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23.激痛
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帰ってきた僕をいつものようにじいやが出迎えてくれる。僕の上着や鞄をテキパキと受け取りながら、エリアスはあと二時間ばかりしたら戻ってくることをじいやは教えてくれた。
「ノエル様は先にご夕食をすませておくようにと言づてがありました。支度を進めてもよろしいでしょうか?」
「はい。僕はそれで大丈夫です。よろしくお願いします」
最後に片付けておきたい仕事があるのだろう。まだ夕方だから、帰ってきたエリアスと顔を合わせて話をすることは出来る。その時に足をぶつけたことは伝えよう。
馬車から降りて以降、早足で歩いてみたり足首をあちこちに捻ってみたりしているけれど、今のところ痛みは感じない。きっとエリアスは「ああ、ノエル。あまり心配させないでくれ」と言った後、僕の足に異常がないことを確認してから安心したように微笑むだろう。僕はそんな呑気でふわふわした空想に包まれていた。
それなのに夕食が出来上がる頃には再び僕の脚はおかしくなってしまっていた。今度はぶつけた足首ではなく、両方の脚の付け根から爪先までに引きつるような違和感がある。なんだか自分の脚じゃなくなってしまったようだ。
せっかく食事を準備してもらったのだから、という思いだけで手すりに掴まりながら廊下を進む。まだ、歩けないほど痛いわけじゃない。でも、よくなる見込みだってない。歩きながらなんとなく気がついていた。これは、仕事場でぶつけたこととは無関係の痛みなのだと。
なんとか食卓についたものの、ひどくなっていく痛みに、結局まともに食事をすることは出来なかった。脚全体が燃えるように熱いと感じられるのに、少しでも動かしたり服に擦れたりすると、氷のように冷たい痛みが走る。
料理にほとんど口をつけずに、僕はテーブルに突っ伏してじっと目を閉じていた。初めに僕の様子がおかしいと気がついたのはじいやだったのだろうか。わからないけれど、僕のせいで家中が大騒ぎになった。
可哀想に、泣きそうになっている人もいる。僕が何か大変な病気になってしまったと思っているのかもしれない。違うんです、と言おうとしても僕の口からは呻き声しか出てこない。
「エリアス様へすぐに連絡して医者を! それから寝室の支度を確認して、エリアス様が以前使っていた移動用のベッドか車椅子にノエル様を……」
いつもの優しい口調とは別人のようなキビキビした声でじいやが指示を出している。バタバタとたくさんの人が急ぐ足音や、馬車を飛ばせばどのくらいで医者を呼べるかといったことを相談している声。顔を伏せたままとうとう涙が出てきてしまった僕の側で、目まぐるしいスピードで物事が進んでいく。
「やめて、お願いです……、エリアスにはどうか連絡しないでください、帰ってきてからちゃんと話しますから……。病気じゃないんです、僕は……」
どんな医者だってこの脚の痛みは直せない。僕の身体に流れる人魚の血が、僕のエリアスへの愛を試すためにこの痛みを引き起こしているのだから。おばあちゃん、心の中でそう呼び掛けると経験したことのない痛みにポロポロと涙が溢れた。
祖母は言っていた。エリアスに名前を呼んでもらって、脚をさすってもらうのだと。そうすれば、僕の脚は元に戻ると。
「……ノエル様に何かがあった時は、それがどんなことであれ大至急エリアス様に伝える。ここで働く全員がそれを必ず守るという約束で雇われているのですよ」
しんと静まり返った重苦しい空間で、じいやの穏やかな声が響く。僕だけじゃなく、ピタリと動きが止まってしまった他の人達のことも落ち着かせようとしている声だ。僕の背中を撫でながらじいやは話し続けた。
「心配なのでしょう。エリアス様や会社で働く人々に迷惑がかかるんじゃないかと。大丈夫、エリアス様は責任感が強く真面目なお方です。何もかもを放り出して会社を飛び出すなんてことはしません。ただ、ノエル様のために一刻も早く家へ戻ろうと手を尽くす、それだけです。ノエル様が自分で直接お話したいということは、私共からエリアス様に伝えることは決してございません。だから、どうか……」
じいやの言っていることが痛いほどよくわかる。僕に何かがあったらすぐに連絡しなさいと約束した時のエリアスの気持ちも。
僕の気持ちだけでその約束を破らせてしまったら。じいやを含めたこの屋敷で働いている人達全員がエリアスから厳しく叱られてしまうことも。
「わかりました……、ううっ……、ごめんなさい、脚が痛くて……。へ、部屋へ戻りたいのです、お願いします……」
座っていることさえも辛くて堪らなかった。何度気を失いそうになっても激痛が僕の意識を呼び戻してしまう。僕を部屋へ運ぶために二人の男性の力が必要だった。痛い痛いと泣く僕の身体を支える人達がとても辛そうにしているのを、涙で滲んだ視界がぼんやりと捉えた。
寝室のベッドで横になっても、激痛が絶えず僕を襲った。ガタガタと震えるほど寒くてたまらないのに、シーツが触れただけで爪先から脛にかけてびりびりとした痛みが走る。
「僕の、書斎に、古い鞄があります……。それを、持ってきてもらえませんか。大事な、僕にとって、とても大事なものが入っているんです……」
この苦痛から解放されたい。痛いよと思いきりエリアスの胸で泣きたい。今はそれが叶えられないことはわかっていたから。僕はせめて自分の大切な宝物を傍に置いておきたかった。
「エリアス……」
いつの間にか、自分が目を閉じているのか、開いているのに何も見えなくなってしまったのか。それさえもわからなくなってしまっていた。耳鳴りのせいで、今、傍に誰かがいるのかどうかもわからない。ごうごうと激しい嵐のような耳鳴りの隙間から時々、海が「帰っておいで」と僕を呼ぶのが聞こえた。
そんなことをしたら死んでしまうと頭では理解しているのに、意思とは関係なく僕の脚は時々シーツを蹴るようにしてバタバタと動いた。まるで、僕の身体を海へ帰そうとするかのようだった。
海の世界を飛び出して陸へやって来た人魚の娘達はいったいどうやってこの痛みに耐えたのだろう。今の僕と違って彼女達は、人魚の血が流れる身体についての知識もなかったはずだ。諦めて海へ飛び込んでしまった娘がいたとしても少しもおかしくはない。だけど、こうして今、人魚達の末裔である僕が存在しているということは、彼女達はこの痛みを乗り越えて愛する人と結ばれたということなのだろう。
エリアス、と名前を呼びながら僕は腕の中の古い上着を抱き締めた。ボタンや袖のほつれ、それから立派な紋章の手触りも。五感のほとんどを痛みに蝕まれたとしても、ずっと僕を守ってくれていたエリアスからもらった上着は、僕のことを少しだけ安心させる。
脚が痛くなったということは、この痛みを乗り越えられれば僕はエリアスのためにどんな願いだって叶えることが出来る。祖母が自分の声と引き換えに祖父の眼の病気を治したように。
ぽろりと頬をつたう涙が熱い。よかった、これでエリアスの足を治してあげられるという気持ちは嘘じゃない。それなのに。声を失えばもう二度とエリアスとは言葉を交わすことが出来ないという運命が悲しくて。
痛みで朦朧とする意識の中、結婚式で泣いていたエリアスのことを僕は思い出していた。拙い僕の言葉にじっと耳を傾けていたエリアス。
エリアスが大好き、世界中の誰よりも愛している。だから、もう泣かないでと何度伝えたって足りないくらいなのにな。
そんなことを考えながら、僕は身体がゆっくりと深い海の底に沈んでいくような感覚に包まれていた。
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