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泥だらけの狐
しおりを挟む「ホタル…、あの、大丈夫……?」
「……大丈夫だから、俺のことはほうっておいて」
うん、と言う返事が聞こえたものの、布団越しでもアオイが動揺してオロオロしていることは、上擦った声でなんとなくわかった。
まだ、耳と尻がムズムズする。さっきまで毛で覆われていた皮膚は元に戻ったけれど、耳と尻尾は元に戻るまで時間がかかる。
俺はアオイでからかって遊んでいただけなのに、それなのに……
「ホタル、気分が悪いの……?」
「……あとほんの少しで元に戻れそうだから、悪いけど黙っていてくれないか」
「うん……。それならいいけど……。ホタルが、服を着ないで急に外へ飛び出していくから、俺ビックリした」
「その話は聞きたくない……」
俺はヒナタのような人間愛護派の変態と違って、男の子供であるアオイの身体に欲情したりなんかしない。
それなのに、久しぶりに裸の人間と戯れたからなのか、とにかく俺の脳がなんらかの誤作動を起こして、それで俺は狐の姿に戻ってしまったのだ。
あれは、絶対絶対何かの間違いなんだ、と枕に顔を埋めた。
□
「う、ぐ、ううっ……」
全身に広がったむず痒さのせいで立っていられなくなった俺は、アオイの前にしゃがみ込んでしまった。
「ああっ……いやだっ、いやだいやだっ……!」
どれだけ嫌だと頭を掻きむしっても、自分の身体を強く抱きしめるようにして手に力を込めても、身体はどんどん火照っていく。
この感覚は久しぶりだった。未熟なニンゲンギツネが性的に興奮して狐の姿に戻ってしまう時、個体によって程度の差はあるものの、全身が微かな快感に襲われると言う。
俺の場合は、身体中の肌が敏感になるせいで、空気に触れているだけで、じりじりとした快感に包まれて、悶えてしまう。やっかいなことに、どれだけ俺が抗おうとしても、結局は思い通りにならないじれったさに、身を捩りながら落ち着くのを待つことしか出来ない。
「……ホタル?大丈夫……?」
「あっ!やめ、……触るなよおっ……!」
アオイの手で肩に触れられただけで気持ちがよくて、剥き出しのままのすっかり立ち上がった性器から、とろりと先走りが垂れる。
どうして、俺がこんな子供なんかに、と必死で歯を食い縛る。違う、違う、と何度も言い訳するみたいにして首を横に振った。
俺はアオイのことを変な目で見たりなんかしていない。アオイは俺にとってはからかって遊ぶだけのオモチャだ。
でも、墓掃除の出来はいいから助手にしてやってもいいかな、とは思っているけれど……俺は、アオイの痩せた色気の欠片もない身体なんかで興奮するような変態なんかじゃない!……と必死で自分に対して弁解した。
そうしていないと、「早く気持ちよくなりたい、早くイキたい」という俺の意志とは関係ない性欲で頭の中が埋め尽くされてしまうからだ。
身体のどこもかしこも、もどかしくて、切ない。そのうえ、ホタル、ホタルと側に寄ってくるアオイのまっさらな匂いのせいで、頭がおかしくなりそうだった。
「ホタル……」
「うあああっ……!」
「ホタル、どこか痛いの……?ねえっ……」
「う、ぐ、ううっ……」
泣きそうなアオイの声を聞いていると、それだけで全身がゾクゾクして口から涎が零れそうになる。ハー、ハー、と荒い呼吸をしながら身を震わせていると、「欲しい、犯したい」という思いがフツフツと湧いて来る。
このままだと、快感に呑まれて、目の前のアオイの身体にむしゃぶりついてしまう。
それだけはダメだ。そんなことあっちゃいけない、だって相手は人間の子供だ。
ほんの少しからかわれたくらいで「もう許して」と懇願してくるような子供に、そんなことをしたら、きっとアオイは壊れてしまう。そうしたら……、そしたら二度と遊べなくなる。
だいたい、なんでこの俺がこんな子供なんかに欲情しないといけないんだ、ほんのちょっと良い匂いがするくらいで、ただの子供じゃないか……と泣きそうになりながら心配そうに覗き込んでくるアオイを突き飛ばして、俺は外へ飛び出した。
アオイは何も知らない。ニンゲンギツネが狐の姿に戻る時は、目の前の相手に欲情しているということも教えていないからきっと知らないのが、唯一の救いだった。
いよいよ尻尾が出てきてしまう。素っ裸のまま躊躇しないで、俺は草むらに飛び込んだ。……自分でも本当に本当にバカみたいだと思うけれど、なんとか昂る気持ちを静めようと、転がりまわるようにして全身を地面に擦りつけた。
意地でも自分の手で扱いて射精なんかしたくなかった。だって、これは人間との久しぶりの戯れで、俺の脳が勘違いしてしまったせいでこうなっているのだから。
アオイに触りたかったのは、ただアオイが困る様子が見たかったから。それだけのことだ。だから、俺はあんな貧相な身体に欲情なんかしていない!と歯を食い縛っているといつのまにか、狐の姿に戻ってしまっていた。
「違う!」と言おうにも、「キューン…」「クーン…」という情けない鳴き声しか出なかった。
泥だらけのせいで、よりいっそう惨めに感じられる。
