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ヒナタ

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「……よお、人間愛護派の変態野郎」

挨拶代わりに煽ってやったら、「俺を変なふうに言うのはやめろ!俺は変態でもないし、愛護派でもない!」と、ものすごい剣幕で怒鳴り返された。
こんなに怒るということは、どっちも事実ってことだな……と肩を竦めると、怒りでつり上がった目にギッと睨まれる。

「……で、何の用?悪いけど、こっちは今取り込み中だ」
「何が取り込み中だ!中にいるんだろ?子供はどこだ?!」

俺の背中にピッタリと張り付くようにして隠れていたアオイが、ビクッと体を震わせた。

「あっ!そこだな!お前、自分の後ろに隠しているだろう!」
「やめろよ!勝手に俺の家に入るな!」

目の前にいる、突然押し掛けてきた人間愛護派の変態は、特有の勘の良さでアオイを見つけ出してしまった。
いくら古い知り合いとは言え、戸を壊してでも中へ入ってこようとするヤツに容赦するわけにはいかない。
相手の体を吹き飛ばす術を使ってもいいが、後ろにいるアオイがその衝撃に耐えられるかはわからなかった。

尻餅をつくくらいで済めばいいが、アオイも巻き添えになってケガをしてしまうかもしれない……。小さな身体を思い出してしまい躊躇していると、「あの!」とアオイが声をあげた。
ニンゲンギツネのオス二人がぎゃあぎゃあ揉めていたにも関わらず、女みたいに高いアオイの声は騒がしい空間の中で妙に響いた。



「あの、人間の子供は俺です……。隠れていてごめんなさい……」

そろそろと俺の後ろから出てきたアオイはそう言った後、人間愛護派に頭を下げた。
目の前で言い争っている光景を見せられて恐ろしかったのか、なんだか不安そうな顔をしている。

「アオイ……」
「ビックリさせてしまってゴメンよ。俺はヒナタ。人間の君が馴れない狐の里でどんなふうに暮らしているのか様子を見に来たんだ」

俺の言葉を遮って人間愛護派の変態であるヒナタがアオイに声をかけた。
そのままアオイの前にしゃがみ込んでニッコリと微笑みかける。

「……俺はホタルとは古い知り合いでね。
里の連中が、ホタルがようやく……、えっと、ホタルが人間の子供と仲良くしてるって聞いたから、どんな子だろうって気になって」

「歳はいくつ?……へー、15かあ」と明るく会話を続けながら、ヒナタはアオイの様子をじっと観察していた。
ほんの少し緊張しているようではあったものの、にこやかな笑顔と朗らかな声で話しかけてくるヒナタにアオイは「ホタルに無理を言って連れてきて貰いました」「お墓の掃除の手伝いにも連れていって貰っています」とキチンと会話に応じている。

ヒナタはほんの一瞬、顔を上げてから俺のことをじっと見てきた。
ほとんど唇を動かさずに、人間のアオイの耳では聞こえない程小さな低い声で、こう言った。

「……妙なことはしていないみたいだな」

妙なこと、とは俺の使う「おまじない」のことに決まっていた。
今までいろいろな人間の男や女におまじないをかけては、身の回りの世話をさせていた俺のことを人間愛護派のヒナタは嫌っていて、「淫乱」「クズ」と罵倒し、「お前には心が無いのか!?」と怒りをぶつけてくる。

俺の使うおまじないは「ほんの少しの間、俺に夢中になって、俺のためになんでもしてくれますように」という可愛らしい願い事みたいなものだ。
遠いご先祖が「人間を利用したい」と思って進化をしてきたのがニンゲンギツネという種族の始まりなのだから、俺はちっとも間違ってなんかいない。
このバカにそれをわからせてやろう、とヒナタとは今までもう何度もケンカをしてきている。



「……当たり前だ。誰がこんな子供に使うかよ」
「ホタル……?」

あえてアオイにも聞こえるようにハッキリそう言い返すと、ヒナタは思いきり顔をしかめた。

「……中に入れよ。聞きたいことはいろいろあるからな」

人間愛護派のヒナタが押し掛けてくるなんて、里の連中が俺とアオイのことで何か勘違いをして、ろくでもない噂が広まっているに違いなかった。








「みんなが、ホタルがついに伴侶を見つけてきたって言うから、俺はどんな人だろうって、慌てて確認しに来たんだよ。
そしたら、こんなに可愛い弟子をとったなんて……」

「あー!そうだそうだ!まさか、あのホタルが誰か一人を愛するなんてな!あり得るわけがない!」と一人で大騒ぎをするヒナタに、アオイは「……俺はホタルの手伝いをする居候です」と微笑みかけた。

「ホタルとは古い知り合いなんだよ」という言葉にすっかり安心したのか、アオイはすぐにヒナタに懐いた。
ヒナタが何も持っていなかった手から、饅頭やドーナツを次々と出してやると「スゴイ!」と目を輝かせて大喜びしている。

