬉しそうに言うエリアスに僕は首を横に振って否定する。もう子供じゃないのに、と不満を隠さずエリアスを見つめていると、顔が近づけられる。拗ねている僕の唇にエリアスの唇が触れて、その甘い空気に僕もエリアスもなんとなく笑った。

 エリアスの唇が僕の首筋をなぞり、くすぐったさから逃れようと顔を背けても追いかけてくる。僕の反応を面白がっているみたいに。エリアスの手のひらが腰を撫でて、もどかしい刺激に僕の身体が疼く。

「ノエル?」
「ん、なんでもない……」

 どうしてこんなに愛し合っているのに僕の脚は痛くならないんだろう。……エリアスにも言えない僕の悩み事だ。まだエリアスへの思いが足りないんだろうか。不安を掻き消すようにエリアスの肩に額を押し付ける。甘えていると思ったのだろうか、エリアスが僕の背中を撫でてくれた。

「……続きをしないか。寝室で」

 エリアスの言葉に僕は目を丸くする。今日? と信じられない気持ちでいた。

「きょ、今日は最後にしてからまだ三日しか経っていないでしょう……?」

 今度はエリアスの方が驚いた様子で目を見開いている。言ってしまってから気がつく。これは二人の間で話し合って決めたことではないのだと。

「気がついていたのか。……いや、気がつくか」

 エリアスが静かに微笑んでいる。抱かれた後に、きっと次はあと何日後と毎日数えていたことを知られてしまった。違うんです、と言うべきなんだろうか。でも、何が違うのか。エリアスの膝の上で暴れるわけにもいかず、僕はただじっとしていた。


「そうやって決めていないと、時間があれば私は君を求めてしまう」
「へ……」
「負担になるだろう。君だって昼間は働いている。もちろん今よりももっと回数を減らしたいと言うのなら……」
「ちがっ……、僕、僕は、いつだってエリアスから求められると嬉しいのに……」

 義務感で僕のことを決まった日に抱くのだと思っていた。僕の身体を気遣ってそうしていたなんて。知らなかった、もっと早く自分からねだってみればよかった。そう後悔する僕の目の前で、エリアスも珍しく顔が引きつっている。僕と似たようなことを考えているように見えた。

「……遅すぎる、ということはない。まだ私達の生活は始まったばかりなのだから」
「うん……」
「それに……。言葉が足りないとまた君を不安にさせるかもしれないから今で言っておくが、私は」

 一度言葉が途切れて、それからエリアスは慎重な口調で「いつも同じ格好で君を抱くだろう」と言った。僕はその問い掛けに無言で頷きながら、エリアスと愛し合う時のことを思い出していた。寄り添うようにして、ゆっくりと繋がっている時間は僕を安心させる。愛していると囁かれながら、濡れたソコにエリアスが入ってくる瞬間を思うと、きゅーっと胸が締め付けられる。

 だから、それしか出来ないんだとエリアスから言われた時。すぐにはその言葉の持つ意味といつもしている行為について、僕は上手く結びつけられずにいた。


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