なんとか気持ちを落ち着かせてから「そういえば、アオイを忘れてきたんだった……」ということに気が付いて、トボトボと風呂場へ戻る頃にはほとんど人間の姿に戻れていたけれど、俺は疲れ果てていた。戻るのに時間がかかる狐の耳と尻尾は垂れ下がっていて、きっと最低の姿をしているに違いなかった。
□
「ホタル、俺が一緒にお風呂に入って貰ったせいで具合が悪くなったの……?だったらごめんなさい……」
「……違う。全然違う。俺みたいな一流のニンゲンギツネでもこうやって調子が悪くなる時があるんだ」
「うん……。まだ、耳と尻尾はある?」
「尻尾は戻ったけど……」
「そっか……。
風呂場に迎えに行った時、アオイは「ホタル、大丈夫?!」と泣きそうな顔でしがみ付いてきた。
もう戻って来なかったらどうしようかと思った、後を追いかけようと思ったけど、何も見えないくらい外が暗くてそれで、ここから出られなかった。ごめんなさい……と、必死で謝る様子は、母狐とはぐれた小さなニンゲンギツネにそっくりだった。
子供の頃、父親に連れられて初めて狐の里を出た時、俺もこんなふうに「お父さん、待って」と怯えていたことを思い出した。
それで、なんだかいたたまれなくなったうえに、いくら脳みそのエラーとは言え、アオイに欲情している所を見せてしまった、という負い目もあって、「……もう大丈夫だから、一緒に戻ろう」とアオイを宥めることしか出来なかった。
「ホタル、具合が悪いんなら、今日は俺、床で寝るよ……。俺は平気だから」
「なんだって……?」
そんなことさせられるか、と頭までかぶっていた布団をずり下げて、そろそろと目から上だけを出した。すぐに側にいたアオイと目があう。
心配そうな表情をしていたアオイは、俺の姿を見ているうちに小さな声ではあったものの「わあっ……!」と確かに歓声をあげてから、目を輝かせた。
「スゴイ!やっぱりほんとの耳だ…!外は暗かったし、ホタルがすぐに布団に入っちゃったからよく見えなかったけど、すごくフワフワしてて、可愛い!」
「……バカにするのはやめろよ」
「バカになんかしてない……。でも、ちょっとでいいから触ってみてもいい……?」
「……ダメ」
「そんなあ……。俺、狐の耳がこんなにフワフワで可愛いって知らなかった……。ニンゲンギツネって本当にすごいね。いいな。……俺も人間なんかじゃなくて、ホタルみたいなニンゲンギツネに産まれたかったな」
「……そこまで言うなら、ほんのちょっとだけなら触らせてやってもいい」
「ほんと!?」
ここまで純粋な目でニンゲンギツネを称賛してくる人間に会ったのは初めてだったから、ほんの少し気分が良くなった。人間の……特にスケベなことをしたいだけのジジイは最低で、ニンゲンギツネである俺のことを「綺麗だ」と褒めたたえているようで、いやらしい気色の悪い目つきで舐めるように俺のことを見てくる。
アオイみたいに「すごいね。いいな」と羨ましそうにしながらも、馴れ馴れしく触ってこない人間が俺は大好きだ。
だから、頭の上でぴょこんと立っている狐の耳に、特別に触らせてやることにした。
「わー……すっごい、フワフワ……。なんて柔らかくて、気持ちいい毛なんだろう……」
アオイは遠慮がちに伸ばした手で俺の耳にそうっと触れた後、ほう、とうっとりしたため息を漏らした。
「……俺は数いるニンゲンギツネの中でも極上の毛並みをしているから」
「うん……。俺、こんなに柔らかくて気持ちいい毛に触ったの初めて」
布団に隠れて丸まっていたのが良かったのか、もうだいぶ気分も落ち着いていたし、完全な人間の姿に戻れるのも時間の問題だった。だから、近くで見てもいい?とアオイに聞かれた時も、あまり深く考えずに頷いていた。
「綺麗な毛だ……」
「そうだよ。どんな生き物にも負けないくらい、俺の毛並みは優れているんだから」
「ホタルの耳って」
なんだかお日様みたいに良い匂いがして、温かい、とアオイが顔を俺の耳に近づけた。アオイの微かな息遣いと、撫でるような、くすぐるような指の動きで耳が刺激される。
「んっ……」
「ホタルって狐の耳があると、いつもよりよく聞こえる?……そしたら、俺が大きな声で喋ったらうるさい?」
「ちょっと、待って……耳の側でコソコソ喋るのは、やめろよっ……」
狐の耳は、人間の耳よりもずっと小さな音を拾える分、敏感で刺激に弱い。俺はそのことをすっかり忘れていて、アオイが耳の側で囁くようにして話しかけてきた時に「なんだか変な感じがする」ということに気が付いたのだった。
「あっ、ヤバイ、また来る……」
「えっ……?」
「あああっ……!チクショウ…っ、なんでなんだよお……、もういやだあっ…!」
……せっかく人間の姿に戻れそうだったのに、また体中がムズムズしてきてしまった。それで、今度は外に飛び出すわけにもいかず、布団の中に潜り込んで、何度もゴロゴロと寝返りを打ってやり過ごすしかなかった。
この時の俺はまだ「これは何かの間違いだ」とずっと信じていた。俺がアオイに触りたいのは、変な意味じゃない。ただそうやって遊びたいだけだ、俺は変態の人間愛護派とは違う、とそう思っていた。
けれど、この日を境に俺の身体はなぜかアオイに反応するようになってしまった。
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