「……食べられるの?」
「もちろん。俺の手から出した物はみーんな本物だよ。お腹の中で葉っぱや石ころに変わったりなんかしないから、安心して食べなよ」
「……ありがとう」

フフン、と得意気な顔でこっちを見てくるヒナタに対してカチンと来たから、ホタルも食べよう、とアオイに言われたけれど聞こえないフリをした。




俺とヒナタは産まれた年がほとんど変わらなくて、子供の頃は毎日一緒に里中をかけ回っていた。
二人で勝手にほら穴を抜けて人間の住む世界へ行った時には、両方の両親からものすごく叱られた。
俺の方が「ほんの少し年上だから」という理由で、俺の父親はヒナタの両親に何度も頭を下げ、母親は「アンタはお兄ちゃんでしょうが!」と俺をぶったのをよく覚えている。



すでに亡くなっているヒナタのばあ様が人間だったからなのか、ヒナタはニンゲンギツネの中ではわりと珍しい容姿をしていた。

狐の姿で産まれてくるうえに、なんにでも化けられるニンゲンギツネにも「基本の容姿」というものがある。
基本の容姿は、特別神経を使わなくても人の姿で化けていられる。だから、たいていのニンゲンギツネは普段、基本の容姿で過ごす。
人の姿であっても、基本の容姿はちゃんと両親やその親の特性を受け継いでいる、という現象に、里にやって来た医者や学者は「不思議なことがあるもんだなあ」といつも感心している。


「人間のばあ様の若い頃にソックリらしい」と言うヒナタの基本の容姿は、ふわふわした髪に緩いカールがかかっていて、目が丸っこくて目尻が垂れている。
ニンゲンギツネどうしの親から産まれた子供は、直毛でつり目であることが多い。
どうかしたら人間であるアオイの方がキッと上がった目尻と細いサラサラした髪の毛をしている分、ヒナタよりもずっとニンゲンギツネらしい顔つきをしていた。

ヒナタは子供の頃、容姿のことで「変な髪の毛」「ニンゲンギツネの出来損ない」とニンゲンギツネの子供の間で散々意地悪を言われていた。

そのたびにヒナタをいじめるヤツを俺が殴り、「みんな大嫌いだ」と泣くヒナタをよしよしと慰めてやったと言うのに……。
成長したヒナタは人間愛護派になってしまい、俺にばかり食ってかかるようになった。

アオイと楽しそうに会話をするヒナタを見ていると「子供の頃は可愛かったのに」と思わずにはいられない。
ヒナタが口うるさい人間愛護派なんかになったうえに、こうやってアオイのことで家にやってきたのはとても不愉快だ。

それからなにも事情を知らないアオイが、すぐにヒナタに心を開いているのも面白くない。
べつに、「一番最初にアオイと口をきいて、ここへ連れてきたのは俺なのに」「アオイはちょっと優しく声をかけられれば誰にでもホイホイ着いていくんだろうか」と思って腹を立てているわけではない。

ただ、もう15にもなるのに、ちょっと甘くて美味いものを貰ったくらいで「ありがとう」と大喜びして、聞かれたことにペラペラ答えてしまうアオイに対して「大丈夫かよ」と呆れてしまっているだけだ。
いくらトロいとは言っても、少しは警戒しないとすぐに騙されてしまうぞ……とヒナタと楽しそうに会話をするアオイをじとっと眺めている時だった。



「……アオイ、ホタルにいじめられたらすぐ俺に言うんだぞ。……お、お、俺のことは、気軽にヒナタお兄ちゃんって呼んで構わないから」

墓場の掃除にこれからも来ていいって和尚さんに言われた、とアオイがニコニコしながら話している最中にヒナタが口にした気色の悪い発言に、俺は自分の耳を疑った。

「……なんだよ、その気持ち悪い呼び方は」
「……ヒナタお兄ちゃん」

アオイが呟いた。それはヒナタに呼び掛けるためというよりは、言われたことを口に出して確認するためとか、忘れないように一応声に出しておいてみたとか、そういう言い方に近かった。
それなのにヒナタは目を見開いた後、身体を仰け反らせてワナワナと震え始めた。

「あ、ああ……!」
「お、おい……どうしたんだよ」
「かっ、可愛い……!なんて、人間の子供は可愛いんだ……」
「……はあ?」

「可愛すぎるだろ!」と悶え、頬を紅潮させるヒナタは、どこからどう見ても危ないヤツだった。

前々からヒナタについては、人間フェチの変人だとは思っていた。

ヒナタと俺は大喧嘩の翌日には必ず「……くだらないことで喧嘩すんのはやめよう、疲れた」と二人で酒を呑む。
すると、泥酔したヒナタがぼんやりした顔で「……人間の女って、ベタベタした甘い匂いがしていいよな」「俺にも人間の弟か妹がいればなあ~……」「人間の肌に触りてえなあ……」と呟いているのを何度か聞いたことがある。

だから俺がつけてやった「人間愛護派の変態」というヒナタの愛称にはちゃんと根拠がある。
ムキになって否定していたくせに、事実じゃないか、と俺はゲンナリしているというのに、興奮したヒナタは「お前もそう思うだろ?!」と目を爛々とさせて、俺の方を真っ直ぐ見てきた。


「クソ生意気で口だけは達者な小さいニンゲンギツネと違って、アオイはおとなしくて、なんて可愛いんだろう……!
それに見ろよ、この肌!まだたった十数年しか生きていないプリプリした肌だ!ああ、それに、それに……なんて良い匂いがするんだろう……!人間の大人ともニンゲンギツネとも違う、真っ白で鼻がスッとするような清潔な匂いだ!」
「……お前が気色悪いことはよくわかったから、今すぐ帰ってくれないか」
「はっ……!俺は今、何を口走った……?」

……さすがに鈍臭いアオイでも、ヒナタのことを「人間の子供である自分のことを変な目で見てくる危ないニンゲンギツネ」だと理解出来たようで、怯えた目をしながら俺の背中に隠れた。

「さっきまでヒナタと甘いものを食べて喜んでいたじゃないか」というアオイに対する気持ちと、「お前のことは嫌だってさ、ざまあみろ」というヒナタに対する気持ちが複雑に混ざり合う。

それでも、「今度はお兄ちゃんと二人で遊ぼう。勉強も見てあげるし、なんでもアオイの欲しいものをあげるよ」と血走った目でアオイに迫るヒナタの腕を掴んで「出て行け!この変態野郎が!」となんとか家から追い出した。



「……アオイ、驚かせたならゴメンな。俺は本当に変な意味で君と仲良くなりたいわけじゃないんだよ」
「…………うん」
「……お前、あれだけ気色の悪いことを言っておいて、まだ好感度を取り戻せると思っているのかよ?」

帰りたくない、アオイと一緒にいたい、と駄々をこねるヒナタに「他の愛護派に「愛護派を装った犯罪者がいる」と言いつける」と脅しておくことは、もちろん忘れなかった。
帰る直前にヒナタは「……里の奥で暮らすお前の両親も、とっくにアオイのことは耳にしていて、ようやくお前が身を固める気になったと大喜びしているぞ」と忌々しげに呟いた。

「誰がこんな子供と。それに俺はまだまだそういう相手を見つけようなんて気は……」
「そうか、それならいい」

ヒナタは俺との会話を聞いているアオイの様子をチラリと気にしてから、またほとんど唇を動かさない、小さな小さな声で、俺だけに喋った。



「……本気じゃないなら、お前の妙な術を使う前に、綺麗な身体のまま元いた世界にアオイを返せ。まだ子供だぞ」



返事はしなかった。
いつまでも独り身でプラプラするんじゃない、と口うるさい両親にも、アオイとのことを面白がってすぐに妙な噂を流す他の連中にも、やかましい変態なくせに正義面をするのだけは一流のヒナタにも、腹が立っていたからだ。



「……ホタル」
「あー、人間愛護派のうえに変態ときたら、あんなヤツもう救いようがねえな……。
アオイ、大丈夫?怖かっただろ?」
「大丈夫……。なんだかすごく変わった人だね」

でも、少しだけビックリした、と言った後、暗いほら穴を歩く時や、夜中にトイレに行く時みたいに、アオイがそっと俺の手を握った。

「知らない人と話したから、ちょっと緊張しちゃった……」
「……そうか」

緊張していたと言うのは本当なのだろう。アオイの手は冷たかった。



「……ホタルは俺といたら愛護派の人に怒られる?……俺をどこかへやったりする?」
「……俺もアイツも、人じゃない……。それに、それに、ええと……」

俺はアオイをどこへもやらないさ、と言いたいのに、なかなか言葉が出て来なかった。
ここへアオイを連れて来たのは「そのうち帰りたいと言うだろう」という軽い気持ちだったから、アオイに対してそう答えようとした自分に対して、俺はほとんど動揺していた。

それに、今まで、アオイ以外の人間に対して、思ってもいない「愛しているよ」「ずっと一緒にいよう」という言葉はいくらでも言えていたというのに、アオイが子供だからなのだろうか。そういうことを言うのは躊躇われた。

「……ホタル。ホタルに奥さんが出来るまでの間でいいから、ここにいさせてください」
「…………ま、まあ、それならいいかな」
「ありがとう……」


手を握って「ここにいさせて」と懇願してくるアオイの身体からフッと匂いがする。
さっきヒナタが言っていた「真っ白で鼻がスッとするような清潔な匂い」という言葉が頭を過った。

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